9.ポストロック
『区画G14に向かってる。行政庁舎の裏手だ』
「了解だ。丁度そっちに向かってる」
街灯の死角を縫うようにしながら、ミッシェルは庁舎の周囲を駆け抜けていた。角を折れると、五人ほどの人影が目に入る。鉄塀に設けられた裏手口の前に集まった黒ずくめの彼らは、何やら周囲を見渡しながら何やらやり取りしている。ミッシェルは彼らへ向かって足を速めながら、不意に鉛を呑み込んだような重い予感を味わった。
彼らの立ち方は、扉を吹き飛ばそうとしている雰囲気ではなかった。ただ一人が懐から何かを取り出して、つかつかとそこへ向かっている。C4をかまそうとしているようには見えなかった。正々堂々と、中へ入ろうとしているようにしか見えなかった。
「おい、止まれ! そこで何をしてやがる!」
ミッシェルは叫び、銃を集団に向かって突き出す。見るからに重装備の彼らは、射程外からの脅しには何の反応も示さなかった。
一人が取り出したものを扉の横にあてがう。その瞬間に扉はするりと開いた。主を待ち兼ねていたかのように。ようやく集団はミッシェルの方を一瞥し、足早に扉の中へ乗り込んでいく。愕然と目を見開いたミッシェルは、全速力で通りを駆けながら、銃弾を扉の足下に向かって撃ち込んだ。正確無比に放たれた弾丸は、不審者を招き入れて平然と閉じようとしていた扉の下部レール、戸車に突き刺さった。寝ぼけた扉はそのまま銃弾を踏み潰しかけたが、やがて通行人を挟んだと思い込んで再び開く。
駆け抜けたミッシェルは、再び扉が閉まり出す前に、一気に中へと飛び込む。待ち構えていた一人の拳銃を横から撃ち抜き、身を伏せてもう一人が放った弾丸を躱し、反撃の一発を肩にぶち込んだ。肉が弾けて鮮血が飛び、骨さえ見える傷口を押さえてテロリストは倒れる。振り向けば、仲間を置いてもう一人は既に建物へ走り出していた。そんなテロリストのアキレス腱にミッシェルは銃弾を撃ち込み、そのままミッシェルは傍に転がるテロリストへ銃口を突き付けた。
「死にたくなければ正直に言うがいい。貴様らはこの行政庁舎を吹き飛ばそうとしてるな。どこを吹き飛ばすつもりだ」
マスクやゴーグルで覆った顔を背け、それは一言も語ろうとしない。ミッシェルは容赦なくテロリストの脛に新たな穴を空けた。骨まで砕け、テロリストは悲鳴を上げながらコンクリートを転がった。
「脅しじゃないぞ。今から俺はお前を苦しめて殺すつもりだが、お前の態度次第で譲歩してやると言っているんだ」
闇夜を照らす白い光を浴びて、ミッシェルのサングラスは魔物の眼光のように輝いている。
テロリストは、ついにマスクへ指を掛けた。
庁舎二五階。テロリストの三人が、息を切らせながら階段を駆け上ってきた。額に付けたライトで周囲を照らし、彼らはビルの一際広いオフィスへと向かう。ビルを全て潰すには、オフィスの中にあるいくつかの柱を潰す必要があった。駆けつけてきた警察だか何だかわからない男は、残した二人が時間稼ぎをした。何も問題は無い。
無いはずだった。
扉を開けた瞬間、一発の弾丸がテロリストの脚を貫く。つんのめるように倒れた仲間を飛び越え、残った二人は銃を構えようとする。しかしもう遅い。次々に二人も肩やら足やら撃ち抜かれ、オフィスの入り口に折り重なるように倒れた。
「こんばんは。テロリスト諸君。こんなご時世に非常階段を駆け上るなんて、素晴らしい健康志向だ。すぐさま市民に戻ってつつましく暮らす権利がある。俺には無理だがな」
はっと顔を上げると、手元や足元が血に染まったスーツを着込む、一人の男の姿があった。白い輝きに照らされてデスクにもたれ掛かる姿は、さながら
デスクから離れると、サングラスをぎらぎらと輝かせたまま、ミッシェルは三人のテロリストへと向かっていく。一人が目の前に転がる拳銃を手に取ろうとしたが、先に一発の銃弾がその拳銃を弾き飛ばしてしまう。
「よせよ。そんなものを手に取ったらな、お前ただじゃ済まねえぞ。次はお前の脳みそがパーだ」
コツコツと、一歩一歩脅しかけるように音を立てて歩み寄る。武器は奪われ、目の前にはT-800がそのまま出てきたように硬い表情をした男。そんな男から矢継ぎ早に放たれる鉛のように重たい軽口。全てがちぐはぐ。理解の範を越えている。テロリストは心臓を鷲掴みにする恐怖に、身体を縫い付けられてしまった。
迫ったミッシェルは銃を突き付けたままテロリストの前にしゃがみ込む。肌の一片すら露出しないその顔を覗き込んで、ゴーグルを空いた手でノックする。
「おい、正直に答えろよ。下にいる奴は真面目だったなあ。お前達庇おうとして、脚に一個大きな穴が開いた。こいつはかの有名な自動拳銃デザートイーグル。こんなもんで骨ぶち砕かれて、もうあいつは自分の脚じゃ歩けないだろうなあ」
緊張が、うっすらと彼らの間に広がっていく。逆らえば死。そのイメージがテロリスト達を縛り付ける。それを見届けたミッシェルは、思い切り銃口をゴーグルに突き当てた。
「という事で答えろ。お前達、行政庁舎に出入りするための非常用カードキーを持っていただろう。あれはコンピュータ様の力添えによって、非常に精密にできている。偽造する事は不可能だ。手に持てる人間も限られている」
ヘルメットを鷲掴みにし、ミッシェルはテロリストの顔を無理やり自分の方へと向けさせた。床へ投げ出された手の甲に拳銃を突き付け、テロリストへと迫る。
「誰だ? 誰からもらった。その魔法のカード」
テロリストはミッシェルを見据えたまま、中々口を開かない。舌打ちすると、少しずつ引き金に力を加えていく。
「この前は眼鏡かけてとか、帽子被ってとか特徴にもならんふざけた事抜かして躱そうとした奴がいたがな、コテンパンにしてやったよ。小便も糞も垂れ流して、あんな汚いザマはねえな。ここを上手いことやると、そうなっちまうわけだが……」
ミッシェルは声を潜めながら、テロリスト達の喉笛に向かって銃口を突き付けていく。テロリスト達は彼を血も涙も無い男と思い込み、慌てて声を震わせた。
「ま、待ってくれ。答えたくないわけじゃない。答えたいんだ」
「ならば早く答えろ。
「待ってくれ! 分からないんだ。分からない! 思い出そうとしても思い出せないんだ。とっかかりがない。のっぺらぼうだ。どんな目をしていて、どんな鼻をしていて、どんな口元をしていて、どんな背丈をしていて、どんな喋り方をしていたか、説明できない!」
「貴様まで! 無能か、空っぽの頭でテロをやろうとしていたのか! そんな事をすれば危なっかしいバランスで成り立っているこの街はどうなると思ってる!」
苛立ちに任せ、ミッシェルは天井に向かって引き金を引いた。轟音が響き渡り、三人をぶるりと震わせる。
「頼まれただけなんだ。俺達は頼まれたんだ。それに、爆弾と金とカードキーを渡されて、ただやってくれとだけ言われて。ただそれだけなんだ……」
「……ああ、そうかよ。そうか。そうなのか」
ミッシェルは立ち上がると、三人を跨いでのろのろと歩き出した。認めたくはなかった。薄々、予感は湧き上がっては消えていた。帽子に眼鏡で何もわからなくなるような奴はたくさんいる。たくさんいるから無個性なのだ。そう言い聞かせて、知らぬ振りを決め込もうとしていた。
しかし、やはり幽霊は一人だった。この無機質な秩序の中で蠢ける幽霊は、たった一人だった。
『終わったか! 帰りは階段使えよ! エレベーターをファックとか無茶なんだよ大体! ちゃんと帰って来いよ! 帰って私に新しいタブレットを用意しやがれ! 全部パーだ!』
胸の無線から、やかましくジェニーの声が飛び出してくる。ミッシェルは声の元をちらりと見遣ると、すっかり枯れ果てた目をして応える。
「ああ。わかったよ。全部解った。了解だ」
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