深夜、神社の境内に隣接している、とある住居。

 少女は目を覚ました。


「……あれ?」


 ベッドの上、身体を起こして、枕元のライトを点ける。

 暗い部屋に黄色い光が広がり、いかにも真面目な女子高生らしい部屋が浮かびあがった。

 少女は自分の部屋をぐるりと見回した後、掛布団を捲りあげて、中を確認する。

 一緒に寝ていたはずの、妹がいない。

 不安な気持ちになるも、直後、がちゃっと部屋のドアが開き、小さな人影が入ってきたのを見て、ほっと安堵する。

 今年で五歳になる、本当に可愛らしい自慢の妹。

 両手でドアをきちんと閉めた後、ととと、と、近づいてきて、ぽん、とベッドに飛び乗り、すすっと寄り添うように隣に納まった。

 パジャマは揃いの薄いオレンジ色。

「……おトイレ?」

 そう訊くと、なぜか困ったように首を傾げた後、しばらくして、こくんと小さく頷いた。

「そ、やっと一人で行けるようになったのね。うん、えらいえらい」

 言いながら、優しく頭を撫でた。

 子供ならではというのか、つやつやでサラサラの髪が気持ち良い。

 しかしながら当の妹は、褒めてあげたのに反応がない。

 いつもなら、きゃっきゃと素直に喜ぶのだけど……

 眉をひそめて不機嫌っぽいというか……何かに怯えているようにも見える。

「どうしたの? ひとりでおトイレに行って、怖かった?」

 頭を撫でながら尋ねるも返事はなく、その代わりに。


「――おねえちゃんは、どんな夢が見たい?」


 そんな問いかけが返ってきた。

「え、夢……? って、あれ?」

 妹の言葉に戸惑い、少女は目をぱちくりさせる。

「あなた、昨日、哲也さんと私の話、こっそり聞いてたの?」

 そう訊くも。

「え?」

 ぽかんとした表情を見せる。

「あれ、違うの? じゃあどうしてそんなことを?」

「なんとなく」

「ふむ?」

 偶然の一致とでも言うのだろうか。

 もしかして、この子、トイレに行く前に何か夢を見たのかも。

 何だか怯えている様子なのは、怖い夢でも……って、あ。

 慌ててベッドの上を確認する。

 ……濡れてないし、妹がこっそり着替えた様子もない。 

 とりあえず、ほっと胸をなでおろしながら。

「見たい夢、ねえ……」

 答えを考えてみる。

 自分の思い通りの夢が見られる――なんて話を、昨日、哲也さんから聞いたときは、正直、少しうらやましいとは思った。

 けれどそれは、哲也さんのように現実のストレスを発散するためとか、そういった深刻な話ではなく、映画のように幻想的で楽しい夢を見られたら面白いだろうなあ、と、その程度のこと。ま、そういう意味でいうなら……

「そうねえ。空を自由に飛びたいな~、とか?」

 わざわざ歌いながら答えるも。

「ふうん」

 と、興味なさげに切って捨てられた。

 うーん、いつもなら絶対喜んで一緒に歌い始めるのに、どうにもノリが悪い。

 まあ深夜だし、そんなものかな、と。

「じゃあ、あなたはどんな夢が見たいの?」

 それこそなんとなく訊いてみると。


「おねえちゃんみたいに、なりたい」


 即答された。

「……むう」

 ええと、これは……姉としての私を評価してくれているということなのかな……

 なんだか照れくさい。

「って、あれ……? それは夢といっても、夢違いというか……」

 少し遅れて気づく。

「将来の夢の話であって、寝ているときに見る夢のことじゃないわよね?」

 ふたつの夢。よく考えれば、まったく異なる意味なのだけど、どちらも英語でドリームという、同じ単語で表される。

 偶然にしては面白いなあ、と、思ったことがあったのだけど、ネットで少し調べてみたところ、元々は夢という言葉に「叶えたいもの」という意味はなく、明治時代、英語が入ってきたときに、ドリームに対応する訳語として意味づけがなされたらしい。

 そんなものかと、少し残念な気持ちになったりもしたけれど、さておき。

「どっちでも、おなじだもん……」

 ぼそっと小声で、目を伏せながら、妹は言う。

「おねえちゃんは、きれいで、しっかりしてて、優しくて……おねえちゃんと話をした人は、みんな笑顔になって……」

「……えっと」

「わたしは、ちんちくりんで、調子にのるし、変なことをしたりして、みんなを怒らせてるし……なりたくても、なれないから、それなら……でも……」

 最後は言葉を濁し、そのままうつむいてしまう。

 やっぱり様子がおかしい。

 なんだろう、日中に、こんな風に落ち込んでしまうような出来事があったとは聞いてないし……本当に変な夢でも見てしまったのだろうか……

 少女は困惑するも、少し考えてから、ふうと息を吐く。

 そして、その小さな身体を抱き寄せた。

「なれない、ってことはないでしょう? まだ小さいのに何を言っているの。それこそ私の妹なんだから、もっと自信を持ちなさいな」

 本当に自分が、妹の評価通りの人間だとは思わないけれど、それは置いておく。

「……でも」

 不安そうに眉尻を下げながら、じっと顔を見上げる妹。

「それに、あなたは――あなたなの。私になっても仕方ないでしょ?」

 言いながら、そっと髪を優しく撫でた。

「あなたは優しくて良い子。まあ時々、調子に乗ったりはするけれど……まだ子供なんだから、そんなことは気にしなくて良いの。それに、もしあなたが本当に間違ったことをしたら」

 じっと、そのつぶらな目を見つめながら。

「私が正してあげるから。だから自信を持って、自分なりに頑張りなさい、ね」

 そう言って微笑むと、しばらく間が空いたあとに。

 ニコッと、笑顔を見せた。

 思わず自分の頬も緩むも、よく見れば、妹の目元は涙でうるんでいる。

「……えっと」

 何があったの、と。そう訊くのは気が引けた。

 普段はおしゃべりな妹が言わないということは、よっぽど言いたくないことなのだろうし、もしかしたら哲也さんと同じように、それこそ自分が見た夢の話だから、大っぴらには言いにくいのかも知れない。

 ああ、さては……私に怒られた夢でもみたのかな、と。

 そう納得して、優しく涙を拭ってあげてから、柔らかい頬を両手で触れた。

「さて、もう寝ましょう。きっと朝になったら嫌なことも忘れてるわよ」

「はあい」

 素直に返事をすると、こてんと横たわり、すーすーと寝息を立て始めた。

 その寝入りの良さに呆れるやら、可愛いやら。

 しかしまあ。

「みんな笑顔になって、かあ……」

 妹の言った「みんな」とは、神社にやってきて、私が相談に乗ってあげた人たちのことだろう。私がそんなお悩み相談みたいなことをしていることを、妹は尊敬しているというか、羨ましいと思っていそうな節がある。

 けど、この子から見れば、みんな笑顔で帰っているように見えるかも知れないけど、そもそも大人の苦労なんてわかるはずもない気楽な女子高生が、好き勝手なことを言っているだけなのは確かなわけで。

 何を偉そうに、と、思われている可能性は否めない。

 実際、哲也さんもそんな感じだったし、少し言い過ぎたと反省するところではあるのだけど、また来てもいいかな、と、そう言ってくれたことを信じたいと思う。

 それに哲也さんの場合、話してくれたこと以外にも、何か深い悩みを抱えていそうな感じもしたし……

 もしまた来てくれたら、元気が出る方法を一緒に考えてみようかな。

 ああそうだ、妹と一緒に遊んでみるというのはどうだろう。

 お仕事が大変みたいだし、たまには子供のように身体を動かして遊んでみたら、ストレスの発散になるかも知れないな、と。

 そんなことを考えていると、妹の穏やかな寝息に誘われるように、心地のよい眠気が襲ってくる。

 ふわあ、と、大きくあくびをしてから、枕元のライトを消して布団に潜る。

 そして、隣で眠る、その小さな身体をきゅっと抱き寄せると。

 

「おやすみ、ヤマ」


 妹の名を呼んで、少女は幸せな眠りに落ちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明晰夢と少女 こばとさん @kobato704

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ