第6話
「カルドリオルだ」
目を合わせないまま、エルトウは手短に言った。
「わたしにはそう名乗った。アルスルム風に読めばカラドアル。ドルメアの魔術師だ」
ゼトは尋ねた。
「その男が『悪い魔術師』ということはないか?」
「ありえない。彼は面倒ごとを嫌う。腕利きだが欲や野心がなく、目立つことはけっしてしない。つまらない男だ。間違っても懸賞金をかけられるような真似をする人物じゃない」
「詳しいな。知り合いか?」
「仕事で二言三言喋った程度だが……わたしは好きになれなかった。気味が悪い」
髭を摘みながら、ゼトは首を傾げた。
「どうしてわしに声を掛けたんじゃろ」
「知ったことか。わたしに聞くな」
魔術師は吐き捨て、それ以上の会話を厭うように背を向けた。外套を掴み取るその後ろ姿を見ながら、ゼトは溜息を吐いた。
エルトウとはぎくしゃくした日々が続いていた。寝起きする部屋は同じなので顔を合わせないというわけにはいかないが、この魔術師は朝飯もとらずに毎朝さっさとどこぞへ出かけていく。夜はなにやら遅くまで蝋燭を灯して書き物をしているようすなので、これもまた緑の研究の一環なのかもしれなかった。
ゼトは概ねトルダを連れて街を歩き、揚げ芋や焼いた果物やなんかを食べさせてやった。トルダはけっして自分からものをねだるようなことはしなかったが、彼女の痩せた小柄な体や無欲そうな黒々した瞳を見ていると、ゼトなどはどうにも食べ物を買い与えたくなってしまうのだった。
街の酒場で話を聞くうち、ゼトは砂漠を渡る隊商の情報も得た。サジ砂漠を東から西へと横断しフェリアへと香辛料を運ぶ商人の一行で、半月もすればカダの町を発つという。これを逃すと次は三月後だというので、それまでにトルダの行くあてを世話してやって、なんとか旅の用意を整えなくてはならない。
「しかし、あんた、その歳で砂漠を渡ろうってのかい」
新しい麦酒を煽り、商人風の男が目を瞬かせた。
「ひとりで?」
「そのつもりはなかったんじゃが」
ゼトは肩を竦めた。男が目を眇めて老人の手元を見た。老人はエルトウのあの繊細そうな顰め面を思い出すと、金の指環を撫ぜ、淋しげに呟いた。
「まあ、そういうことになってしまうかもしれんの」
「いくらあんたが腕利きの魔術師でも厳しいと思うぜ。その話だと、中継点で隊商とは別れるんだろう。無謀だ」
自分は魔術師じゃないと訂正しかけたが、ゼトは結局黙っておいた。説明が面倒だし、なによりこうして男が気前よく情報をくれるのもおそらくはゼトが魔術師だと思い込んでいるからだ。それに、ゼトがただの老人だと知ればますますこの男は渋い顔をするだろう。どんなに止められたところでゼトは諦めるつもりがない。そうであれば正体を明かすことに意味はない。
「なんとかやるさ」
「砂漠のど真ん中でおっ死んじまったなんてあとから聞いたら夢見が悪いからさ。まあ、よく考えなよ」
ゼトは顔を顰めて肩を竦めると、トルダを連れてその場を離れた。
「ご主人さま、あの人の言うとおりです」
ゼトの袖を引き、トルダが言った。まずは「ご主人さま」はやめるようにと咎め、ゼトは尋ねた。
「なにが」
「ひとりで砂漠を渡ろうなんて。エルトウと早く仲直りしなきゃ」
「そうは言っても、今のエルトウはわしを嫌っとる」
もともと、騙し討ちした挙句に脅して連れてきたようなものだ。文句を言いながらもセタリカまで連れてきてくれただけでもありがたい。だんだんと彼に指環を返す決意が固まりつつあった。
「これ以上の迷惑はかけられんしの」
「エルトウはゼトじいさんのこと嫌ってなんかないよ」
トルダは拳を握って力説した。
「腹を立ててるだけ。友だちに隠しごとされたら悲しいもの」
「友だち?」
ゼトは純粋な驚きにうたれ、訊ね返した。トルダの丸い瞳が老人を見上げた。
「そうじゃないの?」
老人はしばし考え、指先で髭を縒りあわせると、ひとつ頷いた。
「そうかもしれん」
「あのね、仲直りするには、相手の目を見てごめんなさいって言って、贈り物を渡すのよ」
「やってみよう」
ゼトは約束した。そう答えつつも、エルトウと自分は仲直りできないだろうと考えていた。ゼトは、自分の旅の目的を明かす気がない。誰にも。トルダにも、そしてエルトウにも。トルダが無邪気に言った。
「そうと決まったら、贈り物を探さないと」
「どんな?」
「ううん、きれいな髪飾りとか、かわいいお花とか……」
ゼトは装飾的な髪飾りやら花束やらを渡されたエルトウの反応を想像し、微妙な表情になった。
「きっと喜ぶわ」
「そうかのお」
「喧嘩したとき、おにいちゃんはいつも……」
トルダは言いかけ、ぴたりと黙った。ゼトは爪先をみつめるトルダの頭を撫ぜてやり、「贈り物を探すのを手伝ってくれんか」と頼んだ。トルダは頷き、憂鬱を振り払うように微笑むと、近くの露店へと駆けて行った。ゼトは小さな彼女の後ろ姿が人集りの向こうに消えるのを見送り、大きな溜息を吐いた。
さて、自分も「贈り物」とやらを見繕わなければなるまい。あのへそ曲がりの魔術師が機嫌をよくする品がそう簡単に見つかるとは思えないが。
ゼトは金の指環をしげしげと眺めると、両手を袖の中に仕舞い、自身も露店のひとつに近づいた。新鮮な果物を置いているわけでも、煌びやかな装飾品を置いているわけでもない、しみったれた露店である。店主らしい前歯のない男が弛んだ瞼を持ち上げ、ゼトを品定めするように見つめた。並んでいるのは、なにやらいかがわしい色をした水晶煙草の葉、真偽は定かでないが曰く付きらしい
ゼトは鼻の横に皺を寄せたが、ふとがらくたに混じりあって置かれたとある品に目を留めた。ブナの葉を模ったフィビュラで、葉脈の繊細な意匠が打ち出されている。おそらくは交ざりものの金属で、手入れがされていないためにくすんではいるが、持ち帰って磨けば綺麗になるだろう。
「なんてったって緑の魔術師。あいつ、植物は好きじゃろうからな」
ゼトは自分を納得させるように頷いた。男に値段を尋ねるとラツベリ青銅貨二枚でいいというので、残り少ない金の中から支払った。無駄遣いをしたと知ったらエルトウは寧ろ怒り出すかもしれないが、もし関係が修復できないのなら、どのみち彼とはここでおしまいなのだ。なにを言われる筋合いもない。
ごみのように押しつけられたブローチを衣嚢に仕舞いこんでいると、何者かがゼトの袖を引いた。トルダかと思えば、見知らぬ少年である。マルトンの民は総じて若く見られがちだが、あどけなさの中にも精悍さを覗かせようとしている顔立ちからして歳の頃は十三、四であろう。ごみごみした市場の隅に屯すには違和感のある、小綺麗な子どもだった。鉛でできた悪趣味な首輪さえしていなければ、豊かな商人の息子だと説明されてもすんなり信じただろうと思われた。
「こっちにいいものがあるよ」
奴隷の少年は小声で囁いた。ゼトは困惑し、首を傾げた。少年はゼトの手首を掴み、どこかへ連れて行こうとする。
「これ、どこへ行く」
ゼトは尋ねたが、少年の華奢な身体つきを見ると力ずくで振り払う気にもなれない。首を巡らせてトルダの姿を探したが、小柄な少女の姿は人混みの中にすっかり埋もれてしまって、どこにいるのやら判別がつかなかった。贈りもの候補を熱心に探しているのかもしれない。生ごみと香辛料、誰かの吐瀉物、水晶煙草の入り混じった臭いが鼻をつく。ゼトは次第に自分と少年とが
そのとき、子どもが振り向いた。真正面から視線が交錯する。どこかで目にしたような……考えの読めない黒目がちな瞳の中に、ゼトはどこか縋るような色を発見した。彼の目的を尋ねようとゼトは口を開きかけたが、結局問いを発することは叶わなかった。何者かが彼の頭をなにか重いもので殴りつけたせいだった。
「やったか?」
ゼトは後頭部の激しい痛みに崩れ落ちた。興奮した少年たちの声が頭上で囁き交わされる。暗転する視界の中で、ゼトはどうしてこんなことになったのだろうと考えた。そして、かつて自分がエルトウを杖で打ったことを思い出し、ひどく後悔したのだった。
星の砂、水晶の骨 識島果 @breakact
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