魂までは癒せない

左安倍虎

魂までは癒せない

「あなたは見たところ、過去世はプレアデス星人だったことがあるようですね。最近の患者さんではとても珍しいです」

 もう昼近い精神科の診察室で、私は目の前の白衣の女性からおよそこの場にはふさわしくない言葉を聞かされていた。

「プレアデス星人、ですか」

 開口一番に馴染みのない言葉を聞かされた私は、鸚鵡返しにそう問いかけた。

「ええ、あなたは記憶してないと思いますけど、私にはわかります。貴方からは心正しい者の気を感じます。とても透き通った、高い波動が出ていますね」

 彼女は大きな瞳を輝かせながら話す。年の頃は50代くらいだろうが、その表情は現実離れした話の内容とも相まって妙にあどけなくも見える。


「その波動、というのは何なのですか?」

 彼女の話には面食らったが、私はいったん彼女に話を合わせておく。

「すべての物質はその物質に固有の振動数というものを持っているのです。この振動数を波動とも呼びます。人間は自分から出る振動数を自分で変えることができます。貴方の波動はとても高く、振動数が非常に多いですね」

「振動数が多い、とは?」

「人は様々な感情を持ちますが、感情が心地良い状態であるほど振動数が多くなります。中でも一番振動数の多い状態が感謝です。貴方はいつも感謝の気持ちを持って生きているのですね」

 私だって人並に感謝することくらいはあるが、残念ながら彼女が言うほどにいつも感謝しているわけではない。少なくとも精神科の診察室でこんな話を聞かされるような状況には、私としては感謝することはできない。


「いえ、私はそんなに立派な人間ではないですよ」

「あら、ご謙遜を。あなたほど高い波動の持ち主は珍しいですよ」

「いえ、私だって悩み事くらいありますし、感情が乱れることだってあるんです」

「おや、そうなんですか?一体どういうことでお悩みなんでしょう」

 ようやくこの場にふさわしい話題に持ってくることができた。興味津々といった風に私を見つめる両の瞳を前に、私は言葉を続ける。


「仕事柄たくさんの人に会わなければいけないし、これでも結構ストレスが溜まるものなんですよ。中にはあまりこちらの話を聞かず、一方的に言いたいことを言っていく人もいますしね」

 例えば貴方のようにね、という言葉は心の中に留め置いた。


「なるほど、それは高い波動を持っている方にありがちな悩みですね。この地球は俗人の住む世界で争いごとも絶えませんし、あなたのように天界人に近い波動を持っている方ほど周囲と波動が合わなくて苦しむことも多いんですよ」

 彼女の声音はとても穏やかで、日々の仕事に倦んだ私の耳にも心地よく響く。しかし彼女の話す内容はとても私が受け付けるようなものではない。


「周囲の低い波動に合わせられずに引きこもってしまったり、そうならない場合は貴方のようにストレスを抱え込んでしまう場合も多いんです。それが波動精神医学の教えるところなんですよ」

「波動精神医学……」

 私は心の中で深い溜息をついた。彼女の中ではそういう学問が存在することになっているらしい。医学とスピリチュアル的な教えが彼女の中では渾然一体となっているようだ。

「まだこの国ではあまり馴染みがないですけどね。向精神薬を用いた治療では、所詮化学的に気分を落ち着かせることしかできません。それでは一時しのぎに過ぎないんです。私達の本当の仕事は、魂を癒すことにあるんです」

 魂を癒す、とは大きく出たものだ。そんなことが本当に可能であるなら、ぜひ私の俗世の垢に濁った魂も浄化して欲しいものだ。


「魂を癒す、って具体的に何をするんですか?」

「人は輪廻転生を繰り返す中で、多くの傷を負っています。その傷を癒すことが波動精神医学の目的です」

「つまり、トラウマの治療、ということですか?」

「そうですね。具体的には退行催眠の状態に入ってもらって、そこで前世の記憶までさかのぼります。あなたの魂が傷ついた時点まで戻ることができたら、そこであなたの記憶を書き換えます」

「記憶を書き換えるって、そんなことができるんですか?」

「私の誘導に従って、その場で新しい記憶を作るんです。人間の無意識にはイメージと現実の区別がつかないので、私が貴方がうまく肯定的なイメージを浮かべられるように導くということですね」

 私にも催眠の知識がないわけではない。しかし前世の記憶にまで遡るなんて、そんなことが本当に可能なのだろうか。疑問には思うが、それでもとりあえず話を合わせてみる。


「前世……ですか。そういうものが、本当にあるんでしょうか」

「急には信じられないかもしれませんし、無理して信じる必要もありませんけどね。それでも一度退行催眠を受けた方は、皆さん納得しておられますよ」

「こういっては何ですが、そこで見た前世というものが、本当に前世である証拠はあるんでしょうか?例えば歴史映画の中で見たシーンを前世の記憶と勘違いして思い出すことがあるかもしれませんよね」

「そうですね、そう思われるのももっともなことです。でも珍しい例ですが、幼児の段階でも前世の記憶を持っている人もいますし、この場合は映画などの影響とは考えられません。例えばダライ・ラマだって、先代の遺物を見せて前世の記憶を持っているか確認するんですよ」

 彼女は菩薩のような笑みを浮かべつつ言う。私もダライ・ラマが転生するという言い伝えについて知らないわけではない。しかし自分にも前世などというものがあるとはにわかには信じ難いことだ。


「でも、どうして前世にそんなにこだわるんですか?今回の人生でできたトラウマだって、たくさんあると思うんですが」

 彼女が前世にこだわるのにはなにか理由があるかもしれない。ここを突破口にすれば、彼女が奇妙な話を始めた理由に迫ることもできそうだ。

「人は輪廻転生を繰り返す中で、魂の癖のようなものを身につけているんです。なので人は今世のトラウマよりも、過去世からの影響の方がずっと強いんですよ」

「なるほど、そういうものなんですね。では具体的に、魂の癖とはどんな風に出るものなんですか?私にもそういうものが出ているということなんでしょうか」

「そうですね、実は貴方はある人にとても良く似ているんです」

「と、言いますと?」

「静かで清らかなオーラをまとった雰囲気、落ち着いた波動、声に感じる振動数……そのどれもが、不思議に懐かしく感じるんです」

「顔立ちではなく雰囲気が似ている、ということでしょうか」

「この世界の言葉で言うとそんな感じですね。私達は魂の傾向が似ている、と表現していますが」

 彼女の笑みは相変わらず穏やかだが、少しその表情にこわばりが出てきたように私は感じていた。


「私にはわかるんです。貴方の前世が誰だったのか。ええ、きっとそうに違いない」

 彼女の口元がかすかに震えている。私は彼女をなだめるように言う。

「その人は、貴方のとても大切な人だったんですね」

「大切、なんて言葉では言い表せません。真人は私の命そのものだった。だから私にはわかるんです。貴方の中には真人が見える。きっと、あなたは真人の生まれ変わりです」

「そう、ですか……」

 正面切って彼女の言葉を否定すべきか、私は迷った。おそらく私はその真人という人物の生まれ変わりなどではない。そもそも私は転生など信じてはいないのだ。しかし彼女の信じる世界をただ壊してしまえばいいというものでもないだろう。

「きっと間違いはない。さあ、そこのベッドに横になってください。退行催眠を始めますからね」

 彼女は血走った目で私を見つめると、脇のベッドを指さした。私は無言でゆっくりと頭を振る。


「よさないか、真由美!」

 たまりかねたように、彼女の脇に座っていた男性が彼女を咎めた。

「申し訳ありません、先生。妻はいつもこの調子なんです。息子が亡くなってから自分は精神科医だと言い出して、手近な男性を捕まえては息子の生まれ変わりだと……」

 目の前の患者の夫は呻くように話した。

「事情はよくわかりました。息子さんがお亡くなりになったことが精神的にショックだった、ということですね」

「いいえ、人は死んだりはしないわ。今世が終わっただけで、魂は永遠に生き続けるのよ。現に真人はここにいるじゃない。退行催眠にかけてみれば、きっとあの子の声が聞けるわ」

「真由美、お願いだからしっかりしてくれ。真人が逝ったのは五年前なんだぞ。先生の年齢とじゃ計算が合わないじゃないか」

「そんなことは関係ないわ。無意識の世界には時間も空間もないのよ」

 彼女は強情に夫の言葉を突っぱねた。

「いつまでそんなことを言っているつもりなんだ、君は」

「そういう貴方こそ、どうして真人を忘れられるの?あんないい子がいなくなってしまったことを受け入れられるの?」

 沈痛な面持ちで黙り込む夫の隣で、彼女は両手で顔を覆い肩を震わせた。 


「――先生、妻は良くなりますでしょうか」

 隣で嗚咽を漏らす妻の背中をさすりながら、彼女の夫はすがるような視線を私に向けてくる。

「そうですね、現実を受け入れるのに時間はかかるかもしれませんが、じっくり対処していきましょう」

 この現実に受け入れるに値する価値があるかどうか、私にはわからない。

 それでも私の仕事は、魂を癒すことなどではない。あくまで彼女が現実に適応できるよう、手助けをするだけのことだ。

 それは結局、今の彼女を支えている物語を否定することにほかならない。彼女が苦手としているであろう現実と向き合うための手立てを、私はこれから探っていくことになるのだ。

 

 精神科医とは、本当に因果な商売だ。

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