秘密のおままごと!

@shu-lock

秘密のおままごと!

「おままごとしない?」

 キョウカちゃんが顔をぐっと近づけて言った。彼女の腰まで伸びる長い黒髪がふわりと揺れて、桃みたいな甘い匂いがぼくの鼻腔をくすぐる。勝ち気な瞳にまっすぐに見つめられて、思わずうなずいてしまう。

「で、でもどんなことするの?」

 なんとなく、お父さんとかお母さんとかのまねをする家族ごっこなのは分かる。でもふたりともいつもお仕事で家にほとんどいないから、どうすればいいのか分からない。もしそのままふたりのまねをしたとしても、「すぐにお仕事へ行く」だけで終わってしまうからつまらないだろう。

 さすがのキョウカちゃんもいいアイデアが思いつかないようで、首をひねっている。ぼくも同じようにして考え続ける。キョウカちゃんとぼくだけで、お部屋の中でやれて楽しいこと……。

 ふと、顔を上げて部屋の中を見回す。まず目につくのはさっきまでキョウカちゃんが腰かけていたベッドだ。枕元には熊やうさぎのぬいぐるみが置かれている。うさぎの方は前にバレンタインチョコのお返しとして、ぼくがホワイトデーにプレゼントしたものだ。右を向けば本棚と勉強机がある。本棚には彼女が好きな少女マンガの背表紙が並んでいた。それらにはぼくもいつもお世話になっている。勉強机はキョウカちゃんが彼女のお父さんにおねだりして買ってもらったらしい。ぼくたちも来年の四月から小学一年生だ。といっても今はまだ八月だから、ちょっと気が早いと思う。まぁ、キョウカちゃんもぼくも保育園や幼稚園には通っていないせいで友だちがいないから、楽しみなのは分かるけど。彼女もぼくもお父さんとお母さんふたりとも働いているのに、幼稚園や保育園に入れなかった。「たいきじどう」というらしい。テレビのニュースを見ながらお母さんが怒っていたのを思い出す。おかげでぼくは、毎日おとなりのキョウカちゃんの家でお留守番。ぼくたちのお母さんが仲良しで、さらにキョウカちゃんの家はおばあちゃんもいっしょに住んでいるから、いつもお世話になっているのだった。

 ぼくは目の前の丸テーブルに向き直って、キョウカちゃんのおばあちゃんが出してくれたオレンジジュースをストローで飲む。冷たくておいしい。


「そうだ、犬になりなさい!」


 彼女ははじかれたように立ち上がると、ぼくの顔の前にズバッと指を突きつけた。

「犬?」

 ぼくは呆けた顔で彼女を見上げる。

「ペットの犬。で、わたしが飼い主。――これならふたりだけでもできるでしょ」

 彼女はそう言い終わると、両手を腰にあてて満足げに胸を張った。なるほど。お父さんよりも分かりやすいし、いいアイデアだ。ぼくがうなずくと、キョウカちゃんは「やったぁ」と笑った。

「前から犬飼ってみたかったのよね。でもお父さんが許してくれなくて」

 そういう理由があったのか。キョウカちゃんの願いを叶えられるなら、ぼくもうれしい。

 さっそくおままごとが始まった。

「ポチ。お手」

 ぼくの飼い主であるキョウカちゃんが、右の手の平を差し出して言う。

「あ、ぼくの名前ポチなんだ」

 苦笑いしながらもぼくは命令に従って、自分の右手を彼女の手の平にのっける。次の瞬間、ぼくの手が思いっきり払いのけられた。驚いてキョウカちゃんを見上げると、彼女の目がきつくこちらを睨んでいた。

「ちがう。犬なら『ワン』でしょ」

 声色もいつもより厳しくて怖い。背筋が震えた。普段もけっこう強く言われることがあるから慣れていたつもりだったけど、今のキョウカちゃんには間違っても逆らえる気がしない。思わず「ごめん」と言いかけて――彼女の右手が再び振り上げられる。

「わ、わん」

 急いで言い直すと、彼女の右手はやさしく、ぽんとぼくの頭の上に置かれた。そのまま「よしよし」となでてくれる。おそるおそる見上げると、キョウカちゃんはさっきまでの怖い雰囲気をまったく感じさせず、満足そうにやさしい笑顔を浮かべていた。


 翌日もキョウカちゃんのお部屋で遊ぶ。彼女は手招きする。

「ポチ、おいで」

 ぼくは彼女の期待に応え、高這いですばやくかけよった。四つん這いと違って膝をつけず、足の裏をしっかりと地面につけたまま、さらに両手も地面につけて四本足で歩く。身体が小さくてよかった。キョウカちゃんも「本物の犬みたい」と喜んでくれる。

 キョウカちゃんはかけよったぼくの首に何かをひと巻きすると、後ろ側で軽く結んだ。

「いいでしょ」

 彼女は得意げに笑って、ぼくの前に手鏡を出した。それはピンク色のリボンだった。ちょうど喉のところから金色の月型のアクセサリーが垂れ下がっている。首をひねって左側を映してみると、リボンの幅に合わせて縫い付けられた白い布があった。黒ペンで「ポチ」と書かれている。

「えっとこれは……」

「首輪。似合ってるよ」

 キョウカちゃんの楽しそうな笑顔を見て、ぼくは何も言わずにうなずいた。

「よし、お散歩しよう」

 そう言って彼女はどこからか、なわとびを持ってくると片方の持ち手を分解して、ぼくの首輪の後ろ側に結び付ける。残った持ち手を手に取ると、無言でこちらを睨みぼくを催促した。すぐに高這いになる。キョウカちゃんと並んで、部屋の中をぐるりと一周する。速すぎても遅すぎても首が絞まって苦しいから大変だ。

「うーん、やっぱせまいとつまらないなぁ」

 部屋の外に出て廊下を散歩する。しかしそれだけじゃ飽き足らず、彼女は家の庭に出るとピンク色のフリスビーを持ち出した。

「取ってこい!」

 元気いっぱいの声を上げて、キョウカちゃんがフリスビーを勢いよく放った。さすがに四足歩行では追いつけないので、ぼくは普通に走って取りに行く。ちゃんと落ちるまえにキャッチして、彼女のもとに届ける。キョウカちゃんはそれを満足そうに受け取ると、ぼくの頭をなでてくれた。

 午後三時、おやつの時間。ぼくはキョウカちゃんの部屋で、彼女がおばあちゃんから今日のおやつを受け取って、部屋に上がってくるのを待つ。今日のおやつはなんだろうか。

「ポチ、扉開けて」

 キョウカちゃんの声がして、彼女の言うとおりにする。

「今日はクッキーだって」

 そう言いながら、キョウカちゃんは手に持っていたおぼんを部屋の真ん中の丸テーブルに置く。見ると、おぼんの上にはクッキーの入ったガラスのお椀が一つと、牛乳が入ったコップが二つあった。

 キョウカちゃんはクッキーを一つつまんで口に運ぶと、「うん、おいしい」とつぶやいた。ぼくも食べようと手を伸ばす。だけど、彼女の声で動きを止めた。

「待て」

 どうしたんだろう。まさか独り占めするつもりだろうか。

「誰が食べていいって言ったのよ。それに犬が普通に手を使って食べたら変でしょ」

 キョウカちゃんは部屋の片隅にあったティッシュ箱からティッシュを二枚とって、テーブルに敷くと、そこに半数のクッキーを移した。よかった。ちゃんと半分ずつ別けてくれるんだね。ぼくがそう思って胸をなで下ろしていると、再び彼女はガラスの器の中に手を伸ばした。そして今度はクッキーをこなごなに砕き始める。それが終わるとぼくの側にあったコップを掴み、中の牛乳をすべてなみなみとガラスの器に注いだ。牛乳を吸ったクッキーがべちゃべちゃにふけていく。彼女は牛乳とクッキーが入ったガラスの器をおぼんごとカーペットの上に置く。満足そうに、キョウカちゃんはぼくに微笑んだ。

「さぁ、召し上がれ。こぼさないでね」

 なるほど、さすがに彼女が何をやりたいのか分かった。ぼくは「いただきます」と言いかけて、キョウカちゃんの眼が鋭くなるのを察する。そくざに「わん」と吠え直して、手を使わずに顔を器の中に突っ込むようにして、べちゃべちゃのクッキーと牛乳を食べ始めた。

 キョウカちゃんがぼそっと不満を漏らす。

「本当はお昼ご飯のときもこうしたかったんだけど、おばあちゃんもいっしょだから、さすがにね」

 ……ちなみに今日のお昼ご飯は冷やし中華だった。あれを手を使わずに食べるのは苦しいなぁ。

「よしよし。言うこと聞けてえらいね、ポチ」

 楽しそうな声とともに、キョウカちゃんは一生懸命にクッキーを食べているぼくの頭をなでてくれる。


 年が変わって四月。キョウカちゃんとぼくは小学生になった。今ははじめてのクラスの自己紹介の時間だ。先生の指示でひとりひとり順番に立ち上がって自己紹介をする。担任の先生は若い女の人だった。先生になってまだあまり年が経ってないらしい。

 キョウカちゃんの自己紹介はとっくに終わった。ぼそっと小さな声で名前だけ言うとさっさと座ってしまった。ぼくとふたりのときとは全然違う雰囲気だったからすこし驚いた。緊張してたんだろう。

 ぼくはどんなこと話したらいいかな。好きなもの……好きなこと……キョウカちゃんの部屋にあるマンガやゲームを思い浮かべる。でもなんか違う。キョウカちゃんといっしょなら、なんでも楽しいんだ。……やっぱりおままごとかな。「ポチ。よしよし」ってなでてくれるときの彼女の笑顔が好きだ。

「はい、次の人」

 ふいに先生の声が響いた。え、もうぼくの番? 慌てて立ち上がる。それにあわせてみんなが一斉にこちらを見る。急に心臓がばくばくする。とりあえず、最初に名前だ。小さな声が教室のどこかへ吸い込まれていった。大きな声ではっきり言ったつもりだったのに、全然足りなかった。次は……あれ、なんて言うんだっけ? 頭の中が真っ白になっちゃった。どうしようどうしようどうしようどうしよう。みんなの視線が怖い。えっとえっと……そうだ! おままごとのことだ! 思い出せた!


「ぼくはキョウカちゃんの犬です!」


 気づいたときには叫んでいた。緊張していて大きな声を出そう変に意識していたからか、うわずった気持ち悪い声だった。

 突然、教室中ががやがやとうるさくなった。そして誰かがぼくを指さして叫ぶ。

「そういうの、エムっていうんだろ。あれだ、いじめられるのが好きなやつ」

「キモッ!」

 隣の席の女の子がぼくから逃げるように机を離した。急な騒ぎにどうしたらいいか分からなくなって、とっさにキョウカちゃんの方を見る。

「犬って本当なの?」

 すると、近くの席の女の子が彼女に尋ねた。それを合図に一瞬だけみんな静かになる。答えを聞きたいのだ。でもキョウカちゃんは黙ったまま顔を赤くしてうつむいている。いつまで経っても口を開きそうにない。

「うそつきだ!」

 しびれを切らした誰かが叫んだ。付け足すようにまた他の男子が言う。

「うそつきはドロボーの始まりだぞ」

「こいつエムでドロボーじゃん!」

 今のは最初に「エム」と言い出した男子と同じ声だった。

「エムドロボーだ! エムドロボー!」

 この言葉がみんなにウケたらしく、教室が「エムドロボー!」の大合唱に包まれる。ぼくはここまできて自分の失敗に気づいた。それと同時に今後の学校生活が不安でいっぱいに思えてくる。

「いい加減にしなさい! 静かに!」

 先生が何回も叫んで、やっとみんなが落ち着いた。助かった……。ぼくは立ち尽くしたまま、ふっと肩の力を抜く。そんなぼくに先生が厳しい声で告げた。


「そういうのはあまりよくないわ。あとで職員室に来るように」


 怒られる。本当は怖くて嫌なことのはずなのに、先生の細められた眼を見ると、胸がどきどきして、なんだか顔が熱くなっちゃう。

「お返事は?」

 先生の顔を見るのが恥ずかしくて、ぼくはうつむいたまま「はい……」と消え入りそうな声で応えるのだった。

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