7.エレクトロニカ

 ミッシェルはアウトサイドで探偵になった。いくら中央街から外に追い出されようとも、彼がコンピュータから『治安維持任務に適正あり』と見なされる能力を持っているという事実は揺るぎない。ミッシェルはそれを武器にした。

 ロックかぶれの凄腕探偵が現れたという噂はアウトサイドへ瞬く間に広まり、トラブルの解決を彼に求める客が少なからず集まるようになった。彼の損失を惜しんだ公安警察の一部も秘密裡に彼へ仕事を回したりした。彼と同じ元インサイダーの情報屋、ジェニーという悪友まで出来た。ミッシェル自身が驚くほどに、彼はすぐさまアウトサイドに順応していった。好き放題にロックを聴ける、意地汚くて人間臭い街で気ままに生きている現状は悪くない。そう思うようになっていた。


 気がかりなのは、中央街に残した妻子の事だけだった。


 臭い煩い目障りの三重苦を抱えるアウトサイドなど、静謐な調和を保つ中央街と比べる事すらおこがましい。

 放射状に道路が伸び、全てが計算の下ビルが配置されている。コンピュータ制御で決して渋滞を起こさない車がすいすいと、美しく舗装された道路を行き交っている。モノクロームのスーツや制服に身を包んだ人々が、姿勢正しくてくてくと街路樹が整然と並ぶ歩道を歩いている。

 街頭にはスピーカーがあった。時には友情や希望や明るい未来を丹念に歌い上げるピープルスソングが流れて人々を励まし、また時には芸術的に文化的に歴史的に磨き抜かれたクラシックが街に一つの調和を響かせている。

 街の至る所に設けられた通風孔に似た装置からは花の瑞々しい薫りがうっすらと溢れて、街の空気を爽やかなものとし人々に決して鬱屈とした感情を与えない。季節によって流れる匂いは移り行くという徹底ぶりである。

 視覚にも聴覚にも嗅覚にすら訴えかけて、コンピュータは調和の取れた街、一つの秩序が存在する街を実現しようとしているのである。人々が平和に生きていくために必要な、『唯一の秩序』を実現しようとしているのだ。

 そんな街に、これまた計画的に設けられた『憩いの広場』。円形に灰色のレンガが敷き詰められ、その中央には噴水が設置され、霧のように吹き出す水が一つの安らぎを演出している。

 ブレザーを着た十歳くらいの少女が、噴水を見つめながらベンチに座っていた。鞄を脇に置き、背もたれにじっともたれかかって、彼女は薄目を開いて噴水を見つめていた。その両耳には、イヤホンが被さっている。流れるピープルスソングにも、クラシックにも耳を傾けず、彼女はひたすら何かに聞き入っていた。ローファーが、ひょいひょいと動いている。

 その背後に一つのヒト影が近づいている事にも、彼女は全く気付いていなかった。こそりこそりとそのヒト影は近づいて、不意に彼女の付けているイヤホンを取り上げてしまった。

 はっと息を呑んで少女が振り返ると、悪戯っぽく歯を見せる女がイヤホンを耳に当てていた。スーツにきっちりと身を包み、長い髪も後ろで纏めて、そんな格好こそ中央街に住む者として相応しいものだったが、その眼に潜む獣のような光は、アウトサイダーである事に慣れきったヒトのものだった。

「ったく、市井でこんなもの聴いてるなんてバレたら爪弾き者だぞ、お嬢ちゃん」

「返してくださいよ、おねえさん」

「わかったわかった。返す返す」

 顔を赤くして手を突き出す少女を見下ろし、ジェニーは笑ってイヤホンをその手に押し付けた。イヤホンからは、相も変わらずハードロックの力強いギターが溢れていた。ジェニーはにやりと笑うと、ふわりとベンチの背もたれを乗り越え、少女の隣に腰掛ける。

「新しい曲色々取ってきてやったぞ。欲しいか?」

 ジェニーが得意げにウィンクを飛ばすと、少女は頬を紅潮させ、目もキラキラさせてイヤホンが差さったままの小型タブレットを取り出す。

「ください」

「っと、その前にくれるもんくれなきゃだめだぜ」

「子どもにまでお金をせびるなんて! ……いくらですか?」

 手のひらを差し出すジェニーにムッとした顔を作ると、少女は渋々鞄から財布を取り出す。ちょっと怒りを見せると、その眼はによく似た硬さを秘める。

 会う度会う度ジェニーは彼女をからかって軽く怒らせてきたが、いかにも可愛らしくなっていく容姿とは裏腹に、その眼光だけは鋭さを増す。ジェニーはからから笑って、自分の鞄からタブレットを取り出した。

「いいよ、いいって。あたしもチビからはした金むしり取ろうなんて考えるほど落ちぶれちゃねえさ。これからドデカい仕事するんだ。みみっちいことしたってしゃあねえ。ほら貸せよ」

 ジェニーは半ば無理やり少女から小型タブレットを取ると、自分のそれとケーブルで繋ぐ。さらさらと画面に指を滑らせ、少女の端末に幾つかのデータを押し込んでいく。ピープルスソングとクラシックに押しやられ、失われていく荒々しい熱を。その様子を眺めながら、ふと少女は寂しそうな顔をしてジェニーにおずおずと尋ねる。

「おねえさん、お父さんは元気ですか?」

「んあ? まあ元気でやってるさ。あのオッサン、相変わらず三度の飯が無くてもロックがあれば生きてけそうだからなぁ」

「そうなんですね。……安心しました」

 少女はほっと息を吐き出し、小さくうつむく。そんな様子をちらりと一瞥し、ジェニーもまた神妙な顔をして少女に端末を突き返した。

「寂しいか?」

「……よくわからないです。でも、お母さんやおねえさんからお父さんがいなくなった理由を聴いてから思うようになったんです。私があの時、うっかりプレーヤーのスイッチを押さなかったら、まだお父さんは――」

「ばーかばーか。そんな事考えたってしゃあねえだろ。あのオッサンだってたまには抜けやがる。お前がロックを知る日が来なくたって、いつかはバレてたさ」

 ジェニーは少女の言葉を遮り、その髪をくしゃくしゃと撫でた。少女はジェニーの顔をじっと見つめる。ジェニーは励ますような笑みを作ったりしたが、むず痒くなってすぐに顔を背けてしまった。

「だから、まあ、なんだ。あんま責めんなや。自分の事をさ」

「はい。……そうですね」

 少女はふっと微笑むと、勢いよく立ち上がった。鞄を肩に掛け、ジェニーに向かって軽い会釈を送る。

「じゃあ、これから体操教室なので、行きますね」

 踵を返して、少女は足取り軽く走り出した。みるみるうちに小さくなっていくその背中を見送って、ジェニーは溜め息をつく。いつの間にか、背後には筋骨逞しいビジネスマン風のヒトが立っていた。ジェニーはその方を見もせず、軽く舌打ちした。

「んだよ。ちょっとくらい会ったって良かったじゃねえか」

「いいんだ。会って話したら余計に辛くなる。オジサンになったせいで、最近涙腺が緩くなってきやがった。会ったら絶対泣いちまう」

「つーか泣いてんじゃねえか、もう」

 軽く鼻をすすっているミッシェルの声を聴き、ジェニーはからかうように笑った。

「黙れよ。これ以上はセンチになれねえ。こっからは『鉄の男』に戻らねえとならねえんだ」

 ミッシェルは涙を拭くと、感情を奥底に押し込め、眉一つ動かぬ無機質な表情を顔に張り付ける。彼は今、コンピュータの治める秩序を侵す者、全てを捻じ伏せる『最終兵器リーサル』に戻っていた。

「頼むぞ、ジェニー」

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