第三話 重なる運命

 月読つくよみ狗奴国くなこくの地に朝廷を開き、三年の月日が流れた。

 彼が各地に送った呉出身の技術者達の働きにより、この数年で倭国は急速に近代化していった。

 それまで、高床式の白木の木造建築が中心であった街並に、石造りの基礎の上に建つ、極彩色に彩られた建造物が見られるようになった。

 街行く人々の服装は、大陸の染色や織物技術が駆使された華やかなものとなり、男達の髪型は、美豆良みずらから頭頂部でひとつに結うものが流行した。

 また、出雲と河内を中心に送られた鍛冶かじ達は、武具は勿論、鉄製の農具の製造に勤しみ、それらにより農作業の効率が格段に上がった。

 連絡手段には、魏から兵と共に送られた馬が活用されるようになり、これによって天候に左右される海上と違い、陸路を使って迅速に情報を共有できるようになった。

 同時に、文字が普及したことで、伝達に活用されるだけでなく、先人の知恵や技術、教訓などを記録し、後世に伝えていくことができるようにもなった。

 洪水や干ばつに悩まされる地域には、土木技術者が送られ、堤防やため池などが造られてからは、大幅に被害が抑えられるようになった。

 しかしそれらをもってしても防ぎきれない災害時には、巫女が神に怒りを鎮めるよう祈りを捧げた。

 とはいえ、以前のように巫女がまつりごとに関わることはなく、あくまで災いにおののく民を安心させることが、彼女らの役割となった。




 朝廷が開かれて三度目の秋が近付いて来た頃、野猪のいが謁見の間を訪れた。

 彼は壹与いよが邪馬台国王に即位して以来、男鹿おがに代わって卑弥呼の墓の築造の指揮をとり、同時に女王を扶助する役目を担っていた。


みかどが年内にも、邪馬台の地に遷都されるとの知らせがありました」


「そう」


 野猪の報告に壹与は目を輝かせ、続いて深く安堵のため息をついた。


「ようやく、狗奴国を任せられるお方が見つかったようです」


 呉人である狗奴国王によって治められていた筑紫島つくしのしま内の諸国は、その強権によって自治能力を失い、政が乱れていた。

 そのため月読は一旦狗奴国に朝廷を開き、筑紫島の安定に努めてきたのだ。

 この三年で島内の政も随分落ち着き、空席となった狗奴国王となる人物が決まれば、邪馬台へ遷都することになっていたのだ。

 王にはその昔、狗奴国を治めていた王家の末裔であり、呉によって伊予之二名島いよのふたなのしま(四国)へと追いやられた伊予国王の血筋の者が引き継ぐのが順当であると思われた。

 おそらく伊予国王の王子か兄弟が即位することになったのだろうと、壹与は思った。


「都を遷すのに先立ち、近々帝が、皇后様や御子様方と共にこちらにいらっしゃるそうです」


「本当?」


 壹与は一層目を輝かせて笑顔を見せた。

 朝廷を開いた年の夏、月読は帝として一度ここを訪れたが、その後は多忙を極め、狗奴国を離れることができなかったのだ。

 約三年振りに初恋の人に会えると思うと、壹与の胸は熱くなった。

 最近、皇后との間に、彼にとって二人目の子である皇子が生まれたとの報告も受けていた。

 間もなく五つになる月世つくよも、可愛い盛りだろう。

 壹与は彼らと会える日を思い、久々に心を躍らせた。

 それと同時に、とうとう女王の職務からも解放されるのだと思うと、安堵と不安の入り交じった複雑な感情が彼女の胸中を覆った。


(これから私は、何者になるんだろう)


 大きなため息をつきながら、壹与は心の中でそうつぶやいた。





 秋の収穫祭が終わり、風が冷たさを増してきた頃、河内国の港へ船を停泊させ、月読達が邪馬台へ向かっているとの知らせが入った。

 壹与は到着予定の時刻を待ちきれず、少し早めに野猪と共に宮殿の門まで来ていた。

 しばらく時間を持て余していると、単調な乾いた音が近付いて来ていることに気が付いた。

 河内国へと続く道の先に目をやると、遠くに黒い馬に股がった月読が手を振るのが見えた。

 彼の少し後ろでは、栗毛色の馬に乗った牛利ぎゅうりが頭を下げていた。

 彼らの様子は三年前ここを訪れた時と殆ど変わっていなかった。

 そしてそんな彼らの後方には、騎馬隊に四方を護られた豪華な造りの馬車が続いていた。


「すっかり大人の女性になったね。また美しくなった」


 壹与のそばで馬から飛び降りた月読は、開口一番そう言って微笑んだ。

 幼かった少女も今年十八となり、美しさの盛りを迎えていた。

 顔を赤らめる壹与の傍らに馬車が停まり、中から可愛らしい声が響いた。

 兵の一人が御簾みすを上げると、大きな目をした幼女がひょこりと顔を出した。


「お父様、この方が壹与様?」


 月読は馬車に近付くと、優しく微笑みながら幼女を抱き上げた。


「そうだよ。きれいだろ?」


 幼女を抱いて、月読は再び壹与と向かい合った。


「うん。とってもきれい」


 幼女は大きな瞳を輝かせて壹与を見つめた。


「月世ね。大きくなったわね」


 壹与は幼女の顔を覗き込むようにして、優しく微笑みかけた。

 それを見た月世は、月読の腕から降ろせとばかりに身をよじらせた。

 少し困った顔をして月読が地面に降ろすと、月世は壹与の膝元に子犬のように飛び込んで来た。

 その愛らしさに壹与の胸はきゅんと音をたてた。


(ああ、卑弥呼様も、この年頃の私に会ったのね)


 幼女と視線を合わせるため壹与が腰を落とすと、月世は彼女に抱きついて来た。

 月読の子でもこんなに愛しく思うのだ。

 長く離ればなれであった我が子ともなれば、その思いは計り知れないものであっただろう。

 壹与は月世のこめかみに頬を寄せながら、自分と再会することで霊力を失ったとされる卑弥呼の気持ちが、少しわかったような気がした。


「壹与、元気にしていた?」


 異母姉である言葉ことのはが、侍女に付き添われながら馬車から降りて来た。

 その腕には、生まれて間もない赤ん坊が大切そうに抱かれていた。

 豪華な衣装に身を包み、皇后らしいゆったりとした雰囲気を醸し出す姉に、壹与は思わず見とれた。


「皇子様のお誕生、おめでとうございます」


 月世の背に手を回したまま頭を下げる妹に、姉はすべてを包み込むような笑顔で応えた。


「お姉様、とっても幸せそう」


 目を細めてそう言う壹与に、姉は再び優しい笑みを浮かべた。


「ふふ。次はあなたの番ね」


「……?」


 不思議そうに首を傾げる壹与の視界に、馬車から降りてくるたちばなの姿が入った。


「手を貸してもらわなくても大丈夫だ」


 牛利が差し出した左手に向かい、赤い顔をしてそう言う橘の腹を見て、壹与は思わず口元を手で覆った。

 馬車から降り立った橘の腹は大きく膨らんでいたのだ。


「牛利、橘、おめでとう」


 壹与に言われて、牛利は照れくさそうに左手で首の後ろを掻いた。


「おとなしく留守番しておれと言ったのですが、どうしても行くと言って聞きませんで……」


「男鹿の生家跡に建つやしろの竣工式となれば、這ってでも来ぬわけにはいきませぬ」


 心配そうに妻を見つめる牛利とは対照的に、橘はそう言って豪快に笑った。

 前回邪馬台へ来た際、月読が建築を指示していった社が先日完成した。

 今回彼らが来た目的には、その竣工式に出席することも含まれていたのだ。





 数日後、壹与は社の竣工式に出席するため、男鹿の生家があった土地を訪れていた。

 女王の立場では邪馬台の南端にあるこの場所まで来ることもままならず、彼女がここを訪れたのは、三年前の地鎮祭とこしずめのまつりの日以来であった。

 月読達より少し早めに到着した壹与は、しばらくひとりで散策したいと野猪に告げ、社の周囲をゆっくりと歩き始めた。

 社の正面で彼女は立ち止まると、完成したばかりの建物を見上げた。

 月読が呉の職人に建てさせた社は大陸らしい派手さはなく、静かに存在感を表す雰囲気が、男鹿に似ているような気がした。

 壹与はこの三年あまり、一度として男鹿のことを忘れたことはなかった。

 だが彼女に魏へ渡ってからの彼の動向を知る術はなく、魏の皇帝の周辺のきな臭い噂を聞くたびに、ただ彼の無事を祈り、過ごしてきたのだ。

 前回、牛利と訪れた小川は黄葉した葉が水面を覆い、黄金色に輝いていた。

 壹与はその美しさにしばし見入っていたが、ふと何かを思い出したようにゆっくり身を翻すと、土手を上がって再び社の外周を歩き始めた。


(確かこの近くにあったはず)


 彼女は三年前、牛利と共に手を合わせた男鹿の家族が眠る墓を探した。

 まだ社へ魂を移していないため、墓は以前のまま存在しているはずだと思ったのだ。

 記憶をたどりながら彼女が社の裏手に目を向けると、そこには地面に膝をつく男の後ろ姿があった。


(牛利……?)


 一瞬そう思ったが、その背恰好に別の懐かしさを感じ、壹与は吸い寄せられるように男に近付いていった。

 そばで見ると、それは背の高い、まだ若そうな男だった。

 男は重厚な刺繍の施された袖の広い長衣を羽織り、頭頂部に小さな冠をつけていた。

 一目見ただけで、彼が高貴な者であることは明らかだった。

 まるでどこかの国王のようないでたちのこの男が、なぜこんな片田舎の豪族の墓を参っているのか、壹与は不思議に思った。

 そんな彼女に気付くことなく、男は古い墓に向かって一心に手を合わせていた。

 疑問を感じながらも、壹与も黙って男の隣で膝を落とすと、目を閉じて死者の魂を慰めるため手を合わせた。


「なぜ、あなた様のような方が、この墓に手を合わせていらっしゃるのですか?」


 傍らで祈りを捧げる壹与に気が付いた男は、墓に顔を向けたまま彼女に尋ねた。

 その声に壹与は覚えがあった。

 だが、まさかとその思いを打ち消し、墓石に視線を向けたまま答えた。


「ここに、私の大切な人の家族が眠っているのです」


 そう言う彼女の声は動揺し、微かに震えていた。

 それを聞いて男はその場に立ち上がり、ふっと小さくため息をついた。


「奇遇ですね。ここには私の家族が眠っているのです」


 その言葉に、壹与も思わず顔を上げて立ち上がった。


「……うそ……」


 そこには、見たことのない姿をした男鹿が立っていた。

 光沢のある翡翠ひすい色の長衣を羽織り、髪を背中に垂らした彼は、彼女の記憶の中の姿とは大きく異なっていた。

 目の前に堂々と立ち、彼女を見つめる男は、若いながらも大国の王のような風格を備えていた。

 唯一、張政から譲られた剣だけが、当時のままの姿でその腰に挿されているのが見えた。


「あなた様に手を合わせていただいて、両親も姉も喜んでいるでしょう」


 以前より少し大人びた表情で男鹿は微笑み、彼女に頭を下げた。


「どういうことなの……」


 混乱した様子で尋ねる壹与の顔を、男鹿は少し困ったような表情で見つめていた。

 なおも疑問を投げかけようとする壹与の唇を、彼はそっと指先で押さえた。


「詳しくは、後ほど」


 壹与が黙ると、男鹿は目を閉じて大きく息を吸い、ゆっくりとそれを吐き出した。

 そして、再び開けられた涼し気な瞳は、まっすぐ彼女を見据えていた。


「ただ、これだけは先に言わせてください」


「……」


「これから先、ずっとそばにいてくださりませぬか。私の妻として」


 もう会えないかもしれないと思っていた想い人が、突然意外な姿で目の前に現れ、一生聞けないと思っていた言葉を口にした。

 夢かうつつかの判断もできぬまま、壹与は気が遠くなるのを覚えた。

 膝から力が抜け、唇が小刻みに震えた。

 思わずよろめいた壹与の体を、男鹿の腕が抱きとめた。


「信じていいの? 本当に、もうどこにも行かない?」


 絹の衣に包まれた彼の腕にもたれかかり、訴えかけるようにそう言う壹与を、男鹿は言葉では答えず両手で強く抱きしめた。


「会いたかった……」


 壹与は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、男鹿の耳元で何度もそう繰り返した。

 その言葉に応えるように、男鹿は一層彼女の体を強く抱きしめた。





 彼らより遅れてやって来た月読に、二人は社の一室へ呼び出された。

 室内では言葉の他、牛利と橘も笑顔で二人を出迎えた。

 男鹿と共に現れた壹与の泣きはらした目を見て、月読はいたずらっぽく微笑んだ。


「なんだ、もう再会を果たしていたのか。驚かせてやろうと思っていたのに」


 少し残念そうにそう言う月読の顔を、男鹿に並んで座った壹与は赤くなった目で軽く睨んだ。


「ひどいわ。月読ったら、何も言ってくれないんだもの」


「とっておくほど喜びが大きいだろう? なあ、狗奴国王」


 月読の言葉に驚いた壹与が、彼の視線の先を見ると、そこには男鹿がいた。


「はい」


 男鹿は壹与の心情を思い、少しばつが悪そうに答えた。


「狗奴国王? 男鹿が?」


「男鹿、それを壹与に見せてやってくれ」


 目を見開く壹与の顔を見て、月読は男鹿に手を軽く振って指示した。

 うなずいた男鹿は、懐から紫色の布を取り出し、それを開いて壹与の前に差し出した。

 そこには白く小さな金属が輝きを放っていた。


「……これは?」


「銀印だよ。魏の皇帝が倭国第二の大国、狗奴国王の証として彼に授けたんだ」


 銀印の存在については、張政ちょうせいから聞いたことがあった。

 当初魏の皇帝は難升米なしめにそれを渡すつもりにしていたが、見極め役として派遣された張政が不適格と判断したと。

 だがそれが呉から取り戻した後の狗奴国の王にふさわしい人物の見極めであったとは、彼女は今この場で初めて知ったのだった。


「張政が男鹿こそがそれを持つにふさわしい人物であると陳情し、皇帝は本人に会ってから判断を下すとおっしゃったんだ。だから彼は魏へ渡ったんだよ」


 あまりのことに壹与は言葉を発することさえ忘れ、男鹿の顔を見つめた。


「そして男鹿は、魏の皇帝の強い信頼を得てそれを授かり、帰って来たんだ」


「……それは……」


 その時、男鹿が月読の話に口を挟んだ。


「それは帝をはじめ、諸国の王が推薦状を送ってくださったおかげです」


 月読の顔を見つめ、強い口調で男鹿は続けた。


「皇帝は随分驚いていらっしゃいました。国は取り合うものと考えられている大陸では、他国の王が結束して、私のような者に国を与えようとされるなど、到底考えられぬと」


「王が結束して……?」


 首を傾げる壹与に、月読は満面の笑みを浮かべて見せた。


「張政の思いを知って、覇夜斗はやとたけるは勿論、河内、明石、吉備など、各国の王がこの者が狗奴国王にふさわしいとの推薦状を書いて皇帝へ送ったんだ。先祖が狗奴国からやって来た伊予国王でさえ、快く彼を推したんだ。私も便乗して、一筆添えさせてもらったがね」


 まるで自分は関知していないかのように語っても、この件に際し月読が中心になって音頭をとってくれたに違いないと壹与は思った。

 倭国の王達のみならず、帝までもが推す人物となれば、魏の皇帝も男鹿に一目置いたに違いない。


「……ありがとう。月読」


 涙を流して頭を下げる壹与に、月読は微笑みながら首を上下に振った。


「お前達の仲を成就させてやりたいとの思いは確かに皆強かったが、だからといって誰でも良かったわけではない。狗奴国奪回に貢献したその才覚と、彼の人間性に惚れ込んでのことだよ」


 そして真顔に戻った月読は、壹与の顔を見つめて言葉を続けた。


「狗奴国が治める筑紫島は、大陸からの玄関口だ。またいつ異国が攻めてくるかも知れぬ。だが男鹿なら、しっかりと砦を守ってくれるだろう」


 月読の話に、室内の誰もが大きくうなずいた。


「また、筑紫島は海外との交流が盛んなだけに、倭国らしさを見失いやすい。だからこそ、王族であるお前が狗奴国王妃となる意義は大きい。邪馬台に都が遷ったあとも、王家の血をひくお前がいれば結束も固めやすいだろう。倭国のためにも、妃として狗奴国へ行ってくれるね」


「……はい」


 壹与は泣きながらそう言い、何度もうなずいた。

 そんな彼女の震える背中に手を添えて、男鹿はさりげなく支えた。

 月読に続いて、言葉が涙の滲んだ瞳で語りかけた。


「壹与、おめでとう。幸せになってね」


 すると、牛利も男鹿に言葉をかけた。


「壹与様をしっかりお護り……してください。……狗奴国王」


 王となった男鹿への言葉遣いに戸惑い、牛利はしどろもどろな口調になった。


「改まらなくてもいいよ。あなたは私の父親がわりなのだから」


 吹き出しながら男鹿がそう言うと、一同にわっと笑顔が湧いた。

 思わず涙ぐんだ夫を庇うように、橘が強い視線で男鹿を見つめた。


「やっと未来を約束できるな。必ず幸せにして差し上げろ」


 男鹿は一旦壹与の顔を見つめ、再び橘に視線を移すと大きくうなずいた。


「はい。必ず」





 その夜、壹与は男鹿と宮殿の回廊から、青く輝く月を見上げていた。

 二人がここに並んで立ったのは、狗奴国との戦の旅に出た四年前以来だった。

 だが壹与の隣には、当時とは全く異なる姿と身分になった男鹿がいた。

 改めて王となった彼の美しい横顔を見つめ、壹与の胸と頬は熱くなった。


「魏へ渡る本当の目的も告げず、三年以上も放っておいて、私が誰かの妻になっていたらどうしていたの?」


 壹与は男鹿を少し困らせたくなって、わざと棘のある口調で尋ねた。

 だが男鹿は月を見上げたまま、表情を変えずに答えた。


「そのようなことは、考えもしませんでした」


 落ち着いた男鹿の口ぶりに、壹与は思わずむっとして口を尖らせた。

 自分がもう二度と会えないかもしれないと切ない思いを抱えて過ごしていた時間を、彼が平然と過ごしていたのかと思うと、悔しさと憎らしさが胸に込み上げてきた。


「意外に自信家だったのね」


「では壹与様は、時が経てば私が他のひとを妻にすると思われていたのですか?」


 目を合わせて不意に尋ね返され、壹与は言葉を失った。

 男鹿にとっても、自分以外の者と過ごす未来はないはずと、彼女も心の底で思っていたのだ。

 自分でも気付いていなかった思いを突かれ、壹与は顔を真っ赤にしてうつむいた。


「……意地悪……」


 悔しそうにつぶやき、欄干を握りしめる壹与から、男鹿は目を逸らして再び月を見上げた。


「……嘘です。ずっと不安でした」


 見上げると、月明かりのもとでも彼が顔を赤らめているのがわかった。

 壹与は全身が小さく縮むような感覚を覚え、目を閉じて男鹿の首に腕を巻き付けた。


「……好き」


 そうささやく壹与の唇に、男鹿のそれが重なった。


「もう、絶対に離さない……」


 噛み締めるようにそう言い、男鹿は痛いほど強く壹与の体を抱きしめた。

 そんな若き王の肩越しに、壹与は涙で滲む月を見つめ続けていた。

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