operation.7 マナナーン・マクリール

 ――それで、その顔が出来たってわけか!!

 少年の笑い声が脳内に木霊こだまする。俺は、その声を聞きたくなくて顔をうつむかせていた。左頬がジンと痛んで、俺は頬に手をあてていた。

 あのあと、正気を取り戻したコナミの意識に俺は思いっきりなぐられた。その痛みが、今も引かない。

 忘れられず、データーから消去することができないと言ったほうが正しいのかもしれない。今の俺は、メロウと同じホログラムの姿で現実世界にいるのだから。

 そっと俺は顔をあげ、声の主を見つめた。俺の目の前には巨大な球体がある。液体が満たされたその球体の中に、1人の少年が浮いていた。

 細い体を無数のコードで拘束こうそくされた彼は、あおい眼を細め俺に微笑みを向けてくる。球体に移る俺のゆがんだ顔も、彼と同じ蒼い眼をしていた。

 成長する俺と違い、いつ見てもこの人は少年の姿のままだ。

 ――にしてもさ、その姿で来ることはなかったんじゃないの? 兄弟。君が人間じゃないって、奴らにばれちゃうよ……。

 ――分かってるよ、兄さん。でも……

 ――コナミちゃんが、お前の手を放してくれないんだろ?

 彼が笑いかけてくる。脳内に意地の悪い彼の言葉が響いて、俺は彼から顔をらしていた。

 心なしか、顔が熱い。

 現実世界の俺は、テラリウム内にある医療施設でコナミに付きっている最中だ。

 俺は自分の『意識』を情報としてこの場所に飛ばしている。正確に言えば、このホログラムの姿が、俺の本当の姿と言った方が正しい。

 ――それよりミサキ、調子の方はどうだい?

 兄さんが俺に話しかけてくる。俺は、球体の中にいる彼をじっと見つめていた。

 彼はさざなみ みさきその人だ。

 天才科学者であった漣博士の一人息子であり、博士の最高傑作さいこうけっさくでもある。彼はこのテラリウムを管理し、人類の行く末を決める審判者しんぱんしゃだ。

 ネットの意識の1つ、原型マナナーン・マクリールこそ彼そのものなのだから。

 かつて、人類がAIに選択権をゆだねることに苦悩を感じていた博士は、息子の一言から悪夢のような着想ちゃくそうた。

 ――僕がAIたちの代わりになることは出来ないの?

 みさきが放ったその一言がすべての始まりだった。その言葉をヒントに、彼は実の息子を機械につなぎ、膨大なネットの海を管理する生体コンピューターに仕立て上げたのだ。

 ネットの海を統括とうかつする原型の正体は、みさきのように重篤じゅうとくな障害を持つ子供たちだ。彼らは漣博士によってネットの海に繋がれ、人類を裁定さいていする役割を与えられた。

 そして、人類のほとんどがその事実をしらない。

 人類は自分たちより優れたAIによって、平和なこの世界が保たれていると信じているのだ。

 実際、彼らを支配しているのは、同じ人間だというのに。

 ――また浮かない顔してるね、兄弟。そんなに、僕のことが嫌い?

 兄さんの言葉に、俺は我に返っていた。兄さんの蒼い眼が、責めるように俺に向けられている。

 ――何で兄さんは、俺なんて造ったの?

 ――前も言ったでしょ。面白そうだからだよ。実際、ミサキを観察するのはとても面白いし、興味深い。

 俺の言葉に、兄さんは笑ってみせる。その笑顔は、どこかさみしげだった。

 俺は兄さんによって造られたAIだ。

 父さん、漣博士は自身の息子に自由に動くことができる体を与えた。だが、彼の息子はその体に自分で制作した別の人格を植えつけた。

 それが俺、『オペレーションシステムMISAKI』だ。

 俺は兄さんの情報をもとに造られ、兄さんと記憶を共有する存在でもある。

 もっとも、俺のスペックはそんなに高くない。兄さんが所有しょゆうしている莫大な情報すべてを共有することはできない。逆に、全能である兄さんは俺のすべてを知っている。

 なにせ、彼はこの世界のカミサマなのだから。

 ――ミサキは、僕に夢をくれる。だから、僕にとってミサキは大切な人なんだよ。そんなこと言わないでよ。

 ――でも……。

 メロウの笑顔が脳裏を過る。

 メロウは漣博士が兄さんのために作ったオペレーションAIだ。

 そのメロウのプログラムを兄さんは書き換えた。自分ではなく、俺に好意を持つAIにするために。

 俺がインストールされている体も、もとは漣博士が兄さんのために作ったものだ。それを俺は『借りている』に過ぎない。

 ――ミサキ、そんな顔しないでよ……。

 表情をくもらせる俺に、兄さんが話しかけてくる。

 ――膨大ぼうだいなネットの海に繋がれ、マナナーン・マクリールになった瞬間しゅんかんから、僕は僕でなくなった。だから、僕は人であった僕を、自分から切り離したんだ……。それが君だよ、ミサキ……。ミサキは、僕に夢をくれる。僕が人間のままで、普通の体で生まれていたらどんな人生を送っていたのか、ミサキは教えてくれる。

 そんなミサキの毎日を見守ることが、僕のささやかな楽しみなんだ。だから、自分がいらない存在だなんて思わないで……。

 寂しげに、兄さんが笑う。

 ――兄さん。

 そっと俺は、兄さんの閉じ込められた球体へと近づいていた。ホログラムの透けた手で、球体の表面に触れる。俺の手は球体を突き抜け、兄さんの頬にれた。

 ――ミサキがいてくれたおかげで、僕は僕のままでいられる。だから、僕にはミサキが必要なんだ。

 そっと兄さんの手が、透明な俺の手を包み込んだ。

 ――ミサキ、自分自身を否定しないで。君がいなくなって悲しむのは、君だけじゃない。

 ――兄さん……。

 ――君を想ってくれる素敵なレディが、2人もいるじゃないか? 

 ――メロウとコナミのこと?

 ――そう。うらやましいなぁ。メロウはともかく、コナミちゃんは可愛いと思う。僕もやっぱり、体欲しいや……。女の子とキスしたい……。

 やわらかなコナミの唇を思い出し、俺は思わず兄さんから顔をらしていた。

 ――あれは、仕方なく……。

 ――へぇ、その割にはうれしそうじゃん……。

 ――あんなガキ、興味ないしっ!

 ――僕のコナミちゃんを冒涜ぼうとくするな!!

 ――いや、兄さんのでもないからっ!

  叫びながら俺は兄さんへと振り向く。球体の中で、兄さんは楽しそうに笑っていた。

 ――兄さん……。

 ――ごめん、ミサキの反応が楽しくてつい……。それに父さんだって、ミサキのこと好きだってよ……。

 ふっと、兄さんが目を伏せる。

 ――父さんが、どうかしたの?

 ――居場所いばしょをやっと見つけた。でも、やっぱり僕には会いたくないって……。

 そう告げる兄さんの言葉は、震えていた。悲しげな兄さんを見て、俺は胸がチクリと痛む。

 いつからだろう。漣博士が、自身の息子をヒトでなくしたことに後悔こうかいを覚えるようになったのは。それは、彼が俺と生活するようになってからだと思う。彼は、五体満足な息子との生活を夢見て息子に肉体を与えた。

 その肉体に、彼の息子は別の人格を植えつけたのだ。その行為は、彼にとって裏切りと思えたのかもしれない。

 漣博士は、父さんは俺に優しかった。

 でも、父さんはいつも寂しそうで、俺じゃない誰かを思っていた。

 父さんはずっと、兄さんのことを考えていたんだ。

 そして、父さんは俺たちの前から姿を消した。

 父さんは、命を狙われていたのだ。AIに支配されることを望まない反対派と呼ばれる人々がいる。反対派の中には、過激かげきな行動に出る犯罪者たちも多くいるのだ。

 そんなやつらから身を守るために、父さんは行方知れずとなった。

 でも、本当は――

 地面を蹴り、俺は球体の中にもぐり込んで見せる。

 ――ミサキっ!

 驚く兄さんを、俺は透明な体で抱きしめてみせた。ホログラムの俺の体で兄さんに触れることはできない。でも、俺は悲しげな兄さんの顔を、見ていたくなかったんだ。

 ――父さん、兄さんのことはなんて言ってたの?

 ――わからないってさ……。

 答える兄さんの声は、かすかにふるえている。

 ――うそだよ、そんなの……。俺が保証する。だって、俺はずっと父さんと一緒にいたんだから……。

 兄さんに微笑んでみせる。。悲しげな眼をゆっくりと細め、兄さんは俺に微笑みかけてくれた。

 ――ありがとう。ミサキ……。

 兄さんが感謝の言葉をくれる。俺は嬉しくなって兄さんの頬を優しくなでていた。

 ――ねぇ、ミサキ。お願いがあるんだ。

 ――なに?

 ――頑張がんばったご褒美を、彼女にあげてほしい。

 ――彼女?

 ――メロウの事だよっ!

 ――うわっ

 はずんだ兄さんの声が頭の中で鳴り響く。それと同時に、ホログラムの俺の体は宙に浮いていた。

 ――ちょ、兄さんっ?

 ――せっかくその姿でいるんだから、デートぐらいしてあげて。君がコナミちゃんにちょっかい出したせいで、メロウはすっごくへこんでるよぉ!

 ――だからって、どこに俺をぶっ飛ばす気だよっ!

 ――おすすめデートスポット!!

 ぐっと親指を突き立て、兄さんは俺に叫んでみせる。俺の体はぐんぐんと上昇じょうしょうしていき、球体の置かれた巨大な空間から離れていった。

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