第4話「弟の背後に女の影が見えました」(終)

「ここ、俺が隠れてた排水溝なんだけど」

 サバイバルゲームって排水溝に身体を埋め込むの……? という疑問は置いて、けーいちが指さす場所をよく見る。昔使われていたかもしれないけど、工事が本格的に始まってからは使われる事もなくなって、工事が止まった今では、水がないだけの排水溝。

 その中に、小石や雑草に紛れて、くすんだ色の金属の輪……指輪があった。おそらく小さなダイヤモンドがはまっていたであろう部分は曲がり、石はなくなっていたけれど、土台は多少変形しても残っていた。

「これ……だよな」

「これ……だと思う」

『……うん、くすんでるけど、わかるよ。これ、私のつけてた婚約指輪だね』

「……今、ねーちゃんなんか言った?」

 えっ?

「聞こえたの、今のキミ子さんの声?」

「いや、明確にって訳じゃないけど……なんか、そんな気がした」

 困ったような顔の弟。今、君にキミ子さんが見えないのがすごく悔しい。でも、それでいいのかもしれないなんて思う私もいる。

「えっと……キミ子さんので間違いない。近くに寄ったときに、けーいちを別の誰かと間違えてついて来ちゃったんだと思う」

 けーいちが手に持った指輪にすがりつくようにして、キミ子さんは泣いていた。

 指輪に付いてくすみとなった血痕が、変形した跡が、はぎ取られた宝石が、自分に何があったかを理解させてしまった。

 数ヶ月後に待っていた幸せな結婚式。愛する人とのこれからの暮らし。それはすべて、そんなことを何も知らず何も考えなどしない通り魔によって打ち砕かれた。

 私たちにとっては、何年も前にちょっと知っていた人の他人事。でも、彼女にとっては、もう取り戻せない過去を、今やっとのだ。自分が死んで幽霊になっている事は、理解していたって納得なんかできるものじゃない。


 ポケットの中の小物を改めて握りしめる。おばあちゃんからもらった、魔除けのおまじないに使うための触媒を。果たして効果があるかわからないけど、キミ子さんをこのままにしておくことは、多分できない。

 自分が死んだことを、幽霊になってけーいちに取り憑いていることをわかってもらって、そこからどうするか。

 成仏してくれるとは限らないし、成仏できなかったから彼女はここにいるのだ。そして、彼女の存在は、彼女に悪意が無くともけーいちの体力か生命力を削っている。けーいちから奪った生命力で、彼女はに明確に存在するようになってしまった。

 こんなに明るいうちから指輪を探していたのは、昼間のうちにすべてを終わらせたかったから。

 お祓いなんかしたことはないけど、夜には幽霊が強くなるのではなく、私たちが弱くなるというのはおばあちゃんが教えてくれていたから、せめて条件だけは有利にしておきたかった。

 キミ子さんが悪い人じゃなくても、幽霊であって、けーいちや私にとって害になってしまうなら。お姉ちゃんである私が何とかしないといけないから。

『もう、帰るところは無いのね』

 その言葉に、胸の奥が捕まれるような感覚を覚える。キミ子さんのご家族はまだ生きているだろうけど、どこにいるのかわからない。婚約者さんもそうだ。

 迷子になった幽霊は、行き場を失って人に取り憑く。そして、けーいちは幽霊を引き寄せる体質をしている。

「その指輪の中で、ずっと眠っていたんだと思います。けーいちが近くに来たことで、目を覚ましてしまったんじゃないかって……私は、そう考えています」

「ねーちゃん、どうしたんだ?」

 キミ子さんはこっちを見ている。泣いてるけど、微笑んでる。綺麗だなって素直に思える。花嫁衣装が似合っただろうなって、幸せになるはずだったのになって。

「私には、キミ子さんをお送りする方法がわからないから……」

「……ねーちゃん?」

 けーいちの表情が険しくなる。キミ子さんは何も言わずにこっちを見ている。ポケットから手を出す、手を開く前に、けーいちの手のひらが私の手を包み込んだ。

「な、なによけーいち、急に?」

「そーゆー顔した時のねーちゃんはろくな事しないから」

 見透かされていた。だけど、こうしないと……

「どうせ、このままだと取り憑かれたままの俺が危ないとかそういうことだろ? 何ともないからさ。この前倒れたのだって気分的な物だったし、熱とかでなかったろ?」

「でも……」

「……キミ子さん、どこに行けってんだよ」

 わかってる。そんなことわかってる。だけど、他にできることがなかったから。

「あんたに何がっ……」

 その時、ふわりと懐かしい香りがした。

 子供の頃、キミ子さんにお世話されていた時に感じたあの感覚。頭を優しくなでられるように、何かが通り過ぎた。

『ありがとう、私のことをそんなに考えてくれて』

 キミ子さんは笑っていた。

 その姿は太陽の光の下で薄くかすれ、ゆっくりと見えなくなっていく。

「キミ子さん!?」

『私は、本当はもういないから。これを見つけてくれただけで、もう充分』

 嘘だ。そんなの嘘に決まってる。だって、キミ子さんが会いたかったのは私でも弟でもなくて。

『あの人には何も言わないでいいから。好きな人には、幸せになって欲しいから……』

「だからって、何も残せないなんて」

 ああ、矛盾してる。自分でこの人を払うか封じるかしようとしていたのに、何で私はこの人を引き留めるようなことを言ってしまうんだろう。

「ねーちゃん……? なぁ、どうなってるんだ今、キミ子さんは?」

『弟君、いい男になったよね。あの人に会う前だったら、好きになってたかも……二人とも、元気でね。私のことを知っていてくれる人に会えて、嬉しかった』

 光の中で、鮮やかな微笑みを残して彼女は消えた。

「……キミ子さん、いなくなっちゃったのか?」

「うん。多分……あなたに、ありがとう、元気でねって」

「そっか……」

 それっきり、弟は何も言わなかった。別に、怒っているわけではないのはわかる。それでも、私は自己嫌悪でしゃがみ込んでしまった。

 なんて傲慢ごうまんで、なんて無力なんだろう。他人をどうにかする事なんてできないのに、そうするしかないと思いこんで。そして、それが自分にとれる唯一の手段だったとわかっていて。

 キミ子さんがあの場所で暴れ出していたら。キミ子さんがあんないい人ではなかったら。きっと、けーいちが何を言っても私は無理矢理にでもキミ子さんを排除しようとしただろう。それが成功する確率はかなり低いとしても。

 実際に、今回何もなく済んだのはひとえに運の良さとキミ子さんがいい人だったからという、それだけの事だ。

 私、人間としても元霊感少女としてもレベル低すぎではないだろうか。

「……ねーちゃん、大丈夫か?」

「無理、疲れた。おんぶして」

 そんな自己分析と自己嫌悪は、弟の心配そうな声の前にすぐに席を譲る。

「歩けるだろ、まだそんなに動いてねーし。自転車おいてある所まで戻れば自販機あるし、なんか水でも飲めって」

「おねーちゃんはちゃんとした喫茶店がいいなー。もちろんけーいちのおごりで」

「弟にたかるなよ!?」

 良かった。軽口叩ける程度には、弟も私も元気だ。

 まだ午後も始まったばかり、家に帰ってシャワーを浴びて何かするにしても、まだ余裕はある。

「ねえ、けーいち。その指輪……どうする?」

「そうだなぁ……後で、お寺で供養でもしてもらうとして、今は持って行くよ」

 それだけ言うと、けーいちはさっさと歩いていく。時々後ろを振り返ってちゃんと付いてきているか見ているので、心の広い姉としては、おんぶしてくれなかったことについては不問に処すことにします。


◆◆◆


 家に戻って休憩しているうちに、私はうとうとと居眠りをしてしまいました。

 滅多に夢なんかみないのに、鮮やかな夢を見ました。

 それは、キミ子さんの結婚式。純白のウェディングドレスに身を包んだキミ子さんが、旦那さんと一緒に笑っています。

 私とけーいちはそれを遠くから見ていて、すごく幸せな気持ちになれて。キミ子さんがブーケを投げて、それを目で追って……。


 ……目が覚めると、窓から射し込む光はもう夕方であることを教えてくれて。

 弟はどこかに出かけているようですし、両親は出かけていて家の中は私だけ。

 ベッドから降りようとして体を起こすと、私の机の引き出しの前にかがみ込んでいる人影。

『あ、目を覚ましたんだ♪』

「キミ子さん!?」

 成仏したはずでは!?

『かっこわるいとは思うんだけど、どうやってもこの部屋に戻って来ちゃうのよね……これってもしかして、地縛霊って奴なのかな?』

 ゲームのセーブポイントじゃあるまいし、そんなこと言われても困ります。

 そして、何故その場所に? そこけーいちじゃなくて私の机なんですけど。

『まさか、あなたもに進むとはね……引き出しの奥の鍵付きのケースの中、ちょっと見せてもらったわよ』

 え、そこに入っているのは……そして、あなた……って……!?

「も、って事は……つまり、ええと」

 声が裏がえりそうになる。口の中が乾く。

『男の子同士がいちゃラブするの、こんなにいっぱい本がでる時代なんだねー。私の現役時代はもっと少なくって、イベントまで薄くて高い本をねー……』

 まってまってまって! それは一部だけであって私の趣味のストライクゾーンがそこというわけでは。

『それに、スクリーントーンとトーンカッターとか、もう使ってないみたいだけど以前は使ってたんでしょ。で、原稿って残ってるの?』

「プ、プライバシーの侵害ですよっ!?」

『だって、壁とか私には意味ないしー。ページをめくれないのが難点なんだけど。ねえ、せっかくだからこの本読んでよ、私後ろから見てるから』

「どんな羞恥プレイですかそれっ!?」

『いやー、感慨深いわよねー。こっそりよこしまな視線で見ていた子のお姉ちゃんが、同じ穴にはまるとは。私のことは先輩って呼んでいいわよ?』

「呼びませんっ!」

『でも、再録本だけど、私が昔描いた本まで持ってるとはね……』

「あーきこえないきこえないー」

 どれっ!? もしかして私の性癖をゆがめたのキミ子さんなの!?

『まさか、弟君には体質で引き寄せられて、その後はお姉ちゃんに趣味で引き寄せられるとはねー。現代のそーゆー作品を見てみたいなーって、ちょっと欲が出てきちゃったかも』

「は、早く成仏して下さいよぉ!!」

 私たちをちゃんと認識したことで、過剰に生気を吸い取ってしまうなどの被害は起きなくなったものの……当然ながらキミ子さんが簡単に成仏してくれるわけもなく。

 けーいちはしばらく気付かなかったけど、こうして私たちの部屋には奇妙な同居人が増えたのだった。

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弟に憑いてこないで! @aratahitotose

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