第5話 『ヒガンバナ』の世界
さて、白雪姫ことフツーちゃんが裏野ハイツを金と武力で攻め落とした頃から時間は少し遡り、オカルト部のメンバーが現世から『裏野ハイツの怪奇』と邂逅を果たした直後から物語は始まる。
――――哀愁を誘う、ひぐらしの鳴き声が耳を揺らす。
丑三つ時の暗闇から一転する明るい世界。
傾いていた夕陽を直視して瞳を焼かれる。
瞳孔を刺激する茜色の光に、一時的に視力を奪われたが、閉じた瞼の皮膚を裏側から透かす優しいオレンジ色の光にだんだんと目が馴染むと、三人はゆっくりと瞳を開けていく。
眉間に皺を作りながら、目を細めて覗いた情景は、脳裏に記憶していた風景とあまりにも違い、変貌を遂げた景色に最初は何かの間違いかと戸惑った。
生暖かい風が汗の滲む肌を撫でていく。
「彼岸花……!?」
呑み込んだ唾で喉を鳴らしながら、部長が呟いた。
オカルト部の三人は驚きのあまり、息を呑む。
何度確認しようとも目の前にあったはずの裏野ハイツも、舗装された道路も、綺麗さっぱり消えて無くなって代わりに彼等の目の前に現れたのは、一面の彼岸花だ。
「な、何で私達は、こ、こんな所にいるの!?そ、それに……ひ、彼岸花が、こ、こんなにたくさん!?」
「お?おぉ!?本当だっ!部長、これは一体どういう事だろうね?私達は確かに『裏野ハイツ』の前にいたはずなのに!?」
足下を埋め尽くす、一面の朱色の花弁。
咲き乱れる彼岸花をただ呆然と瞳に映しながら、何も出来ずにオカジャンとマッチョンの二人は慌てふためく。
「『ゲーム』への参加……これは、『裏野ハイツの怪奇』との対決を選んだ結果じゃないかと、僕は思う」
動揺する二人に向けて掛けられた言葉は弱々しく、一言で言えば
だが、それでも他の二人と同じ状況に置かれているとは思えない、落ち着き払った声で部長は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――――状況はまだ飲み込めないけど、恐らく……僕達は招かれたのだろうね」
いつもならどんな厄介事も、完璧な理論武装と裏付ける証拠によって自信満々に論破して見せる部長が、今回は歯切れが悪く、自分で自身のの考えを確かめるように話す。
「――――っ!?そ、それって」
「……ん?」
部長の言葉に、オカジャンはハッと息を呑んで顔を青ざめさせる。
逆に、マッチョンは意味が理解できないと、眉を潜めて怪訝な表情を浮かべて首を傾げていた。
「ここは、『ヒガンバナ』の世界だ」
「「……」」
沈黙が流れる中を視界の限り広がる、炎のような花弁が夏の湿気を帯びた風に吹かれてさわさわと揺らめいている。
意識が途絶えている訳では無い。
記憶も鮮明に残っている。
……だが、気付くとここにいた。
「え~と……つまりは、どういうことなのかな?」
「ぶ、部長の言葉を信じるならば、わ、私達は、と、閉じ込められた世界から、か、帰る事ができない……という事だと思う」
考えられる可能性の一つ。
裏野ハイツで『怪奇』の問い掛けに『ハイ』と選択した事がトリガーとなって、三人はこの世界へと
「恐らく選択を拒否したであろう、フツーちゃんがいないのもこの状況を裏付けている。普通に考えるなら、僕達は『ゲーム』をクリアしないと帰る事が叶わないパターンだろうね」
オカジャンが理解の追い付かないマッチョンに、部長の説明を噛み砕いて説明すると、流石の『脳筋女』も状況を把握して顔を強ばらせて固まる。
「……それは
「
辻褄の合わない不可解な状況。
ここに来るまでの記憶は全てあるのに、気付けば見知らぬ場所に連れてこられたそれはまるで、白昼夢だ。
恐らくは、向こうの世界で姿を消した事にでもなっているのだと推測する部長は「俗に言う『神隠し』か」と自嘲する。
まさか、オカルト部として散々耳にしてきた、かの有名な『神隠し』の被害に自分達が遭うことになるとは、光栄と喜ぶべきか、最悪の状況に途方に暮れるべきか迷っている自分に苦笑いを浮かべた。
それも、現状では仮説に過ぎないけれど。
「恐らくは、だけどね。さっきも言った通り、話したのは僕の仮説に過ぎない。最悪の場合を考えるなら、僕達は既に死んでいて、魂だけの存在のまま、さ迷っているなんてオチも考えられなくも無いからね。……まずは、僕達の置かれた状況を、正確に把握する所から始めないといけない」
「後者の仮説が最悪なのはバカな私でも分かったよ。それは、確かに嫌だなぁ……」
「とにかく、まだ情報が少なすぎる」
「問題は山積みだねっ。あ~それで部長……女子としては非常に申し辛い所なんだが、私は……その~こんな所で不謹慎だとも思うのだが……」
「ど、どうしたの、ま、マッチョン?そ、そんなにモジモジ恥じらうなんて、め、珍しい?」
恥じらいなど無いと思っていたマッチョンが、頬を赤らめながら、言いづらそうに言葉を詰まらせる。
「……お腹、すいちゃたのだよ。それも猛烈に。知っての通り私はお腹がすくと力が本当にでない」
グ~~ッと、周囲の虫達の囀ずりに負けない程に盛大に鳴くのはマッチョンの腹の虫だ。
「プッ、ハハハハ。そっか。言われてみれば……僕もお腹がすいているようだ。マッチョンが言うまで気付かなかったけど」
「そんなに笑わないでくれ。私も一応は女子なんだ。お腹がすく事は、私が今後役に立てるか立てないかに直結する。だから、恥を忍んで自己申告をしたのだよっ!」
「別に、恥ずかしがることなんてないよ。腹が減っては戦は出来ぬからね」
「……わ、私も。ま、まだ何もしていないけど」
マッチョン程に元気良くでも無いが、二人の腹も控え目に鳴いて空腹を主張する。
「美味しそうな香りもここまで届いているし、まずは、腹ごしらえといこうか」
部長の提案に二人はコクりと頷く。
だが、オカジャンが疑問を口にした。
「で、でも部長……こ、ここが何処だか分からない」
「ノォオオオ!そうだったっ!?どこでもいいから、腹ごしらえしたいぃ~~っ!」
見知らぬ場所で、それは当然の疑問。
食料の確保どころか、安全の確保すら見通しが立っていない。
ところが部長は心配要らないと語り掛けるような柔和な笑顔を浮かべながら、耳に手を当てて見せる。
「ふふっ、オカジャン、マッチョン、耳を澄ませてごらん」
「み、耳を?……ぁ」
周りを見渡せば広がる田んぼと、耳朶を揺らすのはひぐらしとミンミンゼミと多種の蛙の大合唱。
三人が当てもなく歩み始めてから数分後、自然の奏でるオーケストラの中に、甲高い人工的な音が混じる。
「これは踏切の音かい?」
「確かにっ!しかも……近い?」
「あぁ、ここが何処だか二人なら絶対すぐ分かるさ」
部長の指差す方角から遮断機が、カンカンカン……と聞き慣れた警音を響かせていた。
しかも、さほど遠くない場所からそれは聞こえてくる。
耳を頼りに歩みを進めて行くと、景色の中に不自然に浮かぶ真鍮のドアノブを見つけた。
「ど、ドアノブだけが浮いている!?」
驚くオカジャンを傍目に、部長はその先に何があるのか理解しているかのように躊躇無くノブを回して引き寄せた。
開いたドアの後ろに『101』と表記されていたが、部長さえも一瞥しただけで、全員が開けたドアの向こうに広がる景色に意識を奪われる。
そこはよく知った場所で、見慣れぬ景色。
「彼岸町商店街……!?」
「で、でも知っている商店街と、す、少し何かが違う……」
傾いたまま落ちる事の無い、夕暮れの彼岸町。
人が途切れる事無く往来の波を作り上げていた。
「やっぱり」
眼鏡の奥で、部長は目を細める。
「僕達がゲームをする場所は、彼岸町だ」
――――そのとき、タイミングを見計らったかのように三人のスマホから着信音が鳴った。
いち早く、スマホを確認した部長の画面を残りの二人が覗き込む。
「題名は……なぞかけ。差出人は『ヒガンバナ』」
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