後 新たな旅路

 最後の悲鳴が、ぷつりと途絶えた。

 白銀の軍勢が身を引くと、そこには肉の塊が転がっている。

 村人を長く苦しめた魔物の、あまりに無惨な最期だった。


 時間にして、一分にも満たなかっただろう。

 それは戦いとすら呼べない、ただの蹂躙だった。


「よし、《送還おつかれさま》」


 魔王が手を打ち鳴らすと、村の夜を照らしていた白い光が忽然と消える。

 獣は村人達を一顧だにすることなく、のそのそと大人しく歩き出した。

 スケルトンと木偶は糸が切れたように倒れ込むと、そのまま砂の山へと還る。


 残されたのは数えるのも億劫おっくうな魔物の死体と、濃密な血臭のみ。

 静寂の中に、破壊された家屋の焼け落ちる音だけが響いていた。


「さて、とりあえずは飯の続きだな……」


 魔王は独りごちると、おもむろに踵を返した。

 その進路上にいた村人達が悲鳴を上げる。地面を這い、隣人を押し退け踏み越えながら、一歩でも遠く魔王から遠ざかろうと必死になっていた。

 人間の反応など興味もないのか、魔王は彼らを一瞥すらせず酒場に向かう。


「待っておくれ!」


 そこにかけられたのは、女将の悲鳴だった。


「その店は、あたしの命より大事なものなんだ! お願いだよ、壊さないでおくれよ……」


 ともすれば魔王に向かって飛び出していきそうな彼女を、その夫と見られる男が抱きすくめている。

 魔物に対する恐怖は、村人達の心を深く傷つけていた。

 先程まで当然に会話していたことなど既に女将の脳裏にはない。目の前にいる翼の生えた男を、得体の知れない化物だとしか認識できていないのだ。


「いや、俺は飯を……」

「い、生贄がいるなら、その娘をやるよ!」


 声さえ恐怖なのか、女将は魔王の言葉を遮って震える手で村人達の一角を指した。

 そこにいるのは、魔王を酒場に招き入れた、あの少女だった。

 他の村人達と同じく魔王への畏怖で顔を蒼褪めさせていた彼女は、女将の無慈悲な言葉に立ち尽くす。


「女将さん……」

「黙れ! あんたを引き取って、そこまで育ててやったのは誰だい! 役立たずのぐずめ、最後くらい私達の役に立ちな!」


 それは魔物もかくやという酷薄な物言いだった。

 しかし、それをとがめられる者は誰もいない。

 皆、怖かったのだ。生き残りたかったのだ。自分が女将の立場なら同じことをするだろうと、誰もが思っていた。


 そのどうしようもない誤解を困った顔で眺めていた魔王は、ふとなにかを思いついたように思案する。

 そしてしばらくしてから、尊大に言い放った。


「いいだろう、酒場は残しておいてやる。そのかわり、娘と食料をもらっていくぞ。おい、ついてこい」


 魔王は少女を手招きし、今度こそ酒場の中へと姿を消した。

 その姿が視界から失せると、村人達の中からむせび泣く声がちらほらと上がる。

 ひとまず命を繋げたという安堵と、魔王などという存在に出会ってしまった不運と恐怖を嘆くものだ。


 少女は自らに向けられた視線を感じる。

 とっとと魔王と共に出て行けという、無言の圧力だ。村のために身を捧げろという、遠回しな殺意だ。

 親を亡くした子など、どこでも邪魔者に過ぎない。どこにも他人の子を育てる余裕などなかった。

 役に立つ機会が与えられたのだから全うしろと、皆がそう思っているのだ。

 少女は生気を失った顔で、震える足を突き動かして、魔王の待つ酒場へと戻った。


「おう、遅かったな」


 そこにどんな光景が待っているものか――。

 覚悟を決めて酒場に踏み入れば、少女を待っていたのは、先程と同じテーブルについて飯をかっ食らっている男の姿だった。

 態度も姿も、魔物に襲われる前のものと変わらない。ただその背に現れた、蝙蝠のような翼以外は。


「すぐに村を出るぞ。たぶん二度と戻らないから、他に持って行きたいものがあれば一緒に持ってこい」

「私のことを……食べないんですか」


 魔物は人を喰らうものだ。それは黒い魔物達の言動からも、よくわかっている。

 最悪、この場で喰われるものかと思っている。

 下手な希望は持ちたくない。だから少女は、悲愴な思いで魔王に問うた。


「……その台詞は、五年は早いかな……」

「は?」

「いや、なんでもない」


 手で追い払われるように促され、少女は慌てて裏口から厨房へ向かった。


 魔王には配下がいるため、持てる食料は多いはずだ。むしろ、根こそぎ持っていけるかもしれない。

 とりあえず店が潰れない分だけ、日持ちするもの、とあたりをつけて、手頃な袋に食料を詰めていく。


 無心に準備をする少女は、体が鉛のように重いことを自覚する。

 思い出すのは、取り乱した女将の金切り声だ。

 そこで彼女はようやく、自分が思いのほか傷ついていることを知った。


 好かれているとは思っていなかった。身寄りのない自分を引き取ってもらえただけ幸運だとわきまえているつもりだった。

 だが、それでも一緒に暮らしていたのだ。多少の情はあるだろうと信じていた。


 結局、親を亡くした子など、どこまで行っても厄介者に過ぎなかった。

 とりあえず命は拾えたが、それも長くはあるまい。

 あの魔王は五年がどうとか言っていた。結局は魔物の腹に収まるだけだ。

 涙すら浮かんでこなかった。少女は、ただただ自分の人生がむなしく思えていた。


 手早く食料をまとめ、そのまま魔王の待つ食堂へと向かう。

 自分の荷物などなにもなかった。大事なものは、すべて失い、奪われた後だから。


「もう準備できたのか?」


 魔王は、まだ食事を続けていた。

 そのテーブルの上には、先程まで存在しなかった料理が増えている。

 他の客が手をつけていなかったものを奪ったのだ。王のわりに、こすっからい性分をしている。


「俺は、食べるのが遅いんだ。ちょっと待っててくれ」

「はぁ」


 一心不乱に食事を続ける姿を眺め、少女は所在無げに突っ立っていた。

 座ろうとは思わなかった。王を前に不躾ぶしつけかもと思ったし、一度腰を下ろしたら二度と立ち上がれなくなるかもしれない。

 あらぬところを見ながら、ちらちらと魔王を横目にする。


「あの、本当に魔王……様なんですか」


 いつか喰われるとわかっていれば、もはや怖いことなどない。少女は湧き上がる疑問を口にしていた。

 魔王は食事の手を止めると、料理の中に異物を見つけたような顔で鼻を鳴らした。


「一応な」

「じゃあ、なんで魔物達を……」


 先程の戦い――否、虐殺は、冷静になってみれば不可解だった。

 あれほどの力があるなら、魔物達を屈服させて配下にできたはずだ。

 それに、なぜ村人達が皆無事でいるのだろう。

 魔物の王であれば、人間達を皆殺しにするべきなのではないだろうか。


「あいつらをどうにかしないと、ゆっくり飯も食えやしなかったからな」


 問いへの答えは、ひどく乱暴で、しかし簡潔だった。

 それと、と魔王は戸口へと指を差す。

 彼の指につられて頭を巡らせた少女は、その身体を跳び上がらせた。

 いつの間にか、出入り口に一体の骸骨が突っ立っている。


「それに、うるさくてかなわん。ここで死んだ連中が、ずっと叫んでるんだ。現世に残してきた家族を助けろ、仇を討ってくれ、ってな」


 現れた骸骨は、ひどくぎこちない動きで一歩ずつ少女に近づいてきていた。

 壊れかけのからくり人形のようだ。それもそのはずで、本来ならば死霊術の解けたスケルトンは即座に消え去る運命にある。


 恐怖から後退ることすらできない少女に、スケルトンは手を伸ばした。

 その薄い頬に、乾いた感触の骨が触れる。瞳の存在しないがらんどうの眼窩が、少女の目をまっすぐと見つめている。

 まさにその直後、スケルトンは一瞬で砂へと還った。足元から頭頂までが、一気に崩壊したのだ。


 少女は、ぜいぜいと激しい息をつく。あまりの恐怖に呼吸すらしていなかった。

 ふと、消え去った骸骨の戦士の残骸の中に、きらりと光るなにかを見つける。


 少女は跪いて骨の砂を掻き分けて、それを拾い上げた。

 そして、目を瞠る。

 それは少女の記憶にあるものだったからだ。


「これは、お母さんのペンダント? 亡骸と一緒に、葬ったはずなのに……」


 あの黒き魔物が初めて現れた――悪夢が始まった、あの日。

 少女の両親は、魔物に立ち向かって命を落としていた。

 他の村人達が恐怖に打ち震えている中で、彼らだけが勇気ある戦士だった。

 少女が魔物の生贄に捧げられなかったのは、村人達から彼らへの、せめてもの償いだったのだ。


「お前に持っていてもらいたかったんだろ。土に埋められるよりは、な」


 魔王は、ぶっきらぼうに言った。

 暗い深淵の瞳は、ペンダントを胸に抱いて泣き崩れる少女を優しく見守っている。


 魔王が呼んだ獣やスケルトン、木偶ゴーレムは、実のところ最下級の眷属だ。

 あの魔物程度ならば単騎で蹴散らせる強力な死霊を呼ぶこともできた。


 だが魔王が選んだのは、ここで死んだ村人達の、家族を守りたいという意思の方だった。たわむれに蹂躙された獣達の、魔物を食い殺してやりたいという闘志の方だった。

 使役術、死霊術を得意とする者は、強力な存在に頼り切るだけではいけない。

 こうして時々でも、報いなければならないのだ。


「持ちつ持たれつ、ってな」


 そう呟いて魔王は、砂になった骸骨を一瞥する。

 村に蟠っていた死霊の一部は、村を離れて魔王に付き従うことを選択している。

 こうして魔王は、自らの配下を際限なく増やし続けていくのだ。

 《軍勢レギオン》の、名の下に。



 ◇ ◆ ◇ 



 雲間から月光の零れ落ちる真夜中の街道。

 暗闇の中を、二人の人影がのんびりと進行していた。

 村を発った、魔王と少女である。


 少女は、村にいたときよりは落ち着いていた。

 その首元には、母親の形見が下げられている。

 あのスケルトンが母親の霊だったのかは定かでない。それでも魔王に恩を感じているのは確かだった。


 それに、こうして連れ出してくれたのは、魔王の好意だと気づいた。

 あのまま村に残れば、魔王を酒場に入れたことを咎められただろう。

 最悪、着の身着のままで村を放逐されてもおかしくはなかった。


「魔王様。この後、どうするのですか」


 だから少女は、素直に魔王の従者を務めようと思っている。

 そう思えば、話しかけることも怖くはない。


「王都に行きたいな」


 しかし、その答えにはさすがに少女も肝を冷やした。


「ま、まさか、攻め落としに……!?」

「いやいや、そんな馬鹿な。その気があるなら、とっくにやってるさ」


 魔王は戦慄する少女を笑い飛ばした。

 二人の背後には、食料を積んだ台車がある。

 それを引いているのは馬――ただし、全身が白骨だ。


 そして月明かりがあるといっても、深夜の街道など歩けたものではない。

 二人の前方は、炎が照らしているのだ。ただし、それは空中を浮遊する鬼火ウィル・オ・ウィスプだが。


 更には、視覚では捉えられないものの、少女はなにかの気配をずっと感じている。

 周囲の暗闇の中に、なにかが蠢いているのだ。たぶん、なにかおそろしいものが護衛のために。


 それらは、魔王が荷造りの片手間に呼び出した従者達だ。


 《軍勢レギオン》の異名は、前線にいる者ならば誰もが知っている。

 その者が現れる戦場には、数万からなる白銀の軍が突如として出現するという。

 少女の危惧するとおり、魔王がその気になれば国を落とすことなど造作もない。


「俺はな、城に住みたかっただけなんだよ」


 ややあって、魔王は呟く。

 それは、とても情けない嘆きだった。


「大昔、人間の街に忍び込んで、驚いた。あの威容、荘厳さ、繊細さ……城ってやつは、芸術だ。わかるだろ?」

「は、はい」


 むろん、村から出たことがない少女は城など見たことはない。

 だから答える声も頼りなげになったが、浮かれた魔王は気づくこともなかった。


「だから、建てたんだ」

「は、はい?」


 あっけらかんと言う魔王に、少女は今度こそ隠しようもなく動揺した。


「《木偶創造クリエイト・ゴーレム》を応用して、一夜で造ってみた。本場の城より見劣りするがな」

「はぁ……」

「そうしたら、人間どもが城にやってくるだろ? 黙って見てたら、略奪するだろ? それが腹立たしいから追い払ってみれば、あそこには邪悪な魔物が棲むって言い触らされるわけだ。さすがの俺も憤りを隠せなかったね」


 ねたようにまくし立てる魔王。

 でも、領地にいきなり立派な建造物が現れたら、調査しなきゃいけないのは当然なんじゃ……と少女は思う。


「しばらくしたら、今度は魔物が棲みつきやがった。あいつらは別に城を壊さなかったから放って置いたら、俺の城を拠点に戦争を始めたうえ、いつの間にか俺のことを王に仕立て上げる始末だ。いつの間にかクソださい異名で呼ばれるし、あまつさえ、劣勢になったら手伝えときた。ひどい話だろ」

「でも、手伝ったんですよね?」


 異名が広がっているのは、当然ながら、戦場に魔王が現れたことがあるからだ。

 そう思って問えば、先程までの勢いはどこへやら、魔王はそっぽを向いてもごもごと言った。


「頼られたら、悪い気はしないだろ」


 少女はその魔王をじとっと睨みつける。

 いくら本人にその気がなかったとしても、結局のところ、魔物が人間に戦いを仕掛けたのはこの男がきっかけなのだ。

 今もこの大陸では魔物と人間の戦いで大勢の命が散っている。

 その根本的な原因が、こいつの気まぐれだと知ったら、皆どう思うのだろう。


「とにかく、しばらくは城を建てるのはやめだ。その時間を勉強に当てるのさ」

「じゃあ、王都に向かうのは」

「城見学だ。次に建てるときは、人間の城にも劣らない立派なものにするぞ」

「物見遊山ですか……」


 少女は、魔王への畏怖が段々と風化していくのを否応なく自覚する。


「そ、そんな顔するなよ。お前も住まわせてやる。お姫様だぞ? 憧れるだろ」

「はいはい」


 素っ気なく返事しつつも、少女はちょっとだけ高揚する。

 お姫様への憧れは彼女の中にも隠しようもなく存在していた。


「とにかく当面の目的としては、ほとぼりが冷めるまで逃げる。あとは、あの魔物みたいに魔王の名前を利用してる連中を片づけなきゃな。そうしなきゃ、永遠に魔王の名前は残ったままで、おちおち城も建てられない」


 城に住みたいだけなら人間の城を奪えばいいのでは、と少女は思うが、それを真に受けられても困るので口を噤む。

 それに、その提案を魔王が受けることはありえなかった。彼は王になりたいのではなく、城が好きなだけだったのだ。


「では、貴方のことをなんと呼べばいいんですか?」


 なんとなくずっと魔王様と呼び、それがしっくりきているが、彼の目的を考えればやめるべきだ。

 それに街中で魔王様などと口走れば、即座に連行されかねない。


 魔王は、それもそうだ、と顎に手を這わせた。

 少しの間考え込んだかと思うと、ぽんと手を打つ。


「《レギオン》と呼べ。ひとりぼっちの軍勢レギオンだ。洒落がきいてるだろ?」

「結局、気に入ってるんじゃないですか、それ」


 少年のように顔を輝かせる魔王に、少女も思わず笑い出していた。


 いつか、彼の気まぐれで食べられるかもしれない。その恐怖はまだ消えていない。

 だがそれでも、あの生きているのか死んでいるのかわからない村の生活よりは。

 この馬鹿みたいな魔王様の傍らで旅をしている方が、まだ楽しいのではないか。

 そういう期待があるのも、確かだった。



 ◇ ◆ ◇ 



 その後、堪え性のない魔王は大陸を転々としながら、脈絡もなく立派な建物を造っては騒動を起こすことになる。

 魔境の只中、峻険な山の頂、深い森の中心。

 大陸各地に存在する、誰がどうやって造ったのか見当も付かない遺構の数々――世界に遺された最大の謎の一つ、その真相は、そんなものだ。


 大陸が急速に平穏を取り戻していく最中に、様々な場所で巻き起こった奇妙な騒動は、あるときを境にぱったりと止む。

 城をこよなく愛し、とぼけた風体で理不尽な暴力を振るった男の姿は、なんの前兆もなく消えたのだ。


 男が最後に行き着いたのは、湖畔の小さな村で。

 男が最後に建てたのは、一家が暮らすのに手頃な、こぢんまりとした家だった。


 それはどの歴史書にも残らず、知るのはただ彼らのみだ。



ひとりぼっちのレギオン <了>

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ひとりぼっちのレギオン テイル @TailOfSleipnir

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