第10話② がっこうまで、ワンちゃんに付いて行ってね

 ――――後方から現れた新たな驚異。


 赤いヒールが鳴らす、コツコツと近づく足音が耳の奥で木霊する。


 ようやく乗り越えたと思った困難だが、三人の努力を嘲笑うかのように、目の前で女達がヒールを鳴らして歩みを進めながらゆっくりとマスクを剥いでいく。


 最悪の予想通り、白い布地のマスクの下から耳まで裂けた口が露わになり、二人の口裂け女は醜悪な顔で嗤う。


 二人の額には『103』と同じ数字が記されていた。

 その数字を凝視して、部長が何かに気付いた様にハッと肩を震わる。


「『ひとみ』……母音を入れて『ひぃ』で1、『とぉ』で10、『みぃ』で3か……双子の……口裂け女!」


 母音を発音した際の数の数え方。

 これもまた正解の1つだ。

 なぜなら、メッセージに正解が1つとは記されていない。


 最初の『13』と似ているけど、弱冠違う顔。

 だが、『103』の二人は鏡で映したように瓜二つの顔で、同じ顔つきの綺麗な瞳を細めながら怯える少年達を眺める。


 三人の胸にじわりと満ちていくのは、『絶望』と言う暗くて冷たい感情。

 もう、走って逃げる気力も無かった。


「ねぇ」

「ねぇ」


「「私たちの三人の中で……誰が一番綺麗?」」


 同じ質問を繰り返し訊ねられる。


「さ、三姉妹の口裂け女の噂は、誰かを選べば他の二人に……殺されてしまうの。こ、この噂から逃れる方法は……私も知らない」


 オカジャンの呟いた言葉に血の気が引いていく。

 ゆらゆらと体を揺らしながら、嗤う女達。


「ねぇ、答えてよ」

「ねぇ、答えなさい」


 訊ねられた質問は、オカジャンの言葉通りなら命の選択と変わらない。

 誰を選んでも殺される解決法の無い質問。

 それを何度も繰り返し突き付けられ、思考は凍りつき体は震えが止まらない。


「答えられないなら――」

「――殺してしまいましょう」


 声が、少しだけ違うハスキー声がステレオで重なる。

 姉妹で言葉の続きを汲み取り、残酷な結論を紡いで喋る。


 把持するのは斧と包丁。

 双子の口裂け女は、シンクロした動きで刃先の錆びた獲物を楽しげに揺らしながら、一歩、また一歩とハイヒールの音を鳴らして近づいてくる。


 三人はへたりこみ、立ち上がる事ができなかった。

 脳裏に去来するのは、死への恐怖とどうすることも出来ない絶望。


 諦観してオカジャンは声を殺して泣き出す。

 マッチョンは、泣いたオカジャンの肩を掴んで支える。


 部長は、必死に頭を回転させていたが、状況打破が不可能だという結論にしか辿り着けずに悔し気に唇を噛み締めた。


「――――チッ、ガキどもそこをどけっ!」


 小さな影が部長の頭を飛び越えて着地する。

 見ると、可愛く短い尻尾を振るソレが、近づく二人のマスク女に唸り声を上げて立ち塞がっていた。


「……豆柴?」


 クリーム色の短い毛並みを逆立てて、部長が柴犬と呟いた生き物は「ウゥウウ、ワンっ!」と勇ましい鳴き声で吠えて見せる。


「ひぅ、犬」

「犬は、嫌」


 不快に嗤っていた女達は、突如現れたちんちくりんな小さな獣に心底怯えて後ずさりを始める。


「帰れ、あんまりふざけた真似してると、てめぇら全員噛み殺すからな!?」


 指先の第一関節のように短い尻尾を軽快に振りながら、野太く雄々しい声で柴犬が双子の口裂け女を恫喝する。


「ま、豆柴が喋ってる……!?」


「……あぁ、僕も驚いてる」


「ピンチに颯爽と現れる男らしい豆柴、いいっ……燃えるっ!」


 マッチョンの表現通り、豆柴が最後の警告だと言わんばかりの勇ましい鳴き声で叫んだ。


 豆柴の剣幕に、眉間に皺を寄せて表情を歪め、裂けた口を閉じる。

 犬とオカルト部のメンバーを交互に視線を向けながら、双子の口裂け女は踵を返してやむ無く退散していった。


 助かった。

 もう駄目だと思った絶対絶命の危機を救った豆柴に、三人は心から感謝した。

 緊張の糸が解け、みんな一気に脱力する。


「はぁ~、もう駄目かと思った」


「そうだね、こんな可愛くて男前なワンちゃんに救ってもらえるなんて夢にも思わなかったよっ!」


「よ、良かった。ほ、本当に良かった。か、可愛い豆柴に…」


 しかし、驚きはこれだけで終わらない。

 オカジャンが言い終える前に振りかえった犬を見て、全員言葉を失う。


「「「――――!」」」


 オカルト部の方へと向き直る豆柴を見て、三人の顔は更なる驚愕に固まった。

 正確には豆柴の顔面を見て、だ。


「って、か、可愛いく無いっ!?き、キモっ!?」


 自分の言葉を自分で否定した、オカジャンは豆柴の顔面を凝視する。

 他の二人も異常な容貌の生き物から目を離せない。


「チッ、助けてやったのに失礼なガキどもだ」


 豆柴の頭部に、豆柴の骨格のまま人間の男の顔面が嵌め込まれ、その口を動かして悪態をつく。

 助けて貰っておいて本当に失礼な話だが……気持ち悪い。


「人面犬……!?」


 豆柴の体にあまりにも似合わない目つきの悪い40歳ぐらいの男性の顔。

 三人は顔を見合わせるが、みんな首を横に振る。

 つまり、誰も会った事ない初見の男だ。


 オカルト部のメンバーは礼を言うべきなのだが、ジロリと睨むようにこちらを見る人面犬に戸惑って沈黙が流れる。


 人面犬は、ふわふわした毛並みの可愛い柴犬の肉球で、可愛くない頭頂部を人間の仕草で掻き毟る。


「あぁああああ~!面倒臭ぇな。おいっ、お前から説明しろよ」


「ふふふ、了解しました、薫さん。みんなを助けてくれてありがとうございます」


 まだ殆ど会話をしていないのに、限界だとでも言うようにオッサン顔の豆柴が叫び、叫んだ声にゆっくりとした口調の女の子の声が答える。


「え?」

「う、嘘?」

「もしかして!?」


 その声は、良く聞きなれた声。

 普段はオカルト部の濃いメンバーに囲まれて、頭脳も、知識も、体力も、他のメンバーと比べると特筆する能力の無い影の薄い女の子。


 それでもオカルト部の中では、『普通』であることが特別で、騒がしいメンバーの会話をいつも笑って見守ってくれる、欠かす事の出来ない大切な仲間。


 自分たちを救ってくれた豆柴に感謝しながらも、三人はまたしても礼を言う機会を逃す。

 部長も、マッチョンも、オカジャンも、次から次へと訪れる驚きの展開に、間抜けに口を開いていた。


 だって、これ以上驚く事は無いと思っていた心がここに来て一番の驚愕に見舞われ――――そして、打ち震えていたから。


「な、何で……!?」


 オカジャンは震えた声を漏らして囁く。


 切れ長の瞳を限界まで見開いて、ここにいるはずのない人物を穴が空くほど見詰めた。

 この世界に招かれる前に罵倒してしまい、傷付けた事をずっと後悔を抱いていたのだから。


「ふ、フツーちゃん」


 一番最初に、彼女を親しみのある愛称で呼んだのはオカジャン。

 たおやかに白雪姫は、優しく笑顔を浮かべる。


「フツーちゃん!どうやってここに!?僕は君は向こうの世界にいるものだとばかり思っていたのに」


「嬉しいねっ!感激さ。私は感動しているよ!友との再会に燃えるっ!」


 白雪は、熱烈に歓迎してくれるみんなを見て、胸が温かな物で一杯に満たされていく。


 大切な友達を失う前に駆けつける事ができた功労者である、自分の足元で頭を掻きながら座る豆柴――裏野薫へ感謝した。

 ふぅ、と深呼吸をしてもう一度みんなの顔を瞳に焼き付ける。


「みんな、ただいま」


 やっと、自分の居場所に戻ってこれた。

 ここに来るまで奔走し、それでも最初に言おうと決めていた言葉。

 三人は笑う。


 どんな驚きの理由を説明するのか身構えていれば、最初に発した言葉は『ただいま』。


 やっぱり、彼女は『普通』なのだと安心する。

 だからこそ、『フツーちゃん』で、彼女はそれでいい。


「「「おかえり、フツーちゃん」」」


 こんな場所でおかしな挨拶だとは思いながら、オカルト部のみんなの所へ帰ってきた少女へ笑い掛ける。


「色々聞きたいことがあるよね。みんな、無事で良かった」


「あ、あぁ、僕は正直聞きたい事が山ほどある。フツーちゃんはどうしてここに?それに、僕達を助けてくれたこの……豆柴の男性は誰なんだい?」


「う、うん。向こうの世界で無事だったんなら、ど、どうしてフツーちゃんはここに来たの?」


 オカルト部のメンバーにこれほど驚かれるのは、白雪にとって初めての経験だ。

 少しだけ、優越感に浸りながら少女は不敵に微笑む。


「私は、彼岸花を摘みにきたの――――みんなと帰るために」









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