俺と彼女の憑き合い事情

須能乃伊津

俺が大家で彼女が霊で

 人は死んだらどうなるんだろう?そんな答えのない疑問を抱いて不安で眠れなくなったなんて経験、誰にでも一度はあるんじゃないだろうか。

 もちろん確認なんて絶対しちゃダメだ。

 思春期特有のそんなくだらない疑問、どうせ数日後には考えていたことすら忘れてしまう。

 まあ、来世に一発賭けてみたいとか、異世界転生にあこがれているとか、死を前向きにとらえて一回死んでみようかな、なんて思うやつもいるのかもしれない。


 だが、あえて言おう。

 止めておけ。


 なんとなく死んでみたからと言って、異世界で勇者になんかなれやしないし、来世が充実してるなんて確証もない。もしかしたら来世は人間じゃなくてミジンコかもしれない可能性だってある。

 それに何より、ちゃんと転生できるなんて保証がどこにある?もしかしたら、転生すらできず、この世を彷徨い続けるなんて結果が待ち受けていたりするかもしれないじゃないか。


 少なくとも、俺は幽霊になんかなりたくはないね。

 一日中目的もないのに、あっちにふらふら、こっちにふらふら。普通の人には気づいてすらもらえないし、もし地縛霊にでもなったものなら永遠とどこにも行けず、退屈過ぎて死んでしまいたくなるだろう。

 まあ、霊になってる時点で、もう死んでるんだけどな。

 

 ……こんなくだらない幽霊ジョークが跳び出すくらい、幽霊ライフっていうのはつまらないものだと俺は思う。

 だが中には、そんな死後の人生をハイテンションで楽しむバカも存在するわけで……。

 今も目の前できゃっきゃと楽しそうに笑っているこいつは、本当に幽霊なのだろうかと、常々疑問に思ってしまうのだ。

 



 「きゃ~!吸われるぅ~!」

 

 白い髪を掃除機の吸い込み口に突っ込んで、レイはじたばた暴れていた。

 

 「掃除の邪魔すんじゃねえ!遊ぶんなら外行けやコラッ!」

 「えー……だって、一人じゃ退屈なんだもん!それに、掃除機かけてる近くに幽霊が寄ってくるなんてこと、滅っ多にないよ?これはもう、ゴーストバスターズごっこするっきゃない!」

 「うるせえ!こっちはこれが仕事なんだよ!邪魔するなら本当にバスタ―してやろうか?!あぁん?」

 「あははは!わぁーい!孝文がキレたぁー」

 

 この人をおちょくった態度の能天気バカが俺に取り憑いた幽霊である。

 彼女の名前はレイ。

 華奢で凹凸のない体。つやのある長い白髪に、色白で整った目鼻立ち。黙ってさえいればきっとモテる容姿ではあるのだが、とにかくこいつは騒々しくて、大人しくするということを知らなかった。

 一言で言ってしまえば、うざいやつだ。

 数日前、俺はこいつに呪われた。まあ、うざいということを除けば大して害はないやつだと今は思っている。


 現在、俺『柳孝文』は亡き祖父の形見であるこの『やなぎ荘』の大家として日課の朝掃除を行っていた。

 ちなみに一人暮らしである。正確には二人なのだが、居候幽霊を数に入れてやるつもりはない。

 だから今のところ入居者はゼロだ。

 

 「ああ、もぅ!早くしねえと時間なくなっちまうだろうが!離れろ!」

 

 掃除機をぶんぶんと振ってレイを引き離そうと試みる。

 

 「はっはっは。そう簡単に振り落とせると思ったら大間違いだよぉ!」

 「お前!ゴーストバスターズごっこなら、掃除機から逃げろよ!何でしがみついてんだよ!?」

 

 レイは掃除機のワイドノズルを両手でガシッっとつかむとホースに脚を絡ませて剥がされないよう必死に抵抗していた。

 純白のワンピースがはらりとめくりあがり、白くてすらっとした太ももがチラチラと見え隠れする。

 イライラにドキドキが混ざって俺の血圧は朝からどんどん上昇していた。

 

 その時、ポケットの中からジリリリリッと音がする。

 

 「やばっ!?もうそんな時間か?」

 

 俺は持っていた掃除機のスイッチを切ると、レイがしがみ付いているのも構わずホースを床に投げ捨てた。

 

 「うひゃう!?」

 

 痛覚のないはずの幽霊がうめき声をあげる。

 

 「うぅ~、ひどいよ孝文ぃ~」

 「悪いが遊んでる暇はない。今は一刻を争うからな」


 俺はポケットからスマホを取り出すとセットしていたアラームを止め、階段を降りて一階へと向かった。


 幽霊とおかしなやり取りをして何事もなかったように立ち去るなど、実に非常識ではあるが、俺にとっては既にこれが日常となっている。なんともない、いつもと変わらぬ朝の風景だ。それに、こいつは構ってやってもストレスしか生まん。無視するに限る。


 一階にたどり着くと俺は広い廊下を歩いて自室へと向かった。

 やなぎ荘は二階建てで一階には風呂、トイレ、キッチンなどの共有スペースと大家の俺が住む部屋の他に空き部屋が二つある。二階には部屋が四つあり、俺は入居者が入ってきてくれるまでその部屋全てを掃除し続けなければならなかった。

 悲しいかな、清掃員を雇う余裕など今の俺にはないのだ。

 

 「まったく、全然掃除できなかったじゃねぇか……」

 

 レイへの文句をつぶやきながら俺はハンガーラックにかかっていた制服を手に取ると急いで着替えを始めた。

 大家と言っても本業は高校生だ。

 新しく転校した高校はものすごく自由な校風が売りのくせに、一部の教師や生徒はやたら規則に厳しい。

 遅刻した生徒の中には一日中正座で授業を受けさせられたとか、それでも正そうとしない生徒には、教師が毎朝迎えに来るとか、そんな嫌がらせじみた罰則が課せられるという噂を聞いた。

 『美人女教師が毎朝迎えに来てくれるならご褒美じゃん?』とか思う奴もいるかもしれない。

 だがしかし、俺の担任は男だ。しかも性格もかなり個性的で、朝から一緒に登校とか……本当に嫌がらせ以外のなにものでもない。

 だから、うかうか遅刻なんてしていられない。

 それに、俺はあることがきっかけで既に学校側から目をつけられている。

 クラスの何人かからも白い眼を向けられているので、これ以上悪い噂が広がらないよう、できる限り目立たないようにしないといけない。

 印象が悪いと、それだけでどんどん入居者確保が難しくなってしまう。既に若干手遅れ感を感じているが、ここから挽回していくには、いかに問題を起こさず過ごせるかがカギとなるだろう。

 ただでさえ、俺は大問題児を抱えているのだから、どんな事態にでも対応できるような余裕を持っていなければいけない。

 

 「……あれ?」

 

 一通り着替えを終えたとき、俺はさっきまでそこにかかっていたネクタイがなくなっていることに気が付いた。


 「ふっふっふ~。お探しのものはこれかな?」

 

 頭上から俺をイラだたせる声がする。見るとレイがふわふわと宙に浮かんでいた。イタズラッ子特有の憎たらしい笑みを浮かべながら俺のネクタイを指で摘まんで、くるくると振り回している。

 

 「返せっ」

 「やだっ」

 

 俺がネクタイ目がけて跳ぶと、レイはひょいっと腕を上げて簡単には取られないようにしてくる。しかも、その優越感に浸った顔が、かなりうざい。

 

 「くっそ。なんで幽霊が物に触れるんだよ!?」

 「違うよぉ、触ってるんじゃなくて、本当は浮かせてるだけだもん。実際集中しないと物に触ってもすり抜けちゃうし。だから、普通に触れるのは孝文の体くらいかな?」

 

 そう言うと、レイは俺の背筋を指先でツーとなぞった。

 

 「ひっ!」

 

 冷たい指の感触が服をすり抜けてダイレクトに伝わり、それと同時にゾワゾワッと体中が震えた。

 

 「あははは!孝文、変な声でた~」

 「くっ……こっ、こんのやろぅ~……」

 

 忙しい朝からおちょくられ続け、既に俺の怒りパラメーターは大幅に振り切れていた。

 俺は近くのベッドに軽く飛び乗るとマットレスのスプリングを生かして高く飛び上がり、レイに向かって襲いかかった。

 

 「うおらぁぁぁ!」

 「えっ!?ぎゃう!」

 

 強引に肩を掴んで頭突きを喰らわせると、そのままの勢いで床に押さえつける。そこで生まれた一瞬のスキを狙って何とかネクタイを彼女の手から奪い返すことができた。

 レイはとっさの俺の行動に驚き、避けることができなかったようだ。

 

 「よっしゃあ、取ったぁ!」

 

 俺はネクタイを手にすると歓喜に湧く暇もなく急いで立ち上がり、鏡の前に移動してそれを締め始めた。

 

 「もぉ、孝文ってば。今日はいつもより大胆なんだから~……」

 

 セリフだけはそれらしいが、まったく艶っぽさの欠片もない声が床から聞こえてくる。

 

 「うっせぇ。もう余計な事すんな。お子様はそこで寝てろ!」

 「なっ!?私、お子様じゃないし!」

 「はいはい、お子様は皆そう言うんだよ!」

 

 レイの正確な歳はわからないが、見た目だけでいえば高校一年生くらいだろうか。それにしたって中身がまったく釣り合っていない。

 言ってしまえば幼稚なのだ。まさに精神年齢は小学生並みと考えて良いだろう。

 彼女には生前の記憶がないらしいが、もしかしたらそのせいで大切な頭のネジがいくつか飛んでしまっているのかもしれないな。

 因みにレイという名前も俺がつけてやったものだ。

 名前すら覚えてないからつけてほしいとせがまれて、めんどくさかったから適当に考えてやったものだが、本人はそれなりに気に入っているらしい。

 

 「むー……こうなったらレイの大人の女としての魅力を孝文にいっぱい見せてあげるよ!」

 

 セクシーポーズのつもりなんだろうか?両手を頭の後ろで組んでふんぞり返っている。

 

 「おー、そうかいそうかい。そりゃ楽しみだ……。おっと、そろそろ出ないと本格的にやばいな」

 

 俺はレイの戯言を軽くあしらいながら壁の時計を確認した。いつも家を出ている時間を今日は完全にオーバーしている。

 俺は慌てて机にかかっているカバンを手にすると、レイのことを無視して横を通り過ぎ、玄関へ向かった。

 

 「ちょっと、どこ行くの孝文?」

 

 靴を履いている最中の俺にレイが話しかける。

 

 「は?学校に決まってんだろ?」

 「そっか。じゃあレイもついてくね」

 

 うきうきとした声でレイは言った。

 

 「ふざけんな。いつも言ってるけど、留守番に決まってるだろ?」

 「えー……孝文ばっかずるい!私も学校で遊びたいー!」

 「学校は遊ぶところじゃねえよ……」

 

 宙に浮きながら腕と足をぶんぶんと振って駄々をこねるレイ。まさにガキである。

 スーパーでお菓子を買ってもらえず暴れまわっている子供を彷彿とさせた。

 ……すごくめんどくさい。

 こういう時は母親直伝の魔法の言葉を使うに限る。

 

 「はぁ……。いいか?絶対ついてくんなよ?ついて来たら晩飯食わせてやらねぇからな?」

 「うっ……うぅ……」

 

 魔法の言葉を聞いたレイはその瞬間、ピタッと暴れるのを止めた。そして、恨めしそうにこっちを見て唸っている。

 聞き分けのないガキにはやっぱりこれが一番効くようだ。

 俺も昔は母さんからこれを言われてよく調教されたからな。

 しかし、まさか幽霊に対してこの言葉がここまで効果てき面だとは正直予想外だった。

 

 こいつは幽霊のくせに、なぜかすごくうまそうに飯を食う。しかも大量に。うちの食費がここ数日で大幅に削られているのはこの穀潰しの所為と言っても過言じゃない。

 どうせ食わなくても支障はないんだろうが、横から俺の分をつまみ食いされるくらいならと、毎日ちゃんとエサを与えている俺って、飼い主の鑑だよな。

 

 「じゃあ、行ってきます」

 

 厳しく育ててくれた両親に若干の感謝をしつつ、俺は玄関を開けた。これからはもっと、この魔法の言葉を多用していこう。

 

 「むぅ~!バーカバーカ!孝文なんてさっさと逝っちゃえー!」

 

 後ろでレイがほっぺを膨らませてむくれている。


 「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」


 反論と同時に玄関をぴしゃっと閉じて施錠すると俺は急いで学校へと向かった。

 

 これが俺の朝の登校風景。ドタバタでろくに仕事もできず、しかもものすごく疲れる。

 大家としての生活に高校生としての生活。どちらも大変だというのにこれ以上負担をかけないでほしい。

 

 「あぁ、誰か代わってくれないかなあ……」

 

 幽霊に取り憑かれてみたいなんて、そんな後先考えないアホがいるのならば、是非紹介してほしいものだ。

 すぐに出向いてうちのバカを紹介してやるからさ。


 でもきっと離れることなんかできやしない。

 そんなことはわかっている。

 俺はあいつに縛られていて、あいつも俺に縛られているのだから。

 これは一種の呪いらしい。あいつに命を救ってもらってから、俺と彼女の奇妙な憑きあいは続いている。

 まったく、死人が命の恩人だなんてほんとに笑えるよな。

 肩を落としながらも俺は学校へと続く坂道を駆け上る。長い長い坂道はこれから俺がたどる道が決して平坦ではないことを教えてくれているようだった。

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