幕間――白い部屋3(終)

 真っ白い世界。

 いや、白い部屋と形容したほうがいいだろうか。なにもなく、どこまでもだだっ広い無色透明な空間に転生したはずの『俺』はいた。


「今度は、間に合った」


 声に振り向くと、ドアがあった。真っ白い空間にぽつんっ、と立っていた。

 見た目こそほぼクロと同じだったが、表札がかかっていて『   の部屋』と書かれていた。


 視線を下げると手には赤い糸があった。二本の赤い糸。一つは毛糸のような骨太で、マコトの手だった。もう一つは今にも途切れそうにほつれていて、ドアの向こうへと伸びてた。

 ぴんっ、と張り詰めた糸はこのたましいを引っぱっていた。まるで転生から引き留めるように。


 その向こうにいるのがだれなのか、『俺』は知っていた。………開けるぞ、とドアノブを捻る。すると、クロの形状が変化した。ドアノブは手に、木製のドアは学生服の少女へ。それはコースケが通ったことがある高校の制服だった。


「やっと、開けてくれたね」


 ………やっぱり、お前だったんだな


「なんだ、気付いてたんだ。頑張って口調とか変えてるつもりだったんだけど」


 ………確証はなかったけど、お前じゃないかって思ってたよ、


 ぴょんっ、と見覚えのあるツインテールが跳ねた。


「うん。クロは……私はフサギ。けど、記憶の中のフサギ」


 フサギのその言葉で確信した。彼女がだれなのか、完全に理解してしまった。


 ………お前は、なんだな


 フサギは小さく、けれど確かに頷く。そして「正解だよ」とはにかんでみせた。


「私は、スキンであなたの中に入っていた一周目のフサギ。DNAとしてのフサギ。さっきの女神の言葉を借りるなら、きおくの欠片。そして、ずっと手を伸ばしてくれるのを待ってただけの馬鹿なフサギ。……こんなに待たせやがって。遅いよ、もう」


 恨み節をこめてきつく手を握りしめてくる。けれど、それはしがみついているようにも思えた。


 ………今はどういう状況なんだ?


「それは……フサギのきずなを使ってアンタを留めているんだけど、長くは持たないみたい」


 フサギはもう片腕を上げてみせる。そこに手は付いてなかった。光の粒を零しながら、すでに肘くらいまでが消滅していた。


「アンタがクロをフサギだって認識したからかな。『共有』が始まっちゃったみたい。心の壁が無くなった今、このDNAはアンタの魂にもうじき吸収される。だから、アンタには『敵』として認識されてなければいけなかったんだけど……今まで隠してて、ごめんね」


 フサギがクロを知っていたこと、家に来る以前に出逢ってないかと訊いたこと、キスの経験があるかを知りたがったこと……いくつかヒントがあった気はする。


「この際だから言っちゃうけど、食卓の手伝いをするふりをして、、ことあるごとにこっそり入れてたの。そうするほうが相手の心を開きやすくなって『共有』が成功しやすくなるの」


 もちろん気付かれないくらいの量をね、と舌をペロッと出す。なにやら気になることを言った気がするが、言及している暇はなかった。


「このフサギは、もうじきコースケの一部になる。あなたに吸収されて、自我が保てなくなって、消える。あなたを引き留めるのも、そろそろ限界っぽい」


 ………お前にはもう会えないのか?


 今まで付き合ってくれたフサギクロは消える。次に転生しても絶対に会えない。


 そんな心配をフサギは鼻で笑った。


「私は一足先に次の世界に転生しておくから。アンタが女神から救った未来セカイで。見てなさいよ? 今度は血のつながった本当の妹として生まれ変わってやるんだから。最高なイヤガラセでしょ?」


 舌を見せつけてアッカンベーをしてくる。最高に最低な屈託のない笑顔だった。


 ………じゃあ、あれで良かったのか? フサギは、お前は救われたのか?


 フサギを救ってほしい、と言ったのはクロだ。なにから救うのかとも思ったが、一周目でフサギは元気に生きていた。救うとは物理的な意味ではないと薄々察してはいた。


「うーん、及第点ってとこかな。血で顔を汚したりキスでマウントを取ってきたり、乙女心を分かってなかったからね」


 ………手厳しいな


「変な馴れ合いより殴り合いのほうが私たちらしいけどね」


 フサギの減らず口に微笑みで返す。

 俺たちはずっと険悪だった。一周目はとくに、だ。けど、それが俺たちだった。


「まっ、良い夢、見させてもらったかな。少なくとも『家族』に囚われていたフサギは救われた。アンタにはそこまで期待してなかったし、これで私は十分。

 だから次こそ、お姉さま……ううん、マコトを救ってあげて。途中で諦めたりしたら、絶対に、許さないんだから」


 フサギが強く握ってくる。

 俺も精一杯の力で握り返す。


「もし、あの世界とは違う時代の、違う場所、違う世界だとしても。私はそこで待ってるから。だから、いつかでいいから……会いにきてね」


 すこしだけ似た痛みを持った二人は決別する。それはまるで過去の自分に別れを告げるように。お互いが未来へ進めるように。


 だから、きっとこれは最期おわかれの握手だ。


 いきなり反対側の腕を突き出してくる。シャドウボクシング、というにはぶつかりそうなくらい近かった。


「もう、またしみったれた顔してる。いい加減、覚悟を決めて。アンタの一番大切なものを見定めたなら、絶対に手放さないで。……それは私の手でもあるって忘れないでよ。この馬鹿」


 その力強い言葉は見えない拳に殴られた気分だった。実際に手があればフサギは殴ってやるつもりだったのだろう。けれど、フサギの腕の断片からはすでに光の粒は零れておらず、空洞に近かった。


「本当は変態に言ってやる激励なんてないんだから、ありがたく…………あっ、うしろ!」


 突然、指差したフサギの言葉に思わず背後を見た。しかし、ただ白い空間が広がっているだけで別段なにかが起きたふうではなかった。


 ………いったいなにが――


 疑問に思いながらフサギのほうへと向きなおすと、そこにフサギの姿はなかった。もちろんクロの姿も。


 ………あ、はは……ははは……


 我ながらずいぶんと古典的な手法によく引っかかったな、と乾いた笑いが全身たましいに巡った。


 もう、世話の焼ける兄なんだから。


 踏ん切りがつかない俺に対して、手のひらに残ったぬくもりがそう言ってるような気がした。

 手のひらを握りこむ。強く、強く……血が滲みそうなくらい強く。


?」


 記憶に深く刻まれた邪悪な声。それが白い部屋を黒く染め上げていく。白いキャンバスに黒の絵の具を垂らすように、世界の様相が変わっていく。


 けど、もう迷いなんてない。

 ゆっくり振りかえって、それと向き合う。口を三日月の形に変形させている女神と対峙した。


 ………なにしに来た。俺は絶対にお前の手を選ばない!


 赤い糸マコトと手を握る。今度は手放さないように。

 それが『俺』の答えだ。


――


 女神が腕を広げると、回路のような光の筋が黒い部屋に走った。


宇宙樹アカシックレコード、――疑似顕現 ≪ユグドグニル≫ 」


 女神の頭上に生まれた光が形を作っていく。


 ………光の、槍?


 光は集まって尖った形状になる。切っ先はすでにこちらを捉えていた。


 そして、、と。


 女神が指を鳴らすと同時に『俺』を貫く。逃げる暇などなかった。


 ………痛く、ない?


 目にも留まらぬ速さで飛んできた光槍はたしかにこの身を貫いた。しかし、痛みもなにもなかった。まるでただ通り過ぎたかのように。


「あ゙……がぁ……!!」


 背後の呻き声に振り向くと、フサギがいた。その胸を光槍で突き刺されているフサギが苦しんでいた。


?」


 フサギはさっきよりも幼い顔をしていた。一周目クロじゃない。彼女は………二周目の、俺とずっといっしょにいたフサギ!


 すぐさま光槍を抜こうと腕を伸ばすが、手は空を切る。


 ………なんで、どうして!


――使♥」


 手が、槍が、すり抜けてどうしてもつかめない。

 出鱈目ファンタジーが過ぎる。物理法則とか、もはやそういう次元の話じゃない。


「がっ……あ……!」


 吐血するようにフサギは光の液体を吐きだす。フサギも自身を貫いた槍を取ろうと手を伸ばしていたが、その手もすり抜けた。

 目の前で苦しんでるのに、俺にはなにもできない。


♥」


 女神の頭上に同じ光槍が形成される。一本、二本、三本……さらに、どんどんと増殖していく。

 数十、いや数百だろうか。瞬く間に女神の頭上を埋め尽くさんばかりのおびただしい数の光槍が生成された。


♪」


 槍の切っ先がフサギのほうへ向いて、今から起こることを物語っていた。フサギの頭を、目を、口を、鼻を、髪を、舌を、肩を、胸を、胴を、手を、足を、指を、肉を、骨を、臓器を、心臓を……すべてを貫こうと、槍の方向が一つ一つ定まっていく。


 ………なにか、なにかないのか!?


「あ……て、あ゙……!」


 フサギが口を動かしていた。痛みでうまく声は出せないようだが、なにかを必死に訴えている。


 ………手?


 読み取った口の動きから、目線を下げる。フサギの手がなにかをつかんでいた。


 淡く光る赤い糸。

 俺とフサギのあいだに出来たそれを引っ張っている。今にも千切れてしまいそうなほつれかけたその先に――光槍へと巻きついていた。


 一本の線だけだったが、たしかに槍に巻きついている。槍に


 ………これは、もしかして!


『アナタには、運命みらいを改変しうる力がある』


 いつか言っていたダレカの言葉。小指から垂れるソレを柄に巻きつける。そして、その部分を両手で掴む。


 ………触れる! これなら……!


 手に力を込める。フサギの体から少しずつ抜けていく。


――!」


 女神から笑顔が消え、険しい表情になる。女神もこっちに気付いたのだ。


 ………間に合え!


 槍が肉体から抜けきった瞬間。

 それを女神へ投げた。


 ………どんなものも遮ることはできず、、だったな


 手から離れた光槍は、まさに一瞬の速さだった。避けることも防ぐこともないまま、女神の胸元を貫く。


……」


 女神はそのままなにも喋らなくなって、黒い空間を漂いはじめた。


 ………死んだ……終わった、のか?


 動かなくなった女神を見据えながらフサギに近寄る。まずはフサギの胸に空いた穴をどうにかしないと……。


♥」


 背筋に悪寒が走る。

 振り返った先に死んだはずの女神がいた。元気に、笑っていた。


 ………ど、どうし……!


 俺は目を疑った。

 女神は死んでいた。光槍が

刺さって動かなくなった女神……の、そのとなりにもう一人同じ容姿の女神が立っていた。二人目の女神が。



 そんなこと、あっていいはずがない。こんな理不尽、許されてはいけない。


……!!! ……! ♥♥♥

 …………


 女神は頭上を見上げる。すべての光槍がフサギへ狙いを定めていた。


――


 合図を送るように女神は手をかざす。


「う、……うし、ろっ!」


 唐突にフサギが叫んだ。

 ………えっ? と、振り返った瞬間。


 フサギがいて。

 顔と顔の距離が零になって。

 その唇が、たましいに触れた。


 …ちゃんと 預けたからね、私の言葉フサギのおもい



 ―――。



 俺が感情を言葉にするまえに。


 、と。


 はじけた。


 槍は身を挺した俺を嘲笑うかのように、すり抜けていった。何本も何本も何本も、どうしようもなくフサギを刺した。形が無くなるくらい、粉々になて消えるまで、壊していった。


 同時に、刺した空間ばしょが割れていく。フサギが、部屋が、世界が、すべてが崩れていく。


 割れた世界は弾ける。白と黒の世界の破片が上へとのぼり、逆に俺は転がり落ちるように、下へ下へ。なにかに引っぱられながら、それに逆らうように赤い糸を握る。マコトの手を、握る。大切なナニカを離さないように。


 そして、透明な光に包まれて――










 天井。どこか見覚えがある病院の真っ白な天井に手を伸ばしている光景で、目を覚ました。

 そして、まだ若い頃のコースケの父さんとお母さんの顔。


 また、転生したのだ。

 そして、この世界のだれかの魂が、また……。


 ………ぅ…………ぁあ……


 涙が溢れだす。


 ………あ…………ぁぁあぁああ……ああぁぁぁあうぁぁあああああぁああああああぁああああああああぁぁああああああ!!!


 割り切れない感情が唇から溢れて。零れて。落ちていく。

 喉を傷つけながら出ていく産声は、叫びで、震えで、嘆きだった。


 だれかにこの感情を吐きだしたい。それが許されないことと分かっていても、楽になりたかった。


 マコトを痴漢から助けたとき。転生つぎがあるとどこかで思っていた。またやり直せばいいと思っていた。マコトとの赤い糸があればなんでもできる、そんな気がしていた。

 けど、タダでタイムリープできるわけじゃなかった。大切なたましいを犠牲にして、『俺』は現世ここにいる。


 どうしようもなく、なにもできない、ただの無能が、ここにいる。


 頭を抱えた両手が掻きむしって、脳も思考も感情もぐちゃぐちゃになって、このまま消えたかった。


 『因果を持ってる近しい魂が零れおちやすい』。女神はそう言った。あえてそう言ったんだ。どうしようもなくイヤな予感がした。

 だれかの魂が世界から零れおちた。

 だれかが。


 いや、すでに気付いている。

 だれが死んだのか。殺してしまったのか。

 気付かないようにしても、確信めいたものがすでにあった。


 この指にはもう彼女へと続く因果の糸がないのだと。




 ………世界で一番大っ嫌いなお兄ちゃんへ…


 記憶の中にある残滓だけが。


 …あなたには あなただけの名前がある…


 最後に見せた少女の笑顔だけが。


 …家族でも 兄妹でも コースケでもない…


 最後に触れた少女のぬくもりが。


 …あなただけの生き方が あなただけの人生が…


 最期に遺した少女の言葉おもいが。


 …だから あなた自身の未来ケシキを あなたに 見せてあげて…


 肉体の隙間からすりぬけて。


 …世界で一番幸せ者の妹より………




 これからの人生、振りかえってみても彼女の姿はもうどこにもないのだと。二つ結びの髪はもう跳ねてくれないのだと。


 だから、どうしようもなくて。


 くるしくて。

 くやしくて。

 吐きだして、泣いた。


 この想いは無駄にしない、と。

 絶対に、想いかのじょ未来ケシキの先へ連れていく、と。


 ただ、この涙に誓った。






 ――――それ以来、コースケは親友ケイジョウと、そしてフサギに出逢うことはなかった。













   二転生目・終  


 →三転生目「三周目の『俺』の人生」 へ続く

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ヤンデレ女神がなんどもなんどもなんどもなんなんなんなんなんなななななななななななななななななななななナナナナな?ナ?な??ナななんども転生させてくる 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi

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