誰もが救われたい

 朗々と響く読経を脇に、焼香をする。


 玄井早百合は、あの後搬送された病院で死亡が確認された。

 花邑さんと僕は警察に事情を聞かれたけれど、あまりにも多くの目撃者と、彼らが撮影した写真やムービーと言う証拠があった為、警察内では事件自体がうやむやになっていった。

 マスコミは色々な意味で、騒ぎ立てたけれど。


 花邑さんはその騒ぎの最中さなか――亡くなった。


 自殺だと発表されたけれど、石蕗さんが言うには玄井早百合の死亡時と同じ手の痕が、はっきりと首に残っていたらしい。

 花邑蘇芳自身の、手形。

 けれどそれは、本人では決して付けられない角度だった。


 斎場を重い足取りで出る。

 本当は、花邑さんの葬儀に僕が出るなんて、許されるはずがないと思っていた。

 けれど、どうか僕に焼香をしてほしいと――花邑さんが遺書に書き残していたのだそうだ。


 嫌味なほどに晴れ渡る青空がいやに眩しく目に染みるようで、僕は咄嗟に俯く。


 独りで放っておくと危ないと思われているのか、外で待ってくれていたらしい石蕗さんが視界から消えて、アスファルトがキラキラしているのを意味もなく眺めた。

 それすら眩しくて、嫌になる。


 顔を顰めてほんの数秒。

 石蕗さんが近付いてくるよりも早く、小走りな軽い足音が、僕を呼び止めた。


「貴方が、柳井さんですか」


 振り向いた先にいたのは、高校の制服に身を包む一人の女の子だった。

 黒い髪を真後ろの高い位置に纏めた女の子。

 真一文字に引き締めた利発そうな口元とは印象が違い、少し下がった目尻が誰かに似ている――なんて、考える必要もない。

 先程見たばかりの、黒と白に囲まれどこか寂しげに微笑む花邑さんと、目元が良く似ていた。


 妹がいるのだと優しくはにかんだ中学生の花邑さんが、僕の脳裏に焦げ付く。

 本当に泣きたいのは彼女だろうに、情けなくも僕の方が嗚咽を洩らしそうになって、ぐっと唇を噛んだまま頷いた。


「……貴方が……貴方が……っ」


 妹さんは、そう言ったきり、声を詰まらせた。


 なじられても仕方ない。

 僕は花邑さんが酷いいじめに遭っていたことを知っているし、かといって助けもせず、むしろ心の奥底ではそれが続くことを少しだけ、願っていた。

 そして玄井早百合怪死事件の現場で、花邑さんの一番近くにいたのだから。


 俯いてしまった妹さんを、僕は見つめる。

 何と声を掛けて良いか見当がつかない。

 けれど、叫びたい気分だった。

 果たしてそれが謝罪なのか何なのか、僕自身すら分からない。


 どのくらい経ったのか。

 時間という概念が、この世から無くなってしまった気がした。

 いや、本当に計ったならほんの何十秒であったろうけれど、僕には永遠に感じられたから。

 刑の執行を待つ死刑囚のように息を潜め、無表情を心掛けてはいるけれど、心臓は滅茶苦茶に掻き毟られているように痛む。

 全身は言い様のない感情に震えている気がした。


 そうして漸く、妹さんが顔を上げる。


「わたし……私、は……花邑菖蒲あやめです。蘇芳の、妹」

「……はい」

「お姉ちゃん、言ってました。『柳井くんが止めてくれたから、私にとって一番大切なものを、喪わずに済んだ気がする』って」

「ッ……」


 堪らなかった。

 両手で顔を覆って前髪を握り締め、叫ばないようにするのが精一杯で、塩辛い雫は理性に反して頬を濡らした。


 痛い。

 その、優しい信頼が、今はとてつもなく痛い。

 苦しい。


「恩人、だって……お姉ちゃんは、死んじゃったのに!」


 その悲鳴は、更に僕を抉る。


 ああ、そうだ。

 花邑さんは死んでしまった。

 人を呪い殺して、自分に返ってきた。

 僕が中学の頃話を聞いてあげられていたら。

 進学するからと縁を切ってしまわなければ。

 少しでも気にしてあげていれば。

 僕が、僕が――


「やめて!」


 感情のまま叫ぼうとした僕を止めたのは、妹さんだった。

 条件反射的に前髪から手を離した僕が見たのは、先程までの深い悲しみに泣きそうに歪んでいる顔ではなくて、悲しみと――怒りと失望。


「恩人、だって! お姉ちゃんが恩人だって言ったのに……ッ! 自分を責めるなんて許さない! お姉ちゃんは他人が原因で死んじゃうほど、安くない! お姉ちゃんは……ッ……お姉ちゃんは!」


 ぱしん、という音と共に、左の頬に痛みが走った。

 茫然と妹さんを見れば、彼女はそれでも眉間に深く皺を寄せ、必死に涙を堪えて僕を睨み付けている。


 あ、と、間抜けな声が洩れた。


「迷惑だッ! 自分のせいだとか、そんなの! お姉ちゃんの信頼を……否定しないで!」


 悔しい、と。

 妹さんの心が叫んでいる。

 花邑さんが信じた僕がこんな体たらくだからか、それとも、花邑さんが信じたのが僕であったからなのか、分からないけれど。


 妹さんは、ぶったことは謝らない、とそれだけを呟いて、踵を返した。

 止める暇もなく、斎場へと戻っていく。

 揺れるポニーテールを、僕はただ頬を押さえて茫然と見送るしか出来なかった。




「……柳井」

「……石蕗、さん」


 どのくらいそうしていたか、石蕗さんの声で僕は正気に戻った。

 押さえたままだった左の頬は熱を持ち、じわじわとした痛みを伝えている。

 赤くなっているんだろうなぁと、妙に呑気なことを考えた。


「……あの妹も、花邑蘇芳も、玄井早百合も……俺も、お前も。ただのつまんねぇ人間だ。だから、自分は他人と少し違うところがあるっつって何かしてやろうなんて、それこそ虫の良い話でしかねぇよ」


 それは静かな、二十年やそこらしか生きていないような青二才には到底分かり得ない深みがある声だった。

 きっと、石蕗さんだって何度も歯痒い思いをしてきたのだろう。

 その内容が何かは、僕には分からない。

 石蕗さんの口から告げられることはないからだ。

 それでもなにかを、様々抱えていることは知れた。

 それは、石蕗さんが僕を慮って、得意でない言葉を尽くしてくれているから。

 伝えようとしてくれているからなのだと、気付く。


「焼香は、冥福を祈ってするもんだ。花邑蘇芳はお前に、自分の為に祈ってくれるよう頼んだ。だからお前はただ祈ってやれば――最初で最期の願いを、聞いてやれば良い。花邑蘇芳はお前に、それだけを望んだんだから」




 それから毎年、花邑さんの命日に僕は、線香を上げさせて貰っている。

 花邑さんが最期に伝えてくれた信頼を、裏切ることがないように――そう生きているつもりだと報告も兼ねて。

 玄井早百合方には、許されないだろうし、僕の心情としても素直に祈ることが出来ないから線香を上げに行ったことはないけれど。


 あの一連の出来事を、仕方ないで片付けることは出来ない。

 どんな言葉を掛けられても、やはり今でも、何か僕だからこそ出来ることがあったんじゃないか、と、そう考えてしまう。

 終わってしまったものは変えられないと重々承知だけれど、心はそう納得出来るものではないから。


「私は、貴方を信じます。……姉が信じたようには、無理だけれど」


 未だに苦いものを滲ませながら僕を見る妹さんは、来年大学を卒業して、それからは心理カウンセラーとして働くらしい。

 方面を目指し始めたのがあれ以来だったのもあり、急な進路変更で色々と苦労したようだけれど、着実に道を歩んでいる。


「花邑さん……僕は……花邑さんの信頼に足る人間に、なれていますか」


 そっと呟いて、目を閉じる。

 目蓋の裏に浮かんだ花邑さんは、微笑んで風に溶けた。






✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

花蘇芳「裏切り」

 イチイ「慰め」(櫟の別名のひとつに蘇芳があります)

黒百合「呪い」

柳「この胸の悲しみ」

石蕗「困難に傷つけられない」

菖蒲「貴方を信じます」

(花言葉の一例です。出典により様々なものがあります)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰にも救えない 相良あざみ @AZM-sgr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ