フツーちゃんは、彼岸花を摘みに行く

べる・まーく

第一章 裏野ハイツ

第1話 裏野ハイツの怪奇

 季節は、七月中旬。

 時刻は、丑三つ時。

 場所は、裏野ハイツ前の路地。


『――――ヨクキテクレマシタ』


 チカッ……チカチカ、と電柱と一体となった街灯が、点いたり、消えたり、不規則な明滅を繰り返して、路上に咲く真っ赤な彼岸花を照らし出していた。


本気マジかー……」


「う、裏野ハイツの、か、『怪奇』は、ほ、本物だったのね」


 とある情報筋から得た怪奇噺。


 ネット検索で、決められた単語を順序立てて検索した末に現れる『裏野ハイツ』のサイト。


 更に、ここの掲示板に決まった時間、決まった場所での書き込みをするとサイト管理人の『彼岸花』から返信が届くらしい。


 それがただの管理人ならば何の興味もそそらぬ話だ。


 だが、その管理人たる『彼岸花』は、既にこの世を去って久しい霊魂で、サイト内で接触した人物を『神隠し』に遭わせるという都市伝説が真しやかに囁かれている。


 地元の彼岸高校オカルト部の少年達は、都市伝説の検証をするために、真夜中の路地へと集まっていた。


「本当にメールが来た……!都市伝説は嘘じゃ無かったんだ」


 キッチリと分けられた七三ヘアーを撫で付けながら、ブック型のカバーを装着したスマホを、震えた両手で握りしめる眼鏡の少年。


 桃山太郎――通称『部長』。


「ふ、ふふ、ほ、本物の『怪奇』。あぁ……こ、興奮を抑えられないわ」


 高揚する面持ちで、自身のスマホに鼻がくっつきそうなほど食いついているのは、全身を黒一色のゴスロリで統一した黒髪ドリル頭の爪噛み少女。


 浦島花子――通称『オカルト中毒オカジャン』。


「おー噂通りだな。ってことはこの後、私達は『ゲーム』に誘われるってわけだ。オカルト部と『怪奇』との勝負、燃えるぞ!」


 拳を握りしめて一人場違いなヤル気を漲らせる、ホットパンツにタンクトップ姿のなぜかオカルト部所属のスポコン短髪少女。


 一寸木ちょっき法子のりこ――通称『脳筋女マッチョン』。


 真夜中の住宅街のため、裏野ハイツの『怪奇』の噂が信憑性を帯びてきたことに、それぞれ声量を抑えた声で興奮を露にする少年達。


 スマホの画面に映し出される、『裏野ハイツ』のサイトは黒一色のシンプルな背景で構成され、掲示板に白文字で打たれた、くだんの『怪奇』からの言葉が続く。


 恐怖よりも好奇心が勝る、揃いも揃って変態揃いのオカルト部の中で、一人の少女だけは表情を曇らせて俯いていた。


 さっきから少女の頭の片隅で、胸中をざわつかせる警鐘が鳴り響き、まとわりつくような不安を拭えない。


『ワタシハ、ウラノハイツノ202ゴウシツノジュウニン、ヒガンハナ』


「……ねぇ部長、これって本当にヤバいヤツじゃないかな?帰ろうよ。ね、ね?何か嫌な予感がする」


 肩口で切り揃えた黒髪を揺らしながら、画面を直視するのも躊躇ってしまうほどの臆病さで、普段から危険な物は避けて通る、事なかれ主義万歳の少女。


 白雪姫――通称『フツーちゃん』。


 彼女自体、出自は普通ではないのだが、自ら危険に飛び込む変態揃いのオカルト部の中にあって、他のメンバーと比べれば、最も常識のカテゴリーに入るという事で『フツーちゃん』と呼ばれていた。


「は、はぁ?な、何を言っているの、ふ、フツーちゃん?な、何のためにこんな真夜中に集まって、こ、ここまで来たのかしら?み、みんな望んでここにいるのよ。い、嫌なら一人で帰ればいいわ」


「オカジャンはキツいね~。まっ、私は心燃える展開は大好物だけど。ウダウダするなら喧嘩しちゃう?しちゃえばいいさ。しちゃいなよっ!」


 友人からの辛辣な言葉が、胸に突き刺さる。


 ここにいるオカルト部の面々は、『オカルト中毒ジャンキー』と『ちゃん』を合わせてオカジャンと呼んでいた。

 渾名の示す通り、食事かいきを目の前にしたオカジャンは誇張では無く眼が血走ってやや殺気立っているようだ。


 マッチョンはバカで脳筋だから、何か揉め事があれば拳で語れば何でも解決すると思っている節がある。


「ううっ……それはオカジャンの言うとおりなんだけど、マッチョン、喧嘩はしたくないよぅ」


 普段、口数の少ないオカジャンからどもりながら吐き出される言葉は邪魔する者を容赦なく蝕む毒だ。


 『怪奇』を目の前にして、普段は死んだ魚のような眼をしている彼女の瞳は、爛々と燃えて『生』を感じさせた。


 柔らかな物言いだが、部長が白雪を庇うことは無い。


「フツーちゃん強制はしないよ。だけど、オカジャンの言う通り『オカルト部』の部長を名乗る以上、僕は行く。……だって、面白そうじゃないか。本物の『怪奇』が目の前にある。科学や勉強じゃ解けない問題が目の前にあるんだ」


 白雪が何か口にする前に、全員のスマホが着信音を鳴らして、新着メッセージを受信した事を知らせる。

 会話が中断された事で、結果として白雪は窮地を救われて、内心ホッと胸を撫で下ろした。


 四人がそれぞれのスマホへ視線を落とすと、そこに書かれた新たな文章から目を離すことが出来なくなる。


 事前に全員が承知していた事だが、『ヒガンバナ』と名乗った管理人から問い掛けられる『ゲーム』の誘い。


『ワタシトノゲームヲノゾミマスカ?』


 白い文字で書かれた短い文章の下には、空欄が続く。

 噂通りであれば、『ゲーム』への参加は、自らの意思で決めなければならない。


 いよいよ引き戻れない所まで来てしまった。

 これは、本当にヤバい。


 白雪は、霊感なんて大層な物が有るわけでは無い。

 だけど、この緊迫した危機感を上手く表現できない自分の語彙力を恨みながら、先程から周辺を包み込む悪寒に、全身の毛穴が開いて、本能がこの先に進むことを拒絶していた。


 オカルト部に所属して、こんな事は初めてだ。

 みんなに、せめて部長に伝えないと。


 『裏野ハイツ』のサイト背景には、目を凝らすと僅かに色調の違う黒でたくさんの花が描かれていて、写真のような綺麗な描写がより一層不気味さを際立てていた。


『牡丹ヲオシテクダサイ』


「……ボタンを押せってことか?」


 その下に表示される、赤い文字で光る選択肢。


『ハイ』


『イイエ』


 その場にいる全員が、互いの顔色を窺い合うように視線を泳がせる。向かい合った全員の視線が最後に行き着く先は、七三頭の眼鏡少年だ。


 共通点に乏しい四人を繋ぐ、オカルト部部長へ少女達の六つの目玉が答えを求めて向けられる。

 ここで口火を切る事が自分の役目だと理解して、語らずとも皆の意を汲んで、部長は沈黙を破る。


「ボクはゲームに参加する。君達は嫌なら拒否してもいい。フツーちゃんの言うとおり、これは本当にヤバいヤツだ」


「へっ、何を言ってるんだい、部長?部長が行くなら、一緒に行くに決まっているだろ。私達は『オカルト部』の会員だぜ」


「そ、そうね……め、目の前に『怪奇』があるなら……い、行く」


 『脳筋女マッチョン』は、少しもビビっていないと、元気よく笑顔を浮かべて、部長と呼んだ男に、どこまでも付いて行く意思表示を示す。


 『オカルト中毒オカジャン』は、片方のドリル髪を弄りながら、猫背で俯きがちな頭を少しだけ起こして、前髪で隠れた瞳を寄越して訥々と答える。


「……私は」


「フツーちゃん、本当に無理はしなくていいよ。ありがとう。でも、いつまでもここに居る訳にもいかない。みんな、3、2、1でボタンを押そう。誰も来なくても恨まないし、誰が来なくても何も言わないこと、いいね?」


 部長を中心に、沈黙のまま皆が頷く。


「それじゃ、いくよ。3、2、1――――」


 まるで掛け声に合わせたかのように、突然、202号室の扉が開き、閉まった。


「今、202号室のドアが開かなかった?」


「……こ、これ、う、歌?」


 それぞれのスマホから、三和音の寂しげなメロディが響き出す。誰もが、一度は聞いたことのある歌詞が、もの寂しげな女性の声で歌われていく。


 ♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪



 通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの 細道じゃ

 天神さまの 細道じゃ

 ちっと通して 下しゃんせ

 御用のないもの 通しゃせぬ

 この子の七つの お祝いに

 お札を納めに まいります

 行きはよいよい 帰りはこわい

 こわいながらも

 通りゃんせ 通りゃんせ



 ♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪


「これで……終わり?」


「何だよ、少しビビっちまった」


「……ひょ、拍子抜け」


 歌が止むと、静寂が辺りを包む。

 周囲を見渡しても、目に分かる変化は何も起こらない。


 それぞれホッと安堵の息を吐き出して、目線を配らせて、強ばったままの笑みを浮かべながら徐々に緊張をほどいていく。


 ……その中で、たった一人の少女を除いては。


 霊感なんて無いはずなのに。無かったはずなのに。

 ――――目の前にいるのは何!?


 瞬きをした直後、突然現れた黒い靄。

 街頭の灯りの下、そこだけ漆黒が蠢いていた。


 人の形をしているけれど、人じゃない。


「み……ん、な」


 三人の背後、蠢く影と向き合う形となった一人だけが、その怪異に気付く。


 黒いマジックで塗り潰されたような、乱雑なモザイクのかかる顔の部分に、違和感を感じる場違いな白い臼歯。人であれば頬に当たる部分まで口角を上げて、白い歯がニィイイと嗤う。


 消え入る程の弱々しい呼び掛けに、三人が反応を示す。笑みさえ浮かべていた表情が、怪訝に白雪の顔へと集まる。恐怖する白雪に、やがて、笑顔は凍りつき、彼女の視線を追って後ろを振り返っていく。


 背後で嗤う、黒い靄。


 一歩、二歩と下がっていく仲間の影。三歩目を下がった時に覗いた皆の横顔は白雪と同じ恐怖が刻まれていた。


 四歩目。


 目の前で三人が忽然と皆が消える。


「ぁ……あ……」


 ひた、ひた。


 濡れた裸足が鳴らすような足音が、白雪の耳朶を揺らし、ゆっくりと近づく靄に浮かんだ口が動く。


『アナタモ、イッショニアソボウ?』


 握ったスマホに映る画面には、まだ『ハイ』と『イイエ』の選択肢が変わらずに残ったままだ。


「嫌だ……」


 ひた、ひた、ひた。


 吐息がかかるほどに至近に迫る黒。

 凍えるように冷たい怪異の息遣い。


「――嫌ぁ!」


 漆黒に嗤う白い歯。

 恐怖に声が殺され、涙が頬を伝う。


 壊れた玩具の様に震える指で『イイエ』を押すと、声が聞こえた。


『ザンネン。マた、彼岸花を摘んで来て』


「……え?」


 不気味な雑音の混じる怪異の声が、一瞬、小さな子供の鈴のような綺麗な声に聞こえた……気がした。

 目の前で、黒靄が霧散する。


『マ……タ、ネ』


 瞬きも忘れる程の恐怖は、まるで風に拐われる砂の如く消えていく。

 闇に浮かぶ白い歯だけが、目に焼き付いて、消える間際まで、頬まで裂けるような大きな嗤いを崩さずにそのまま消え去った。


 そこに残るのは、ただ一人だけ。


 誰もいない夜の帳の中、腰を抜かして座り込んだ静寂に虫の声が戻る。嫌な感じも、悪寒も無くなった。

 だけど、誰もそこにいない。


 スマホの画面が、黒色から白色に変わり地面を照らす。

 呆けたままディスプレイを確認すると、無機質な文章がそこに姿を表していた。


『該当するキーワードがありませんでした。

 キーワードを変更して再度検索してください』


 恐怖に怯えながら、路上で蹲ってみんなが帰ってくるのを待つ。さっきのは夢かもしれない。


 恐怖に麻痺した心は、現実を拒絶する。


 頭の片隅で分かっていながら、暗い街灯の明かりだけがある闇の中で、いくら待っても帰らない三人の帰りを待ち続けた。


 空が白み、もしかしたら三人は学校に行けばいつものようにいるのでは無いかと、フラつく足取りのまま、淡い期待を抱いて登校する。


 不思議な事に、誰も三人の事を覚えていなかった。


 初めは冗談かと思った反応は、同級生や教師に聞き回り、誰もが怪訝な顔で「知らない」と否定されて信じざるを得なくなった。疎ましがられるとか、そう言う表情では無い。


 皆は、誰一人、彼等の事を本当に覚えていないのだ。


 彼等の席だった場所には、知らない生徒が席を詰めて埋めていた。ソレが、覆らない真実なのだと突きつけられる。


 ――――彼等の存在その物が、最初からこの世に『無かった』物として。


 失踪として取り扱われる事も無く、最初から存在しなかったみたいにこの町から『消えた』。


 翌日、白雪は、裏野ハイツ前の電柱に、寄り添う三本の彼岸花が咲くのを見つける。


 赤く、線香花火の光を彷彿させる鮮やかな花弁は、まるで彼等が「忘れないで」と語りかけているように、咲き誇っていた。


 消沈したまま無味な一日が過ぎる。

 じわりと胸の奥で広がる苦い思いと、胸に空いた喪失感を抱えながら、終業式を迎え夏休みが始まった。

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