第五夕 未来への妄語

第五夕 未来への妄語


今日は書こう。ずいぶんと久しぶりな気がする。梅雨もいよいよ終盤になって、ようやく雨が降ったね。昨日、はじめて蝉の声を聞いた。蝉が鳴くと、やっぱり夏だね。


書かないでいた数日の間に、ちょっとした動きが二つあった。ひとつは、短歌を始めることにした。もうひとつは、八月にひと月の塾を開く。まあなんてことない変化だけれど、僕にとっては大きな一歩だ。


短歌の方は、前に少しだけ書いたと思うけど、ある歌人に誘われたんだよ。今度歌集を貸してあげるけど、その人の歌は、言葉が重くて、難解なものというよりは、ドスンとストレートを撃ち込まれるようなものだ。その人が、短歌結社を主催していて、そこに来てみないかと誘われたんだ。それで今、短歌を作ってる。まあだいたい百首くらいは作ったけど、所詮なんの積み重ねもない素人の歌だよ。五七五七七に音を合わせただけの、何のひねりもない散文だ。だけどまあ、おれなんかを誘ってしまった以上は、最後まで責任とって面倒見てくださいね、くらいの気持ちで、良い機会だと思って、やってみる。そのうち見せられるものが出来たら、きっとそれも読ませてあげるよ。歌集なんてものを出そうとは、今は言えたもんじゃない。


もうひとつ、八月の塾の話だ。前に福島に行ったときに、学生のやっているカフェに行った。高校生をメインターゲットに、古民家を改装して出来たコミュニティカフェなんだけど、そこで夏休みに塾をやる。いまは、授業の方式とか、内容を相談しながら詰めている。僕はただ勉強だけじゃなくって、なにか別のモノも持って帰ってもらえるような、どうせならそういう場にしてみたい。せっかくあの場所でやるのだから、天文教室なんか、どうだろう。あの土地の星空は素晴らしい。君のような少年少女には、良い経験になる気がするんだ。せっかくだし、君にもなにか手伝ってもらいたい。ギターでも持ってきてみないか。


どっちも、これから動き出すものだけど、きっとこれが無に帰すということはない。此処ではない何処かへ行こうとするのなら、何処へでも踏み出してみようとしなければならない。僕の動く動機はひとつだ。此処ではない何処かへ。それは変わらない。そのただひとつの動機のためならば、僕はどんな仮面だって被ってみせる。もし仮に、僕が歌人と呼ばれるようになったり、「若い人たちに向け精力的な活動をする学生」なんていう、道徳の授業みたいなちゃんちゃらおかしい呼び方をされても、僕は何者にもなりはしない。それら僕の被った仮面は、すべて僕のただひとつの動機を、前に進める為の道具だ。何者でもないまま、此処ではない何処かへ。それだけが、僕のただひとつの目的だ。そのために被るのは、すべて手段だ。僕は、僕自身の目的のためならば、僕の人生だって手段にしてみせる。そのために、僕は泥舟にも乗ろう。


未来は、現在からしか開花しない。未来とは、未だ来ていない「今」だ。われわれは絶えず流れてやってくる「今」を、物凄いスピードで乗り換え続けている。次にやってくる「今」の姿は、現在やって来て、そして常に既に過ぎ去りつつある「今」に、ほんの少しだけ上書きされたものだ。ここにある、われわれが乗っている「今」の中に書き込まれていないものは、次にやってくる「今」のなかには起こりえない。現在ある「今」に書かれていることしか、次の「今」には上書きされない。時々、突如として訪れるように見える何かもあるが、それは散り散りの形で現在に書き込まれていた断片的なものが、なんらかの衝動によって一度に繋がったときだ。起こりうる何かの要因になるものは、どんな小さな形であれ、必ず現在のなかに書き込まれている。だから、未来は現在からしか開花しない。今・ここにあるものを繋ぎ合わせることでしか、未来での変化は起こらない。なにかとてつもなく大きな変化が、突然やってくることはない。必ず、何処かに予兆はある。


だから、僕は未来の断片を、たえず現在のなかに散りばめておきたい。此処ではない何処かへ行こうとするのなら、その何処かへ向かうたくさんの最初の石を、現在に投じておかなければならない。短歌も、塾も、それからこの文章も、すべて何処かへ行こうとするための一石、どこかで繋がるかもしれない断片だ。それらはいつか、どこかでやって来た「今」に、予想もしなかった仕方で繋がるかもしれない。あるいは、繋がると思っていたものが、繋がらずに消えてゆくのかもしれない。それは、その「今」になってみなければ、わからない。僕が現在にできることは、さまざまな断片を散りばめることだ。


なんだか、妙な話をしたけれど、どうか、君もたくさんの断片を、現在のなかに散りばめてみて欲しい。少年という君のいる現在は、きっといつよりも、様々なものを生み出せる。そして、いつよりもダイナミックな仕方で、面白いほどかけ離れたものたちが、繋がるような衝撃を起こせる、そういう素晴らしい時間でもある。少年に残された時間は少ない。少年は、常に既に終わりつつある。少年とは、つねに夕暮れなんだ。もう十五分後にあるのは、暮れ残る西空の赤い火照りだ。それだけを残した、冷たい夜だ。どうか、少年である君の「今」に、出来うる限りの美しい断片を、散りばめておいてもらいたい。

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或る少年に捧ぐ夕暮れ妄語 悠月 @yuzuki1523

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