8.エレクトロニック・ダンス・ミュージック

 アウトサイドに降りてから、ミッシェルは今まで考えもしなかった疑問に突き当たっていた。中央街に生まれ、中央街に生きる人間、インサイダー。元を辿ればミッシェルも同類であったが、アウトサイダーに堕ちたミッシェルは疑問を抱かずにいられなかった。真面目で秩序のある、お利口で退屈で頑迷な空間に何も思わないのだろうかと。

 中央街にしがみついて当たり前のようにこき使われ、ファックファックと叫びながら、下品に粗野に生きているアウトサイダー達の方が、目が生き生きとしている。そうミッシェルは確信するようになっていた。彼らは渇きを隠そうともしない。時には暴力に換えて撒き散らしたりもする。ミッシェルはそこにロックを見た。渇望と衝動の表現を見た。生命の原点すら見ていた。

 やがて五年経ち、ミッシェルは薄々と察してきた。インサイダーの中にも、紛れも無くロックは潜んでいるのだと。自分が渇望に忠実な叫びに魅せられたように、娘もまた密やかにシャウトやギターリフやエイトビートに惹かれている事を知って。


 抑えられ、抑え込まれ続け、行き場を見失った渇きが弾けた時、人々はどうなってしまうのか。彼は少し怖くなった。


 健康維持に努めるは市民の義務。その言葉に倣い、中央街は真夜中には寝静まる。街灯だけが煌々と輝き、防犯カメラが目を光らせ、白バイやパトカーが通りを走り回る。あたかも中央街に現れる悪霊でも狩ろうとするかのように。

 ぴりぴりと張り詰めた夜の中、何匹ものムシが闇をこそこそと動き回っていた。小さなプロペラで飛び回り、分厚い鉄塀で敷地を囲われた巨大な百階建てのビルの周囲を徘徊している。

タブレットを黒いライダーススーツで覆われた太ももに載せ、ジェニーが街路樹の中に身を潜めてムシ達を見守っていた。ムシ達の見つめている景色ごと。周波数をごまかした無線を口に押し当て、ジェニーは声を潜める。

「おい、ここまでお膳立てしてやってんだ、ファックしに来た奴が来たらぜってぇ止めろよ」


「ああ」

 無線を耳に当てた、黒いモッズスーツ姿のミッシェルは白い眼を行政庁舎に向けたまま頷いた。サングラスを掛け、腰に差した拳銃の感覚を確かめる。確かめながら、ミッシェルはしばし沈思黙考する。

 このテロリストは本気だ。緻密に、地道に、狡猾に、コンピュータの支配に楔を突き立ててやがる。その楔を見せびらかして、市民自身にその楔を打ち込ませようとしてやがる。他とは違う。ここで止める事が出来なければ、本当にコンピュータの治世は終わりに傾いちまうだろう。

 そうして思いを巡らせる中で、ちらりと思った。もし、それから世はどうなるのだろうか。コンピュータのやり方は間違っている事になって、人間がもう一度自分の手で世の中を進めようとして、今より良くなるだろうか、と。

 無理だな。俺みたいに世の中ロックだって奴だけじゃねえ。ファンクだって奴も、ヒップホップだって奴もいる。皆でお手手繋いで、なんてわけにはいかねえ。今より良くなる事なんか、一つもあるか。

 ミッシェルは磨き上げられたタイル張りの壁にもたれ掛かって苦笑する。昔なら、何をも思う事は無かったに違いない。ただ今ここにある秩序を守る事が最善と信じ抜いて、それ以外の思考を殺ぎ落として戦った。今は変わった。何をするにしても考え込むようになった。今いる世界について、人々の事について。あれこれ考えながら前へ進むようになった。考えても進んでも、結局やっている事は何も変わらないのが、彼には皮肉に感じられて仕方なかったが。

 仕方ねえな。確かに俺は『治安維持』に向いた人間らしい。向き過ぎてる人間らしい。コンピュータが分かりやすく評価しただけだ。コンピュータがいなくても、変わりゃしない。

『ネズミがちょろちょろしてるぜ。仕事の準備をしやがれ』

「ああ。わかったよ」

 ミッシェルは銃を引き抜いて歩き出す。笑みを掻き消し、唇を固く結び、胸を張って、皆の寝静まった闇の中を堂々と。


 いいんだ。ファックって言えりゃ俺は十分なんだ。そうだろ。

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