10.世界の終わり

 寝ても覚めてもガレージロック馬鹿なミッシェルの周りも、何だかんだロックへ魅せられていった。ジェニーは過去を吹っ切らせてくれる快走感を持ったメロコアに執心した。彼の娘は、父への恋しさを紛らせてくれるハードロックに胸を打たれた。他にも、パンクなり、オルタナなり、ブルースなりを知った常連たちがいた。

 そんな中に、彼もいた。ミッシェルが気に入らずに放り出したCDを、彼は拾い上げた。ピープルスソングへも通じていくエレクトロニカやらEDMやら取り込んで独特な雰囲気を造り上げ、徹底的に熱を内へ内へと秘め込んだ不思議な歌い声。


 幽霊は、ポストロックの影に潜んだ熱に魅せられていた。


 事務所の扉が開いて、変わらぬ微笑みを浮かべた男が現れる。幽霊とも呼ばれ畏れられる公安警察、サトシだ。

「君から僕の事を呼びつけるなんて、今まで無かった事なのに。何かあったのかい?」

 あくまで彼は平凡に振る舞っている。電源の付いていないCDプレーヤーを指差して、ミッシェルの顔色を窺っている。

「ロック流してないなんて、やっぱり何かあるんだろ」

「ああ、あるさ。サトシ、気分はどうだ」

 ミッシェルは鉄の男の顔でサトシを睨みつける。しかし、サトシは相変わらず、幽霊の顔で笑っていた。彼はソファに座り込むと、煙草取り出し火を点ける。

「もともと腐ってたんだ。ああ、また新しい手足を付ければいいさ。このご時世、義肢なんて簡単に手に入るよ」

 煙草は咥えられもせず、ただ燃えゆく。サトシはちらりとミッシェルの方を見た。笑みの仮面は被ったまま。しかしその奥には苦悶の色が浮かんでいた。

「君こそ、僕の新しい手足になる気は無いのかい」

「……なるわけないだろうが。どうしてそんな事をする」

 ミッシェルは顔を顰めたまま、にべも無く応えた。サトシは溜め息をつくと、ソファにもたれかかって天を仰いだ。コンピュータによって仰ぐことなど許されなくなった、天を。

「これが僕なりのロックだからさ。この世界を終わりにして、新しい人の世ポスト・エポックを導き出したいのさ。僕は」

「何を言ってやがる。気でも触れたか」

「正気だよ。科学的特異点シンギュラリティを越えて。コンピュータは人間よりも優れた存在になって。コンピュータが人間を統べる事になって。滅亡まっしぐらだった人間は救われた気がした」

 吸いもしない煙草を、サトシは灰皿に擦りつけた。ぐいぐいと、指が灰にまみれるほど押し潰す。

「でも結局、何が良くなったっていうんだい? むしろ悪くなる一方じゃないか。テロは収まらないし、格差は広がっていくし、ゆるゆると腐っていってるだけだ。下らない世の中だ」

「仕方ねえだろ。人間って生き物は取り返しのつかない病気に罹ったんだよ。煙草の吸い過ぎだ。ボンベ背負わねえといけなくなった。それでようやく人並みに死ねるんだ。取り除いたら、ころっと死ぬぞ」

 机に片腕載せて身を乗り出し、ミッシェルは語気を強める。幾度となく死線を潜り抜けた男の顔で、冷然とサトシを睨めつけた。サトシの笑みの仮面が僅かに揺れる。目に確かな熱を閃かせ、彼は真っ直ぐにミッシェルの顔を見据える。

「ころっと死ぬとしても、僕は人の世で死にたい。粗野でも、乱暴でも、人が自分の脚で前に進んでる世の中で」

 サトシは声を荒げた。幽霊と言われ、徹底的に笑みの中に全てを押し込めてきた男が、衝動のままに言葉を吐き出していた。

「だから、ジョンがこの世界を無為な戦いから解き放ったみたいに、僕もこの世界を、少なくともこの街だけでも、コンピュータの支配から解き放つ」

 弾かれたように立ち上がる。顔を歪めて、真っ直ぐに指を突き付けて、つかつかとサトシはミッシェルに向かって歩み寄っていく。タガが外れたように、彼は声を絞り出す。

「君も、この世界はつまらないと思ってるだろう? 満足なんかできてないんだろう! だから、ロックを聴くんだろう? だったら、だったら!」

「……ふざけるなよ」

 サトシの言葉の隙を縫うように、ミッシェルはおもむろに首を振った。サトシに白い眼を向け、ナイフで刺すように言う。

「ジョンが世界を変えたんじゃない、。履き違えるな。ロックに世界がはっとなるから、イケてるんだ。ロックが世界を変えるなんて、あんまりダサすぎる。俺は乗らねえ。絶対に乗らねえ。それはもう、ロックじゃねえからだ」

 サトシの目が見開かれた。拳が固く握られる。しかしその手は伸びない。ミッシェルはそんなサトシの今にも弾けそうな危なっかしい姿を見つめ、歯を剥き出しにして唸る。

「……だが、こいつは俺の理屈だ。俺のロックだ」

 頬を固め、眼をぎらぎらと光らせて、ミッシェルは吐き出す。その手は、机の隅に置かれた拳銃に伸びていた。

「だからな、世界を潰す事がお前のロックだっていうなら、お前の渇くほどの望みだっていうなら、俺は否定しはしねぇ。もうお前とは生きる世界が違うし、否定する権利もない」

ミッシェルは拳銃をサトシの前に突き出す。銃口をサトシの額に突きつける。鉄のように硬く冷たい眼差しで、サトシの苦悶に歪む顔を睨みつける。

「だから、もう二度と俺の前に現れるな。次この事務所にやってきたら、お前の脳天ブチ抜くぞ」

「……はは」

 眼鏡の奥で、サトシの眼が僅かに揺れた。再び笑みの仮面で覆ったが、その隙から、寂しさがどうしても溢れる。諸手を上げると、彼は幽霊のようにふらりと背を向け、ゆらゆらと歩き出す。

「そうか。君になら、わかってもらえると思ったんだけど。ロックを僕に教えたのは、君なんだよ」

 掠れた声の最後通牒。ミッシェルは拳銃を机に叩きつけ、ただひたすらに突っ撥ねた。

「お前のロックはファンタジーが過ぎる。大嫌いだ」

「結構。ありがたくその言葉頂戴するよ」

 サトシは声を張り上げる。ドアノブに手を伸ばし、手をかけ、回し、引っ張る。暗闇に向かって足を踏み出した彼は、去り際にちらりとミッシェルの方に振り返った。寂しげな色は、その仮面のどこからも見えなくなっていた。

「さようなら。赤い月が昇る晩にまた会おう」


 扉が閉まる。ミッシェルは一人沈黙に取り残された。ぴりぴりと、その存在を主張してくる静かな痛みの中に取り残された。ワークチェアにもたれ掛かり、暫くミッシェルは扉を睨み続けていた。友人との絆を永遠に分かってしまった扉を。

 ミッシェルは煙草を取り出して吸い始める。いつもより深く吸って、ぷかりと吐き出す。しかし、煙草如きが彼を痛めつける沈黙を払えるわけもなかった。ミッシェルはデスクを蹴りつける。乱暴な音がして、一瞬沈黙を掻き消す。だが、数秒と持たなかった。ミッシェルは歯をくいしばって虚空を仰いだ。

「ファック。……FUCK!」

 彼の悲痛な怒りは再び沈黙となって跳ね返ってくる。限りない渇きをもたらす沈黙になって。

 肩を落とすと、引き出しの中から彼は一枚のCDを取り出す。彼の運命の舵を切ってしまった、運命のCDを。プレイヤーの中に突っ込むと、彼は迷わずに四曲目を選択する。

 世界の終わりを望む君と、そんな君をただ見ているだけの僕。紅茶を飲み、パンを焼きながらいつも通りに世界の終わりを待つ『君』と、そんな君を否定するでもなくただ見ている『僕』。

 あいつは、君らしく振舞う『僕』だ。俺だ。俺が、僕らしく振舞っているだけの、『君』だ。何にも格好ついちゃいねえ。ダサい奴にすらなれてねえ。ロックでも何でもねえ。

 だが、何が出来た。幽霊に拳は効かない。銃弾も効かない。叫びだって届かない。だが御免だ。追いかけるのは御免だ。煙草の火を問答無用で押し付けるような真似は御免だ。だからもう、奴と俺は交われない。並ぶことも無い。全部捻じれてしまった。

 宙を睨めつけたまま、ミッシェルは心の中で呻く。唸る。煙草の煙はただ漂い、灰は燃え尽きぽろりと散る。痛恨の思いはやがて焦げつき、無念の思いは乾き果て、えも言われぬものへの渇望へと還っていく。

 不意にアルミの扉が荒っぽく開かれた。暗闇の中から、尖った私服姿のジェニーが早足で乗り込んできた。無作法に、不躾に、気儘に乗り込んできた。カバンをソファの上に投げ出し、彼女もまたどさりと腰を下ろす。

 一刻前が嘘のように、ただの日常に戻ろうとしていた。

「おいおい。今日はまた随分と分かりやすいガレージロックだな」

 何も知らない風のジェニーが、呆れたように突っかかる。ミッシェルはジェニーの普段通りの強気な笑みを一瞥すると、ようやくタバコの煙を深く吸い込み、灰を灰皿の上に落とす。ほんの少しだけ表情を晴らして、ミッシェルは目を閉じながら頷いた。

「ああ。こいつじゃなきゃダメなんだ」


 現状いまでは渇きを癒せないと知った時、どうするのか。幽霊は足掻く事を選んだ。自分の中に潜む衝動に従い、突き動かされる事を選んだ。鉄の男は代弁者を求めた。高らかに吼え、鋭く鳴らし、荒々しく扉を貫く代弁者を。

 砕かれた鉄の扉の奥に潜んでいた、その渇きは何としても癒せないと知って。癒せないのなら、せめてその渇きを抱いていたいと願って。

 だから、彼はロックンロールに惚れたのだ。


「こいつじゃなきゃ、効かない」


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セカイノオワリ 影絵 企鵝 @twilight

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