5.もうひとつの、ヤマトの国
以前の温羅の島は、羅がひとりで建物を造っていた。羅のセンスに合わせて石材で造った白い家が特徴だったが、犬飼健はヤマトふうの、木の御所を好んだ。それで、羅が造らせた石の家と、犬が造らせた木の家が交互に並ぶ、賑やかな村落になってしまった。
島の真ん中には、桃姫が神に祈りを捧げる社を造った。
昔、温が見よう見まねで行っていた「釜占」は、当たるも八卦、当たらぬも八卦……というようなあやふやなものだったが、桃姫の占いは、よく当たる。
いつしか、温羅の村人たちは桃姫を「女王」としてあがめ奉るようになった。
だが……桃姫は暇が出来るといつも、東の海を見ていた。
「お父様みたい」
トヨは、東の方角を見つめてばかりいる桃姫が、父に似ているという。
「ウラシマに?」
小猿は、そんなことを言うトヨに、不思議に思って訊ねた。
「お父様はいつも、ウラシマの村からこの島を眺めていた。きっと……豊玉を探していたのね。桃姫様もおなじよ。きっと……イサの宮が迎えに来るのを待ってるんだわ。お父様は失恋しちゃったけど」
トヨは、そんな父をからかうように笑って、浜辺で寄り添い合う夫婦を見つめる。数年前の戦いで背中が傷ついた羅を支えるようにして浜辺を歩く豊玉臣を見つめ……トヨは目を細めた。
「豊玉臣には、お母様になっていただき損ねちゃった」
少しだけ哀しげに微笑んで、トヨは羽織を持って桃姫に近づく。
「姫さま。海風で風邪を引きます。さ、帰りましょ」
「あと、もう少し」
いつもなら、素直に御所に帰る桃姫が、今日はもう少し、時間が欲しいという。
不思議に思って振り返ったその海の先に……いつか見た、ヤマトの船が見えた。
「イサ。遅かったわね」
まるで、朝出かけた夫を夕方、迎えるような言葉で、桃姫はヤマトの船の船首に立つイサに声をかけた。
「10年ぶりだな、桃。迎えに来たよ」
温羅の島に降り立ち、桃姫に手を伸ばすイサの手をゆっくりとつかんで……桃姫は、トヨを振り返った。
そして……トヨに、純金で造った印を手渡す。
「じゃあ。トヨ。小猿。あとはよろしくね」
まるで、どこかにふらっと買い物にでも行くような口調で、桃姫はトヨに「さようなら」と手を振った。
「さいなら」
小猿の「さようなら」につられるように、トヨも「さようなら」と、二人の舟に向かって手を振った。
ヤマトの船がすっかり見えなくなってから、小猿はやっと、自分の顔を覆っていた布を取り払った。
「……小猿、その顔!」
トヨが驚いて、桃姫にそっくりなその顔を見つめる。
「桃姫に似てるやろう? 俺な、桃姫の弟やねん。ヤマトでこの顔さらして歩いとったらどんな噂立てられるかわからんよって、お犬様がこの布を俺にかぶせたんよ。特に、イサの宮が混乱したら困る、絶対取るなって言われとってん。ああ、清々した! ああ! 14年ぶりの、布なしの空気やぁぁ!」
9歳で御所に引き取られてから今の今まで、小猿はけして、人前で布を取ることはなかった。そんな小猿が腹の底から笑い声を上げ、今まで自分の顔を覆っていた布を、海に投げ捨てた。
「俺は自由じゃぁぁあ!」
だが、そんな小猿に、トヨがにじり寄る。
「はあ!? なによそれ、なんであの二人にもっと早く言ってあげなかったのよ! 異母兄弟だってはやくわかれば、お互い、もっと自分の気持ちに素直になれたじゃないのよ!」
「え、え、え? 俺のせいなん?」
にじり寄ってくるトヨの怒りに圧倒され、小猿は「大人たちの都合で……」「俺は無実や!」とかなんとかわめきながら、じりじりと後ずさる。ひとしきり、小猿を睨み上げたあと、トヨが小猿に向かってにこりとほほえみかけた。
「まあ、あの二人だから……今から夫婦になっても、きっと大丈夫よ」
そんなトヨの表情に、小猿は何故か、自分の頬が熱くなるのを感じた。
浜風が吹く。
トヨと小猿は同時に、風が凪がれていった方角を眺めた。海の向こう側に、うっすらと砂浜が見える。おそらく、あの浜はウラシマの村だろう。
「お父様、お元気かしら」
「会いに行ったらええやん。お父ちゃんに会いに行くんやもん、海神も見逃してくれはるわ」
「そうね……」
自然に小猿とトヨの手が触れあい、ゆっくりと重なり合う。
「ねえ、小猿。あたし、この国の女王になる。ついてきなさい」
「……はい。女王様。一生、従わせていただきます」
赤い太陽が、二人を照らす。
浜に長く伸びる二人の影がいつしか……ひとつになった。
浜風が優しく、二人のほほをなでた。
完
月の兎 太陽の烏 TACO @TACO2016
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