キャッチャー・イン・ザ・ルーム

おっぱな

第1話 田村という生徒

 教室の机は将棋の盤面のように規則正しく並べられ、若い女教師がハツラツとした声で授業を進める。

 窓から見える満開の桜に見守られながら、この教室は32度目の一年生を向かい入れた。

 四月という季節は別れを乗り越え、心機一転、頑張ろうと思う者や過去を未だに引きずり前に進めない者が混在する時期。


 教室内には期待と不安が合わさるように渦巻いていた。

 

 ______しかし、平穏な日常は一発の銃声により掻き消されてしまう。


「すいませ~ん。遅刻しましたー」


 2か所ある内の後ろの方の扉からいけしゃあしゃあと入ってきた男がおどけた様子で発言すると教室内はパニック状態となる。


 男が右手に持つ銃からは薄っすらと煙が立ち、綺麗に並べられていた机は右往左往に転がり、生徒達は金切り声にも似た悲鳴を上げ、教師はその場に立ち尽くし、男がいないもう一方の扉に向かって走る生徒。


 一瞬、安堵の表情を浮かべ、銀色の窪みに手を掛けるが本人の意思に反して外側から力が働き自動ドアのように扉が開いた。

 開けられた扉の向こうには銃を持ったもう一人の男。

 生徒の表情が絶望に変わる前に男の右足が生徒の腹を蹴り上げ。


「あっはっははは! 残念! もう一人いるぜ~!」


 後ろにいた銃を持った男は蹴られた生徒を指さし、何が面白いのか不明だがイカれた様子で腹を抱えて道化のようにコミカルに笑う。

 この生徒に特定の感情があった訳ではないだろう。恐らく、男はこの生徒に何者かを重ねていていたに違いない。

 腹を押さえながらうずくまる生徒を見て、他の生徒達は集団的な金縛りに遭ったかのように一斉に動きを止めた。


「よし、お前ら、黒板の前に固まれ。10秒以内」


 その言葉を聞くと訓練を受けた犬のように生徒達は抵抗を見せることなく、黒板の前に集まる。

 黒板の前に立っていた教師は黒板の場所を知らせる目印でしかなかった。

 

 _____非日常が訪れて、僅か一分。


 生徒達は不自然な程にその状況に順応しているようにも見えた。


 中学を卒業して間もない子供たちは初めて感じる死の恐怖に怯え、泣きじゃくり腰を抜かす生徒、ジッとその状況を見つめる生徒。

 震える足を右手で抑え、銃を持った男に対して若い女教師は毅然とした態度で立ち向かうが。


「あ・あなた達は誰ですか!? 何が目的なんです!?」


「テメエ! この状況分かってんのか!? 気安く質問してんじゃねえ! イラつくんだよ!」


 後ろにいた男が声を荒げて、再び、天井に向け銃を放つ。

 乾いた銃声と蛍光灯が割れる音に教師は腰を抜かし、意識を失ってしまった。

 若い女教師と言っても高校一年生にしてみれば一人の大人。


 教師がいるという事だけでも、今の生徒達には少し希望があったのかもしれない。

 だが、教師はたった今、意識を失い、希望としての彼女の役割は終わった。

 僅かな支えを失った生徒達は再び、奈落の底。


 硝煙の臭いが教室内に充満する中、眼鏡をかけた気弱そうな生徒が立ち上がり、銃を持った男にこう尋ねる。


「... ...あの。オナニーしてもいいですか?」


「___!?」

 

 教室内の視線が全て、その生徒に集まった。


 その生徒の行動は正に異質。

 銃を持っている者に対して中学生が近づき、発言するという事だけでも十分におかしなことだが、生徒達は彼のその行動ではなく、発言の内容について驚きを隠せなかった。

 

 しかし、その行動と発言は意外にも波打つ水面に一石を投じたかのように、生徒達の不安に満ちた感情は僅かだが、落ち着きを取り戻す結果となった。

 「不安」と「恐怖」という感情に「驚き」という波紋を起こしたのだ。


 開いていた教室の窓から春の生暖かい風が入り、教室の窓や扉が風により揺れ、音を立てる。

 今年初めて吹いた春一番を喜ぶ余裕は流石に今の状況下の生徒達にはないようだ。 


「おい! 田村! お前、何言ってんだよ!」


 直立不動で立つ生徒と同じ部活に所属する間宮は、恐怖の中、咄嗟に声が出た。

 田村という生徒はこのように奇行が目立つ生徒ではない。むしろ、無口で目立たない人間。

 周りの生徒たちから見た印象はそのようなものであった。


 ____田村の静寂の中の卑猥な発言。


 事件の後に生徒達が事情聴取で放った第一声は「田村が... ...」から始まるもので、「犯人... ...」「男達... ...」なる主語は二の次であった。

 それだけ、この田村という生徒の行動は異質だったのだ。


「ははは! 何!? お前、面白いな! 変態!?」


 先程から一方的に発言を続ける銃を持った男は映画や漫画で見る犯罪者を演じているのか、ラリっているのか定かでないが大きく手を叩いてサルのおもちゃのように笑う。

 赤い野球帽を被ったこの男を後に「赤帽」という呼称で表現。

 後から教室内に入ってきた大柄な男は白いマスクをしており「マスク」と呼んだ。


「まあ、変態かもしれない。僕は、普通のオナニーに飽きていて、こういった状況で自慰行為をしたら、さぞ、悦に浸れるだろうとずっと考えてました。あなたに罵倒され、女子たちからは軽蔑の視線を送られ、例え無事にこの状況を乗り越えられたとしても僕は普通の生活に戻る事が出来ないでしょうね。だけど、それに興奮するんです」


 田村は淡々と自分の言葉で語る。

 身振り手振りを加え、田村の言葉には熱意が感じられた。

 彼が興奮しているのは誰の目から見ても真であった。


「いいね~! 狂気じみてて! カッコイイ! カッコイイよ君!」


 赤帽は満面の笑み。

 この状況で自分や仲間以外の逸脱した存在に親近感でも覚えたのだろうか。

 彼は、本当に嬉しそうだった。


 田村の発言はキチガイの行動を加速させる。

 狂気に狂気を上乗せ。狂瀾怒濤。


「おい! お前、どうせ、童貞なんだろ? せっかくの機会だ。女の味を教えてやるよ」


 赤帽は冬眠するテントウムシのように固まった集団の中から女の子の腕を掴み、無理矢理立たせると、女の子の顔を田村の股間まで近づけ。


「お前、こいつに口でしてやれ」


 女の子は泣き叫び。他の生徒達は『ごくり... ...』と生唾を飲んだ。

 まだ、出会って一か月も経っていない生徒達の間に女の子を助けようと思う者は誰もいないように見えたが。


「てめえ! いい加減にしろよ!」


 正義感の強いイケメンが声を荒げ、勇敢にも二人の銃を持った男達に抗った。

 彼はサッカー部に所属し、既に先輩たちに混じって試合に出ていて、既にファンクラブまで作られている。

 そんな彼は心までイケメンのようだ。

 

「毎日のように乳クリあっているテメエは黙ってろ!!!」


 恐らく、イケメンという人類の敵に恨みでもあったかのように赤帽はマスクにアイコンタクトを取り、マスクは集団の中にいるイケメンを教室内のひらけた場所まで引きづり、タコ殴りにする。

 微かな光が見えかけたが、大きな闇にすぐに飲まれてしまった。


 大半の生徒はイケメンがボコボコにされている様を対岸の火事のように見守る。

 女の子の為に立ち上がった生徒を心配する余裕は誰にもない様子。

 中には、イケメンがボロ雑巾のようになっていく様を薄ら笑いを浮かべながら見る者もいた。


 人の不幸は蜜の味。

 高校生一年生が屈強なガタイをしたマスクに勝てるはずもなく、一分もかからずにのされてしまう。

 意識を失ったイケメンが冷たい床に顔を埋める中、赤帽は女の子の顔を再び、田村の股間に押し付ける。


「やだ!!! 止めて!!!」


 赤帽は泣きじゃくる女の子を恍惚の表情で操り人形のように操る。

 赤帽の口元からはネバネバした粘着性の強そうなヨダレが糸を引く。

 その状況に目を覆う生徒。食い入るように見る生徒。


「ふう~」


 田村は「こいつ全然分かってないな」とアピールするかのように赤帽の行為に深いため息をつく。


「お気遣いいただき、恐縮ですが、僕はSEXがしたいんじゃない... ...。ここで! この場所で! この状況で! 僕はマスを掻きたいんだ!!!」


 先程まで、感情のないロボットのようだった田村は興奮気味に赤帽に告げる。

 圧倒的な自慰行為への姿勢。

 この状況下で赤帽やマスクに対して、指導者のような口ぶり。度胸。


 田村の行動は誰の目から見ても異常。

 普通の生活でこのような発言や行動をしていては白い目で見られるのは明白なのだが、今は生きるか死ぬかの瀬戸際。残された生徒達はこの田村という変態に一縷の望みを託す。

 

「おい。お前、調子に乗んな。この女殺すぞ」


 鉛が詰まった銃を無垢な少女の柔らかなこめかみに当てる。

 当然のように少女は銃を通して、こめかみに伝わる冷徹な感情に悲鳴を上げる。

 少女の顔面は涙と鼻水で真水を浴びたかのよう。


「おい! 女! あいつに「しゃぶらせて下さい」って懇願しろ! じゃないと、頭が吹き飛んだ後の身体であいつを奉仕することになるぞ!」


「うう... ...。しゃ・しゃぶらせて下さい... ...。お願いします... ...」


「いいね! いいね! あっはははは! やっべー!!!!」


 小学生のように無邪気にハシャグ赤帽。

 タガが外れるとは、このような事を言うのだろうか。

 TVや映画等で見た悪役の姿を彼に投影した。だが、彼にはハンニバル・レクターのような冷徹で知的な悪役は似合わない。

 三下のような行動や発言を繰り返す赤帽に知性の欠片も感じられない。


「ふう~。すいません。無理です」


「よし、じゃあ、こいつを殺そう。みんな~! よく見てろ~!」


 赤帽はあっけらかんと、引き金に指をかける。

 少女の声はすでに擦れてノイズでしかない。


「おい田村! しゃぶらせてやれ!」

「田村君! お願い!」

「田村!」


 一人の生徒の発言により、今まで統一感のなかった集団は少女を救う為の言葉を初めて口にした。

 その声援にも似た周囲の声に何かを感じたのか定かではないが、バツが悪そうに田村は口を開く。

 

「あの... ...。その子に申し訳なくて、曖昧な表現になってしまったんですが、頭が吹き飛ぶ様子もみたくないので率直に言うと... ...。その女、好みじゃないんですよ。悪く言えば「ブス」なんですよね。そんな奴にしゃぶられたって勃ちませんよ」


「え... ...?」

 

 少女は、その時、初めて田村の顔を見た。

 田村は眉間にシワを寄せ、真剣に嫌そうな顔をしている。

 その瞬間、教室内は時が止まったかのような感覚になった。


 人間。ふいを突かれると無言になり、後から感情が付いてくる。

 この発言は赤帽も予期していない発言であった。


 少しの間を空けて、赤帽は再び、狂気を興じる。


「ははは! お前、面白い! 俺は、全然、イケるけどね! 現役JKってだけで興奮するわ! 特別にしゃぶしゃぶして貰いたい奴を指名させてやるよ! 選べ!」


 田村が集団に目を向けると、女たちは後ずさり。

 先程まで、少女を助ける為とはいえ少女に「田村のイチモツをしゃぶれ!」と言っていたにも関わらず、いざ、自分に順番が回るかと思うと彼女達は、赤帽やマスクに向ける目と同じものを田村に向けた。


「すいません。この中にはいません。僕、相当なロリコンなんですよね」


「そうか。そうか。お前、ロリコンだったのか。キモイな。まあ、今更か。いいよ、お前、飽きた。そこらへんで床オナでもしてろや」


「ありがとうございます」


 田村は冷たい床に膝をつき、うつ伏せの状態になると、イキのいいウナギのように左右に腰をくねらせる。

 制服のズボンに巻いてあるベルトの金具部分が床にこすれ、カチャカチャと音が鳴る。


「こいつ、本当にしやがった... ...」


 今まで、沈黙を続けていたマスクは侮蔑した態度で、そのうねる大蛇の動きを目で追う。


「まあ、この変態は関わらない方が良さそうだ。俺達は俺達で楽しもうぜ!」


 赤帽は固まっている女たちの前に立つ。

 背中を丸め、怯える生徒。

 赤帽はウインドーショッピングを楽しむかのように、小鹿のように震える少女達を選ぶ。


「じゃあ、俺、こいつ~!」


 マスクは根野菜を収穫するかのように一人の少女の腕を掴み、集団から引き上げる。

 マスクに引き上げられて少女は、マンドラゴラのように大きな悲鳴をあげた。


 田村はその光景を腰を揺らしながら横目で確認... ...。

 


 ◆ ◆ ◆



 早く”アレ”を出さなくては... ...!!

 僕は、怯える同級生を横目に黒板の横で床にイチモツをこすりつけながら、内心焦っていた。

 平常心を装うように努めていたが、初めて見る本物の銃と犯罪者に足が震えた。


 だが恐らく、この空間でこの状況を打開出来るのは僕だけだろう。

 息が詰まる感覚で今にも嘔吐しそうにもなるが、己を震い立たせ起ち上らねば!!


 僕の日常は一発の銃声と突然、現れた二人の男によって崩壊... ...。


 した訳ではない。

 

 あいつらが来る前から、僕の日常は既に崩壊していたのだ... ...。



 ◇ ◇ ◇



 台風が来るので放課後のHRで翌日の学校は臨時休校という事を聞かされ、当時、所属していた部活の顧問からも「寄り道をせずに真っ直ぐ帰れ」と念を押されていた。

 僕も周りの友人も兎に角、出家前の坊主並に真面目だったので寄り道もせずに帰路についた。


 学校から僕の家は1キロほどしか離れていない、15分ほどの道のりを向かい風が強かったという事もあり、この日は20分くらいかけて歩いた。

 20年以上前に開発された分譲地の一角にある白い外壁の小さな家が僕の家。

 

 小さな庭があるが、手入れもされておらず、雑草が伸びきっている。

 そろそろ、草刈らないとな... ...。

 自分で言うのも何だが僕は中学2年生にしてはシッカリしている方だった。

 

 親に何も言われなくても勉強や家事を進んでやるし、学校での成績も上から数えた方が早い方だし、部活にも所属し、友達もいた。

 まあ、悪く言えば目立たない生徒。

 僕は周りからそうみられている。そんな自覚さえあった。


 両親は共働きの為、「ただいま」と声に出しても暗い廊下の先から「おかえり」という返答はない。

 ただ、その事は僕の日常であった為、特に悲しい・寂しい等の感情を抱いた事もなかった。

 そのシーンを想像して勝手に「この子可哀想」「本当は寂しいという気持ちを抑圧しているんだろうな」と考える奴は「映画や漫画に感化され過ぎ」と日々思うのであった。


 暗い廊下を渡り、リビングに入り、TVをつける。

 平日のこの時間帯はワイドショーかドラマの再放送と決まっている。そういった番組に興味はない。

 

 食事中もTVを見ながらの生活だったので、TVがついていないと落ち着かない。

 ただただ、僕はボーッとTVを見ていた。


 TVでは有名な教育評論家が自身の教育論について熱弁を振るっている。

 彼らの言っている事は大体合っているのだろう。

 また、多くの人達も彼らに共感している。


 多くの人間を共感させることでTV番組は成立する。教育評論家は高いギャラは貰えないが、知名度が上がる事により講演等に呼ばれ、その講演料で彼らは至福を肥やす。

 それで、成立。何も問題はない。


 だが、彼らの言っている事は僕には一切当てはまらない。

 全くもって共感する事も出来ない。

 彼らから見たら僕は話の当事者なのに、僕から見たら他人。


 母親が用意した菓子パンを頬張りながら、そんなアウトローな考えで画面越しの思想家を見ていると。


「あ、今日、オナニーしよ」


 と閃く。

 早々にTVを消し、口についた甘い粒々をティッシュで拭い、菓子パンの袋をゴミ箱に入れて自分の部屋に入った。


 7帖ほどの部屋は周囲の知人の部屋と比べても大きなほうだ。

 大きな収納もついたこの部屋には部活動で使うシューズや服、勉強机、ベッド、ゲームがあり、半日以上下のリビングに行かなくても過ごす事が出来る。


 なので休日などは専ら部屋に籠りきり。

 冷蔵庫がないのが唯一の難点。


 慣れた手つきでパソコンの電源を入れ、お気に入りに追加している「エロ漫画」が見れるサイトにアクセスする。

 特に僕はオタクとかそういう類(たぐい)ではない。


 初めて自慰行為をしようと思った時に友人から聞いたサイトがこれだった為、この「エロ漫画サイト」を利用し続けている。

 このサイトを閲覧していて親にバレたとか、変なメールや手紙が来たという事もなく僕にとっての優良サイトであった。


 中学2年の思春期の少年は親バレというのは絶対に避けたい。

 当然、アニメや漫画の要素がない所謂「AV」というものに興味がない訳ではない。むしろ、めちゃくちゃ見たい。

 だが、「親バレ」というリスクの為に踏み込めない己があった。


 あらゆるエロ漫画を閲覧していく内に僕が好きな絵柄というものが分かってきた。

 共通するのは「音偽装氏(おとぎそうし)」という作者の名前。

 彼女か彼かオッサンかお兄さんかお姉さんか分からない人物は僕の股間をよく刺激してくれる... ...。


 いつしか僕は、その作者の書く作品を読みあさり、その人が書く作品だけでは飽き足らず、その作者自体が「どんな人だろう... ...」と思いを馳せるようになった。

 小さな画面越しのまだ見ぬ人物は僕の秘密の隣人。


 まだ見ぬ人物に僕は日に日に没頭していった。


 いつも通り、その作者のHPにアクセスすると近況報告の欄に「お知らせ」という項目が追加されていて、僕は何気なくクリック。


 内容を確認すると、どうやら、その作者が近々、同人誌の即売会? というものに参列するという情報が僕の目に入ってくる。

 すぐさま、僕は、このエロサイトを教えてくれた友人にアポイントを取り、その販売会に行こうと誘いの連絡を入れた。


 友人からの返信は早かった「モスラ(いいよ)」

 どうやら、友人は機嫌が良さそうだ。



 ◇ ◇ ◇



 週末。


 電車で一時間ほど離れた会場につくと、見た事もない気持ちの悪い連中が群雄割拠。

 まあ、その気持ち悪い集団の中に交わる僕も周りから見たら同じようなもんか。

 僕はすぐにオタクというものを受け入れ、コンビニで買ってきたエナジードリンクを体内に取り込んだ。

 

 一時間ほどして、烏合の衆が前に進む。

 いよいよ開幕。同人販売会。

 会場の入口が近づくにつれ、心臓が高鳴りを見せる。まるで、試合開始前のような感覚。


 僕と友人は事前に話し合いをしていた。

 会場に入ってからはお互い別行動。

 昼食くらいは一緒に食べたいので、12:30には中央ロビーに集合する事。


 事前に取り決めをしておいてよかった。

 会場の入口が近づくに連れて、後ろからどんどん押されて息も出来ない状況。

 スタッフの皆様が「押さないでください」と懸命に声を荒げるが、無数のブヒブヒ言う声にかき消される。


 人込みに揉まれて、気が付くと高い天井のある開けた空間に飛び出す。


 友人は東棟へ。僕は西棟に向かった。

 パンフレットに記載される「音偽装氏」の名前に心躍る。

 作者は男なのか? 女なのか? 一体どんな人だろう... ...。

 僕はパンフレットを握り締め、汗臭い大きな友人達の間を抜けて目的の場所まで足を回す。


 来た!!!

 目の前に飛び込む「音偽装氏」の名前プレート。

 さあ、さあ、どんな人がそこに座っているんだ!?


 机にかかる白い垂れ幕のようなテーブルかけの上には積み上がる薄い本。

 薄い本の奥に鎮座する眼鏡をかけた小太りの女性。

 タピオカを吸う専用の太いストローをペットボトルにぶっさし、勢いよく水分を啜る様は象が水浴びの為に川の水をご自慢の鼻で吸い上げるようにも見えた。


 99%目の前にいる人物は憧れの敬愛する「音偽装氏」本人だが、一応確認してみよう。

 1%にかけてみよう... ...。


「あの、音偽装氏さんですか?」


 音偽装氏は不思議そうに薄い本の前にあったプレートを確認し。


「ああ。はい。そうですけど... ...」


 僕はゆっくりと目を閉じ、天を仰いだ。


 うっわあ... ...。すっげえ、ブス... ...。

 こんなブスが書いた作品で来る日も来る日もヌイてきたのか... ...。

 

 間接的にこのブスの手でイカされてたのか... ...。

 まあ、意味は間違ってないよ。

 ある程度、想定してきてたけど、実際、現実を見ると目も当てられねえよ... ...。

 後生だよ... ...。


「あの? 大丈夫ですか?」


「あ・ああはい。大丈夫です。あなたは大丈夫ですか?」


「え? 何がですか?」


「いや、何でもないです。ただ、オウム返しをしてみただけです。自分、癖でオウム返しをしてしまうんです」


「変わった癖ですねー」


「ところで、あなたは音偽装氏さんですか?」


「え!? 先程「そうです」って伝えましたよね?」


「あ・ああ。そうですね。ちょっと、人込みに酔ってしまって、頭が混乱しているんです」


「... ...」


 音偽装氏は、不審者を見るかのように僕の事を見ていた。

 うん。まあ、そうか。客観的に見れば僕、オカシイな。

 再び、高い天井の一点を見つめ、心を落ち着かせる。


 目の前にいる音偽装氏は、すげえブスだ。

 だが、彼女の生み出すものに何も罪はない。

 この薄い本が僕の事を刺激してくれる事に変わりはない... ...。


 背負っていたリュックサックから黒い財布を取りだし、そこから千円札を取り出す。

 共働きの両親が「自分の子供には普通の生活をさせてやりたい」と願い、汗水垂らして稼いでくれたお金で僕は薄い本を購入するのだ。

 

 母は体調が優れない日も栄養ドリンクを飲み、週6日でスーパーで働いている。辛い時も笑顔を絶やさない母は僕の自慢の母。

 父は保険会社で生命保険を販売する営業マン。休みはあるようで無いようなもの。お客様商売なので、予定が入れば出勤する。

 雨の日も風の日も働く父が弱音を吐いている所を見た事はない。

 そんな父を僕は尊敬する。


 そんな両親が工面してくれたお金... ...。

 平成生まれの僕は躊躇することなく、昭和59年に発行された夏目漱石が印刷されたお金で音偽装氏が発行する薄い本を購入した。


 昼過ぎ。

 

 集合時刻に少し遅れて、友人が戻ってきた。

 先程までペッタンコだった彼のリュックサックはパンパンに膨れ上がり、そのせいか、彼の股間も膨れ上がっているようにも見えた。


 昼食を取り、お互いに目的は達成した。との事で、足早に会場を去った。


 

 ◇ ◇ ◇



 家に着くと、いつも通り薄暗い。廊下にも窓というものは必要だと常々感じる。

 その日はリビングには寄らず、すぐに自分の部屋へと向かった。


 扉を閉め、大事に持ち帰った戦利品をリュックサックから取り出す。

 ドキドキしながら、ページをめくっていく、やはり、音偽装氏の本は、僕の五感をビンビン刺激してくれる... ...。

 彼女はやはり本物。


 確かに作者の顔を見てからこの本でヌクという事は少し抵抗があった。

 目の前のキャラクターの卑猥な姿に僕の体は正直に反応する。

 だが、僕の心の中にはわだかまりが生じる。

 

 こんな綺麗で美しいキャラクターがあんな、豚の化身みたいな奴の手から生み出されるなんて... ...。

 オーガズムに達する瞬間、目の前の美少女と豚面の作者が重なり、僕の中で熱いパトスがほとばしった。

 何とも言えない背徳感。


 何故だかあのメス豚の事が気になる。

 喉ではなく、胸に魚の骨が刺さったような感覚。心の揺れ。

 激しい動悸。


 未成年でタバコを吸うようなドキドキ感とは比べ物にならない感覚。僕は一瞬、悦に浸ってしまった。

 

 ________朦朧(もうろう)とする意識の中、目の前に黒い煙を纏った日本刀のようなものが突如現れる。


「うおっ!!!!」


 その空中に浮かぶ異様な物体に対して恐怖というよりも驚きから大きな声が出て、反射的に後ずさりし、壁に後頭部を打ち付ける。

 

「いたっ!」

 

 壁に頭を打ち付けた瞬間、衝撃で目を閉じてしまいすぐに目を開けたが既に先程現れたものは消えてなくなっていた... ...。


「... ...」


 刀のようなものがあった場所に手を伸ばすが無情にも空を切る。

 まあ、見間違いか何かだろう... ...。

 僕は突如として起きた超常現象? 幻想? に対して「単なる見間違い」という結論を安直に出してしまった... ...。


 僕にとって先程の光景は「まあ、いいか」で片づけられるほど一瞬でかつ、不鮮明なものであった。そりゃ、長い事両親が家にいない状況が続けば恐怖にだって慣れる。

 家が軋む音や人の気配がするというだけでいちいち驚いていては精神が持たない。


 恐怖という感情なんて飼い慣らしてなんぼ。

 男なら殺人事件が起きた家でヒップホップダンスするくらいの度胸とユーモアくらいは必要だ。


 その日は慣れない人込みに疲れてしまい、早めに床につくことにした。


 あの刀は何だったのか?

 まず、刀だったのだろうか?

 まあ、生きている間で人は不思議な事に3度はあうというが、それの一度目が来たという事だけだろう... ...。


 一応、刀について考えてはみる。

 しかし、あれは見間違い。興味が自分の中でさほどない事を体現するように睡魔が一気に襲い眠りについた。


 二度と起きる事はない。

 僕の中で何度も繰り返されていた言葉。

 だが、その言葉とは裏腹にその二度目はすぐに訪れる事となった。


 二日後。


 その日は学校の行事の都合で体育館が使えないという事で部活も休みとなった。

 外練や学校の廊下で練習でも良いと思うのだがウチの顧問はすぐに部活を休みにしたがる。

 部員たちもやる気がある訳でもないので、その判断に異論を唱えるものもいない。


 いつも通り真っ直ぐ家に帰り、菓子パンを頬張り、自分の部屋に入り自慰行為に励む。

 何気ない生活のルーティン。

 これが終われば次はゲームでもしよう。と考える。


 だが、ゲームをする事は出来なかった。

 絶頂を迎える瞬間、異形の刀は前の時と同じタイミングで突然と僕の前に再び、姿を現した。

 今度は一瞬ではなく数秒。


 以前、見た時よりもその物体を長く視感する事が出来た。

 そのものは、前回見た通り「日本刀」である事に間違いはなかった。

 刀身があり柄がある。


 色味はなんというか紫に黒が混じったような禍々しい色。

 何回も使われているのだろうか、刃の部分は少し刃こぼれしていて、柄もボロボロ。

 音もなく、風もなく、それはひっそりと僕の部屋の真ん中の空中に佇む。


 ある程度の情報を得て、それは、再び音もなく消えた。


 消えた後に浮かんでいた箇所に触れてみるが、やはり、前と同じ結果。

 周囲を見渡しても当然にその刀は見付からない。

 突然現れ、突然消えた。


 不思議とその刀に対して恐怖心というものは抱かなかった。

 恐ろしいものだなあ。不思議だなあ。という感想は抱くのだが、何か他人事のよう。

 漫画や小説を読んでいて、突如、変なものが漫画の中に登場しても作中に出ている人物のようには驚かない。

 それは、漫画の世界であって、現実ではない事は明らかだし、予定調和的なものが見え隠れしていることを頭で感じている為。


 その刀を二度目に見た時は正にそんな感覚であった。


 これは恐らく、超常現象。

 そして、僕だけにしか見えない・感じない・現れないものなのではないか?


 現代っ子の僕は何か分からない事があるとすぐにネットで調べる。

 2chや他の掲示板で調べてもそのような現象を体験したという書き込みは当然にない。

 質問コーナーに投稿しようとしたが止めた。どうせ、まともに返答してもらえないからだ。


 いや、この場合、まともな答えがある事がおかしくて、まともな答えがない方が正解なんじゃ... ...?

 まず、まともな答えってなんだよ!

 

 人類の英知の集合体に早々に見切りをつけた僕は、物語の世界の主人公になれたかのような気分になり心躍った。

 よくよく考えたらこれは凄い事ではないだろうか?


 レア度で言ったら宇宙人に遭遇するくらいの確率? 現象?

 いやいや、目の前に刀が現れるなんて漫画や小説の世界じゃないか。


 あの刀に触れたら別の世界に行くの? 不思議な能力が得られる? もしかしたら、刀の妖精という美少女が現れる?


 妄想に妄想が膨らみ、ニヤニヤが止まらない。

 

 刀に触れたら死んでしまう可能性も、敵が出てくるなどのマイナス要素も考えられるのだが、その時の僕は舞い上がってしまい、不安因子など思いつきもしなかった。


 

 ◇ ◇ ◇



 刀は次の日も、その次の日も自慰行為をする度に出現。

 そして、日を重ねる毎に現れる時間は長くなっていき、一か月経過する頃には1分ほど原型を留められるようになった。


 この刀について徐々に分かってきた事がある。


1.自慰行為をしなければ出現しない


2.何故か「音偽装氏」の作品をオカズにした時のみ顕われる。詳細は不明


3.触れても特殊な力を得たり、美少女に遭遇したり、異世界には行けない。あくまで、実態がある物理的な武器として存在するようだ


4.物や人を切る事は可能。自分の指に刃を当てると切る事が出来た。その傷口から毒が入ったという事もなく。一日で治った


5.他の人には見えない。両親がいるリビングに刀を持って入ったが何も言われなかった


6.射精してしまうと一分足らずで刀は消えてしまうが、絶頂状態直前で寸止めすると長い時間存在をキープする事が出来るようだ。そのため、長く刀をこの世界に留めておくには”イカない事”が重要


 以上の事を踏まえて、ある結論に至る。


 うん。この刀全然使えないな。


 三か月もしない内に僕は、この刀に飽きた。

 初めの内は「これ、TV局とかに売り込めるんじゃない?」とか色々思いついたが、刀は誰にも見えないし、それに「自慰行為しないと出てこない」とか言ったら笑われるか変態だと思われる。


 世界も征服出来ちゃう!?

 いやいや、この刀自体は普通の刀。如何にも伝説の武器のような雰囲気を醸し出しているが、物が切れる以外に何の特質もない。

 ビームが出る訳でも幻想をぶった切れる訳でもない。


 次第に僕はその刀に触れる事も考える事も少なくなっていった。

 射精した後に余裕があれば、たまにフルチンのまま刀を持ち武士のような構えをとる事くらいは何回かしたが、それもすぐに飽きた。


 刀への興味は段々と薄れていくのだが、それに反比例するかのように「音偽装氏」への思いは募るばかりであった。

 

 初めはブスが書いた本でヌク事に対して抵抗があったのだが、今やその心のムズムズ感というものが癖になっていき、徐々に「音偽装氏」に対して特定の感情を抱くようになった。

 

 彼女が参加する同人販売会にも一人で行くことも多くなり、世間話もするようになっていった。

 そして、徐々に彼女の魅力に気付いていく。

 初めて会った時は表情が固く「感じの悪いブス」という母親の下着姿を見てしまったような最悪な気分だったが、話の合間に時折見せる無邪気な笑顔に心打たれてしまった。


 更に、音偽装氏の年齢を完全に20代後半くらいだと思っていたのだが、同い年という事に衝撃を受け。


「あ、音偽装氏さんタメだったんですか... ...。老けてるね... ...」


「うるさい! 気にしてるんだから言うな!」


 音偽装氏は顔を赤くし、僕の腹を軽く小突く。

 周囲から見たらブスと不細工の汚い戯れだと思われていたかもしれないがそんなものは関係ない事。

 僕はこの時間に幸せを感じていた。


 何だろう。この心の隙間を埋めてくれるような感覚は... ...。


 どうやら、僕の心は寂しさや孤独を日々感じていたのかもしれない。

 それが当たり前になっていて、今まで気にもしていなかったのかも。

 心の拠り所を見付けたと同時に僕の中の心の暗部を初めて感じた。


 光ある所に影は出来る。影しかない場所ではどこが影なのか認識する事も出来ないのだ。


 ああ。この子とずっと一緒に居たい... ...。

 

 思いは日に日に募っていくばかり。

 そこで僕は必然的にある決断をする。


「よし! 音偽装氏に告白しよう!」


 あいつはブスだから、特に障害もなく簡単に付き合えるだろう。

 僕はそんな楽観的な考えだった。

 そして、中学3年の夏。


 同人販売会の帰りに会場から出てくる彼女を待ち伏せし、あたかも偶然出会った体を装い、駅に到着する寸前に思いを告げた。


「付き合って下さい!!!」


「ごめんなさい。彼氏いるんで無理です... ...」


「... ...は? 彼氏?」


「え? あ・うん。あれ... ...」


 彼女が指を差した先を振り返り見ると、イカツイバイクに乗り、赤いスカジャンを羽織ったノーヘル金髪の如何にもヤンキーがバイクをアイドリング状態にさせ、誰かを待っている様子。


「じゃあ、彼氏待ってるから... ...」


 そう言うと彼女は僕から逃げるように、そのヤンキーの元まで駆けて行く。

 僕は何も言えずに彼女の後ろ姿を放心状態で見続ける。

 近代的な設計がされている駅舎が夕陽に照らされ、西日が反射し、眩しさから目がしぱしぱする。


 僕は暗くなるまでその場所に立ち尽くしていた... ...。



 ◇ ◇ ◇



 家に帰ると、当然に誰もいない。

 薄暗い空間に「ただいま」と言っても誰も「おかえり」と返してくれない。

 菓子パンを頬張り、部屋に戻る、そして、いつも通り自慰行為をする。


 彼女の書いた本を見ると自然と涙がこぼれた。

 無力感から来る涙なのか、悔しさから来る涙なのかよくわからなかった。


 その日から僕は誰にも会わず暗い部屋でジッと何もない白い壁を見つめていた。

 母親は心配して扉越しに声を掛けるが、僕は「今は誰にも会いたくない」と冷たくあしらった。

 

「何も食べないのは体に毒だからご飯くらい食べて」


 母親はそう言うと部屋の前に白いご飯と肉野菜炒めと味噌汁と麦茶を置いた。


 最初の二日間は食べ物を食べる気になれず、麦茶しか飲まなかった。特に無理をしていた訳ではない。食欲というものを感じなかった。

 ある意味、無心で壁を見つめるという行為が瞑想の体を自然と成していたのかもしれない。


 だが、大阿闍梨でもない僕の腹の虫は二日目の昼過ぎくらいに鳴き始め、二日ぶりに固形物が喉を通った。

 食欲が出てきた事で何かをする意欲が出てきたのか不明だが、久しぶりに部屋のTVに電源を入れると、お笑い番組がやっていて、観客や出演者が楽しそうに笑っている。


「はあ? 俺がこんなに落ち込んでいるのに何でこいつら笑ってんの?」


 生まれて初めてのTVに対しての発言は心の底から出る不満だった。

 TVに出ている人物は一方的に物事を伝える。こちらの状況なんて把握している訳がない。というよりも不可能。


 人が死のうが、落ち込んでいようがお構いなし。

 それがTVであって人間の生み出した娯楽。


 TVに「空気読め」と言っている方が非常識だ。

 嫌ならチャンネルを回せばいい。

 苛立ちを込めながら他のチャンネルを回すが同じように笑いが絶えない番組。


 次のチャンネルもそのまた次も。

 この世界には人の気持ちを顧みないような押しつけがましい幸せが多すぎる... ...。

 今は、人の声を聞きたくない。笑い声や楽しそうにしている声なんて毒でしかない。


 そんな日が延々と続いた。

 まあ、延々と言っても半年程か。


 その期間はちょうど受験勉強の真っ只中。


 そのような状態であれば、受験勉強なんて手につくはずもなく、志望していた高校は全て落ちた。

 滑り止めにもなっていないような私立のバカ高しか、僕には残された選択肢がなく「こんな、ところに行くぐらいだったら学校に行かないで働いた方がマシだ」と両親に告げるが「頼むから高校くらいは卒業してくれ」と懇願された。


 初めて見せる母の涙を見て、さすがにいたたまれない気持ちになり、高校に進学する事を決めた。


 半年間続いた僕の引きこもり生活も高校進学という展開によって終わりを告げる。

 まあ、正直、TVを見る事によって多少のリハビリになっていたのか分からないが、人と話したいという気持ちもあった。


 単純に社会に飛び出すキッカケがなかったんだ... ...。


 彼女への思いは時間が経つにつれて薄れていくのだが、未だに夢に出てきたりする。

 潜在的な意識の中ではまだ忘れられていないのだろう。


 特に彼女の事を知っている訳でも長い時間を一緒に過ごしていた訳ではない。  ただ、彼女が書く作品を通して僕は彼女に興味を持った。未だに彼女の作品を見て自慰行為をしていたのだが、このままでは彼女の事を忘れられない。前に進む事が出来ない。と考え本を閉じ、押し入れの奥に僕の気持ちと一緒に押し込んだ... ...。


 彼女の本を見ないことにより、今まで見えていた日本刀も出現しなくなり、その存在すら忘れかけていた。



 ◇ ◇ ◇



 ______そして、月日が流れ数か月後。


 僕は今、拳銃を持った男達とクラスメイトの目の前で床に股間を押し付けている。


 この空間にいない第三者が見たらこの光景をどう解釈するのだろうか?

 いや、この場所にいる当事者から見ても僕が床に股間をスリつけた理由を説明できる者は皆無。僕は高校生活すべてを投げ出す覚悟でこのような行動を取っている。


 この場を収めるには僕のあの力。

 あの『日本刀』が必要。あの刀をあいつらの脇腹に刺す。それが出来るのは僕しかいない。そして、変わるんだ。


 ______みんなを助けてヒーローになる。


 そんな気持ちは毛頭ない。

 誰かがレイプされようが、殺されようが関係ない。このクラスで助けたいと思う奴なんか一人もいない。 特にクラスメイトを恨んでいる訳ではない。嫌いな奴も好きな奴もいない。誰に対してもフラットでゼロ。

 

 これは、イイキッカケ。

 僕が変わる為に神様がくれたチャンスなんだ。

 ずっと待っていた、何かが変わるその時を。


 ___それが、今なんだ。


 押し入れに本も気持ちも押し込めたのに忘れられない。

 何かをしていないと直ぐに彼女を思い出す。


 ... ..辛い。

 

 いつも、胸が張り裂けそうだ。

 変わりたいのに変われない。


 もう、物理的に何かが起きないと。

 大震災でも、人災でも何でもいい。僕に変わるチャンスをくれよ。


 そして、僕の思いに答えるように目の前に禍々しいオーラを放った『日本刀』が姿を現す。


「やっと、変われる時が来たんだ... ...」


 僕は、日本刀をガッチリと掴んで立ち上がり、女子生徒を押し倒して馬乗りになっている赤帽の横腹に日本刀を突き刺す。


「いってえええええ!!!! あー!!!!」


 赤帽は情けない声を出して、エビ反りのような態勢。

 あまりの間抜けっぷりに少し笑いそうになる。

 赤帽が力んだために銃が暴発し、教壇に固まっていた生徒の一人の腹に当たってしまった。


 その音と悲鳴を聞き、窓際に女子生徒を連れ込み、お楽しみ中だったマスクも事の重大さにプレイを中断して後ろを振り返る。


 僕は、赤帽に差し込んだ日本刀を彼の体内で半回転させ、体内から背中にかけて剣を振り上げ。


「あー!!!! あ... ...」


 と首元と頭が真っ二つになる際に赤帽の断末魔は止んだ。


 体内を日本刀でかき回した際にコツンという感覚が手元に来た。恐らくそれは背中の骨が当たった時の感触だろうか?

 切れ味の良い刀で本当に良かった。


 赤帽からおびただしい量の血が腹や腰から溢れ出て、ピカピカだった床を赤いキャンパスのように染める。

 赤帽の腹からダルンと細くて長い物が飛び出し、教室内が一気に生臭くなり、生徒達は鼻と目を塞いだ。


 あまりの凄惨な様相に泣き出す生徒、嘔吐する生徒、悲鳴をあげる生徒。

 赤帽に乱暴をされていた女子生徒に目を配ると、青白い表情で僕の事を見ている。


 他人からこんな表情を向けられたのは初めてで若干、僕の股間は疼いてしまった。軽蔑の感情でもなく、恐怖の感情でもない。人間、言葉が出ないという瞬間がある。それは、一瞬ではあるが、普段は頭で感情を考えて表情に出す。今回はそれが逆。頭で考える前に感情が外に出てしまったのだ。


 ずた袋のようになっている赤帽の骨盤に右足を置き、僕は何度もやった事があるかのようにスムーズに日本刀を引き抜いた。

 引き抜いた際に血液が更に吹き出し、赤帽に乱暴されていた女子生徒の顔にかかってしまったが、元々、青白い表現をしていたので、これでバランスが取れたので結果オーライ。


 恐怖という感情を感じたのか少女は顔を歪めて泣き出したが、そんな事はどうでもよい。


 僕は日本刀を持ち、二歩でマスクを殺せる間合いまで距離を詰めた。

 マスクは相当、油断していたのだろう。赤帽とは別の女子生徒とお楽しみ中だったので、銃を近くにあった机の上に置いてた。


 そして、マスクが銃を手にした時すでに、マスクの背中から吹き出した血液が僕の顔や服を真っ赤に染めていた。


 コツンと背骨が体内で当たる感触が若干気持ち良かったので、僕は再び、マスクの体内で刀を半回転。

 そして、剣を横に振り回すように大振り。

 

 バラバラになったマスクの上半身と下半身から噴出した血により、教室内は紅に染まる。

 この日本刀は相当切れ味が良い。CTスキャンをしたように綺麗な断面をした下半身が僕の目の前にはある。


 興味本位でその真っ平らな断面に手を置いてみると生暖かく、血液が溢れ出ているので、流れに沿って臓器が微かに揺れる。

 まるで、下半身だけが一つの個体として生きて行こうと頑張っているように感じる。


 あまりの愛おしさに僕はその崇高な物体に顔を近付ける。音はない。

 しかし、そこからは心臓の音ではない。微かな振動と音が聞こえる。


 そのはかなさと尊さに僕は感激すら覚えた。

 

 吹き出した血を全身に浴び、水たまりが出来るほどの血が足元に溜まる頃、教室内に武装した数十名の機動隊が突入して来て。


「おい君! その凶器を捨てなさい!」


「え?」


 僕は耳を疑った。

 凶器? なんの事?


「早くその持っている凶器を捨てるんだ!」


 凶器? あれ? 見えてる? あの警官には僕のこの刀が見えているのか?

 

 周りを見渡すと返り血を浴びたクラスメイトが僕を怯えた様子で見ている。


「おいおい。助けてやったのは僕だぞ? 「オナニーさせてくれ」って言ったのはあいつらを油断させる為に決まっているだろ?」


「... ...」


「まあ、ショックなのは分かるけどさ。それくらい察してくれよ」


「... ...」


 何だよ。こいつら、助けて損した。

 まあ、いいさ。どの道、こうなる事は覚悟の上。


「おい! 凶器を捨てろ!」


「... ...はいはい」


 ゆっくりと刀を血が溜まった床の上に置くと、屈強な体格の大人達が僕を取り囲み手錠のようなもので僕を拘束。

 まるで、僕が危険生物のようだ。



 

 ◆ ◆ ◆




 翌日の新聞やニュースの話題はこの事件の話で持ちきりだった。

 学校に侵入した犯人達が一人の生徒によって惨殺。

 正当防衛があるからと言っても、高校生になったばかりの子供にこんな残忍な事が出来るなんて。


 しかも、凶器は『日本刀』救助された生徒達の証言では犯人の持ち込んだ凶器は『拳銃二丁』のみ。

 では、日本刀はどこから持ち込まれた?

 日本刀には田村という生徒の指紋しか付着していなかった。


 生徒達は口々に「気付いたら田村が日本刀を持っていた」と証言。

 情報が錯乱し、田村が日常的に凶器を持ち歩いていたというデマも流れ始め、世間の関心はクラスメイトを救った勇敢な少年から凶悪な事件を起こした少年へと話の本質が変化していった。


 ワイドショーは田村の両親は共働きで家にいなかった事。田村のPCにはアニメキャラクターの卑猥な画像があった事などをこぞって報じた。田村が一度、日本刀を持って両親の前に現れたが両親は「どうせ、おもちゃだろう」と思って気にも留めなかった。


 有名な教育評論家たちは「彼が日本刀を持って現れたのは、両親に構って貰いたいというサインだった。それを両親は無視した」と両親の息子に対する無関心さを痛烈に批判。


「彼がこのような事件を起こした背景として、両親の愛情を満足に受けられなかった」という解釈になり、世間のバッシングは両親に集中した。両親はマスコミや世間の目から逃げるように家を出て、行方をくらまし、そして、段々と世間の興味は別の事へと移り変わって行った。




 ◇ ◇ ◇




 あの事件以降、僕の生活はガラリと変化した。

 世間の僕に対する好奇の視線。カメラのシャッター音。噂話。

 両親が行方不明になり、僕は父さんのお父さん。つまり、僕の父方の祖父の家に引き取られる事になった。


「少し、都会から距離をおいた方がいい」

「田舎なら、事件を知る人も少ないだろう」

 

 大人達は体のいい言葉を並べ、田舎に住んでいたおじいちゃんの家に僕を無理矢理預けた。

 まあ、元々、おじいちゃんの事は好きだし、ちょうど良かった。

 

 おじいちゃんは数年前におばあちゃんが亡くなっていた事もあり、一人でこの大きな家に住んでいた。

 一人でこの家にいる事は寂しかっただろう。僕が来た事で、おじいちゃんは嬉しそうだった。

 おじいちゃんは好きだ。事件の事を聞いてこないし、その素振りすら見せない。


 僕に対して気を遣っているのか、そんなに興味がないのか。

 まあ、これが年の功ってやつなのかな?


 来月から地元の学校に通う事も決定。

 全校で60人くらいしか生徒がいない高校らしい。

 街から外れ、山奥に高校があるというのも驚きだが、僕のような生徒を受け入れた事に更に驚いた。


 報道規制がかかっているにしても、あれほどの大きな事件。しかも、それは高校で起きた事。

 教壇に立つ側からしてみれば、嫌でも耳に入ってくる話題。

 それを知らないって事はないだろう。


 まあ、疑問は色々と残るが考えても仕方がない事。

 

 あれから日本刀を見る事はなくなった。

 音偽装氏の事を思い出す日が少なくなったからだろうか?

 

 未だに彼女の夢を見る。

 しかし、前とは違い嫌な夢ではない。

 彼女とお喋りした時の楽しい記憶を思い起こす。


 不確定な事だが、このまま、時が過ぎれば自然と忘れられそうな気がする... ...。


 家の前の田んぼの稲は僕が東京からおじいちゃんの家に来た時は僕の足首くらいにしか達していなかったが、今ではもう、膝くらいまでの高さがある。

 季節を勘違いしたトンボ達は秋が待ちきれない様子で涼しくなると山から降りて、稲の上を楽しそうに舞っている。


「そろそろ、セミが鳴きだす時期だな」


 食事の途中におじいちゃんがポツリと一言。

 そうか、もう、そんな時期なのか... ...。目の前にそびえる山の尾根に影がかかり帽子のようになっている様子を眺めながら、僕は音偽装氏に振られたあの日を思い出した。


 橙(だいだい)色した夕陽。近代的な駅舎。人混み。鮮血。悲鳴。

 音偽装氏に会う事は二度と会う事はない。

 クラスのみんなや両親に会う事も... ...。


 その日の晩、夕食で出されたのはスーパーで買ってきた1パック380円のタレがよく沁みたスペアリブ。僕の大好物。

 おじいちゃんは覚えててくれたのだ。


「雄一郎。明日から高校だろ? 性のつく物を食べて元気に登校するんだぞ」


 言葉数が少ないおじいちゃんは僕の事をずっと心配していてくれたのだろう。

 あのような凄惨な事件が起きて、再び、舞台は違うが、高校に行く。

 それは自分の孫にとって勇気のいる事。


 「頑張れ」というような直接的な言葉はない。

 だが、おじいちゃんの気持ちは伝わる。

 おじいちゃんは良い人だ。


 そして、僕はおじいちゃんの買ってきてくれたスペアリブの骨をしゃぶりながら。


『はあ... ...。また、人を斬ってみたい』


 とあの日の出来事を思い出して、そのような事を考えていた。


 僕の日常は崩壊した。

 それは音偽装氏に振られた日から?

 人を斬った時から?


 今では、何が日常で何が非日常かよく分からない。

 僕にとってはこれが日常。

 



 


 

 



 





 

 

 


 

 


 


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 


 

 


  



 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 


 



  

 


 


 



 

 


 


 

 

 

 




 


 


 

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