路傍の紅葉
夜間勤務者
第1話
ーースラム街。
この時代には少々似合わない言葉だ。だが目の前の今にも押し潰れそうなくたびれた小屋、目に深い絶望をたたえてうずくまる人々、そして蔓延した暗い空気を見ればそう言うしかない。
そしてそのスラム街の路地を歩く少年が一人。
吊り上がった目に、茶色に近いオレンジ色の髪。つまらないと断言するような不満げな表情。
身につけているものはボロ布の様なものだが、足取りはしっかりとしていて顔色も悪くない。当然だ、手にはスラム街には似合わない小綺麗なパンが握られている。
むしゃっむしゃっと少年は気怠げにパンを食いちぎっていく。そして最後の一口を口に投げ込み、一言感想を口にする。
「硬えな…」
何とも贅沢なセリフである。このスラム街で多くの人が日々の食料に困る中、貴重なパンを硬いと一蹴するのだ。背後から襲われても文句は言えまい。
そんな彼の前に滑り込むように、路地から一人の少女が走り込んで来る。
「見つけましたよおおぉぉハレ様、今日こそは家に帰って、貰いますからね!!」
ハレと呼ばれた少年は苦々しい表情で少女の顔を見る。
濃紺の落ち着いた色合いの着物と薄ベージュ色の草履。毛先までピンと櫛で
大声を出したからか、それとも走ってきたからか、はぁはぁ、と荒い息を吐きだす少女。額には薄っすらと汗が滲んでいる。
そんな少女に対するハレの反応はとても淡白だった。
即ち、無視。
スタスタと少女の横を何事もないように通り過ぎる。当然の如く背後からガシリと肩を掴まれるハレ。ぐぐぐ、と短い間の攻防を制したのは少女だった。ハレは無理くり少女の方に体を向けられる。
少女の方が身長は高いので、ハレがまともに向かい合えば、彼女の顔を見上げる形になる。
まともに向かい合う気がないハレの視線はちょうど首元あたりに向かう。白い首筋は汗で艶々と濡れている。彼女のうなじのあたりで、つうと一滴汗が流れ落ちた。微妙に気恥ずかしくなったハレは少女の顔に目線を向ける。
ぱっちりとした目は爛々と輝き、上下した頬は薄紅色に染まり、何が楽しいのか口元には笑みをたたえている。
そんな同年代の自分の元従者を見てハレはため息をつく。
「おい、ユノ。本当に何度言ったら分かるんだよお前は。俺は秋空家から捨てられた、縁切りされた。つまりもうお前ともあのお貴族様達とももう関係ねえんだ。鬱陶しいからもう追って来んじゃねーよ」
ーー秋空家。
この名前を知らないものはこの世にいない。そう断言されるほどのビッグネーム。それが秋空家だ。
この大陸随一の名家。生まれてくる子はみな冗談の様な才能を持つ天才。この名前を出すだけで万の軍勢が動くと言われる最強の戦力。
ハレは元々はここの家の長男だった。将来を期待され、持て囃され、成功を確信された秋空家の跡取り息子、「秋空」ハレだった。
だが、十六を迎える前、ちょうど三ヶ月前に彼は捨てられた。
理由は簡単、彼には才能が無かったからだ。即ち、「超能力」が彼には備わっていなかった。
人智を超えた力。だが選ばれた者には宿る力。その力に選ばれるかどうかは身分など関係が無い。だが秋空家の血を引くものは必ず「超能力」に選ばれ続けた。それが秋空家の名を広めた。
彼には家族が期待する様な才能が無かった。それどころか超能力すら宿らなかった。つまり凡才。そんな者は秋空家を名乗るのに値しない。無一文で家から蹴飛ばされた彼の食事は、この世の贅を尽くした色取り取りの美食から味気ない硬いパンへと変わった。飲み物は香り高いアールグレイから薄汚れた水へと変わった。彼の家の天井はシミひとつ残さない真っ白なものから、黒い曇天へと変わった。
彼の名からは「秋空」の文字が消えた。
昔の事を思い出したハレの顔は雲がかかったように歪む。くしゃりと弱々しく歪みそうな顔をハレは目の前のユノを追い返すための威嚇の表情に変える。憎い。早く何処かへ行きやがれ。そんな表情に。
「いいえハレ様!秋空家にはハレ様のお力が必要なのですよ!」
ユノは向日葵のような明るい声でハレにそう言う。ユノはかがみこんでハレの手を包み込む。
「ハレ様なら必ずこの乱世の時代を終わらせる英雄になれるはずです!!」
ユノはそう言う。笑顔を浮かべて。
だからハレは嘲笑う。
「いやいや、英雄って…。オレがそんなのになると本気で思ってんのか?」
ユノの言葉を鼻で笑う。
「オレが英雄?冗談じゃない。そんなものになるつもりなんて毛頭無いね。そもそも俺には何っっも才能がねえ。こんな奴にお前はみんなの
「ええ、もちろんです!だってハレ様はユノの命を救って下さったとっっても優しい方なのですから!!」
間髪入れずにユノは答えを返す。全幅の信頼。だがそれは今のハレには要らないものだ。
ハレは言葉を探す。言いかけた言葉を引っ込める。ハレの意識は過去の回想に沈んでいく。
ーー
その日は雨の降る日だった。ざあざあと降る雨から鞄を使って身体を守っていた幼いハレの姿がそこにはあった。
小さなハレは今よりずっと楽しそうな顔をしていた。目も子供らしくこの世の何よりもキラキラと輝いていた。ハレは来ているお洋服を濡らしたらまずい、とトテトテと川沿いの土手を走っていた。ハレの耳に微かな声が届いたのはその時だった。
「……か!誰かたす…て…!」
小さくてか細い声だった。ハレは不思議に思って声の聞こえた気がした方を見る。彼の目に映ったのは茶色く濁った川を一人の少女が流されている光景だった。
ハレはギョッとした。そして直ぐに周りをキョロキョロと見た。だが周りに大人の姿は見えない。ここに居るのはハレ一人。彼女を救えるのもハレしかいないことに、彼は気づく。
ハレは口をぎゅっと噤むと目をカッと見開いた。決断してからは早かった。ハレは躊躇いなく川へ飛び込んだのだ。
この行動は最も愚かな行動だろう。大人の背丈の半分も無い小さな子供が、同じ位の子供を救うために荒れ狂う川へと飛び込む。はっきり言って自殺行為だ。
もちろん幼いハレにもその無謀さは分かっていた。だからこそ彼は一瞬だけ躊躇ったのだ。だが心優しいハレに女の子を見捨てるという選択肢は無かった。
(絶対にあの子を助ける…!!)
無謀な挑戦。しかしそれは成功する事になる。理由は川幅が狭かった事と何より彼の覚悟だろう。もう一瞬でも躊躇えば二人まとめて藻屑となるようなギリギリのタイミング。だからこそ彼は生き残り、彼女を助け出すことが出来たのだ。
女の子は孤児だった。渋る親を説得し、ハレは女の子を家に迎え入れた。彼女は雨の日に因んで「
ーー
幼い頃から籠の中で育てられ、友達どころか同年代の知り合いも少ないハレにとって、ユノは最も親しい人間だったと言っていいだろう。
親に超能力の才能を見限られ、家族や使用人たちがハレの元を離れ、冷たい目を向ける様になってもユノは変わらずハレの側に居てくれていた。
ハレはユノの顔から視線を外す。どうしても彼女との関わりを捨てたかった。何をしてでも、どうやってでも。
だったら、本音を話すことにしよう。
「なあユノ、俺には夢があるんだ」
ハレはこの会話の中で初めて笑顔を見せる。そして聞きたいか?と優しく問いかける。ユノは勢い良く頷く。ハレはゆっくりと微笑む。
「オレは人が苦しむ顔を観たいんだ」
時間が止まった。
静寂がスラムの薄汚れた路地を包む。
ハレは構わず続ける。
「幸せな奴の日常をぶち壊してやりたいんだ。五体満足の四肢を千切りとってグシャグシャにしてやりだんだ。笑顔の表情を大切な人を失った怨嗟と哀しみに爛れた表情に変えたいんだ。」
彼は曇り空を見上げる。
「憎いんだ俺の存在すら認めなかった家族が。憎いんだ俺を省いた他の奴等が。憎いんだ俺を除いて輝いていた世界そのものがッ!!」
ハレは喉が潰れるような大声で世界への怨嗟を叫ぶ。
ユノが俯いた。彼女の表情は見えないが、どんな顔をしているかハレには大体予想できる。だがハレは続ける。
「だからユノ、オレは誰にも必要とされて無いし、誰も必要としてない。世界中に俺の仲間なんてたったの一人も居ない!分かったろ?優しい『秋空』ハレはもういねえんだよッッ!!」
ぽたん、と地面に水滴が落ちた。ユノは涙を流していた。
ハレはユノに背を向け路地を歩き始めた。
さよならだ。
最後に残したその言葉への返答は無い。別れの挨拶は風に流れ、ハレが後ろを振り返ることはない。
ハレの足取りはユノから遠ざかると共に段々と早くなる。ユノの姿が見えなくなった頃、ハレは路地を全速力で走っていた。
ーー
パキパキと音がする。
(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!!)
ボロボロと仮面が剥がれる。
ハレはスラム街の路地を涙を流しながら走っていた。冷酷で残忍な少年はもういなかった。彼の頭の中では涙を流すユノの姿が何度も繰り返し繰り返し流れていた。
(本当にああするしか無かったのかよ、あいつを泣かせるしか無かったのかよ!!)
「クソッ、たれがぁぁ!!」
ドン、と壁を叩く音が路地に響いた。仮面が剥がれ、情けない自分の本性が露呈したことを自覚する。冷酷な性格に変われたらどれほど良かっただろうか。
ハレは荒っぽく涙を拭う。思い出したのはユノとの思い出。
全然上達しない超能力の練習をユノと一緒にした思い出。ユノとケンカして、泣き虫なユノを大泣きさせてしまった思い出。雨の日に雷に怯えて泣き出してしまったユノを慰めてあげた思い出。秋の日に外に出かけて、赤く染まった紅葉をプレゼントした時のユノのあの笑顔……。
ハレは壁に寄りかかる。そして虚ろな目で空を見上げる。
(ユノと一緒にいると思い出してしまう。これ以上ユノと一緒にいると彼女を傷つける。俺にはそういう「
ハレの口から乾いた笑い声が出る。
無一文で捨てられたハレが生きてこられた理由。それは当然、他人から奪ってきたからだ。金も、衣服も、食料も。
ハレは老人や子供、貧しい人達から奪うことはしなかった。出来ないことは無かったが、ハレの心の根っこの部分がそれを拒否した。だからハレは他の人達が手をつけないような危険な人物や裕福な人物から奪った。
だが、奪った事に変わりは無い。向かってくる敵の中には殺した人もいる。憎まれたり、恨まれたりしているだろう。その姿はヒーローからは程遠い。
だからハレはユノを危険に晒さないためにわざと自分から遠ざけた?ーーいや、それは正解では無い。
「結局オレはあのキレーな思い出を失いたく無かっただけなんだよな」
ハレは懺悔する様に呟く。
キラキラと輝くハレの大切な、命よりも大切な宝物。ハレはそれをそのまま残しておきたかっただけなのだ。もう二度と取り戻せないそれをハレは死守したかったのだ。そんな自己中心的な理由でハレはユノを泣かせたのだ。
「本当にクズ野郎だな、俺は…」
何分経っただろうか。ハレはゆっくりと壁から身体を離す。そしてテクテクと歩いていく。
着いたのは空き地の様な場所。路地より少し広いだけのそこは不自然な形になっていた。T字路、というのが一番しっくり来るだろうか。ハレは突き当たりの壁に向かって歩いてゆき、地面に落ちている一番まともに武器になりそうな角材の様なものを拾った。
「そろそろ出て来いよ」
ハレはボソッと、だがはっきりとした声でそう言った。
「へえぇえ、君なかなかやるねぇ」
暗い路地からスッと男が現れる。イカれた雰囲気にショッキングピンクの髪。黒いサングラスに、顔に縦に入ったキズ。明らかに堅気の人間では無い。そして男の後ろから何人もの男達が現れる。
「人が泣いてるところをジッと見てるとか趣味悪いなぁ、お前ら。隙だらけの泣いてる時に来てくれたら大人しく殺されてただろうによ」
「嘘をつきなよぉ、キミ。隙とか、白々しいにも程があるよぉ、ほんと。あんな殺気出してて、さぁ。全くもって、末恐ろしいよ」
ハレはピンク頭と話しながら状況を整理する。ボス格を含めてぴったり10人。ハレにとって倒せない数字ではない。それに非常に遺憾ながらこういう事は珍しくない。このスラム街で暮らすようになって三ヶ月。このような修羅場は何度か潜り抜けてきた。
「オレがどうこうって言うよりあんたらがヘボいだけでしょ。それにたかだか一人のガキを倒すのに大人10人って…。恥ずかしくないの?」
ハレは最後の一言で馬鹿にしたような笑みを浮かべる。ついでに鼻で笑いながら。
「こんの糞ガキがぁぁ!」
「舐めた口聞くんじゃねええぇ!」
「ぶっ殺してやンよ!!」
当然、相手はブチ切れる。額に青筋を立てて大声で罵ってくる相手に、ハレは余裕の態度を崩さない。男たちは血走った目でピンク頭に視線を向け、無言の承認を取ると、ハレに向かって襲いかかる。
「ったくよぉ…。こんな安い挑発に乗るとか、お前ら本当単細胞だよなぁ…!」
哀れな一人目の犠牲者は、怒りに任せて一人勢い良く飛び出して来た男だった。ハレの間合いに入った瞬間、勢い良く顎目掛けてハレの爪先蹴りが飛んでくる。男の放ったパンチはハレの頭上を通り過ぎ、ハレの蹴りはオーバーヘッドキックのような形となって男の意識を刈り取る。ガスン、と確実に一撃入った音を聞いたハレは両手を地面につき後転する。
なっ、と間抜けな声をあげてハレのいた場所を敵の獲物が通り過ぎる。敵の男は後ろから突っ込んできた仲間達に押され、体制を崩す。
そんな隙を誰が見逃すだろうか。ハレは立ち上がって、一歩二歩三歩と軽いステップを踏んで、手に持っていた角材で苛烈な一撃を叩き込む。男の首が折れる。これで二人目。
三人目は向かってきたところを膝で。四、五人目は纏めて地面に転がした。
「なぁ、今俺な、めちゃくちゃ機嫌悪いんだよ。あんまり舐めてっと、明日の朝日を迎えられねーぜ」
全くもって舐めすぎだ。仮にも元秋空家。一通りの武術は人以上に出来るようになっている。「超能力」という才能がないハレは、特に。
正に瞬殺。ハレはゆっくりと残る4人の方を向きーーあの笑みを浮かべる。じり、と敵が無意識に後ろに下がる。挑発に勝ったのは眼前の少年の強さへの驚きか、恐怖か。すでに、どちらが勝つのかは分かりきっていた。
だが次の瞬間起きたことはハレの想定を大きく覆す。残る4人の敵の頭にサクサクと廃材の鉄片や螺子が刺さったのだ。彼らは頭から大量の血を撒き散らしながら絶命する。ばたり、と事切れた彼らは無抵抗に地面に倒れる。
「ふぅむ」
犯人はボス格のピンク頭の中だった。間違いなく超能力。それも恐らく
「さぁて、私が彼らを殺した理由は分かるだろうか?」
ピンク頭がそう問いかけてくる。ハレはその問いに答えない。ふらり、とハレの身体が倒れるようにブレたかと思うと、彼の身体は物凄い勢いで地面を駆ける。
超能力者を相手にする時の鉄則は発動する前に潰すことだ。意表を突かなければ勝ち目はない、つまり、これが最初で最期のチャンスになる。
「ふむふむ、中々のスピードだねぇ」
ピンク頭はサングラスをくいっと上げると無造作に手を横薙ぎに振るった。
横から飛んで来た木の板はガンガンガンッッと鈍い音を立ててハレの身体を吹き飛ばす。そのまま横に吹っ飛んだハレは路地の壁に身体を打ちつける。かはっ、と肺から空気が漏れ、ズルズルと地面に倒れこむ。
「さっきの答えだが、それは君がポンコツどもより使えるからだよ」
そう言ってピンク頭はゆったりとハレの方を向く。ハレは持っている角材を支えにゆっくりと立ち上がる。
(くっそ、こいつめちゃくちゃ冷静じゃねぇか!奇襲が効かねえ、それに壁に打ち付けられた左半身が全く動かねえ。どうする、逃げるか?いや、超能力を使う相手に逃げ切ることが出来るか?そもそも左足が使えないのに?くそっ、どうすれば…)
「まぁ、武器を降ろしたまぇよ」
右手で角材を構えるハレにピンク頭は静かな声音で語りかける。
「キミを敵対視する部下どもは私が殺した。だからキミの処遇は私一人の手に委ねられるという訳だよ。キミなら意味は、わかるよねぇ?」
「……要は仲間の勧誘って訳か?」
「そう言うことだねぇ」
(悪くないかもしれない)
ハレはそう考える。
(少なくともここで首を縦に振ればこの場は乗り切れる。逃げることも留まることもこの場を乗り切ってしまってからでいい)
そうしてハレは決断した。
「一つ質問がある」
「なんだい?」
ハレは一拍置いてから口を開く。
「お前そのセンス0のダッセェファッションセンス、本当にカッコいいと思ってんの?」
「そのピンク頭、似合ってねえよ?」
「喋り方と相まってオネエみたいだぜ?」
「あ、悪い、一つに収まりきらなかったわ、許してくれ」
ハレはははっと嘲笑ってそう言った。やっぱり駄目なのだ。ハレという人間は自分の命よりも他の何かを大切にする人間だったのだ。それに。
ーー一体自分の命などにどれだけの価値があるのだろうか。
だったらそんなものに囚われず最後まで自分の生きたいように生きてやる。華ばなしく散ってやる。心に残った
ピンク頭は額に青筋を浮かべていた。流石のピンク頭もここまで露骨な挑発には何か感じるものがあるようだ。
「そうか。じゃあーー死ねよ」
ズォンと風切り音を上げて幾つもの鉄片がハレ目掛けて飛ぶ。ハレは黙って獲物を構えた。
直後。鉄片が刺さる音と共に鮮血が飛び散った。
ーー
「大丈夫ですか…?ハレさま…」
目の前には見知った顔。一番会いたくなかった人がいた。もう会わない、そう決めた相手がいた。ハレの顔が一瞬で青ざめる。
「ユ…ノ……?」
ユノは口から血を流しながらもニッコリと笑う。まるでそれは子供を安心させる母親のような笑みだった。
「はい、ユノです。ハレさま、ご無事のようで何よりです…。」
ユノの身体が役目を果たしたようにハレの方に傾こうとする。が、それは途中で止まる。ポタッポタッとユノの口から血が流れた。
「ハレさま、ユノは、
ハレ様との練習の成果なんですよ、褒めてください、とユノは掠れた声で呟く。
「お陰で泣き虫な、ハレさまを守れました。良かったです」
まるで知ってましたよ、と言われたようだ。あなたの嘘なんて、バレバレですよ、と笑われたようだ。
ガツン、と頭を殴られたような感情がハレの中に広がる。
ポタッ、ポタッと血が落ちる音がする。
「それと、ハレさま、さっきは酷いこと言ってくれましたね…!」
ユノは一転、表情を少し不満げなものへと変える。
「少なくとも、世界中に誰も味方が居なくても、ユノは、ハレさまの味方ですよ…」
そう言うとユノの身体が支えを失ったようにぐらりと倒れ、ハレの小さな身体に覆い被さる。破れた着物の奥からはユノの白い肌が見える。その白も、流れ出る赤に埋め尽くされた。
「お願いがあり、ます。」
ハレは言葉を発しない。代わりにユノの身体を抱きしめる。カラン、と手に持った角材が地面に落ちる音がした。
「カッコいい、世界で一番カッコいい英雄になって下さい…ね」
ハレは小さく笑う。
どこまでも優しい人だ。俺よりも、ずっと…。
「……ああ、言い忘れてました」
ユノはそう付け加える。
「大好き…でしたよ…」
ーー私の
ユノの身体から完全に力が抜ける。意識を失っただけだろう。死んではいない。今は、だが。
「お話は終わったかい?」
サングラスの男がそう言う。いつの間にかハレの周りは無数の鉄片に囲まれていた。当然だろう、何もしないで待っているなど馬鹿のする事だ。寧ろここまで待ってくれた事に感謝すべきだろう。
「それじゃあ、さようなら」
サングラスの男が手を振り下ろす。鉄片が一斉にハレとユノ目掛けて飛んでいく。
ーー
全身から血を流して死んでいるはずの死体は無かった。鉄片は虚しく地面に突き刺さり、場は静寂に包まれていた。ピンク頭は少し焦りながらも冷静に周りを見渡す。
ハレとユノは路地の建物の屋根の上にいた。鉄の雨を潜り抜けたからか、ハレの全身からは血が流れている。だが、ハレの身体に鉄片は一切刺さっていない。
ハレはゆっくり屋根の上にユノを下ろす。
「ユノ…」
ハレはユノの頬を撫でる。まだ暖かい。息もある。
ハレはキュッと唇を噛み締めたあと、静かに目を見開いた。
「『
ハレがそう言うと共にハレの身体から黒いオーラのようなものが立ち昇る。その漆黒のオーラはその黒を深め、膨張し、一つの生物のような形になる。
『ヒャハハハハハハハハ!ヒッサシブリィィダナア、ハレェェ!!』
「黙れ、死ね、オレの身体から消え去れ」
『ハッハーーテキビシーナァァ!ダガヨォハレェ、オレヲダシタッテコトハァ、ナニカヨウジガアルンダロウ??』
ハレは大きな舌打ちをする。
「『
『オイオイ、イイノカヨハレェ?ソイツ、オマエノオキニイリノコジャネーノカ??』
コレダロ?コレダロ?と指らしきものを立てて借力はハレの周りを回る。
「黙れ、とっとと働け」
『アイヨォ』
すると、ユノの身体がオレンジ色に輝き始める。ユノの身体のキズは逆再生した様に徐々に塞がってゆき、青白かった肌も赤みを帯びていく。
ーー『
ハレの持っている超能力の名前だ。ハレがずっと隠していた自身にかけられた呪い。ハレが自身の能力に気づいたのはユノを助けたあの雨の日の時だった。
もし超能力がなければ、どんなに覚悟を決めようと、小さな子供が荒れ狂う川の流れに逆らって同じ年の子供を助けるなんて不可能なのだから。
この能力の効果は簡単に言えば身体の能力の超強化だ。運動能力も大幅に上がるし、キズだって癒す。だがもちろんタダではない。『
ーーその担保は、記憶。
『
だが、他人に使うときには自身に関する、「ハレという人間」の記憶を担保に差し出さなければならない。
つまり彼は消えて無くなるのだ。自身が助けた人の中から。
今、ハレは死んだのだ。
この世で一番大切な少女を助けたかったから。
例えその少女の世界に自分が居なくとも。
そしてハレ自身に使うときに差し出す担保はーー。
「一つ宣言してやる!!」
ハレは眼下のピンク頭に向けて、いや、何処までも冷たい、残酷な世界に向けて叫ぶ。
「オレは…この世界でいっっっっちばんカッコいい
ぽたり、と地面に水滴が落ちる。血ではない。雨でもない。だがそれは彼の心から絞り出された魂だ。
そしてハレは眼の前の倒すべき敵を指差す。
「それと!!ユノを傷つけた奴は!!オレが一人残らず吹っ飛ばすから首洗って待っとけ!!!」
ハレは思い切り息を吸って叫ぶ。
「『
『ナンダァ?』
「好きなのをくれてやる、だから……あいつを倒せる力を寄越せ!!!」
『スキナノ…?ツカウノカ?ハレガシャクリキヲ??
ヤッタァァァァァァァ!!ヒサシブリノメシダァァァァァ!!』
ブォン、とハレの周りにキラキラとした映像が浮かぶ。そこに写っているのは笑顔、笑顔、笑顔。そう、自身に『
『
『ヤッパリィ、ソコノユノッテヤツノキオクガァァ、イッッッチバンウマソウダナァァァァ!!』
『
その映像がパリン、と割れた。
ハレの全身をオレンジ色の光が覆う。その色は曇天を焦がすほど輝きを増し、彼の身体に収束される。ハレは思い切り息を吸って、屋根を蹴る。弾丸のように飛んでいったハレはピンク頭に向かって一直線に飛んで行く。
「は、甘ぃんだよぉ!何にも用意してないと思ったのかぁぁ!?」
ピンク頭の奥の手、【鉄の弾丸】。大砲の如く打ち出された無数の鉄パイプは先端を赤く焦がしながら標的に向かって飛んでいく。何十センチもある鉄板だろうと撃ち抜くほどの凶悪な威力。例え十回ハレの身体を突き破ってもまだお釣りがくるほどの威力。そのパイプが何本もハレに向かって殺到する。
だが、甘いのはハレではなかった。甘いのは自分自身だと彼は気づいていなかった。
ハレの身体が文字通りブレた。さっきの奇襲とは段違いのスピードで。
薙ぎ払い、切り返し、掴み上げ、振り落とし、突き穿ち、蹴り上げ、すり抜け、掻い潜り、瞬かせ、掻い潜り、斬り落とし、斬り上げ、斬り刻む。
ギィン、ギィン、ギィン!と鉄と鉄とがぶつかり合う音が何度も何度も鳴り響く。渾身の攻撃は宙を舞うハレに全部吹き飛ばされ、斬り飛ばされ、無力化された。ある鉄パイプは真っ二つに折れ、ある鉄パイプは側面にクレーターのような窪みを作り、ある鉄パイプは吹き飛ばされて地面に深々と刺さった。ハレのスピードはまだ落ちない。
「ち、ち、畜生がぁぁぁぁ!!!」
ピンク頭は最後の力を振り絞って巨大な岩塊をハレに向かって投げ飛ばす。目眩し。ピンク頭はハレに背を向けて攻撃から逃れようとする。だが高速で飛んでくる岩塊をハレは、宙を蹴るようにするりとかわし、踏み台にする。
二段ロケットのようにハレの身体は速度を増し、標的に鉄槌を下す。
「消え、去れえええええええええ!!!!!」
ドッバァァァァァンッッッッ!!!
轟音とともに地面が揺れた。
ピンク頭は、その自慢の頭を文字通り地面にめり込ませることになった。ハレの着地点には大きなクレーターができ、その威力の高さを無言で物語っている。
「だから言ったろ。首洗って待っとけって、な」
ハレはそう一言呟くと何事も無かったかの様に路地の向こうへ歩き出す。ユノが目覚めるのはもう少し、ハレがこの街を出た後だった。
ーー
街を出るハレの足は無意識に一本の樹の下に向かっていた。
何故ここに来たのか分からない。『
はらり、と一枚の紅葉が地面に落ちた。ハレはそれを丁寧に拾う。
暗い色が混じった美しい紅色。いつの間にか季節は秋になっていたようだ。ハレはそれを大事にポケットに入れた。
ハレは歩き出す。英雄になるために。彼女との約束を守るために。ハレの頭上には綺麗な秋晴れの空が広がっていた。
路傍の紅葉 夜間勤務者 @JB0921
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