operation.8 人魚たちの夕空

 機械によって構成こうせいされた壁をすり抜け、俺は黄昏色たそがれいろに染まる空へとやって来ていた。

 俺の目の前には、マナナーン・マクリールの体であるくじらがいる。無数の無機物むきぶつで構成された鯨は、堂々どうどうとした様子で空を泳いでいた。

 あの鯨の中に兄さんを閉じ込めた球体は安置され、俺は先ほどまでそこにいたのだ。

綺麗きれいだ……」

 その鯨の後ろに広がる光景に、俺は目を奪われていた。

俺の住むテラリウムが、夕陽を浴びて橙色だいだいいろに輝いている。その橙は角度によって、さまざまな色合いを見せてくれるのだ。

 その中に、俺たちの住む町がある。かしの森に覆われた緑の居住区きょじゅうくは、あわい黄色の色彩しきさいびていた。暖色だんしょくに染まった町の通路を、人々笑いながら歩いている。

 町の終わりには、テラリウムの透明とうめいな壁が立ちふさがる。

 その壁の向こうに、海があった。

 赤く染まった海は、夕陽を飲み込もうとしているかのようだ。その海に、茫洋ぼうようと立ちくす無数のビルがある。

 くずれ去ったビル群は、かつての大戦の名残なごりだという。

 ――いつ見ても、この景色は綺麗で恐いですね……。

 頭の中で声が響く。気配を感じた俺は、後ろへと振り向いていた。

 ――メロウ……。

 メロウが瑠璃色るりいろの眼で、悲しげに俺を見つめている。彼女は俺に近づき、そっと俺を抱きしめてきた。

 ――メロウっ。

 ――しばらく、こうさせて……。ミサキを、感じていたい……。

 弱々しい彼女の言葉に、俺は言葉を失う。かすかに震えるメロウの体を、俺は優しく抱きしめ返していた。

 そっと、俺は廃墟はいきょのビル群へと顔を向ける。

 その昔、人類はこの地球上のどこにでもいたという。そして、増えすぎた彼らはお互いに争いあった。

 地球では人間によって3度、大戦が繰り広げられたという。3度目の戦いで、人類は自分たちがきずき上げてきた文明社会すら壊してしまった。

 現在地上で人類が生活できる土地はほとんどないそうだ。大戦中大量の核兵器かくへいきが使用され、人は住む土地すらも失ってしまった。

 生き残った人々は、人工じんこうの居住地であるテラリウムを作りそこに住むことになったのだ。

 俺は、夕陽に輝く海を見つめる。

 ビルの間に細長いさざ波が生じている。よく見ると、それはイルカの群れだった。ビル群から出てきたイルカたちは、海上へと跳びあがり、その姿を披露ひろうしてくれる。

 イルカたちの上空では、渡り鳥たちが群れをつくって空の彼方へと飛んでいくところだった。

 地球は核によって汚染おせんされている。けれど、人類が地上からいなくなったおかげで、破壊されていた自然環境はもとの姿を取りもどした。

 俺たちの住むテラリウムの下には、文明が栄えていた過去よりも豊かな自然が繁栄はんえいした世界がある。

 そこに、俺たちが足を踏み入れることはない。

 大戦を経験した人類は、母なる地球を傷つけたことを深く後悔した。そして、自分たちを未来永劫みらいえいごうテラリウムの中に閉じ込めることにしたのだ。

 かつてのような過ちを犯さないよう、彼らはより正確な判断を可能にするAIにさまざまな決定権けっていけんを与えることにしたのだ。

 罪を犯した人類はその罪をあがなうため、自分たちが作り上げた創造物そうぞうぶつをカミサマに仕立て上げた。

 そのカミサマが同じ人間だと知ったら、彼らはどうするのだろうか。

 ――地上のどこかに、漣博士はいるんでしょうか?

 メロウが呟く。

 彼女へと顔を向ける。メロウは寂しげに眼を細め、イルカの群れを見つめていた。

 ――案外あんがい、そうかもしれないな。

 メロウの言葉に、俺は笑ってみせる。

 父さんだったら本当にやりかねない。だって、あの人は誰よりもテラリウムの外に広がる光景を楽しそうにながめていたから。

 メロウは俺に顔を向け、そっと顔を俺の肩にめてきた。

 ――メロウ?

 ――ミサキは、いなくなったりしませんよね?

 震える彼女の声が脳裏に響く。俺は彼女の頭をなで、優しい声で答えていた。

 ――あたり前だろ。ここは俺の大切な居場所なんだ。兄さんもお前も、ここにいるんだから……。どこにも、いったりしないよ……。

 声が震えてしまう。俺は、えきれなくなってメロウを抱きよせていた。

 ――俺は、ここにいてもいいんだよな……?

 ――ミサキ……。

 メロウの声が震えている。思わず俺は顔をあげていた。

 ――デコピンっ!

 ――ぐわっ!!

 俺の額を、メロウは思いっきり指弾しだんで攻撃してくる。

 ――何するんだよっ!?

 額をさする俺を無視して、メロウは俺の手を掴んできた。

 ――おい! メロウっ!

 ――いいからっ! 泣き虫ミサキはだまるのですっ!!

 俺の手を思いっきり引っ張り、メロウは夕空を泳ぎ始めた。

 ――メロウっ!

 ――ひゃほーい!!

 俺を引っ張りながら、メロウは光るテラリウムの周囲を旋回せんかいする。ばたつく俺の手をしっかりと掴み、メロウは楽しげに歌をうたいだした。

 その姿を、テラリウムの中にいる人々が不思議気に見上げてくる。

 そのテラリウムから飛んでくる者たちがいた。尾びれを輝かせながら、メロウと同じ人魚のAIたちがこちらにやってくるのだ。

 ――なんで、こいつら……。

 ――私たちが楽しそうだから、みんな遊んで来いってこの子たちを放したんですよっ! ほらミサキ、行きますよっ!!

 輝く人魚たちは、テラリウムをめぐる俺たちを追いかけてくる。その数はだんだんと増えていき、人魚の群れがテラリウムの周囲に輪を作っていく。

 透明なテラリウムの外壁がいへきに映るその光景は、まるで天の川のようだ。

 ――綺麗だ……。

 俺は人魚たちがりなす美しい光景に、感嘆と言葉をらすことしかできない。そんな俺を、メロウが正面から抱きしめてきた。

 ――メロウ……。

 ――ミサキは、ここにていいんですよ。私が保証します。

 泣きそうな俺に、メロウは優しく声をかけてくる。俺は、そんなメロウから顔をらしていた。

 メロウは、俺に優しい。でも、その優しさは兄さんが書き換えたプログラムにもとづく感情なのだ。

 メロウの本当の気持じゃない。

 ――ミサキっ!

 メロウが俺を怒鳴りつけてくる。びくりと体を震わせ、俺は彼女に振り向いていた。

 その瞬間しゅんかんらかな感触が唇に広がった。

 メロウの顔が、すぐ側にある。ふっと得意げな微笑みを眼に浮かべ、彼女は俺から顔を離してみせた。

 ――お前……。

 ――キス、しちゃいました……。

 メロウはくさそうに笑ってみせる。彼女は真摯しんしな眼を俺に向けてきた。

 ――私は、ミサキが好きです。この感情がいつりのものだとしても、本物じゃないとしても、私はミサキが好きなんです。私の1番は、私が決めます。それじゃあ駄目だめですか? 

 ――メロウ……。

 ――それにきっと、この感情が偽物だとしても、私は何度だってミサキを好きになって見せますよ! だってミサキは、世界で1番、アホで、意地悪で、ニブチンなんですから。

 ――ひどい、言いようだな……。

 ――なのに、世界で1番私に優しくて、私の中では誰よりもカッコいいんです。だから私の1番は、ずっとずっとミサキですっ!

 ぐいっと顔を近づけ、メロウは満面の笑顔を浮かべてみせる。優しい輝きを放つ彼女の眼から、俺は眼が離せなかった。

 ――例えあなたが偽物だとしても、私の中であなたは、あなたでしかないんですよ。ミサキは、私の大切なミサキ以外の何者でもないんです……。

 そっと、メロウの両手が俺の両頬りょうほほつつみ込んでくれる。その感触が心地よくて、俺は微笑みを顔に浮かべていた。

 ――ありがとう……。

 こみあげてくる涙をこらえ、俺は彼女に言葉を告げる。ぎゅっと力いっぱい、俺はメロウを抱きしめていた。

 俺たちは、人間に作られた偽りの存在かもしれない。

 でも、痛みを感じる。苦しみも感じる。

 楽しさも、嬉しさも、切なさも。

 愛しさも。

 そんな愛しい存在が、俺の存在を確かなものにしてくれるんだ。

 俺の腕の中にいるメロウが――。

 太陽が沈み、辺りが暗くなる。

 それでもテラリウムを囲む人魚の輪は、明るく周囲を照らし続ける。

 その輝く人魚の輪の中で、俺とメロウはいつまでも抱きしめ合っていた。

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オペレーションシステムMERROW 猫目 青 @namakemono

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