第9話①ひとみの綺麗な、マスクの女性 後編

「しかし、逃げたのはいいけどこれからどうするんだい?」


 彼岸町駅前の踏み切りまで走ってきたところで、警音機が鳴り始めると無慈悲にも遮断機が下りて彼らの行く手を遮る。


 判断を扇がれる部長は、すぐ後ろにマスクの集団が迫っている事に焦燥感を募らせたが、そこでオカジャンの体力が尽きて崩れ落ちてしまう。


 先の逃走劇で大活躍を見せたオカジャンは、顔面蒼白で過呼吸気味に呼吸を乱し、誰が見ても、もう彼女がこれ以上の活動に耐えられない状態なのは明らかだった。


 残念ながら部長も体力に自信が無いため、マッチョンがオカジャンを背負いながら走り続けているが、べっ甲飴の時間稼ぎも微々たる物ですぐに追いつかれてしまうだろう。


「ご、ごめんみんな……」


 とりあえず、苦肉の策として駅と隣接するビルとの間の物陰に身を潜めながら、三人は腰を下ろして今後の方針をひそひそ声で相談していた。


 薄く紫色になった唇を震わせて、オカジャンは自分のせいでみんなの足を止めて窮地に追い込んでしまった事に、悔し涙を目尻に溜めながら謝る。


「オカジャンが誤る事なんて何も無いよ。むしろ、僕達は感謝しているんだから。制限時間を迎えたときに、オカジャンの咄嗟の機転が無かったら、きっと僕達は今頃ゲームオーバーだったのだから」


「そうだねっ。部長の言う通りだ。オカジャンがあんなに頑張ったのだから、今度は私たちが頑張る番さ」


「これは『ゲーム』なのだから、僕達はどうにか『13』番のマスクの女性と接触して、褒めなければならない」


 部長がビルの外壁からそっと顔を出して、駅前のロータリーへと目を向ける。

 案の定、追いついてきたマスクの小集団がオカルト部のメンバーを手分けして探しだそうと徘徊していた。


 残念ながら、その中に『13』番の女性は見当たらない。


「でも、どうして『13』番の女性なんだい?」


 如何にして正解の『噂』を導き出したのか、その理由をマッチョンが部長に問う。


「『ひとみ』さ。なぞかけのメッセージでは、ひらがなで記載されていただろう?それで、『ゲーム』スタートの切っ掛けは『牡丹』でボタンだった事がヒントになったんだ」


「あぁ、言われてみれば確かにそうだったね」


「だから、今度は、漢字をカタカナにするんじゃなくて、ひらがなを漢数字に直したんだ。『ひとみ』は瞳だけを指すんじゃない。『ひと』は1、『み』は3。二つを繋ぎ合わせて13になる。だから『13』の女性が正解の『口裂け女』なのさ」


「なっるへそ~」


 部長は考える。

 このままだとジリ貧だ。

 いずれ、ここも発見される。


 まさか1つ目の噂で、ここまで絶体絶命の状況に陥るなんて見通しが甘かったと部長は後悔していた。


 表に出て、探しに出るのは愚行。

 かといって、このままここにいても、先に進む事ができないばかりかいずれは発見されるだろう。


「どうしたらいい……?」


 親指を噛みながら、必死で脳みそをフル回転させるが打開策が思いつかない。


「――――っ、部長。部長っ!」


 そのとき、向かい合ってしゃがんでいたマッチョンが部長の肩を掴み、切羽詰まった声で乱暴に揺する。


 動揺に揺れるマッチョンの瞳を追って後ろを振り返ると、ビルの合間から覗く茜空を背景に、目も覚めるような『赤い服』を着た女性がすぐ後ろに立っていた。


 心臓が止まる程驚き、息を呑む。


「ねぇ……」


 マスクのせいでくぐもったハスキーな女性の声が響く。


 蹲った部長がまず目にしたのは、真っ赤なハイヒール。

 そのまま、視線を上へと移動させていくと、真夏だと言うのにその女は鮮やかな赤のロングコートを羽織っている。


 ――――そして、切っ先がこちらに向けられた錆び付いた刃先の鎌が、両手に一本ずつ握られていた。


「……私、綺麗?」


 恐怖に思考が殺され、声が出ない。

 額に『13』と記された、捜し求めていた女性。


 瞳の死んだ他のマスクの奴等とは違う。

 狐目の綺麗な女の双眸は、残忍そうに冷たく揺らめいているのに、獲物を見付けて喜ぶ熱の籠もった高揚感が入り混じる光を宿していた。


 額に『13』と番号の記されたマスクの女が、舐めるように三人へ順々と視線を走らせる。


「き、綺麗だ。うん。とっても綺麗だと思うよ!ね、ねぇ部長」


「ぁ……う、うん」


 情けない事に、部長は気の抜けた返事を返すので精一杯だった。


 年の頃は20歳くらい。

 嘘偽り無く、異様な装いを別にすれば、決め細かな色白の肌に艶やかな黒髪を靡かせた女性は、客観的に見て美人と言って差し支えない。


 綺麗と褒められた女は質問を重ねる。


「……そう。……これでも……そう思えるかしら?」


 赤いコートの女は、艶やかな長い黒髪を揺らして綺麗な瞳を快活な少女へと移していく。

 病的な迄に色白い肌をした、顔の下半分を隠すマスクに手を掛けて剥ぎ取った。


「ねぇ、これでも……私、綺麗?」


 耳まで裂けた口を動かして、女が訊ねる。


 口裂け女は、顔の鼻から下の部分の皮膚が無く、常に黄色い透明な液が滲み続け、じゅくじゅくの淀んだピンク色の肉を外気に晒す。


 まるで何か腐っているような腐敗臭が、あたりに立ちこめる。

 顎の部分に白い蛆が蠢いて這いずり回っていた。


「……ぁ」


 さっきはかろうじて綺麗と答えたマッチョンも、生きながらに蛆が寄生する顔面を見て、空気を喉から漏らし、あまりのグロテスクさに言葉を失う。


 『機嫌を損ねれば大変な事になる』


 その言葉が、まるで『恐怖』という見えない手で喉元を押さえつけるように、喋る事を禁じられた部長の頭で反芻していた。


「やっぱり……綺麗じゃないわよね。私、綺麗じゃない。キレイジャナイ。キレイジャナインダ。綺麗な人間は死ねばいいの。みんな、死ねば私が一番綺麗」


 頭を左右に揺らし、裂けた口で女が悲しそうに嗤う。

 一人で呟き、女の達する結論が狂気を帯び始める。


 両手に握られた鎌は、ゆっくりと口裂け女の頭上まで持ち上げられて、残忍な冷たい光を灯した瞳が、一番近くにしゃがみ込んでいる部長の首筋へと当てられる。


「さようなら」


 女の口角が更に持ち上げられて、寂寥を浮かべて嗤う。


 切れ味の鈍そうな錆びた鎌がピクリと動き、赤いコートの裾が揺れて振り下ろされようとした、正にその時。


「ぽ、ポマード、ポマード、ポマードぉおお!あ、あなたは普通よ。き、綺麗なんかじゃないわ!」


 へばっていたはずのオカジャンの叫び声に、振り下ろしかけた鎌が、わなわなと震えて下ろされる。

 手から力が抜け、鎌が地面へと落ちて金属音を鳴らした。


 口裂け女は、頭を抱えて震えだす。


「ポマード……嫌、ポマードは嫌。私を醜くしたポマードをつけた男の医者……思い出したくない」


 べっ甲飴と並んで、ポマードが口裂け女の忌み嫌う言葉であるのは有名な話だ。

 本来ここで、怯んだ隙に逃げるのが都市伝説における定石だが、『ゲーム』をクリアするため、オカジャンは更に言葉を続ける。


「そ、それでも、あなたは綺麗な瞳を持っているわ!」


 驚きの面持ちで部長もマッチョンも、必死の剣幕で叫ぶオカジャンを見る。

 自分の掌で口裂け女が瞳を隠した途端、強張っていた体の戒めが解かれていくのが分かった。


「そうだ。うん。私も素敵な瞳をしていると思っていたのだよっ。そのような瞳、同じ女性として羨ましい限りだともっ!」


「あぁ、僕もそう思う。あなたは醜くなんてない。さっきだって、その素敵な瞳に心を奪われかけていたんだ」


「……本当?」


「ほ、本当よ」

「あぁ、私も同意だ」

「うん。僕も本心からそう思う」


 女は顔を覆っていた両手を取ると俯いた顔を上げる。


 そこにはやはり、目を逸らしたくなるような醜くグロテスクな惨状があるのだが、弱々しく訊ねる女の言葉と、怯えるように伺う瞳にオカルト部の三人は真っ向から瞳をぶつけて頷いた。


 数秒の沈黙を得て、口裂け女は……笑った。

 確かに耳まで裂けた笑い顔は、異様な笑顔だった。


 だが、柔らかな笑顔と優しい双眸を涙ながらに揺らす女に、三人はもう恐怖を感じる事は無い。


「……ありがとう」


 小さく呟かれた女の言葉に、オカルト部の全員で笑い返す。


「「「どういたしまして」」」


 三人のピッタリと揃った声に、もう一度口裂け女は優しく笑う。


 口裂け女がマスクをもう一度つけるのを見届けると、三人のスマホが同時に着信音を鳴らす。


 視線を画面へと落とすと、新着メッセージを受信していた。


 *****


 ①の噂の『ゲーム』見事クリアです。


 なぞかけのヒント教えるね。

 ヒントは『頭文字』。


 ひとみの綺麗な、マスクの女性は一人じゃないから気をつけてね。

 ②の噂に早く会おうね。


 *****


「え、何だい……この最後の文章は?私は馬鹿だからよく理解できない、と言うか、理解したくない私がいるのだけど?」


 ヒントよりも、新着メッセージの最後の文章に三人の瞳は釘付けになる。


「……く、口裂け女は、さ、三人兄弟だって噂もあるの」


 オカジャンが申し訳なさそうに、他の二人が聞きたくなかった口裂け女に関するオカルト知識を披露する。


「その噂は僕も初耳なんだが!?」


「オカジャン、それ本気マジ!?……お姉さん、姉妹とかいたりしますっ!?」


 マスクを着け終えた女性は静かに頷くと、ゆっくりと右腕を上げて三人の後ろを指差す。


「ねぇ」

「ねぇ」


 嫌だ。振り向きたくない。

 三人はアイコンタクトで同じ気持ちであることを確認し合う。

 だが、きっと振り返らなければ殺される。


 ギギギ……、と音のしそうなぎこちない仕草で、オカルト部の三人が後ろを振り返ると、ビルとビルの間の細い路地を二人・・の赤いロングコートを羽織った女がこちらへと歩いてくる。


「その子が綺麗だと言うのなら――――」

「――――私たち三姉妹の中で誰が一番綺麗かしら?」


 ピッタリと息の合った声。

 二人の女はそれぞれ包丁と、斧を両手に握っている。


 クリアしたはずの1つ目の噂。

 更なる困難が、三人を襲う。

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