第19話 『永遠の引きこもり』

「……これて準備は整ったか」


 ぶくぶくと泡を立てるフラスコに入った液体を確認して俺は言った。


 そのフラスコは通常のものよりもはるかに大きいサイズで、スイカ程度は余裕にある。


 今俺が行っていることは、禁術とされる魔法の実験である。これは結構な時間をかけていて、賢者の石と同じくらいに熱中している。


「さて、あとすることといえば……」


 俺は机の上に置いてあった紙を眺める。


「この世界で生きていくための不安要素の排除、そしてサキアの承認、だな」


 その紙に書かれていたのは、「マレウリス」という悪魔の召喚方法。


 この悪魔は危険であるとされ普通の魔法書には記述が無い悪魔である。


 そして、俺をこの世界に連れてきた張本人でもあるのだ。




「ご主人様、どうされたのですか?」


「何、このおっきい魔法陣?」


「見ての通り悪魔召喚の魔法陣だよ。今回のは、二人にも見ておいてほしくてな」


 俺は魔法陣の上に賢者の石の欠片を乗せる。


「賢者の石!? ご主人様、本当に大丈夫なのですか?」


「あぁ、召喚にはこうするしかないからな」


 マレウリスは意図的に召喚する場合大量の魔力媒体が必要となりその条件も厳しいため、今は賢者の石で代用するしかない。


「いえ、そうではありません。賢者の石を使用しなければ召喚できないような悪魔、というと危険なものばかりではないですか?」


「そうだな。俺もどうなるかは分からん」


「えぇっ! それ、大丈夫なの?」


「俺は死なんから平気だ。カオンは万が一に備えて後ろの方で見ていればいい」


「駄目ですご主人様! 危険な悪魔は死なない程度のものでは太刀打ちできません! 今すぐお止めください!」


 俺の腕を掴むサキアの手を、俺は握り返してやった。


「安心しろ。こいつは因縁があるとすれば俺にしかない。もしお前らに何かあれば俺が許さん」


「そういう問題ではありません!」


「そうだよ! なんで師匠こんなときにだけかっこいいこと言っちゃってんの!」


「万が一だ、万が一。俺だってあんまり会いたくはない。が、今後この世界で生きていくための不安要素は取り除いておきたいんだ」


「……不安要素、ですか」


「あぁ。今進めている実験が成功すれば、俺はこの世界で永遠に生きなければならないと思った。だから、それを妨害する要素はなるべく排除しておきたい」


 俺は、魔法陣の前に立った。


「じゃあ、やるぞ」


「……はい」


「うん……」


 俺は、呪文を念じ魔法陣を発動させる。


 普段なら魔法陣が怪しく光り悪魔が出現するが、今回はそのような演出はなかった。


 ただ、目の前にいきなり現れたのだ。


「きゃっ……!」


「わっ……!」


 現れたのは、背の高い黒ずくめの男。まさに「悪魔」といった、あの日から全く変わっていない姿だった。


「久しぶりだな……マレウリス」


「マレウリス……そうでしたね、私はそんな名前で通っているのでしたね」


「自分の名前も分からないのか」


「いえ、私は名前を沢山持っているのでね……一つや二つ忘れることもありましょう」


「……そうだろうな。お前のことはそれなりに調べたから知っているぞ」


 マレウリス――この悪魔が危険だとされるのはその性質にある。


「その名前で呼ばれるのはこの世界だけですし、この世界で私は一般には存在しないものとなっていますからねぇ」


 こいつの特徴は、「どこへでも出現できる」という能力だ。それはたとえ別世界でも通用する。その力で様々な世界を渡り歩いているが故に、名前も沢山持っている。


 そして、その力で俺をここへ連れてきたのだ。


「名前のことはもういい。本題に入ろう。……切り出したいのはそっちだろうがな」


「えぇ、そうですね。私は今大変機嫌が悪いのです」


「そうだろうな」


 ニヤニヤと笑っているが、その見開いた瞳は小刻みに震えながら俺を睨み付けている。今すぐにでも殺してやりたい、と言わんばかりに。


「今までこんなことは一度もありませんでしたよ。まさか外へ出ようとせず、尚且つ不死身の体を手に入れる者が現れるとはね」


「そんなことも想定せず魔法書を大盤振る舞いしたお前のミスだよ」


「全く、困ったものですよ。こうなってしまうとあなたが元の世界へ帰るしか賭けを終わらせる方法が無くなるのですが……あなたはこの世界へ留まるつもりなのでしょう?」


「そうだな。困ったか?」


「困ったもなにもありませんよ。参加者からも酷く文句を言われました。部屋から出ず生き続ける人間を見ても面白くない、とね」


「ずっと見てたのか」


「はい。私も定期的に様子を伺っていますが、参加者の方々もあなたがここへ来たときからずっと見ていますよ」


「……そんな芸当ができるってことは、参加者ってのはやはり……」


「そうですね。神、です」


「神……っ!?」


 俺の後ろで、サキアが声を漏らした。


「正確にはあなたが元いた世界の神ですね。堕落した人間が更正できるかどうか、神はそんな賭けを通じて人間の性質の調整を行っているのです」


「大掛かりなことしてそうで、ショボいもんだな」


「人間には分からないことでしょうね」


「で、俺はどうだ? 更正できたと思うか?」


「難しいですね。あなたは今やる気に満ち溢れています。ですが、本質は変わっていません。行動の全てが引きこもる為のものですから」


「そうだな。俺は、更正したとは思ってない」


「おや、そうですか?」


「あぁ。俺は、今もこれからも引きこもるつもりでいる。お前の言うとおり何も変わってないよ。だから、この賭けはお前の勝ちになるのかな?」


「自ら負けを認めるのですか?」


「あぁ、負けだよ」


 俺は言い切った。


「……なら」


 マレウリスは、ぼそりと声を漏らした。


「なら、あなたの魂を、私に寄越しなさい……!」


 牙を剥き、尖った爪を俺に向けた。


「なんでだ? それは俺が死んだときの条件だろ? 俺は更正できなかった、それだけだ」


 俺は、ちょっとからかうような口調で言う。


「それが何ですか! 私は悪魔です! 無報酬で働くことは、許されない……!」


 明らかに怒っているのが分かる。我慢の限界のようだ。


「こうなったのもお前の落ち度だろ。それに俺は死ねないから魂も渡せん」


「私を舐めてもらっては困りますよ……! 不死身の人間から魂を奪うことなど容易いこと……!」


 と、俺に飛び掛ってきた。


「師匠っ!」


「ご主人様ぁーっ!」


 と、その時だった。


「ぐわァッ!?」


 部屋にまばゆい光が満ちた。そして、


《そこまでにしなさい》


 何者かの声が、部屋に響いた。


「だ、誰っ!?」


 カオンが部屋をキョロキョロと見回す。


《私は、神と呼ばれる者です》


 声は、そう言った。


「なッ……! な、何故邪魔をするのですか!」


 マレウリスは目を押さえながら叫んだ。


《既に賭けは終わっています。もうあなたが介入する必要もありません》


「ならば、魂を私にっ……!」


《それは、彼が死んだときの魂を賭けに出すと言っただけでしょう》


「それは理不尽です! 賭けに負けたのなら、相応の物を差し出さなくてはなりません!」


《賭けに負けた? いえ、そうではありません。彼は、賭けに勝ったのですよ》


「そんな、彼は自分で負けを認めました!」


《これは、神の判断です。確かに外へ一歩も出ず生活している彼は、一見堕落した人間です。しかし、魔法を学びそれを実践し、生計を立てている人間を、堕落したとは言えません》


「しかし……!」


《認めなさい。更に言えば、最近は弟子もできたようですしね》


「わ、私……!?」


《ということで、この賭けは彼の勝ちです。こちらの世界に戻ってこないのは想定外でしたが、彼はこの賭けの目的を達成しています》


「……そんな、そんなこと……!」


 悪魔は顔を抑え震えている。そして、


「そんなこと、認められるわけねぇだろォッ!」


 一瞬にしてその痩せこけた体が膨れ上がった。


 それは、もはや形を成さない一つの闇であった。


「今すぐ、お前の魂を貰うッ!」


《やめなさい!》


「グワアァッ!?」


 と、神の声と共に闇は散り散りとなった。


《全く、あなたは時々感情的になりすぎますね。――メフィストレフィス》


「……し、主よ……、しかし……」


 光の中に漂っていた闇の欠片は、そう言い残して消えた。


《……さて、試練を乗り越えた人間よ、賭けに勝ったあなたには褒美を与えましょう》


「……褒美、ですか?」


《はい。様々な才能やありったけの財産。最高の幸福を与えます》


「は、はい、ありがとうございます」


 神を目の前にして、俺はちょっと萎縮する。


《永遠の人生を、幸福に過ごすと良いでしょう》


 すると、光がより一層強くなった。


《では、幸せな人生を》


 そう言って、光は消えた。


 後に残るのは魔法陣だけだった。


「……終わった」


「師匠……」


「ご主人様……」


 俺は振り返り、二人を見つめた。


「サキア、これからも、『永遠に』よろしくな」


「ご主人様っ……!」


 サキアは俺に抱きついてきた。俺はそれを受け止めてやる。


「えーっ! 私は!?」


「カオンはまだ『永遠に』とは言えないからな……とりあえず、今後末永くよろしく、と言ったところかな」


「ふんっ! すぐに不老不死になって『永遠に』になってやるもんねっ!」


「そうだな。いつか『永遠の』弟子になってくれ」


「あっ違う! 弟子はいつか卒業するもん!」


「じゃあとにかく勉強あるのみだな。頑張れ」


「うぅ……」


 カオンは肩を落とした。


 俺は、抱きしめていたサキアを離す。


「で、サキア。ちょっとお前に頼みたいことがある」


「はい、何でしょう?」


「俺とお前の、子どもを作ってくれ」


「えっ……!?」


 俺の言葉が理解できないのか、戸惑うサキア。


「えええええっ!?」


 大声を上げるカオン。


「サキア、子どもを……」


「ごごごごごごごご主人様っ! ああ、あのっ! そのっ! お気持ちは大変嬉しいというか待ちに待っていたとかそういうのはともかくとしてっ! こんな状況でそんなこと言われてもっ……!」


「しししししししし師匠っ! ななな、何言ってんのっ! ちょ、直球すぎだよっ!」


「いいから、早く、今ここでだ」


「ええええっ!? 今ここでですかっ!」


「ちょ、ちょっと! 駄目だよっ! 14歳のレディーがいる前でそんなこと言うのもするのも駄目だって!」


「サキア、どうなんだ」


 俺は、サキアの顔を見つめる。


 その顔は真っ赤に染まり、視線は俺を直視できず言ったり来たりだ。


「ああああああ、あのっ……! そのっ……! 私に断る理由は無いのですがっ……そのっ……色々と問題があるのではと……!」


「サキアも駄目っ! 今からここで何が行われるのっ!? もしかして私出て行ったほうがいいの!?」


「いいんだな、じゃあ、髪の毛を一本くれ」


「……えっ?」


「え?」


「だから、髪の毛をくれ。いつもやってるだろ」


「は、はい……」


 サキアは髪を一本引っこ抜き、俺に渡した。


「よし」


 俺はサキアを離し、机に向かった。


「どどど、どういうことですかっ……!?」


「もう訳分かんないよぉ……」


 俺は机の上に置いてあったフラスコの蓋を開けると、サキアの髪を入れた。


 そして、俺も髪の毛を抜き、同じようにフラスコに入れる。


 すると、フラスコ内の液体が反応し、様々な色へと変わり始めた。


「……よし、これであとはこうすれば……」


 俺はフラスコに念を送る。


 成功率は低いらしいが……、神に幸福を与えられた今ならできる気がする。


「ご主人様! なんなんですかっ! 冗談では済まされませんよっ!」


「師匠! 何やってんのっ!」


 すると、フラスコが光り輝き、宙に浮き上がった。


「……やった! 見ろ、成功したぞ!」


「……えっ!? 何それっ……」


「ご主人様、これは一体……」


「俺が研究していたのは、『ホムンクルス』だ」


「ほ、ほむ……何?」


 カオンが首を傾げる。


「フラスコ内で作れる、全知の特性を持つ人間だ」


「人間……」


「これを作るためには男女の体の一部を必要としている。ようは、通常母親の胎内で行われる現象をフラスコ内で再現しているんだ」


 フラスコの光はさらに強くなる。


「こいつは性質的には、元となった男女の子になるわけだ。だから、俺はこの世界で永遠に過ごせる地盤を整えサキアに確認した。重要なことだからな」


 仮にも子どもを作るわけだから、責任は取らなければならない。


「そ、そうなんですか……」


 サキアは、複雑な顔をしている。


「うわぁ……師匠、最低だよ……」


 何がだ。


「通常ホムンクルスはフラスコ内でしか生きていけない。しかし、その中で哲学を行い真理にたどり着いた時、ホムンクルスはフラスコを割り、全知の生命として誕生するんだ」


 と、そこまで話したとき、フラスコの光が収まった。


 その中には、一人の赤ん坊が、手足を丸めて浮いていた。


「やった……! 成功だ!」


「これは……」


「赤ちゃん……?」


 二人はフラスコの中の赤ん坊をしげしげと眺める。と、その時だった。


『――パパ、ママ』


 どこからともなく、少女の声がした。


「えっ……!?」


「何っ……!?」


 サキアとカオンが驚く。


「ホムンクルス、お前だな」


『そうだよ、パパ。私だよ』


「赤ちゃんが……」


「喋っているのですか……?」


『そこにいるメイドさんが、私のママだね』


「えっ……!? あっ……、はい、そういうことになるんですかね……」


「そうだな。サキアお母さんだぞ」


『そして、隣の女の子がパパの弟子のカオンだね』


「あっ……はいっ! そうです!」


 何故か敬語になるカオン。


『みんなのことは、よく知ってるよ。まだ未熟だけど、私賢いから』


「そうだなぁ、えらいえらい」


 俺はフラスコを撫でてやる。すると、中の女の子も、笑い顔を浮かべた。


「こんなフラスコの中じゃ窮屈だから、早く外へ出してやらないとな」


『うん。私、沢山勉強して、パパとママに抱きしめてもらえるように頑張るね』


「そうだな」


 俺はふわふわと宙に浮くフラスコを抱え、サキアとカオンに向き直る。


「さて、こいつが俺達の新たな仲間で、俺とサキアの娘のホムンクルスだ。名前は後で付けよう」


「よ、よろしくお願いします……」


「よ、よろしく……」


 二人はまだ状況を飲み込めていないようだ。


「で、だ。サキア、もう一つ言いたいことがある」


「は、はい」


「ホムンクルスは、俺とサキアを親として認識している。だから、俺と、夫婦になってくれ」


「っ……!」


 サキアが、顔を赤く染めた。


「あのっ……、気持ちは嬉しいのですがっ……、私もその気なのですがっ……!」


「何だ?」


「あの、こんな形のは、望んでいないというかっ……!」


「どうした? 嫌なのか……?」


「いえ、そうではなくて……。あの、ご主人様……。ご主人様は、私が好き、なのですか……? 人間として、ではなくてですね……」


「好きだぞ」


「えっ……!?」


「好きだぞ。一人の女性としてな」


 俺はサキアを見つめる。


「この世界に来てから、お前は俺を支えてきてくれた。お前がいなければ俺は死んでいただろうな。こんな駄目人間を文句も言わず支えてくれる、お前は俺にとって、大切な人間だよ」


「そ、そうですか……?」


「あぁ。そして、この『好き』は『親愛』だ」


「し、『親愛』……!」


「俺にとって、サキアはなくてはならない存在だ。好きだ。だから、結婚してほしい」


「ご、ご主人様っ……!」


「そうだな、俺はお前の主人だ。意味は、違うけどな」


「うぅっ……!」


 涙を浮かべたサキアは、俺に抱きついてきた。俺はフラスコを抱えていたので、それを挟むような形となった。


「お前はすぐこうやって行動に出すな。そういうところも好き、だぞ」


「ずるいですっ……今までそんなこと全然言わなかったのにっ……!」


「お前の気持ちはなんとなく気付いていはいたがな、俺が踏ん切りが付かなかった。すまん」


「もういいですっ……! 今、ご主人様が、私を好きと言ってくださるなら、それでいいんですっ……!」


 サキアの涙が、フラスコにぽつんと落ちる。


『ふふ、パパとママ、あったかい』


 ホムンクルスが、そう呟いた。


「これ、出来ちゃった婚だよね……。二人が納得してるならいいしおめでたいんだけどさ……」


 カオンは呆れた声を漏らした。


「ほら、カオンも」


「きゃっ!?」


 俺はカオンも一緒に抱きしめてやった。サキアもそれに乗っかり彼女を抱きとめる。


「ちょっ……! 私を幸せ空間に引っ張りこまないでっ……! なんか恥ずかしいからっ……!」


『うふふ、楽しい家族だね』


「ご主人様、私、今とっても幸せです」


「俺もだよ。人生で一番幸福だ」


 そう。俺は、幸福だ。そして、これからもずっと幸福なのだ。


 俺はずっとずっと、この部屋で、サキア達と暮らすのだ。


 できるならば世界が終わるまで、やってやろうじゃないか。


 3人を抱きしめながら、俺は思うのであった。


〈完〉

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引きこもり魔術師のマジック在宅ライフ 紅森弘一 @purpurnwald

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