100.月夜道化




 流し台の腐乱したキャベツが上杉うえすぎ 活恵かつえが最後に口にした食料だった。

 未だ一桁の年齢であった少女はもう10日もの間水道の水しか口にできていない。

 痩せ細ったその幼い身体は6月の蒸し暑さに苛まれ続けている。

 母はもう一ヶ月近く帰ってきていない。

 悪臭漂う家を総ざらいし、食べれるものは食べ尽くした。

 ぐぎゅるるるるる。

 腹の虫が鳴る。


「…………おなか、すいた」


 肌は荒れ、頬はこけ、目は落ち窪んでいる。

 少女はただ、母の帰りを待っている。

 良い子で待ってなさいと言われたからだ。

 母の言いつけは守らなければならない。

 ゆらゆらと幽鬼のように家の中を歩く。

 食べれるものを探して。

 食料品どころか調味料まで舐め尽くした中を探して。

 探し続けて。

 ぐぎゅるるるるる。

 腹の虫が鳴る。


「おかあ、さーん…………おなか…………すいたよう…………」


 世界中を見渡せば──或いはこの日本であっても、決して珍しいとは言えない欠食児童。

 その一人が上杉うえすぎ 活恵かつえであった。

 そして、その命もまもなく潰える。

 そんな時に。




「そう。じゃあ何食べる?」




 黒い女王が、笑って問うた。


「あ…………う…………?」


「お腹空いたんでしょ? 何が食べたい? 言ってみて?」


 枯れ枝のような身体を横たえる、餓死寸前の幼い少女に──母なる死神は、実に他愛のない声色で訊ねる。

 少女は。


「…………な、んでも…………」


「あはは。一番困るやつ来たなあ」


 そう言ってケラケラと笑う【醜母グリムヒルド】に対して、死にゆく少女は末期の一言を零した。


「…………なに、も、かも」


 それっきり。

 飢えた少女は呼吸を止めた。


「…………ふふ」


 その笑みにある感情は何色なのか。

 愛しみか、慈しみか。

 静かにその亡骸に手を翳し、死神女王は囁く。


「それではどうぞ、召し上がれ」







「──はあーあ。ったく金持ってる男は無駄に話が長くて困るわ。しかも大して面白くない話をしたり顔でベラベラベラベラと…………あーダルかったあ」


「…………おかあさん」


「あ? ああいたの。久しぶりね──えーっと…………あれ? 名前なんだっけ?」


「おかあさーん。おなかすいたー」


「あーはいはい。あんたは同じことしか言わないねホントに。ほら、マック買ってきたから──」


「いただきまーす」


 バキャリ。


「…………は? え?」


「おいしー」


「いや…………は? なに? なんで私の手ごと食べてんのよあんた」


「もっとー」


 ガジ。ムシャ。バクバク。


「あ、や、いた、いたい。いたっ痛いって! やめ、こら止めなさいやめやめ止めてお願い! いだい痛い酷い酷い! あ、あーっ!」


「おかあさん、おいしいねー」


 バクバクバクバクバクバクバクバクムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャムシャ──


「…………ケプッ」


 髪の毛一本残さず平らげた後。

 【餓死がし】を宿したその死神グリムは、両の手を合わせて呟いた。

 母から教わった通りに。


「ごちそうさまでしたっ」


 かくして【渇望かつぼう】の因子は芽吹いた。

 母たる死神の思い描く、終末を目指して。






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「おなかすいたあぁ…………」


 ──そして現在。

 かつて上杉うえすぎ 活恵かつえと呼ばれた少女は、死神グリムの極致──終末論エスカトロジークラス死神グリム、【奈落王アバドン】として顕現し、世界に滅亡を齎さんとしている。

 が、彼女に世界を終わらせるつもりなどない。

 どころか、現在の状況さえまともに把握できているのか怪しいものだ。

 彼女を突き動かしているものは唯一つ。

 決して満たされることのない、自身の食欲。

 渇望だけだ。

 今の彼女の姿は、人間からはかけ離れている──死神と呼ぶのも憚られる程である。

 悍ましい粘液を纏って、半ば軟体のようになった超巨大な飛蝗バッタの頭部──その顎内に彼女はいた。


『オ、ボォエエエエエエエエェェェッッッ』


 その巨大な飛蝗の頭部──【奈落王アバドン】から追加の更なる飛蝗バッタが吐き出される。

 夥しい数の飛蝗バッタ達が、黒い塊となって空へと羽ばたいていく。

 一度に吐き出されるその数は時間が経つごとに増量されている──比喩抜きに、このまま放置していればいつかこの国は飛蝗バッタの群れに呑まれてしまうだろう。


「おなか──すいたよう」


 その時、彼女は何を思うのか。

 更地となった世界で、空腹を抱えて何を成すのか。


「おなか…………すいたぁーー」


 【渇望かつぼう】という名の終末は、ただその欲求を訴えるばかりだった。






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「ねー【狩り手ハンター】ちゃーん。もーわたし帰っていーいー?」


「んー? あー、おー…………ま、いいんじゃないの? どうぞご自由に」


 災厄の渦中、二人の死神は他人事のように佇んでいた。

 そこは瓦礫の山。

 建っていた筈のビルは、跡形もなく粉々に解体されている。


「拗ねてるねえ。気持ちはよーくわかるけどさあ。私だってこんな長い期間閉じ込められて…………連続ログインが途切れまくって、百戦錬磨のフレンド達からは聖別食らって…………嗚呼この世には夢も希望も愛も平和も自由も平等もない」


「なんかもう一周回って超平和な人だよねー【爆滅ノ使徒ブラストバレル】ちゃんってば」


「まあそうだねー。そうでないとソシャゲなんて出来ないからね。ソシャゲってのは時間がなきゃ出来ない。時間があるってのは暇って事で、暇って事は平和って事だ。ソシャゲは常に平和と共にあるものなんだよー。人類の出した平和の最終回答ファイナルアンサーなのさ。全人類がソシャゲやってれば戦争も差別もこの世から消えてなくなるよきっと。いずれソシャゲが世界を救うときが来ると私は信じている」


「そんなもんに救われるような世界なんて救わなくていいよ。潔く滅べばいい」


 悪態をつく【狩り手ハンター】だったが、いつになくテンションは低めであった。

 気怠げさを隠そうともせず、しゃがみ込んで無造作に頭をガリガリと掻き毟っている。


「んー? 何か機嫌悪いねー【狩り手ハンター】ちゃんってば。さっき【醜母グリムヒルド】に言われたこと、気にしちゃってるの?」


「あー…………そうかもねー。色んな意味で気にしてるよねー。まあそうなるねー…………」


「珍しいじゃん。何をしても何をされてもあひゃあひゃ笑うのが【狩り手ハンター】ちゃんのスタイルにしてポリシーなんじゃなかったのー?」


「そうありたいとは思ってるけどさー。まあそうはいかないのが人生というものでして」


「人じゃないけどね」


「……そうかもね」


 【狩り手ハンター】はポケットから安物の風船ガムを取り出し口に運ぶ。

 暫くそれを咀嚼して膨らませていたが──パン、と破裂音が一つしてから、ゆっくり立ち上がった。


「んじゃ、いこうか。もうひと踏ん張りするとしよう」


「へえ、乗るんだ? あの話」


「ひっじょ〜〜〜に不本意かつ憤懣遣る方無いんだけども、背に腹は代えられぬということでねー。釈迦の手の中で踊り狂って差し上げますとも」


「そっかー。そんじゃ、私も付き合うよ」


「…………んぇ? マジ? いいの?」


「良くはないんだけど五十歩百歩というか乗りかかった船というか…………ああいや、こう言えばいいのかな」


 くあぁ、と大口を空けて欠伸を一つし。

 【爆滅ノ使徒ブラストバレル】は言った。




「毒を食らわば皿まで──ってね」




「バレルちゃん好き! 結婚して! ベッドインしよ!」


「激しく却下ー」






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「銃火器系は駄目だ! コストパフォーマンスに見合わない! 物理的に捕まえてから叩き潰せ! それが一番確実だ!」


「捕まえるったってどうすんだよ半端な網じゃすぐ喰い破られるぞ!」


「多過ぎるってんだよおムシケラがあっ! どうにもならねえよこんなの!」


 災厄に立ち向かう最前線──そこから少し手前の前線基地内にて。


「仕事熱心だねえ公橋きみはしくんは。いつここに蟲共が集りにきたっておかしくないのに、狼狽えもせずに」


「狼狽したってどうにもなりませんから。やるべきことをやるだけです」


「いやー立派だね。立派過ぎて鳥肌立ってくるね」


「そういう貴方は何してるんですか、薙座ナグザさん」


「ウチの隊長を待ってるだけだよ」


「前線でですか? 隊長格はみな主要陣地に集中しているでしょう」


「隊長についてあっち行ったりこっち行ったりするのタルいじゃん? どうせ隊長はここに来るから、先に待ってるんだ」


 そんな会話の最中にも公橋きみはしは絶えずスクリーンを見据えながらキーボードを叩き続けている。


「リアタイで【奈落王アバドン】の解析中ってワケか」


「まあ、それは別に僕がやらずとも【死対局】の分析班が総力を上げてやってるんですけどね…………他人任せは性に合わなくて」


「へーっ。何かわかった?」


「一つだけ新発見が」


 タン、と大きな音を立ててから、公橋きみはしは視線を薙座ナグザにやった。


「蝗害を起こす飛蝗の品種について知っていますか?」


「え…………いや、そりゃ全部の飛蝗が起こすわけじゃないか、うん。ショウリョウバッタとかの小さいヤツは起こさないんだよな? トノサマバッタとかのデッカイやつが起こすんだ」


「まあ、その通りです。トノサマバッタも起こしますし──蝗害を起こす飛蝗で一番メジャーなものと言えば、やはりサバクトビバッタになりますね。聖書やコーランにて記されているのもこの種類となります」


「へぇーっ。じゃあ【奈落王アバドン】の飛蝗もそのサバクトビバッタになるわけだ?」


「──いえ、違いました」


「えっ」


 スクリーンに視線を戻し、公橋きみはしは無機質な声色で語る。




「【奈落王アバドン】が発生させている飛蝗の品種は、




 ──絶滅種です」



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