第3話「弟の背後に女の影が見えました」(3)
翌日、彼女はまだいたけれど、ずいぶんと落ち着いたように見えました。
弟(と、幽霊)を送り出してから、大学の講義をさぼってちょっとお出かけ。朝の時点で、弟に昨日の行動ルートは聞き取り済みです。
昨日は放課後に本屋に寄ってから友人の薦めで(ここ強調してたけど、自分で探したんじゃないかな)隣町の美容室に行って、そこからの帰りに山の方にある工事現場あたりで遊んでいたと。
景気が悪くなって、造成中の工事現場が放置されたままになっている場所はいくつかあります。立ち入り禁止になっているんだけど、若い子たちがたまり場にしたり遊び場にしたりするのは当たり前のこと。不良がたむろしているところもあるのでちょっと心配ですが。
何をしていたのかと聞いたら、サバイバルゲームとのこと。最近部屋の隅で踏んづけた
後は本屋に行っている程度なので、怪しいのは美容室と山の工事現場くらいです。そこからできるのは……図書館に行くこと。
地元の図書館には、地方版の新聞が保管されていることがあります。それに、パソコンとネットを使うこともできるのです。これは一応家でもできるけど、新聞の縮刷版は図書館にしかないし。
まずはインターネットにつないで、検索。調べることは、ただ一つ。
……殺人と行方不明の事件記録。
あの女の人は、明らかに他人に殺されていました。
首に痣があるだけなら自殺を疑うこともできたけど、お腹の傷は普通あり得ません。
顔は見たので覚えています。この辺りで起きた事件の被害者である可能性が高いと考えて、何かわからないかと……。
そして、二時間ほどして。
彼女の名前が、わかりました。
◆◆◆
「この辺で本当に合ってるの?」
「そだよ、BB弾落ちてるでしょ?」
なんでも、自然と腐って無くなるタイプのプラスチックらしいのですが、工事現場の奥に赤とか黄色のプラスチックの玉が落っこちているのは妙な気分です。
「でさ、ねーちゃん。今日は何すりゃいいのさ」
弟は気付いていませんが、彼女はまだ弟にくっついています。週末になるまで、幽霊はおとなしくしていてくれました。
弟はちょっとやつれたようにも見えますが、あの夜よりは回復しているように見えます。ちょっと頬がこけても色っぽく見えるかなー、うんうん。
「捜し物。多分、あなたその近くまで行ってるのよ」
「それ、なんの話? その……幽霊に関係あること?」
「そう。彼女の名前は、キミ子さんっていってね」
名前を呼ばれて、キミ子さんが驚いたような顔をする。弟も少し間をおいて驚いたような顔をする。
そう、その名前は私も弟も聞き覚えがある名前だった。
「それって……あの?」
弟の言葉に、キミ子さんは不思議そうな顔をする。それはそうだ、彼女からすれば、私と弟は小さな子供だったのだから。
小学生の頃、同じ団地に住んでいたお姉さんがいました。
子供好きで、近所だったからと言う理由だけで、私たちはそのお姉さんに時々遊んでもらっていました。私たちだけではなくて、近所の他の子たちもいたけれど。
小学校の友達が増えていくにつれて、私はキミ子さんと遊ぶ回数が減っていたから。いつの間にか会うこともなくなっていた彼女は、どこかに引っ越してしまったのだとばかり思っていました。
彼女の家族が引っ越したのは事実でした。子供だった私たちには教えられておらず、理由もわからないことだったけど、大人達にとってはそうではありませんでした。そのことを過去の新聞が教えてくれたのです。
彼女は十年以上前に誘拐され、この山のどこかで殺されていました。
半ば通り魔的な犯罪で、犯人はとっくに捕まっていて。
キミ子さんは婚約者がいて、事件の二ヶ月後には結婚するはずだったということを、私は彼女が殺されてから十年以上経って知りました。
当時はTV局やマスコミの取材が詰めかけ、犯人が捕まるまでの数日は取材が張り付いたり、婚約者さんも容疑者扱いされたり大騒ぎになっていたようです。
何か騒ぎがあった記憶は残っていたかもしれないけれど、子供たちにはそういったことは知らされなかったわけで。
私はそのことを記憶すらしていませんでしたが……キミ子さんのご家族が引っ越したのは、それが理由でした。
「……嘘だろ。引っ越したとしか聞いてなかった」
「私だってそうよ。そんなこと子供に教えるわけないじゃない、しかもまだけーいちはキミ子お姉ちゃんにべったりだったし」
薄情な話です。私は顔が見えていたのに、誰だか思い出せませんでした。
ここに来たのも、そのやましさを何とかしたいためだけなのかもしれません。
キミ子さんは驚いたような顔で私たちを見ています。あれは明らかに「あの小さな子たちがこんなに大きく」っていう顔です。
これからあなたに関わる何かを探しに行くのに、そんな親戚のおばちゃんみたいなリアクションされるとなんと言っていいかわからなくなります。
「けーいちが幽霊を引っ張りやすいのはわかってる。けーいちはキミ子さんにべったりだったから……言い方を選ぶと、ご縁があったってことなのかも」
うちは一応お寺にお墓があるけど、仏教に詳しいわけでもない。でも、きっとこう言う事を縁があったというのだろう。良い使い方なのかわからないけど。
「でも、なんで?」
弟の言葉には、いくつもの疑問符がくっついてます。何故昨日? 何故俺に? 何故ここに来たのか?
「うん。キミ子さんにとって、けーいち程度にご縁のあった人はいっぱいいるよね。同年代の子でもっとべったりだった子もいたし、ご家族や婚約者さんの方が関係は深いし。体質だけじゃ説明にはならない」
「だよな。それに……何であの日の朝だったかとかも説明できない」
お、ちゃんと考えてる。
「正確にはその前の日の夕方から、ね。キミ子さんがあなたに取り憑いたのは、十中八九この工事現場の中」
「それって……」
「あまり詳しいことはわからなかったけど、確実なことは一つ。犯人はもう捕まっているけど、被害者の……キミ子さんの遺体は、損傷が激しかったって」
つまり、死体は多分バラバラになっていたり、原形をとどめていたかったのだろう。最初に刺されたのは、多分お腹なんだろうと思うけど。
「十年も前だし、お葬式はしていると思うから、何も見つからなかったわけじゃないと思う。でも……」
あのとき、彼女は手の甲を見ていたように思います。婚約していた彼女の手指には、指輪があったはずです。
……物に心残りがあるとしたら、それしか思いつきません。
「けーいち、昨日あなたが動き回ったルートをそのまま動いて。で、その周囲に何か……具体的には、指輪とかが無いか探すの」
「……わかった。足下結構でこぼこしてっから、ねーちゃん転ぶなよ?」
それだけ言うと、移動ルートを思い出しながら捜し物を始めるけーいち。たくましくなってきた背中やお尻を眺めていたい気持ちはあれど、私もけーいちの後をついて見落としがないかチェックしないと。
「それにしても、けーいちここ一年で背が伸びたよね……」
もう私よりも体格は完全に上。順調にいけばもうすぐ大学生なのだから当然だけど、なんだか寂しい気分です。小さい頃はちょっとデブだったけど、そこそこ細くなって本当に良かった。この弟は可愛いと断言できます。
『うんうん、あのぽっちゃりしてた子がこんな立派な男の子になるなんてねー』
「ひゃっ!?」
誰にも聞こえないはずのつぶやきに、まさかのリアクションが帰ってきて叫び声をあげるところでした。キミ子さん、見えないと思ってたらいつの間に私の隣に……。
「えっと……キミ子さん、状況わかります?」
話しかけちゃだめなはずなんだけど、気が付けばぼんやりと会話していた。後で考えると、周囲から見たらむちゃくちゃホラーです。主に私が。
『よくわからないけど……時間がずいぶん流れてるなって。それに、あなた時子ちゃんだよね? 二つ上の階の』
ええ、もうあなたのご家族はどこかに引っ越してしまいましたけど。これ言っていいんでしょうか。
『……私が幽霊だってことは、この何日かで何となくわかった』
「私、キミ子さんだって最初わかりませんでした。見えてたのに……ごめんなさい」
だから、気になっていたことだけを伝えることにしました。言えないことは隠したままで。
『いいのよ、あの泣き虫の女の子が今では立派なお姉ちゃんだもんね。……弟君にべったりなところは変わってないみたいだけど。ところで、私は何で……今になって、目を覚ますことになったの?』
その言葉で、内心でをなで下ろす。何故死んでしまったのかを本人に説明するのは、やっぱり今でも怖い。落ち着かなくて、ポケットに入れたままの小物をつい指でもてあそんでしまう。
「けーいち、そういう体質なんです。自分では見えないけど、妙に引き寄せちゃうみたいで」
『体質……あなたもそうなのね、そのポケットをいじる癖昔から変わってないし……。私が見えていて、声が聞こえるのはあなただけみたいだけど。もしかして、端から見たら、あなたは虚空に向けて喋ってるの?』
「……それをしなければならない事情を作り出した当事者に言われるのは、なんか不条理を感じます……」
『あー……ごめんね。私も妙な子だなって思ってた』
こ、子供の頃の私……っ。隠せてない、隠せていませんでしたっ……。
「傍目から見たら痛いなって自覚はしてるんです。ええ……でも、今回はそうしないといけなかったし」
『ああ、うん。感謝はしてるのよ。こんな身になっちゃったけど、この前の弟君との話を聞いて、ようやく周囲の状況が見えてきたから』
ということは、やっぱり弟に取り憑いたときは、誰だかわからないままくっついてしまったのでしょう。多分、自分の大事な人と思いこんで。
自分がおそらく死んでしまっているだろう事は自覚はしているみたいだし、話せばわかってくれるかもしれない。だけど、それでも何故キミ子さんが死ななければならなかったのかを説明するのは辛いし怖い。できればそのままやり過ごしたい。
『あの人は……って、時子ちゃんは知らないか。私の……』
それでも、口から言葉が漏れてしまったのは。その時のキミ子さんの声が、とても寂しそうに聞こえたから。
「ご家族の方は、引っ越しされました。……婚約していた方のことについては、わかりません。私には、そこまで調べることもできなかったし」
『……そう。そうよね、あなたがそんなに大きくなっているんだもの』
少し、会話がとぎれる。何を言っていいのかもわからないで、ずいぶん前に進んでしまったけーいちの背中を見つめる。
キミ子さんの声も聞こえないのに、けーいちから見たら単に痛々しいだけの姉であるこの私の言葉を信じて、せっかくの休みの日にこんな事につきあってくれている弟。
感謝しても感謝したりない。
私は君にどんなお返しをしてあげることができるだろう?
「ねーちゃん、こっちきて!」
急に弟が声を上げた。初夏の日差しを背中に受けた弟の顔は影になっていてよく見えない。彼の足下には、古い排水溝の跡。
何か見つかったのだ。けーいちにもわかるくらい明確な何かが。
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