羅刹丸 其の二
ある夜、夜盗の羅刹丸は村の
ここなら忍び込んでも広過ぎて、簡単には見つかりはしないと踏んだ。屋敷の
――まだ若い女が眠っていた。
この女は《この屋敷の主の妻か……?》月の明かりに照らされて眠る。美しい緑の髪と白い肌の高貴な女だった。薄物から覗く乳房や脚……その姿態に羅刹丸は劣情した。
ごくりと息を飲んで、いきなり女の上に馬乗りになった。驚いて目を覚ました女だが、叫び声をあげようとした瞬間。羅刹丸は女の口と鼻を掌で押さえ窒息させようとした。
手足をばたつかせて抵抗していたが、やがて気を失った。
ぐったりした女の衣服を剥ぎとり、全裸にして白く美しい肌を堪能してから、女の股を開き秘所に、おのれの物を無理やり押し入れた。――途中、ううん……と意識を取り戻しかけた女の首を絞めながらなおも犯し続けた。
羅刹丸が果てた時、女は痙攣して目を見開いたまま絶命していた――。
獣のような羅刹丸は欲望のままに女を犯し、殺しても、一片の良心の
この部屋で金目の物を物色したら逃げ去ろうとしていた羅刹丸だが、屏風に掛けてある美しい打ち掛けに目が止まった。緋色に金糸銀糸の刺繍を施した豪華な着物である。羅刹丸は思わず、それをひっつかんだ。――が、屏風を倒してしまい大きな音がした。
「もし! どうかなされましたか」
隣室から乳母とおぼしき女の声がした。
戸を開けて様子を覗いた乳母が死んでいる主の妻を見て、絹を裂くような悲鳴をあげた。
「人殺し! 人殺しー!」
大声で乳母が騒いで、その声に屋敷の中が急にざわついた。羅刹丸は慌てて逃げ出したが、すぐさま追手がかかりそうだった。
何とか……竹藪の庵まで逃げ帰った羅刹丸だが乳母に顔を見られたので、すぐさま追手がここへ来るに決まっている。
庵の中に入ると女が蒼白い顔で眠っていた。産み月近くになって、女は床に
このころには羅刹丸も優しくなっていて、山で雉など捕まえて滋養をつけるため食べさせてやっている。女は羅刹丸から逃げたい気持ちなど毛頭ないようだ。
寝ていた女を起こし長者の妻から盗んできた着物を渡した。その美しい着物を見た瞬間、女は目を丸くして驚いていた。たぶん、生まれてこの方こんな美しい着物は見たことがなかったのだろう。
貧しい生まれの女には一生触れることも出来ないような、それは豪華な着物であった。嬉しそうに美しい着物を羽織って見ていた。
「追手が掛かった! 逃げるぞ」
そんなことをしている場合ではない。早く逃げなければ追手がやってくる。具合の悪い女の手を引っぱり、羅刹丸は竹藪の庵から逃げ出した。《長者の妻を殺したのだから……ただでは済むまい。きっと大勢の追手がかかる。とにかく、遠くへ遠くへ……逃げなくては……》気ばかり焦る羅刹丸。竹藪を抜け森の中に入った。――今夜は山越えになるかも知れない。
先ほどから、女の具合がかなり悪そうで……足がよろよろして上手く歩けない。腹を押さえて、苦しそうに肩で息をして呻き声を漏らす。産み月が近い、大きく腹がせり出た女に山越えなど無理である。羅刹丸はだんだん焦ってきた。
どうして、こんな女まで連れて来たんだろう? 足手まといで進めない! このままでは追手に追いつかれてしまう。置き去りにするか? 殺すか? 羅刹丸は迷っていた。
《追手に捕まれば俺は殺される。命が惜しい、死にたくない!》羅刹丸も必死だった。
ついに女は地べたにしゃがみこんで泣き崩れ腹を押さえ、もがき苦しみだした。とうとう破水して、陣痛が始まったようだ。
寄りによって、こんな時に産気づくとは……仕方ない! 女を置き去りにしようと羅刹丸は考えた。自分ひとりなら何んとか逃げ
陣痛の苦しみに耐え、いきんで赤子を産み落とそうとする女。出血も多いし、女の体力は限界に達していた、やっと……赤子の頭が出てきて、羅刹丸が引っぱり出した。
おぎゃーと大きな声で赤子が産声をあげた。その泣き声が森の木々に木霊した――。
産み終えた女に、赤子を見せてやると
女は泣いていた――。大きな瞳に涙をいっぱい溜めて……雫が頬を伝って零れ落ちた。もう自分の命が幾ばくもないことを悟っているようだ。
悲しげな瞳で羅刹丸の方見て、何か言いたそうに口をパクパクさせていたが……。
口の利けない女は、やがて、力つきて……。
静かに息をひきとった――。
羅刹丸は森の中に女の遺体を横たえて、その脇に生まれたばかりの赤子を置いた。上から美しい打ち掛けを羽織ってやった。母親が死んだのだから、いずれ赤子も死んでしまう。血の匂いを嗅ぎつけた山犬どもの餌食になってしまうかも知れない。
「――俺の女だった。俺の子を産んで死んでしまった」
そう呟いて、しばらく茫然と女の死顔を眺めていた。なんだこれは……? 気がつけば目から
《これは涙か? 俺が泣いてる? まさか……?》袖でゴシゴシと乱暴に目を拭いて、羅刹丸は走りだした。
「ちくしょう! ちくしょう!」
泣きながら羅刹丸は森の中を無茶苦茶に走り続けた。
《こと切れる前、女は俺に何を言いたかったんだろう?》口の利けない女の悲しそうな死顔が心に焼き付いて離れない。
「あいつは俺の女だった。唯一、俺が愛した女だったんだ!」
森の木や枝に身体を打ちつけながら、それでも羅刹丸は我武者羅に走り続ける。
「ちくしょう! ちくしょう!」
泣き叫びながら《長者の妻なんか殺さなければよかったー。具合の悪い女を無理やり引っ張って逃げなきゃよかった!》後悔で胸が張り裂けそうだ。
「許してくれ! おまえに死なれて……」
俺は……そう心の中で呟くと、がくりと膝が折れて羅刹丸は地面に倒れ込んだ。
さっきまで生きていた女の愛らしい顔が目の前にちらついて離れない。
《ほんの小娘だったのに……可哀相に――あっけなく死んでしまった》
人殺しなんか、何んとも思っていなかった。悪鬼のような羅刹丸が愛する者を亡くして、初めて……。
――人の死の悲しみを知った。
「赤子の声がします」
森の木々の中、風がどこからか赤子の泣き声を運んできた。
生まれた時から大事に育て上げた姫君を羅刹丸に惨たらしく殺された乳母は、たとえ一太刀でもあの者を斬り付けねば、憎しみが納まらぬと追手として
「乳母殿、空耳でしょう? このような所に赤子など……」
追手の指揮を執る、
「いいえ。右馬権頭殿、確かにこの乳母には聴こえます!」
尚も、耳を澄まし音を探す――乳母である。
「こっちじゃあー」
そう言うと乳母は惹き寄せられるように走り出した。
そして赤子の泣き声を辿っていくと、大きな楠の木の根元、亡き姫君の打ち掛けの下に、まだ若い産婦の遺体と赤子がいた。
「おおー、姫君の打ち掛けの元に赤子が……きっと、これは姫君のお引き合わせ違いない!」
そう言って乳母は涙を流し、愛おしげに赤子を抱いて屋敷に連れ帰った。
産婦の遺体は家人たちに寄って森の中に
羅刹丸は
「――俺はどうしたらいいんだ? もう逃げたってしょうがない」
あいつに死なれて、もう俺は生きていたって仕方がないんだ。追手に捕まったら、どうせ殺される。――だったら……。
獣の咆哮のような叫び声が轟いて、真っ赤な血しぶきが森の木々に飛び散った。
刀を首に突き刺して、地面に倒れ、もがき苦しむ血まみれの羅刹丸の姿がそこにはあった。自分の流した血の海の中で羅刹丸の命が消えようとしている。
死の直前、薄れゆく意識の中で――女の声を聴いた。
『かわいそうなひと……』
――人殺しの羅刹丸は最後に自分を殺した。
― 完 ―
れきし脳 泡沫恋歌 @utakatarennka
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