6.ROCKABILLY
クビになった。コンピュータはロックを聴いていた彼を反体制的思考の持ち主と見なし、公職員には相応しからざる存在と見なしたのだ。転落。コンピュータに社会から排除されるという事は、人からヒトへの転落を意味した。最早
ミッシェルは中央街を去ることになった。妻と娘に全ての財産を残して縁を切った。家族にも隠して聴いていたのが功を奏した。二人はまだ人でいる事が出来た。
そうして、今まで犯罪の温床、テロの温床と見なして唾棄してきたアウトサイドに彼は降りて来た。古びたCDプレーヤーと、何枚かのCDだけを持って。改めて足を踏み入れると、アウトサイドにはロックの乾いた香りがあった。乱暴で粗野で勝手だが、熱くて素直で真剣な、人間臭さがあった。
中々どうして悪くない。ミッシェルは素直にそう思った。
天気は良くても、日の当たりが悪いミッシェルの事務所には関係の無い話だ。外の薄暗さを蛍光灯の明かりでごまかしつつ、ソファに深く座り込んだジェニーは事務所の隅に置かれた小型テレビを見つめていた。
『ヨツビシ重工プラントは主要部がほぼ全損状態であり、復旧の目途は立っておりません。他のプラントの復旧作業にも大きな悪影響が出ており、現在計画は見直し中です――』
欠伸交じりに、ジェニーはテレビの電源を不意に切る。今日は鎖付きの黒いズボンにあちこち鋲が打たれた黒いデニムのジャケットを合わせて、如何にも尖った雰囲気だった。
「飽きた。どこもおんなじ事ばっかじゃねえか」
吐き捨てると、ジェニーは脇に放り出した鞄から一枚のCDを取り出し、そそくさとデスクの上にあるCDプレーヤーへと赴く。ミッシェルはワークチェアの背もたれを目一杯に倒し、電源の切れたテレビをいつまでも見つめたまま、沈思黙考に耽っていた。
「おい、ミッシェル。かけちゃうぞ」
ジェニーはそわそわとした声色で、わくわくと目を輝かせて、悪戯っぽく言ってみせた。しかしミッシェルはあまり反応してこない。彼女は一瞬きょとんとする。
「……おい、お前のいけ好かないメロコアだぞ。いいのか」
それでもジェニーは気を取り直して、にやにやしながらCDプレーヤーの蓋をぱかりと開けた。ケースから派手な柄がプリントされたCDを取り出して、ミッシェルに見せつけるようにしてCDをプレーヤーにセットしようとする。
「勝手にしろ」
ミッシェルは上の空でそう言って、懐から取り出した煙草に火を付ける。ジェニーはむくれた猫のような顔をして、いきなり机を叩いた。
「おい! そんなんじゃ張り合いねえだろ! いつもみたいに文句は言わねえのか! あたしのロック魂を熱くさせろ!」
「うるせえぞ。オジサンにはな、何でもいい時があるんだ。特に考え事してる時にはな。お前も三十路を越えたらわかる」
「ふん、わかりたくもねえや」
ミッシェルはジェニーに一瞥を送ったきり、再びテレビを睨みつけ始めた。ジェニーはべっと舌を突き出すと、さっさとプレーヤーにCDをセットしてかけ始めてしまった。軽快にからからと跳ねる音がスピーカーから飛び出してくる。ジェニーはそれを聴いてにっと笑うと、足取り軽くソファへと戻る。書類を取り出して、リズムに乗りつつ作業を始める。
「なあ、ジェニー。改めて聞くが、今回の爆破事件どう見る」
「どう見る? ……そうだな。めちゃくちゃ頭いい」
「と言うと。上はどんな様子か全力で教えろ」
「ああ。でもどうせ大概の予想はついてんだろ」
ジェニーはガムを取り出して噛み始めると、タブレットを取り出してすらすら操作を始める。
「今回の事でプラントの復旧が延び延びになって大慌てさ。ジェネラル重工の方に注文が殺到してるが、元々稼働率が一杯一杯だったんだ、到底応えられる状況じゃねえな。これも私兵がやらかしたわけじゃねえだろ」
「だろうな。これで生産量の不足は依然として続く事になったわけか。……そろそろ生活がキツくなってきやがる」
ミッシェルは溜め息をついて腹を撫でた。既に毎日昼を抜き、一日二食でやっていく生活が続いていた。だが、これ以上カロリークッキーの値段が上がるなら一日一食だ。長期作戦中のサバイバルと同じになってしまう。
「アウトサイドは言うまでもねえけど、中央街の方もそんな感じの話で持ちきりだぜ。物資不足で配給になるわけでもない。かと言って間違いなく状況は苦しくなる一方と来たもんだ」
「コンピュータの判断のギリギリを突いてるってわけか」
「だから頭いいって言ってんだよ。あたしたちの首を真綿で締めて、不満を溜めさせてる。ネット上は中々酷いもんだぜ。すぐに検閲喰らって削除されてばかりだけどな」
ジェニーはSNSにモノ不足の不満を書いて送り出す。すると程無くして賛同を示す反応がちらほら集まってくるが、三分と持たずその発言は消去されてしまった。『社会不安を煽る公言は厳に慎む事を期待します』。ジェニーは呆れたような顔でタブレットを鞄に突っ込む。
「他のテロリストみたいに派手なフィニッシュブローを狙わねえ。ただひたすらにヒットを積み重ねてやがる。判定勝ち狙いの厭な戦い方だ。ブーイングの嵐だよ」
ジェニーのうんざりしたような呟きを聞きながら、ミッシェルは腕組みして天井を睨みつける。空腹が後を押して、メロコアの快調なメロディラインも後を押して、彼の脳みそは十年ぶりで現役並みに回っていた。
「そんな闘いを見て、ボクシングは案外つまらねえと思うアウトサイダーが出てくるわけだ」
「あ?」
「同じだ。少なくとも
ミッシェルは燃え尽きた煙草を灰皿に強く押し付ける。眉間にはすっかり皺が寄っている。『鉄』と言われた男に相応しい表情だった。
「だがプラントがぼちぼち潰されて、まるでアウトサイダーみたいな生かさず殺さずの暮らしがインサイダーの間でも広まって来た。今まで無菌室で育ってきたような奴らばかりだ。一点でも黒い染みが落ちたら、どうなる」
「アンタみたいなロックバカになっちまうな」
「茶化すな。お前もだろうが」
けらけら笑うジェニーをじろりと睨む。じろりと睨んで、ミッシェルはワークチェアから腰を上げる。
「今回テロをしてる奴は本気だ。本気でこの街をひっくり返そうとしてる。ひっくり返させようとしてる。いつもとは比べ物にならねえ性質の悪さだよ」
「コンピュータ様の治める世の中が、本気で気に入らねえってわけか。ウザったい真似しやがるぜ」
ジェニーが獣のように唸っていると、棚から地図を持ち出してきたミッシェルがその目の前にどっかりと座る。
「ああ。うざったい。だから次にどこを狙うかは何となく予測が立てられる。少なくとも、絶対に狙わないところは分かる。プラントをブッ飛ばした奴だけが悪者になるようなところは狙わない。それを考えると」
地図を広げると、プラントやら数々の施設やらを指でなぞっていき、ミッシェルはやがてとある一点で指を止めた。
「……次はきっと、ここを狙う」
コンピュータの膝元、行政庁舎だ。ジェニーは目を白黒させると、ミッシェルの渋い顔を覗き込んだ。
「おいおい。今回の奴がこんなとこブッ飛ばすか? それこそ、普通のテロリストがフィニッシュブローに選ぶとこじゃねえか」
「そりゃあ、警戒はピークまで高まってる。公務員を殺すのは難しくて仕方ないだろう。だが建物を吹き飛ばすだけなら、プラントを吹き飛ばすよりはむしろ簡単だ。そして建物が吹き飛べば、処理しなきゃらならない仕事が増える」
「ファック」
ジェニーは歯を食いしばったまま単純明快に怒りを吐いた。
「とにかく当局をグズに仕立て上げたいってわけか。まあグズだけどな。そうすりゃ、いくらコンピュータ様様なインサイダー達も、不満を抱えずにはいられないってか」
「ジェニー。こいつは俺達の生活もかかってる。ここいらで手を押さえるぞ。これ以上中央街にごたつかれたら、俺達おまんま食いっぱぐれる。ロックも聴いてる暇がねえ」
ミッシェルは真剣そのものだった。ジェニーはガムをくちゃくちゃ噛んだまましばらく逡巡していたが、やがてガムをティッシュに吐き出し、げんなりしたように肩を竦めた。
「アー……ボランティアはしたくねえけど、こいつばっかりは仕方ねえわなぁ。畜生テロリスト共め」
気怠そうに首を鳴らしてから、ジェニーは勢いよく立ち上がる。CDプレーヤーを止めて、CDを取り出しケースにしまう。軽々としたテンションの音が止み、ジェニーはみるみるうちに獣のような獰猛さを秘めた陰ある表情へと変わっていく。
ややあって、隣の部屋に引っ込んでいたミッシェルがスーツを着込んで戻ってきた。スーツは古いが、無精髭も剃り落として、どこから見ても仕事の出来るビジネスマンという風貌だ。
「中央街で合流するぞ。早ければ今日の夜更け、遅くても二、三日以内にはアタックしに来るはずだ」
「アイアイ。まあ任せとけや。見張りは得意だぜ」
鞄を肩に掛けたジェニーは、ズボンの鎖をチャラチャラ言わせながら事務所を後にしようとする。ミッシェルはその背中を見送ろうとしたが、ふと思い出してぽつりと呟く。
「ああ、今日のメロコアは悪くなかったぞ。良く頭が回った」
ジェニーは立ち止まった。
「こ、今度はちゃんとガレージの授業聴いてやるよ」
振り向きもせずに呟くと、そのまま事務所を飛び出す。足取りは遊び戯れる猫のように軽々していた。ミッシェルは苦笑しながら、ジェニーがいなくなった空間をしばし見つめていた。
「……だからガキだってんだがなぁ」
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