最終話 白い月

 その年の暮れ、狗奴国くなこくで開かれた朝廷が邪馬台の地にうつされることになった。

 それに先立ち、式典に参列するため各地から集まった招待客で邪馬台の町はここ数日にぎわっていた。

 月読が各地に送った呉の職人達の刺繍や織物、染色などの技術により、王達が身に着けている衣装には、色鮮やかで手が込んだものが増えた。

 邪馬台の民は道行くそんなきらびやかな参列者達を、羨望のまなざしで見送った。

 とりわけ、新たに連合国に加わった筑紫島つくしのしま伊予之二名島いよのふたなのしま海人族あまぞく特有の大胆な意匠は、人々の目に新鮮に映ったようだった。




 式の当日、始まりを知らせる銅鑼どらの音が町中に響き渡った。

 宮殿の足元の広場には連合国の王が並び、その後方に各地から集められた役人の列が続いた。

 そして、そんな関係者の人波を取り囲むように、みかどの姿を一目見ようと集まった市民が、伸ばした首を左右に振る様があちこちで見えた。

 そんな民衆の服装も以前とは異なり、大陸の影響を受けた華やかなものが目立っていた。

 ひと際大きな銅鑼の音が鳴り響き、人々が宮殿の回廊を見上げると、黄金の冠をかぶった月読つくよみが現れた。

 彼は欄干に手をかけて胸を張ると、息を呑む王や役人達の顔をゆっくりと見渡した。


「本日よりこの地を倭国の都と定め、国の名もやまとと改める」


 月読の言葉に、人々は歓喜の声を上げた。

 邪馬台国の民にとって、三年前彼が遷都を約束した日から待ち望んでいた日だった。

 また、月読はこの機に倭国の都がここであると内外に知らしめるため、この地を倭と呼ぶことにした。

 このことも都人としての誇りを刺激し、人々の心を高ぶらせたのだった。

 歓声の中、月読は背後を振り返り、何者かに手招きをした。

 そして再び正面に向き直った彼は、両掌を正面に向け、人々に静まれと仕草で命じた。

 役人達も後方の民衆を制し、間もなく広場は静けさを取り戻した。

 周りが静かになったことを確認すると、月読は納得したように何度かうなずいて見せた。


「呉より取り戻した狗奴国の王には、前審神者まえのさにわ男鹿おがを任命する。魏の皇帝もその証しである銀印を、この者に授けられた」


 月読は静かにそう語り、後方から進み出て来た背の高い青年の顔を見上げた。

 あまりに意外な人選と別人のように変貌した男鹿の姿に、人々の間にどよめきが起こった。

 そんな人々の反応を気に留めることなく、月読は再び後方を振り返り手招きをした。

 すると薄紅色の領巾ひれを風になびかせて壹与いよが現れ、男鹿の隣に静かに並んだ。


「そして前女王壹与は、狗奴国王の妃となる。皆、この二人を祝福してやってくれ」


 月読の呼びかけに、人々はすぐには事態が把握できない様子で、広場は再び静まり返った。

 だがしばらく続いた沈黙を破り、何者かが拍手を送り始めた。

 それに呼応するように、少しずつ人々の手を叩く音が重なり、やがてそれは大きなうねりとなっていった。

 予想外の展開に一瞬戸惑ったものの、男鹿の審神者としての働きと、その戦略によって倭国を勝利に導いたことを知る人々は、彼が王位に就くことを歓迎したのだ。

 その上、魏の皇帝の承認があるとなれば、誰も異論を唱える者はなかった。

 しかも壹与が新王の妃となれば、狗奴国王族と帝は血縁関係となる。

 これにより、彼らの中でこれまで遠い存在であった筑紫島が、一気に身近に感じられるようにもなったのだ。


「おめでとうございます。狗奴国王」


「おめでとうございます。壹与様」


 拍手と共に、若き王と王妃を祝福する人々の声が、繰り返し広場に響き渡った。

 壹与が高揚した表情で男鹿を見上げると、彼の顔は珍しくこわばっていた。

 魏の皇帝から銀印を授かったとはいえ、自分のような出生の者が王位に就くことを、人々が本当に受け入れてくれるのか、彼はずっと不安を抱えていたのだ。

 人々に認められた現実をにわかには信じられない様子の男鹿の手をそっと握り、壹与は優しく微笑んで見せた。

 その顔を見て男鹿もようやく安堵の表情を浮かべ、自分達を祝福する群集に向き直ると大きく手を振った。

 するとそれに反応して、人々の歓声は一段と大きくなった。

 そんな二人の様子を、月読は満足気な笑みを浮かべて見守っていた。





 その夜、遷都を祝う宴が宮殿の広間で催された。

 各国の王達と祝いの酒を酌み交わしていた男鹿は、しばし酔いを醒まそうと回廊に出た。

 冷たい冬の夜風が、馴れない酒で熱を帯びた頬に心地よかった。

 夜の町を見下ろすと、処々で赤い炎が昇っているのが見え、そこかしこから微かに笛や太鼓の音色と共に楽し気な歌声が聞こえた。

 おそらく民達が自主的に広場で火を焚き、宴を開いて踊っているのだろう。


 審神者に就任した少年の日から様々な想いを抱えながら見下ろしたこの景色も、間もなく見納めかと思えば感慨深かった。

 彼は欄干に肘を乗せ、遠い日に思いを馳せて大きくため息をついた。

 そんな男鹿の背後から、ゆっくりと近付く影があった。


「まさか、本当に王にまで昇り詰めるとはな」


「……」


 振り返るとたけるがいた。

 久し振りに会った彼は、以前にも増して精悍で男らしく見えた。

 彫りの深い顔立ちと浅黒い肌に、黒地に深紅の文様が大胆に描かれた長衣がよく映えていた。

 言葉を選んでいる様子の男鹿の隣に並び、建は苦笑いを浮かべた。


「今日は、私をどう扱うつもりだ?」


 以前身分を失った男鹿が、王となった自分に対して言葉遣いを改めたことを思い出し、彼は探るような視線を向けてそう問いかけた。

 一度へりくだった物言いを、立場が変わったからといってすぐに戻せるほど男鹿は器用ではなかった。

 戸惑いを見せる男鹿を見て、建は真剣な表情で彼に向き合い、深く頭を下げた。


「失礼。熊襲くまそは狗奴国配下の国。言葉を改めねばならぬのは私の方でした」


「よしてくれ」


 男鹿は思わず眉を寄せて建の方へ向き直った。

 すると建はたまりかねたように吹き出した。


「な、お互い以前のように、お前でいいではないか」


 笑いながらそう言う建につられて男鹿も苦笑した。


「魏の皇帝に、お前からも推薦状を送ってくれたのだろう。感謝している」


 建も魏の皇帝に推薦状を送ってくれたことを知る男鹿は、感謝の言葉を口にした。


「はん。私は壹与様あのかたに幸せになって欲しかっただけだ」


 少し顔を赤らめて、建は目を逸らした。


「結局心だけでなく、あの方の全てを持っていかれたな」


 欄干に背をもたれかけさせた建は、空を見上げて小さく舌打ちした。

 男鹿は申し訳なさそうな表情を浮かべ、建の横顔から視線を床へ移した。


「……すまぬ」


「よせよ。お前に謝られると一層惨めになる」


 半分本気で怒ったような表情で、建は男鹿を睨みつけた。


「もう、泣かせるなよ」


 睨んだままそう言う建に、男鹿も真剣なまなざしを向けて大きくうなずいた。

 それを見届けた建は、一気に表情を緩めて頭の後ろで腕を組み、再び星空を見上げた。


「ああ、熊襲に帰ったら、私も妃を探そう」


 そう言って、建は目線だけを男鹿に向けた。


「熊襲の女は、目鼻立ちがはっきりとした美人が多いんだ。絶対いい女を手に入れてやる。見てろ」


 おどけたように言う建に、男鹿は笑顔を見せた。

 その顔を見て建も笑った。


「まあ、これからは隣国同士、協力していこうや」


 突然差し出された建の手に、男鹿は一瞬戸惑いの表情を見せたが、やがてそれを力強く握りしめた。


「筑紫島では私は新参者だ。色々力を貸して欲しい」


 そう言う男鹿の顔を見て、建もその手を強く握り返した。


「やはりあの時、お前を殺さなくてよかった。あの方を幸せにできるのは、お前しかいないのだからな」






 筑紫島へ向けて旅立つ前日、男鹿は月読に謁見の間へ呼び出された。

 月読の傍らには盃を手にした覇夜斗はやともいた。

 帝に向かい合って腰を下ろした男鹿は、両手をついてひれ伏した。


「明日、狗奴国へ発つか」


「はい」


 頭を上げた男鹿は小さく答え、笑みを浮かべた。

 そんな彼の手に侍女から盃が渡され、なみなみと酒が注がれた。


「にぎやかな旅になりそうだな」


 盃を軽く持ち上げて月読は少し羨ましそうにそう言い、酒を喉に流し込んだ。

 帝に続いて男鹿も両手で盃を掲げ、それを口に運んだ。

 今回の旅は、それぞれ国へ帰る覇夜斗と建も途中まで同行することになっていたのだ。


「旅の間、こやつから魏で学んできた兵法を聞くのが楽しみだ」


 愉快そうにそう言う覇夜斗に応えるように、男鹿も笑顔でうなずいて見せた。

 そんな二人を見つめ、穏やかな笑みを浮かべていた月読の表情が不意に固まった。


「昨日、魏からの使者がやって来た。……魏の皇帝が朝廷から追放されたらしい」


 男鹿は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにうつむき、ため息をついた。


「……そうですか」


 まるでそうなることがわかっていたかのような男鹿の様子に、月読は小さく首を傾げた。


「皇帝とは、かなり親しくさせていただいたらしいな。どのような方だった?」


 月読に尋ねられると、男鹿は盃を膳に置いて顔を上げた。


「年は私とさほど変わりませぬが、とても聡明な方でした」


「魏では、そのような方であっても、王座を追われるのだな」


 覇夜斗は皮肉気にそう言って、酒を口に含ませた。

 彼は渡来人からの噂で、魏の皇帝はまつりごとを後見人に任せて色欲にふける無能者と伝え聞いていたのだ。

 実際、今回皇位を失ったのもそれが原因であると、魏の使者から聞いていた。

 しかしそんな覇夜斗の認識を否定するように、男鹿は少し厳しい視線を彼に向けた。


「むしろだからこそ、陛下は主導権を司馬家に譲られたのです」


 珍しく感情的な男鹿の様子に、覇夜斗は思わず息を呑んで黙り込んだ。


「敵国から自国の民を守るため、より能力の高い者に」


 悔しさを滲ませながら話す男鹿の様子を見て、月読は彼が魏の皇帝と想像以上に深く交流していたのであろうと思った。


「そしてご自分が皇帝である内にと、私に銀印を授けて帰国させてくださったのです」


「国を守るため、あえて身をひかれたということか。なかなか真似のできることではないな」


 月読はあごに手を当てて、噛み締めるようにつぶやいた。


「私にもいずれ、そのような判断に迫られる日が来るかもしれぬな」


 月読は苦笑しながら、再び盃を口に運んだ。


「いえ。あなた様の子孫は万世に渡って君主であるべきです」


 身を乗り出して強い口調でそう言う男鹿に、月読は少し驚き、盃を握る手を膝に置いた。


「倭国は神の国。神の血をひく王家が君主であるからこそ、この国は安泰でいられるのです。力のある者が上に立つようになれば、その衰退のたびに争いごとが絶えませぬ」


 魏で目にした光景を思い起こしたのか、男鹿は一瞬表情を曇らせた。


「国とは壊すより続けることがいかに難しいか、大陸へ渡ってよくわかりました。だからこそ、そこに価値が生まれるのです。その価値を高めれば、この国はいかなる大国とも対等に肩を並べることができるはずです」


 力強く語る男鹿の言葉に、月読は迷いの中始まった国造りに、ひとつの指標を見い出せた気がしていた。


「歴史を重ねることで、うやまわれる国になれということか。それなら国の大きさに関係なく目指せそうだな。その象徴として私の一族が存在するというのなら、喜んでその役目を担おう」


 覚悟を決めたように月読はそう言い、膝の上の拳を握りしめた。


「神の血統という一筋の糸をつむぎつつ、柔軟に新しい技術を取り入れ発展していく。確かにこの国らしいあり方かもしれぬな。これからどのような国に変化していくのか楽しみだ」


 あごをさすりながら、覇夜斗がにやりと笑った。


「そのために私は出雲で、お前は筑紫島で砦となって、外敵からこの国を守るのがこれからの使命だ」


 そう言って、覇夜斗は男鹿に盃を手にするよう促した。

 次に彼は目線を月読に移し、あごで合図を送った。

 それに気付いた月読も盃を持ち上げた。


「まだまだ倭国統一への道のりは遠い。これからも私に力を貸してくれ。義兄弟達よ」


 そう言って月読が盃を高く掲げると、三人の男は微笑み合い、強い酒を喉に流し込んだ。






 翌日、宮殿の門付近では西へ旅立つ一行が、倭に残る人々と別れを惜しんでいた。


「男鹿様、お元気で……」


 目をこすりながら何度もそう言う野猪のいの肩に手を置き、男鹿は力を込めた。


「卑弥呼様の墓をたのむ。呉の技術者もいるし、牛利ぎゅうりは土木の知識にも明るい。迷った時は遠慮せずに知恵を借りればいい」


 墓の着工当初から男鹿の仕事ぶりを間近で見てきた野猪は、今後も引き続き築造の指揮をとるため倭に残ることになったのだ。

 男鹿が魏に渡っている間は、彼の代理として工事を進めることができた。

 しかし今後は自分一人でこの事業を完結させねばならないのだと思うと、野猪は不安と心細さを感じていた。


「お前には自分が思っている以上に能力がある。日向ひゅうがの海で、あれほどの船団を率いた経験もあるだろう。自信を持て」


 思わず野猪は目を見開いて憧れの人の顔を見上げた。

 男鹿の口ぶりから、狗奴国との決戦前夜、彼は自信を持てない自分のために、あえてあのような重大な任務を与えたのかもしれないと思ったのだ。

 事実、あれ以降何事に対しても、以前より少し心に余裕が生まれたような気がしていた。

 そう思った瞬間、男鹿へ対する感謝の思いと涙が彼の中から止めどなくあふれだした。


「野猪、今までありがとう。これからは牛利と共に帝をお支えしてね」


 顔をくしゃくしゃにしながら男鹿に頭を下げる野猪に、壹与が優しく語りかけた。

 野猪は袖口で雑に涙を拭き、赤い目を壹与に向けて微笑んだ。


「壹与様もお幸せに……」


「壹与様!」


 突然、野猪の言葉をかき消すように、幼い少女の声が響いた。


月世つくよ


 笑みを浮かべて壹与が振り返ると、月世が転がるように走り寄り、彼女の足元に抱きついて来た。

 そんな娘の後から、月読と皇子を抱いた言葉ことのはが微笑みながら近付いて来た。


「壹与様、私ね、昨日夢であの子に会ったの!」


 壹与の足に抱きついたまま彼女の顔を見上げた月世は、興奮気味にそう言って目を輝かせた。


「妙なことを言うだろ。朝からずっとこうなんだ」


 月読は月世を抱き上げながら、壹与に苦笑いをして見せた。


「あの子って、誰?」


 無邪気な幼女の夢の話に耳を傾けようと、壹与はくすくす笑いながら優しく問いかけた。


「ナギっていう男の子。もうすぐ会えるよって言ってた」


 月世が口にした名に壹与と男鹿、そして野猪の表情が固まった。


なぎ……。本当にそう名乗ったの?」


「うん。すっごく可愛い子だったよ」


 戸惑いながら尋ねる壹与に、月世は満面の笑みを浮かべて見せた。

 それはかつて、少年兵を装って旅する壹与に、男鹿が付けた仮の名だった。

 だがそのようなことを知るはずのない月世が、その名を口にしたことに彼らは驚きを隠せなかった。


「……その名に覚えがあるのかい?」


 ただならぬ彼らの様子に、月読も何かを察したようだった。


「……もしかして、お二人の将来のお子では……」


 躊躇ためらいがちに口にした野猪の言葉に、壹与と男鹿は顔を見合わせて頬を赤らめた。


「ほう! もう跡継ぎができたのか!」


 いつの間にか彼らの話を耳にしていた覇夜斗が、背後から男鹿の肩に腕を回して来た。

 覇夜斗の後ろでは、牛利と建が複雑そうな表情を浮かべて立っていた。


「いえ……そういうわけでは……」


 火を噴くほどに顔を赤くして逃れようとする男鹿を、覇夜斗は何度も小突いてからかった。


「気をつけろ。子ができると女は急に強くなるぞ」


 男鹿を引き寄せてしみじみと語る覇夜斗の隣で、牛利も同調するように何度も深くうなずいた。


「当然だ。母になるのだからな」 


 牛利の背後から現れたたちばなが、大きな腹を撫でながら睨みをきかせてそう言うと、男達は気まずそうな顔をして一斉に黙り込んだ。

 そんな様子を半ばあきれた表情で見ていた壹与は、月読の腕に抱かれた月世に向き直ると、小さな手を取り優しく語りかけた。


「月世、今度その子が夢に現れたら伝えてくれる? 私と男鹿も、会える日を楽しみにしてるって」


「うん!」


 月世は得意げに大きくうなずいた。

 その顔を見て壹与は穏やかな微笑みを浮かべた。

 だがそんな彼女の表情が、次の瞬間曇った。


「卑弥呼様の霊力は、この子に受け継がれているのかもしれないわね」


 霊力を持つが故に、運命に翻弄された自身や母卑弥呼の人生を思い起こし、壹与は不安そうにそうつぶやいた。


「大丈夫。神託に頼る時代は終わった。この子を政の犠牲にはさせないよ。我々は自分達の足で歩み始めたんだ。この子の神の子としての力は、この国の安泰を祈るために使わせてもらうよ」


 壹与の心中を悟り、月読は力強くそう語った。

 その言葉を聞いて壹与は胸を撫で下ろし、ほっと息をついた。


「そうね。もう新しい時代が始まったのよね」




 ふと、何かに向かって手を振る月世に気が付き、壹与は背後を振り返った。

 そこには彼女が少女時代、巫女として殆どの時間を過ごした神殿が静かに佇んでいた。

 その地上から続く長い階段の最上段を見上げ、壹与は小さく叫び声を上げた。

 そこに白い巫女の装束をまとった女の姿が見えたのだ。


卑弥呼様おかあさま……?」


 壹与のつぶやきを聞いて、月読も神殿を見上げた。


「姉上……」


 彼の目にも、今は亡き姉の姿が映っていた。

 白い光に包まれた卑弥呼は、彼らに優しく微笑みかけていた。

 それは、生前彼女が見せたことがない穏やかな表情だった。


「きっと、お前を祝福しておられるのだよ」


 月読の言葉に壹与は涙をこぼし、小さくうなずいた。


「遠く離れても、どうか見守っていてください」


 そう言って壹与は、母の幻影に深く頭を下げた。


 彼女から少し離れた場所で覇夜斗達と談笑していた男鹿は、ふと何かに導かれるように振り返り、神殿を見上げた。

 その目に卑弥呼の姿は映らなかったが、何か尊いものがそこにあるような感覚を覚え、彼も無意識の内に頭を下げていた。

 卑弥呼を包む光は徐々に輝きを増してゆき、その体はいつしか太陽そのもののようになっていった。

 月世を抱いた月読は、そんな姉に向かい、心の声で問いかけていた。


(私は、姉上が夢見た国造りに、少しでも近付けているでしょうか)


 彼の問いに答えるように、卑弥呼は一層慈悲深い微笑みを浮かべ、次の瞬間、その姿が黄金色の光に包まれた。

 その眩しさに思わず瞼を閉じ、再び瞳を開くと、卑弥呼の姿はすでにそこにはなかった。

 だがそのあたたかさが感じられる余韻に、月読は姉が認めてくれているような気がしてほっと息をつき、天を仰いだ。

 そこには、冬には珍しい澄んだ青空に、白い月が静かに浮かんでいた。



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ラスト・シャーマン 長緒 鬼無里 @nagaokinasa

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