第三章 噂
第8話①ひとみの綺麗な、マスクの女性 前編
マスクを着けた群衆が、近づいてくる。
機械のように一糸乱れぬ足音が、ザッ、ザッ商店街へ響く。
……目の前の光景に恐怖を感じた。
さっきまで人情溢れた声がそこかしこから聞こえていたのに、商店街から人の声が全て消えていた。
向けられるのは、虚ろな瞳。
聞こえてくるのは、生気を失った瞳の人間が踏み鳴らす足音。
これから何が起こるのかと、不気味な集団への不安と、得体の知れない者達への不気味な恐怖が胸の内にじわりと広がっていく。
――――ザッ、ザ。
訓練された自衛隊のように、最後の一歩を力強く踏み鳴らすと、足音が重なって止まった。
距離にして約100メートルくらいだろうか。
温かな色味の煉瓦が敷き詰められた商店街の通路。その、丁度中央に位置するあたりで、群衆は行進を止めて整然と並んだまま佇んでいた。
「……ぶ、部長?わ、私達はマッチョンの軽はずみな行動で、き、危機的状況に陥っている気がするのだけど?な、何かみんな、き、気持ち悪い……」
恐らく100人以上は集まっている人々。
全員こちらを向きいているのに、視線は誰一人として絡むことはない。
彼等は、自分達を見ていないのだ。
「いっや~、流石の私もこの数の暴徒に襲われたら、ちょ~っと、かなり、絶対、駄目だと思うのだよ。ん~とね、……先に謝っておく。みんなごめんね。テヘペロさっ」
「ぜ、全然悪気が、か、感じられないわっ!」
マッチョンもふざけて場を和ませようとするが、声が震えていつもの飄々としたキレが無い。
もしも、彼女の言う通り目の前の人々が暴徒と化して襲ってきたら……結果は、喜ばしいものにはならないだろう。
さっきまで陽気に笑っていたコロッケ屋のおばちゃんも、駄菓子屋のお婆ちゃんも、買い物袋を下げた夕食に悩む主婦も、魚屋のおじちゃんも、能面のように表情を失って……まるで人形のように、力が抜けた腕をぶらりと前に垂らしてこちらを静観している。
「……どうやら、序盤からピンチだね」
これだけの人が集まっているのに、話し声もしなければ、商店街の中から人の声が一切しない。
不気味な静けさの中、いつでも動けるように身構えていた部長の額から、冷たい玉のような汗が流れて鼻筋を伝っていく。
「び、B級映画の、パ、パンデミクスゾンビみたい」
「この後の状況が、その映画の内容まで踏襲しているのだとしたら……最悪の例えだね」
「齧られて私たちも、ゾンビの仲間入りは勘弁して欲しいな。……ゾンビになってもご飯は美味しく食べれるのだろうか?」
珍しく部長がオカジャンにシニカルな返しすると、そこで一斉に三人のスマホが鳴り出した。
「……指令だ」
*****
①ひとみの綺麗な、女性を誉めましょう。
①の噂との『ゲーム』は、『探し人探し』だよ。
ルールとクリア条件は、女性を探しだして『誉める』事。
報酬は、なぞかけのヒント。
制限時間は、13分。
一生懸命探してあげてね。
*****
短い文章を読み終えて、画面を下にスクロールさせていくと、但し書きが表れる。
『ただし、女性の機嫌を損ねると大変な事になるから注意してね』
何だよ大変な事って!と、全員が思わず、心の中で但し書きの文章にツッコミを入れた。と、同時にスマホの画面でカウントされ始める制限時間。
刻一刻と減少していく時間に焦りが生まれる。
送られてきたメッセージを読み終えるのとほぼ同時に、目の前の人だかりが動き出す。
商店街の通路の左右に分かれて、真っすぐ伸びる道の端で互いを見つめ合うような形で整列していた。
「あれ?あれ?部長。さっきまで無かったのに、立っている人たちのおでこに何か数字がかかれているように思うのだけれど?ん~…流石に奥の方までは見えないけど1から順番に数が振られているようだよっ」
「よ、よく、この距離から見えるわね。か、感心を通り越して、あ、呆れるわ。た、多分ここから100メートルは離れているのに」
「視力、嗅覚、聴力、体力なら私の得意分野だからね。お腹が満たされている私の視力は超人的なのさ」
「この中から、指令の女の人、つまり、噂を探しだせか。額に数字……?マスクの女性。30年前。噂。……もしかしたら!?」
「何か気づいたのかい、部長?」
「うん。オカジャン、君の出番だ」
「え、えっ!?わ、私?」
突然の部長からの指名にオカジャンは慌てる。
「マスクの女に、30年前の噂。オカルト部として、いや、『オカルト中毒』のオカルト賢者として何か思い当たる噂は無いかい?全員がマスクをしているという事は、本物がマスクをしている事を隠すカモフラージュだ。つまり、マスクは一体女性の何を隠しているのだろうね?」
部長の意味深な言葉にオカジャンは怪訝な表情を浮かべるが、自分のオカルト知識に思考を巡らせていくと、やがて1つの答えへ辿り着く。
「え、え?ま、マスクが隠すのは口しかないんじゃ。く、口?さ、30年前に流行った都市伝説?……ぁ、――――く、口裂け女!」
「その通りさ」
オカルト部の三人が整然と並ぶ人々の前へ歩みを進めても誰一人反応を示さない。
マッチョンの報告通り、縦一列に整列した人々の額に黒色の数字が1から順番に割り振られていた。
「ご丁寧にも振られた数字を見ると、ここにいる人達の数は103名。その内女性が69人。絞るにも多すぎる。年齢も様々で、『ひとみの綺麗な』の定義も分からない。と、なるとだ。オカジャン、口裂け女について何か情報は無いかい?」
「都市伝説の口裂け女は、今から約30年前に流行った都市伝説よ。彼岸町に限らず日本全国で、多数の目撃情報が残っているの。当時は社会現象になったのは有名な話ね。新聞やマスコミによって大きく報道されていたけど一番のルーツは子供達の口伝、つまり、口コミ」
「うん、そこまでは知っている。そのときの口裂け女の特長とか役に立ちそうな情報は無いかい?」
「姿については諸説あるけれど、赤いコートを羽織ったマスクの女性の姿が一番有名ね。目は狐目、声は猫のようにハスキーらしいわ。『私、綺麗……?』と訊ねて誤った答えをすると鎌や包丁で切り殺される、と言われている」
「どうやら、機嫌を損ねたら僕達の生命の危機に直結しそうだね」
マッチョンがオカジャンの豹変ぶりに驚嘆を漏らす。
「オカジャンがどもっていない!?それどころか、聞き惚れる程に流暢な語りに、私はビックリ仰天さ」
「ちゃ、茶化さないで、い、意識してしまうと恥ずかしいの」
「あぁ、マッチョンは初めて見るのか。オカジャンがオカルトを語る時、彼女は変貌する。オカジャンが最も輝く生き生きとしている瞬間なんだよ。この分野のオカジャンの博識さには流石の僕も及ばない。素敵だと思わないかい?だから、今のオカジャンは尊敬に値する頼りになるオカルト部のエースさ」
オカジャンは、部長の賛辞に耳まで赤くして照れながら、上から下まで黒で統一されたゴスロリ服のスカートを摘んでモジモジと体を捩り、俯いていた。
「オカジャンのギャップに萌えるっ!か、可愛いっ!」
「や、止めてってば!」
傍観する人々が何もしないと分かると、慣れていつもの調子で騒ぎ始めるメンバー達。
だが、それは油断に直結し、つまりはピンチへと繋がる。
「口裂け女は、3の数字が付く所に現れるらしいの。だから、額の数字はそのヒントかと思うのだけれど、103まで数字が割り振られているのでは、絞っても10人。どれが『ひとみの綺麗な、マスクの女性』かまで私じゃ分からない」
「そこまで絞れれば充分さ。残念ながら3の付く数字の人はみんな女性だけれど、さっきの『牡丹を押して』の言葉遊びから答えは導き出せた」
「部長、分かったのかい!?」
――――ザッ。
ポケットに入れてあるスマホから着信音が鳴る。
「えっ…?」
スマホの画面に新たなメッセージが浮かぶ。
「何でみんな、鎌とか包丁とか持っているのかな?」
隊列は崩され、よろよろと人々がこちらに近づいてくる。
*****
制限時間です。
噂の友達はまた噂。
捕まらないように逃げながら回答しましょう。
*****
「僕とした事が、制限時間を失念していた」
「……部長、コレやばいよね?」
「噂の友達は噂。ローカルな噂だけど口裂け女の連れにマスク男の都市伝説があるの。という事は、あの鎌は、当然口裂け女と同じ用途に使われると考えた方がいいかも」
流暢な口調でオカジャンが現状に当てはまるオカルト知識を披露する。
だが、続きを聞いたマッチョンが浮かべるのは乾いた笑顔だ。
「お、オカジャン、私は馬鹿だから尋ねたいのだが、その用途と言うのは……」
「殺人」
スマホの画面を見れば制限時間は残り10秒。
部長は、目を走らせて辿り着いた答えを探そうとするが動き出した人々は入り乱れてしまい、目的の番号が記された女性が見つからない。
「駄目だ!みんな――――走れぇ!」
「だぁああ!部長、答え分かったんじゃないの!?」
「ごちゃごちゃに混ざって見つけられない!集団から『13』番の女性を見つけて!だけど、今はとにかく逃げろぉおおお!」
カウントは残酷にもその数字を減らし、まもなくゼロになろうとしていた。
オカルト部のメンバーは商店街の出口に向かって一斉に走り出す。
5、4、3――――
「どわぉ!オカジャン!?この非常事態に人のズボンのポケットを弄って何をしているのだい!?」
「ま、マッチョン!さ、さっきの駄菓子で買ったお菓子全部出して捨てて!」
走りながら急にオカジャンがマッチョンのハーフパンツのポケットに手を入れていた。
――――2、1、
「は、早く!思いっきり投げて!」
「お菓子!?……その目は何か考えがあるのだね。分かったよ」
残り1秒から無表情のマスクの集団が構え、そして、ついにゼロのまま動きを止める。
一斉に走り始めたマスク集団の踏み鳴らす足音が、雷鳴のような怒号となって商店街に轟いた。
それまでの静寂はいとも簡単に打ち砕かれる。
制限時間を知らされた時には残り10秒となっていたため、追いかけるマスク軍団とは50メートルほどの距離しか空いていない。
「――――なあっ!?何であんなに彼等は速いのだね!?」
「口裂け女は100メートルを6秒で走るの!いいから急いで!」
「軽く世界記録を4秒近く上回っているね!?あぁ、もう!信じるよ、オカジャン!南無三っ」
ポケットのどこにしまっていたのかと聞きたくなるほどの両手一杯に握られた駄菓子を、マッチョンが後ろ走りのまま放り投げた。
綺麗な放物線を描いて虚空へと舞った黄金色の玉がマスクの集団の上を通り過ぎると、先頭の男がブレーキをかけて後続とぶつかって倒れる。
他の人間にぶつかっても、倒れても、踏み倒しても、103名の集団は放り投げられた玉を血眼になって追い求めていた。
「やるね、オカジャン!マッチョンがアレを駄菓子屋で買っていたのをよく覚えていたね」
「アレ、とは何だい?」
商店街を間もなく抜けようとする所、豊富な知識とは裏腹に学校以外ほぼ引きこもりのオカジャンは早くも息を絶え絶えにしながらマッチョンの疑問に答える。
「ハァ、ハァ、べ、『べっ甲飴』。く、口裂け女の好物よ」
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