第2話「弟の背後に女の影が見えました」(2)
夕飯の時間になっても、あの背後霊は弟の後ろ……というか、横に並んでいました。なによこいつ、カップル気分なの!?
お姉ちゃんである私の許可なしに弟の隣にちゃっかり居座るなんて、なんて不届きな奴。放っておくと食事中の弟に「はい、あーん♪」とかやり出しかねなません。そもそもその夕食作ったのは私だっていうのに。そりゃ、半分はレトルトですけど。
相手が幽霊だとか亡霊だとか、そう言うことは関係なく、そこはちょっとお姉ちゃんとして認めるわけにはいきません。
幽霊相手に何ができるわけでもないので、単に私の心がささくれ立つだけなのですが。
マンガやアニメみたいに呪文を唱えて悪霊退散とかできれば一番楽なのですが、あいにくそんな
それに、今は幸か不幸か両親ともに帰ってきていませんが、家の中でそんなこと始めたら親の目がマッハで氷点下です。世界は心の中学二年生に厳しい。
なんでこんな風に心がギリギリしているかというと、背後霊がなんだかすごく嬉しそうにしているからです。
この人は多分亡霊……恨みを持って現世に残ってしまったタイプの幽霊ではないかと思うんだけど、弟に対して恨みを持っているとかではないように見えます。むしろ、弟に好意を持っているようにも見えるのが気になります。
うまくいけば、こういう人……じゃなくて、幽霊……が、守護霊とか言う存在になってくれるのかなぁ、なんて思うんだけど。
あ、気になる人いるかもしれませんけど、守護霊ってほとんど私の見えるところには出てきません。いる人にはいるんですけど、よほどのことがない限り遠くで観てるだけっぽいです。過去に目の前で他人の守護霊らしきものを観たのは本当にわずかな回数ですし。しかも、普段は見えませんでしたから。
……ちなみに、こういうことを迂闊に口に出すと大抵ものすごく白い目で見られます。覚えておいて損はないですよ、ええ。
そんなことは置いておくとして、あの泥棒猫……じゃなくて、背後霊です。のんきにもしゃもしゃ夕飯を食べている弟に何か語りかけてはニコニコしているように見えるんですが、朝よりもくっきりと見えるんですよね……傷が。
首を絞められたっぽい跡が見えて、お腹のあたりが赤黒くなっているのは、血が流れた跡なのかなぁ……なんて思っていたのですが、気になるのはこの幽霊が昨日のどのタイミングで弟に引っ張られてきたのかです。
引っ張るという言い方はちょっとおかしいんですけど、弟にはすごく幽霊に好かれる性質があります。
近くを通るだけでも、誘蛾灯とか磁石みたいに引っ張ってきてしまうのです。
野良犬とか野良猫の幽霊は悪意無くしょっちゅうくっついてますし。害があるような幽霊はおばあちゃんがくれたお守りで防がれていると思ったんだけど……。
「そう言えばさ、けーいち」
「ん? どうたんだよ急に。今朝からなんか変じゃね?」
「いいから。おばあちゃんからもらってたあのお守り、今も持ってるの?」
けーいちは私同様にお婆ちゃんっ子だったので、割とあのお守りは大事にしていました。
高校生にもなると、お守りとか持ってるの恥ずかしくなるのかもしれないけど……
「机の引き出しにしまってあるけど、なんだよ急に」
ということは、朝に幽霊が部屋からすぐ出てきたのはお守りの効果?
でも、それだと朝にとりついたことになるから、この家の中にいたことになります。いくら集合住宅だからって、十数年住んでいてお化けに気がつかないわけがない。
昨夜は私はさっさと寝ていたので弟が帰宅した頃の事はよく覚えてないし、お守りの効果が切れてきたという事はあり得るのかもしれないけど……
「えっと、昨日どこか普段行かない所行ったりした? 髪切ったみたいだし」
「え、まぁそりゃ床屋くらい行くよ」
いや、それは明らかに美容室じゃないかなーってお姉ちゃんは思う。
朝にくせっ毛が無かったから、ちょっとパーマをかけてるのはお見通しなのだ。
けーいちもおしゃれに気を使うお年頃になったんだねぇ……と、ちょっと感慨深いのだけど……。
「どこか寄り道した? 何か変わったことなかった?」
「……ねーちゃんさ」
姉の質問に答えないで別の質問で返すつもりなのでしょうか。これは久しぶりにお姉ちゃんの
「もしかして、何か見えてる?」
「……」
露骨に目線をそらしたのは失敗だったかなーと思いましたが、時すでに遅く。
「マジか! またか! 一体何がいるってんだよ!?」
取り憑かれていること、弟に気付かれてしまいました。
なお、その時に背後の幽霊は「え、何があったの?」という顔でオロオロしていたことをここにお伝えしておきます。
元はといえばあなたが原因なのよっ!?
「うぅ……なんかだるくなってきた気がする……」
プラシーボ効果と言いますか、病は気からと言いますか、早速弟は気が弱ってきたみたいです。部屋のベッドに倒れこむようにして、布団をかぶってしまいました。
実際に、幽霊の見た目がくっきり見えてきたのは弟からなんかエネルギーとかを吸い取っている可能性があるのだけど、そんなことがわかるほど私は力が強くはなく。
ただ、幽霊は死者だから。本来は、ここにいるべきではない存在がそこに居続けることでどんな影響がでるかはわかりません。
怪談話にあるように、取り憑かれて死んでしまうことだって十分にあり得る話ではあるのですから。けーいちにそんなことはさせませんけど。
見れば、幽霊はベッドで寝ている弟に寄り添っていました。
手のひらをおでこに当てて熱を計ろうとしたり、聞こえもしない声をかけ続けたり。
そんなことをしても意味はないし、そもそも相手には伝わらないのに。
多分、そのこともこの幽霊にはわからないのかもしれません。……あれ、それってかえってたちが悪いんじゃないでしょうか?
それにしても、この女の人は一体誰なんだろう。
なんで、けーいちに取り憑いてしまったんだろう。
わからないけれど、今更そんなことが気になってきました。
しまいには、知らない人のはずなのに、何故かどこかで見たような気がしてくる始末。
……きっと、ほだされてしまったのでしょう。
この幽霊が見せる表情は、仕草は、多分私が弟に向けているものとほとんど同じだから。
この幽霊、本気で弟のことを心配しているようなのです……そこにいる相手が、私の弟だとわかっているか知りませんけど。
◆◆◆
「で、さぁ。実際のとこ、何がいるのさ」
パジャマに着替えてベッドに潜り込んだ弟に聞かれて、私は反応に困ります。
弟が幽霊に取り憑かれるのはこれが始めてではありません。おばあちゃんが元気だった頃は、よく幽霊に取り憑かれて妙なトラブルに巻き込まれては、おばあちゃんに助けられていたものです。
おばあちゃんのお守りは危険な幽霊は排除してくれていたのか、私が見たことがあるのは動物がほとんどでした。
口に出してはいけない類のモノが全くなかったわけではないけど、見知らぬ女の人……というのはどういうものなのでしょう。
もしかして、弟は昨日殺人を犯していて、その被害者がこの人だとか。
それだとつじつまは……あ、だったらそもそもこの女の人、もっと恨みがましくなってるだろうし、そもそもけーいちがそんな事するわけないし。
「ええと……割ときれいな女の人。見たことはないと思う。髪が長くて、背丈は……多分、私より少し高いかな」
「俺に取り憑いてるって、いつわかった……って、朝か。あのコーヒーか!」
「そうよ、私の気持ちも考えてよ、いきなり幽霊と鉢合わせしたのよ、あんたの肩越しに!?」
「だからってコーヒー吹くことねーじゃんか、ひどい目にあったぞあれ」
「驚いたんだから仕方ないじゃない、こっちの気持ちも考えてよ……そうそう、けーいち着替えに部屋戻ったでしょ。あのとき、幽霊が一緒に部屋にはいったんだけど、急に部屋から出てきてさー。何かなって思ったら、着替えが終わるの待ってたのよ」
「純情かよ! ……って、案外良い人なんじゃないそれ?」
「悪意はないと思うけど……あ」
会話に夢中になってたけど、そういえばこの部屋にまだいるんだった。
ふと見ると、私の机のあたりで居場所なさげにたたずんでいる幽霊がいた。なんかムッとしてる。もしかして拗ねてる?
「え、今いるの!?」
上半身を起こしてキョロキョロする弟と、近くに寄ってきて抱きつこうとする幽霊。コミカルだけど、悲しいくらい幽霊の好意は届きません。
弟の言葉は聞こえているみたいだし、おそらく会話は理解しているっぽい。朝よりもまともに見えている……幽霊の見た目を信じちゃいけない、会話しちゃいけないっておばあちゃんには言われていたけど。このままじゃらちがあきませんし。
「えっと……そこの幽霊さん、私の声が聞こえてるなら、ちょっとお話しできないかな」
キョロキョロする弟、キョロキョロする幽霊。
あ、失敗した。この人、自分が幽霊だって事を理解していないみたいです。
ただ、こっちの言葉は聞こえたみたい。まともに会話しようとしたことはなかったけど、こちらの言葉にここまで反応する事は、昨日まではなかったと思う。
いいことなのか、悪いことなのかはわからないけど。
「けーいち、あなたが声に出してあげて。この人、自分が幽霊だって事わかってないみたい」
お、おうと妙な返事をして、弟が虚空に言葉を発します。
「えっとさ、あなたが誰かわからないんだけど、俺のこと知ってるの……? 俺は計一っていうんだけど、君の名前は?」
……そこにいるのが、自分の知らない相手だと言うことをようやく認識できたみたいです。
『そ……うそ……』
かすかに、幽霊の声が聞こえてきました。
「俺には、君が見えないんだよね。ねーちゃんには見えてるみたいなんだけどさ。なんで、俺に取り憑いたのかわかんないけど……その、何か困ってるの?」
『誰……あたし……あなた……かえらなきゃ……』
混乱してる。どうなるかわからないけど、このまま放置できる訳もありません。
私の弟は、本当にいるのかわからない幽霊相手にも「困ってるの」なんて聞いてしまうくらいお人好しなのです。
だから、私が守ってあげないといけないんです。
「あなたの名前を教えてくれる? 私は時子、この子は弟のけーいち。言いにくいけど、あなたは今幽霊になってるの……多分、もうお亡くなりになってると思う」
相手に「あなたはもう死んでいる」なんて言うのは普通あり得ません。
お父さんが好きで読んでいたマンガの主人公じゃあるまいし、普通そんなことを言われたら相手は怒るでしょう。事実だったら、その人が死にたいと思っていなかったら、なおさら。
『うそ……だって、あたしは、来月……』
そういうと、幽霊は自分の手に視線を向けようとして、何か驚いたように見えました。手の甲……指輪?
『ない……ないの、あれがないと……』
「落ち着いて、何がないの? あなたは誰? 名前を教えて!」
いけない。パニックを起こしかけてる。周囲の温度が下がったように感じる。
『だって、だってだってだってだだだだ』
部屋の隅で何かが始めるような小さな音がする。部屋の中なのに、風が吹いたような気がする。幽霊と話をしてはいけない。おばあちゃんに何度も念を押されたのは、これがあるからでした。
私が話したことで、自分が死んだことをわかっていない幽霊がパニックを起こす。
それはそうでしょう、死ぬ前は人間なのだから、死んだ後にそう簡単に変わるわけがないんです。
仏様になれていないのだから、生きていても、死んでいても、人間というのはあがいてしまう。その時に、周囲にいる誰かを傷つけながら。
「言わなくていいっ!」
そういうなり、私が目線を向けていた方向……幽霊がいるあたりを向いて、弟が叫びました。
もちろん、方向はちょっとずれてます。弟には幽霊が見えないから当然です。
ただ、幽霊は弟の言葉に驚いたようで、黙って弟を見つめている。底冷えするような寒気は残っているけれど、状況は変わりました
「いきなりそんなこと言われてもわかんねーよな。困るよな。俺だって、いきなり幽霊がいるとか言われてすっげー焦ったし」
ベッドから上半身を起こし、幽霊のいるだろう方向を向いて話す弟。幽霊はまだ黙っています。ちょっと角度を修正して幽霊の方を向け、そのまま話すように促すと、弟は再び言葉を続けます。
「その、俺には見えてないし、聞こえてるのかもわかんねーけどさ。よくわかってないんだったら、まだ焦る必要ねーと思うんだよ。その、ねーちゃんは困ってたけど俺にはわかんないから困ってるわけじゃないしさ。なんてゆーか……行くとことか、帰るとこがわかんねーなら、しばらくここにいてもいいからさ」
幽霊はしばらくの間、呆然としたままその言葉を聞いていました。
私はため息を一つ。私の自慢の弟は、こういう奴なのです。だから可愛いのだし、心配でたまらないんですけど。
幽霊と目が合う。不安そうにしているけど、もうパニックは起こしていないみたい。小さく頷くと、改めてこちらからも言葉を発する事にしました。
「悪霊とかじゃないみたいだから、特に問題はないと思う。だから、その……今は、いいわよ」
幽霊は初めて、私に向けて微笑んでくれた。さしのべたままの弟の腕の中に潜り込んで、嬉しそうに抱きつく。
そこまで許した覚えはないんですけどっ!?
文句を言おうとしたけど、言えませんでした。彼女は、ようやく少しだけ安心したような顔をしていたのです。
「……ねーちゃん、今どうなってんの?」
「いいからそのまま。しばらく黙ってなさい」
実際には不自然な姿勢で空中を抱き続けている弟は結構つらそうだけど、今は黙っておく事にします。
しばらくすると、彼女の姿は薄れていきます。
成仏したわけではないだろうけど、安定した……というべきでしょうか。
……ひとまずは、事態は落ち着いたみたいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます