101.血口




 ロッキートビバッタ。

 かつて西アメリカからカナダ西部にかけて広く生息していたワタリバッタ(群生相に相変異し蝗害を引き起こすバッタの総称)の一種。

 脚を擦り合わせる音により群れの中で意思疎通を図っていたとされている。

 一匹による一度の産卵で百匹ほど孵化するという驚異的な繁殖力を持ち、その上でワタリバッタの中でも抜きん出た規模の群れを成し大移動する。

 1875年に発生した「アルバート大群」は面積にして51万平方キロメートル、質量にして2750万トンという埒外の数値を記録した。

 参考として挙げると、日本の面積は約38万平方キロメートル。

 もし日本国内でかつての「アルバート大群」が再現されたのなら。

 日本は飛蝗の群れに沈むこととなる。

 総数で言えばその数は、およそ12兆5000億匹。

 この数は「世界最大の動物の群れ」としてギネス記録に登録されている。

 麦などの穀物を好んだものの、相変異によって悪食化したロッキートビバッタの食欲は草や農作物などに留まらず、革製品や木材、羊毛までもを食い荒らし、当時のアメリカ西部に壊滅的な被害を齎した。

 また、極めて稀なケースだとは思われるが。

 人間を襲った、という記録も残されている。

 …………だが。

 当時の昆虫学者達の「再び大発生が起こる」という予想に反してロッキートビバッタは世代交代の度にその数を大幅に減らしていき、その名の通りに生息地だったロッキー山脈からも姿を消し、大量発生から二十年程の歳月で絶滅した。

 どうしてこのバッタが12兆という桁外れの数にまで大量発生したのか。また、それほどまでの数に膨れ上がった種がどうしてたった20年程度でこの惑星上から姿を消してしまったのか。 


 ──全ては謎に包まれている。






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『──揃っているようですね。では、作戦決行にあたり最終確認といきましょう』


 六郷土手に建てられた【奈落王アバドン】討伐作戦本部内に、灰祓アルバの頂点に位置する【死神災害対策局アルバトロス】局長、煦々雨くくさめ 水火みかが告げる声が響く。

 毅然とした態度で佇む水火みかの両隣に控えるのは、【聖生讃歌隊マクロビオテス】を束ね纏める第一隊ブラックサレナ隊員。

 副隊長、匹主ひきぬし 念造ねんぞう

 隊員、御堂院みどういん さい

 水火みか同様未だ年若い──御堂院みどういん さいに至っては十代半ばであり、若輩部隊といっても差し支えない年齢層の三名であったが、それでも彼らを灰祓アルバの最高位部隊として認めぬものはいない。


『──我々第一隊ブラックサレナ第零隊ヘムロックが【奈落王アバドン】本体を直接叩きます。その他全ての【死神災害対策局アルバトロス】局員はそのサポートに回ること。第五隊サイプレス第六隊モンクスフード第八隊バレンワートの三部隊は我々二部隊が【奈落王アバドン】本体の元まで辿り着けるように道を切り開いて下さい』


「…………簡単に言ってくれるぜ」


「今回ばかりは心底同意っすね。道を切り開く、なんて言えば聞こえはいいけど…………ようは前代未聞の害虫駆除をやれって事でしょ」


 なんとか溜め息を堪えつつそう言葉を溢すのは、第五隊サイプレス隊長、頭尾須ずびす あがなと副隊長の唐珠からたま 深玄みくろである。


「愚痴ってばかりはいられませんよ、お二人共。あれ程までの物量ですから、変質系トランスタイプ生装リヴァースで防御力を得られる第五隊わたしたちが選ばれるのは妥当です」


「理屈の上ではわかってるけどねー。てか、辰人たつと生装リヴァース使って送り込めねえの? こんなリスク高え作戦じゃなくってさ」


「出来るならとっくにやってるさ。あの膨大過ぎる蟲の軍勢だけど、あれも死神グリムから生み出された【死因デスペア】の一部だ。偏在環境をデタラメに乱しまくってる。意図してのものかは知らないけど蟲達がジャマーの役割を果たしてるから、遠距離での偏在干渉が碌に機能しなくなってる」


「…………えーっと、つまり、わかりやすく言うと?」


「本体に直で殴り込む以外に手のうちようがないってこと」


「…………ったく、嫌になるねーホント。【奈落王アバドン】の現在位置は?」


「現在横浜玄海田公園付近を進行中。速度は相変わらず遅く時速にして10km未満だが、障害物は無視してほぼ最短距離で東京に向かって進攻してきている。首都圏に到達するまでそう時間はかからないと思った方がいい」


「観測した限りだとあの飛蝗達はある程度人間を喰らった後は産卵して増殖してるらしい。このままねずみ算式に繁殖し続けて首都圏まで食い尽くされれば本当に手がつけられなくなる。下手すりゃ日本国外にまで進出して世界が飛蝗の餌食になるぞ」


「………………」


 公橋きみはし頭尾須ずびすの言葉に顔を引きつらせる唐珠からたま


「いや…………世界ってのは流石にフカしすぎじゃ。日本は島国なんだし」


「アサギマダラっていう蝶は海を越えて2000km以上飛行する。蝶と飛蝗の違いはあるけど、あの飛蝗の滅茶苦茶っぷりを見ておいて楽観視は出来ないな」


「………………嘘だろちくしょー」


終末論エスカトロジークラスとはよく言ったもんだよ、ったく。急転直下過ぎて正直全くもって気持ちが追いつかないが──」


 標的が進行してきている西方を静かに見据えながら。

 頭尾須ずびす あがなは呟いた。




「──世界の危機ってやつか。笑えねえ」






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「──で、私の仕事は虫除けのバリケード建造ってワケだ。ったくこき使ってくれるよなあ水火みかは。殺虫剤じゃないんだぜ私の【死因デスペア】は」


 ──場所は多摩川河口。【死神災害対策局アルバトロス】の用意した小型船上にてだらけた雰囲気を漂わせながら、【灰被りシンデレラ】はボヤいていた。


「──あ、水火みか? 仰せの通りにやり遂げたよ。多摩川に私の【灰濤シン・ヴァーグ】で炎上壁を敷いた。これで飛蝗どもは多摩川を超えられないだろう…………ま、いましばらくは、と続くがね」


『そうですか。何時間保ちますか?』


「過大評価されてるなぁー。そんな何時間も保たないよ、直線にして何kmになると思ってるんだい? 維持するからには継続して【死因デスペア】を発動し続けなきゃならないんだしね。時間にして…………そうだな、せいぜい100分程度ってところじゃないかな?」


『充分でしょう。それ以上時間がかかったなら、どの道人類われわれに勝機はありません。物量差は笑えるほどに明確にして圧倒的、電光石火の短期決戦以外に勝ち筋は無い』


「あいも変わらずド正論しか吐かないんだなあ水火みかは。ま、上に立つものが正論を吐かなくちゃ下につくものたちは迷うしかないか。大変結構だとも」


『貴女はそこで可能な限り【不死ふし】の障壁を維持し続けていてください、【灰被りシンデレラ】』


「それはまあ了解だけどね。もし君らが負けちゃったら私はどうすればいいわけ?」


『──さて。無論それは有り得べからざる状況ですが…………この惨状を見てそれを考慮しないわけにはいきませんね。では、言っておきましょうか。もし我々が敗退したならばその後は』


 その口調に微塵の乱れも揺らぎもないまま。

 煦々雨くくさめ 水火みかは言った。


『貴方の全てを費やして【奈落王アバドン】に特攻して滅んで下さい、【灰被りシンデレラ】』


「………………はーい。承ったとも」


 何とも言えない笑みを浮かべて、【灰被りシンデレラ】はそれを快諾した。


「ちなみに、その言葉は──支配者としての命令かい? それとも友人としてのお願いかい?」


『…………いちいち訊かなくてもわかっているでしょう』


 そして、水火みかによる最後の通信が【灰被りシンデレラ】に伝えられた。




『──後者です』






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「──さて、時間です。総員、準備はいいですね? 作戦開始といきましょう」


「準備出来てませええええん!! 無理ですって無茶ですって無駄ですってええええぇぇぇぇうげっ」


「うぎゃっ! 吐いたっ! 吐きやがったよこの子!」


 横浜市にて。

 軍用ヘリコプターの中で【奈落王アバドン】討伐作戦の実働隊がついに戦禍へと身を投じようとしていた。


「よーしよーし。傴品うしなは、どんなときでも、惨めで情けないね。全部吐いちゃえば、楽になるよ、ホラ紙袋」


「罵倒しながらではありますがありがとうございますれいさ…………あがぼゲえぇっ!?」


「はい、吐いてー」


「あ、ガッ、ほぶっ!? っぷ、オゲエぇぇぇぇーーーーー!?」


「何やってんですかあんたはっーー!」


 ちなみに具体的に言うと時雨峰しうみね れい儁亦すぐまた 傴品うしなの喉奥にまで自分の腕を突っ込んでいた。


「いや、全部吐かせちゃおうと。咽頭反射で」


「荒療治ってレベルじゃないですよ殺す気ですか!」


「がフッ…………ウゲっ…………」


「ほら、大人しくなった」


傴品うしなー! しっかりしなさい! あんたが要の作戦なんだから!」


「…………緊張感の無い方々ですね」


「まったくだ」


 第零隊ヘムロックの惨状を見て呆れることしか出来ないのは第一隊ブラックサレナ隊員──匹主ひきぬし 念造と御堂院みどういん さいの二人である。


「…………では、カウント開始。ゼロで下降しますのでよろしくお願いします」


「いやゲロゲロしてるアタシが見えませんか局長さん! そもそも正気ですかこの作戦!」


「この上なく正気です。【灰被りシンデレラ】の働きによって東京への進出は一時的に食い止められましたが、横浜市内はもはや飛蝗で溢れかえっています。陸路では【奈落王アバドン】に辿り着くまでに喰い潰されて終わるでしょう。なれば空路を使う他ないでしょう。消耗を抑えるために最短最速で【奈落王アバドン】に辿り着くにはどうするか──となったらこれが一番簡潔で確実なのです。多少の決死行は覚悟して下さい」


「だ、だからといってだからといってだからといってぇ──」


「3、2、1──」


「えっ嘘ちょっと待」




「0」






「あ


 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 あ

 !


 何

 で

 ス

 カ

 イ

 ダ

 イ

 ビ

 ン

 グ

 ぅ

 ぅ

 ぅ

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《Grim》─現代死神異聞録─ 爪切り @Tudurite

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