第15話 呪いから逃げ切っても
それから一度だけサダコに会った。
なかなか会う時間を取ることができなかったのだが、再会の宴は大いに盛り上がった。あのビアホールで、わたしたちは飲んで、飲んで、飲んで、大声で笑った。
「ほんっと……あんた、血も涙もねえな!」サダコは大笑いしながら言った。「最低のクズだよあんたは!」
「まさか……これほど効果があるとは思ってなかったよ!……すばらしい! 完璧だ! 君のおばあちゃんに乾杯だ!……しっかし恐ろしいねえ! 放っておい たら、自分がああなっていたとはなあ……想像しただけでゾッとするぜ!」
わたしも大いに笑った……こんなに楽しい酒は久しぶりだった。
「そっれにしても……前から聞きたかったんだけどさあ……」と、サダコがジョッキをテーブルに置き、まっすぐわたしを見る。「……いや、あんたが自分勝手 でゲスな人殺しなのはわかってるけど、あんた、なんでそこまでして“生きたい”の?……あんたの異常なところで、とりわけ一番異常なのはそこだよ」
意外だった。
いまさらそんな質問がサダコから出てくるとは。
そんなことはわかりきっていることだと思っていた。
わたしは逆に、『死にたい』と口にする人間のほうが理解できない。
「異常?……俺は異常じゃないよ! ぜんぜん、異常じゃない。なぜなら、死にたくなる理由なんてないもの……それなのに、何で死ななきゃなんな いわけ?」
「……そこまで生きることにシューチャクできる理由が、ぜーんぜんわかんない。今の世の中、そっちのほうがフツーだよ」
「そういえば……そうかなあ」
「そうだよ」
確かに。
それはわたしが殺しを続けてきて、つくづく実感することだ。
わたしはこれまでの殺しで、自分の命を危うくするような激しい抵抗に遭ったことがない。本気で心を動かされるような(実際にわたしの心が動くかどうかは別として)命乞いを聞いたことがない。
被害者たちはみんな、わたしの突きだしたペーパーナイフ……それは突いたり斬りつけたりでは人を傷つけることすらできない……に脅され、大人しくなり、 言われるままに紙おむつに履き替え……絞め殺されていった。
彼らはみんなひょっとして、サダコの言うように、わたくしほど生きることに執着していなかったのかも知れない。それを考えれば、生きることに執着してい るわたしは、やはり異常なのかもしれない。
「それにしても妙な話だよなあ……生きてるときは生きることに命がけで執着してなかった奴らが、死んだら死んだで殺した相手に化けて出てくるんだから…… まったく、わけがわからん」
「別に生きてることに執着してなくても、殺されりゃあ誰だって頭にくるでしょ。命は自分の持ち物なんだから、持ち物盗まれたり、汚されたり、汚されたりし たらハラたつでしょ? 全然大切にしてなかったボロ自転車だって、誰かに盗まれりゃハラ立つでしょ? 捨てようと思ってた服にでも、ケチャップぶっか けられたら怒るでしょ?……そーいうもんよ」
「そんな簡単なもんかよ?」
「そんな簡単なもんよ……それに、死んじゃったらほかにやることもないしさ……化けて出るくらいしか……ところで……今日は小さい女の子がいるね」
「えっ?」
サダコの視線を追う……もちろん、わたしにも見えた。
ちょうどわたしの背後にあたるテーブルの上に、あの少女……たまにカーテンの隙間から仕事場を覗き込んでくる、あの十歳くらいの少女がいる。
彼女は客たちが楽しげに会話しているテーブルのど真ん中に、紙おむつを履いて、ちょこんと正座していた。彼女はまったく客たちのことは気にならないよう だった……いや、客たちのほうが彼女の存在に気づいてないのだから、それはお互い様というものだが。
少女がこんな場所に出てくるのは珍しかった。
いつもと同じ、無愛想な顔だ。来ている服はTシャツに紙おむつ。
くせ毛の髪の前髪だけをなんとかピンで留めている。
あのピンごと、わたしは彼女の 死体を貯水池に投げ込んだ。
「あんな子供まで殺したんだ~……マジ、鬼畜!」サダコがわたしを指差して笑う。「人間の皮を被った悪魔! カス! 人でなし!」
「いやまったく。返す言葉もない」
わたしも笑った。
いったい、わたしは何であんな子供にまで手を掛けたのか、と言えば、少女が殺しやすい対象だったからだ。
子供が一人、行方不明になれば……大人が蒸発するよりも世間は騒ぐものだ、と一般的に思われているらしいが、決してそんなことはない。
日本でいったい、年間何人の児童が行方不明になっているかご存知だろうか?
教育機関が認識しているだけで、一二〇〇人~一四〇〇人。
これは全国の公立小学校 が 『学校に来なくなったまま行方がわからない児童がいる』と申告している人数だ。
ほとんどが両親とともに行方不明になる。
理由は金銭トラブルが中心なのだろうが、子供の義務教育を放棄して夜逃げを選ぶような親は、平気で子供の存在す ら も見捨てる。
親どころがしかるべき施設に保護されず、食事も与えられず、完全に放置されて街を野良猫のようにさまよっている子供はたくさんいる。
そんな子供を目にしたことがな い、とあなたが言うなら、それはあなたの目が真実を見ようとしていないからだ。
保護者もおらず、泣き叫ぶこともせず、人ごみの中をふらふらと歩いている子供。
それがあなたが見過ごしている現実だ。
わたしが殺したあの少女はまさにそんな一人だった。
その少女が、わたしから六時方向のテーブルの上に正座して、わたしのことをじっと見ている。
いつもどおり……べつに恨みがましい表情でもないし、わたし を怯えさせようという意図も感じられない。
「……自分が死んでることも、わかってないみたいね。あの子」
静かな調子で、サダコが言った。
「たぶん、そうだろうなあ」
実際、そうなのだろう。
「なんであんたみたいな外道が捕まらないで野放しになってるのか、わかったよ。ようするに……ほんとうに、殺す相手をよく選んでるんだね。手当たり次第に 殺してるんじゃなくて」
「そりゃそうだろ……狂ってるわけじゃないんだから」わたしはもはや殺人について、サダコにはぐらかす気も失っていた。「それに、注目されるのは昔から好 きじゃないんだ」
「殺しても、誰も注目しない、いなくなっても、誰も気にしない、誰も行方を探さない。誰にも悲しまれない。そーいう相手を、あんたは上手く見分けてるわけだ。人間の価値は平等だ、って言うけど……ほんと、マジでそれってウソだよね。悲しいね」
「ああ、悲しいね」
わたしはテーブルに座っている少女とにらめっこを続けながら、曖昧に答えた。
「口先で言ってるだけでしょ」
「ぜんぶお見通しなんだなあ」
「今さ、ロージンしか住んでない『限界集落』とかあるじゃん? ……あとドヤ街とか。あーいうところに放火するとか、爆弾仕掛けるとかして、そういうふうに 一気に大量の人間を片付けるような大仕事には興 味ないの? 男なら、デッカイ仕事したくない?」
サダコにしてみると、わたしのことが面白くて仕方がないようだ。
「いや、だから仕事じゃなくて趣味だから」少々、面倒臭くなっていた。「そんなに急ぐ必要なんて、まるでないだろ? 別に誰かと数を競い合ってる わけじゃなし。ゆったり行きたいんだよ。おれを見ればわかるでしょ? 派手なことはキライなんだ……例えばテロリストみたいにさ……いや、ああいう のはまったく気が知れないね。目立ちたがり屋の人殺し、ってのは本当に頭がおかしいんだろうなあ。おれには時間があるし、健康にはかなり気を使ってる。 この趣味は一生の趣味だから、ずっと、じっくり続けていきたいね」
「ふーん……」今度はサダコが面倒くさそうに言った。「でもさ、いつか終わりは来るよ」
「そりゃあまあ……誰だっていつかは死ぬからさ」
「いや、あんた、いつか絶対捕まるよ。あんたは自分のことを、ものすごく頭がよくて、絶対、警察なんかに捕まらないと思ってるだろうけどさ、いつかは運が 尽きるよ。人間、完璧なんかでいられるわけないんだから……捕まっちゃえば、もう趣味は続けられないよ」
「俺は捕まらないよ。それとも、俺のことを国家権力にチクるつもりかい?」
「となるとあんた、あたしを殺すんでしょ。今日の帰りとかに」
「うーん……どうかなあ」
サダコを殺す、ということに関しては初めて会ったときにその考えを退けて以来、まともに考えてみたこともなかった。
改めて、サダコの顔を見た……真っ黒 に縁どられた黒いアイシャドウの中の根性が悪そうな目。真っ白な髪。笑った口。
頭の中は見かけ以上にまともではない。
サダコを殺したら、彼女はわたしのところに化けて出てくるだろうか?
あの『噛みつき少女』みたいに、わたしの生命を脅かそうとするだろうか?
わたしは二つの可能性を秤にかけた……生かしておいたサダコが警察にタレ込む可能性と、そのリスクヘッジとしてサダコを始末した場合、サダコが『噛みつき少女』ばりにわたしのもとに化けて現れ、わたし身体に噛み付いたり、髪の毛を引きむしったり、あるいは胸に手を突っ込んで心臓を抉り出そうとしてくる可 能性。
前者を考えれば……サダコが警察にタレ込む合理的な理由は何もないし、たとえタレ込んだところで、『幽霊が見える』などとほざく、この見た目にもま ともではない女の言い分を、警察がまともに受け入れるはずがない。
後者を考えれば……十分に起こり得ることだ。もしそうなれば、サダコはせっかく追い払ったあの『噛み付き少女』以上に脅威となるだろう。サダコの説によ ると、生前の性格が大いに怨霊の悪質さに影響してくるらしいので……。
サダコを殺すべき理由もないし、リスクも高い。
やはり彼女を殺さないことにした。
それにサダコは愉快な人間で……愉快な人間はこの世界には貴重だ。
「絶対捕まるって、あんた。呪いからは逃げられても、運からは逃げられないよ」
「逃げ切るさ」かなり自信を持って言ったつもりだった。「捕まらないよ。絶対に」
しかしわたしは、一ヶ月後に逮捕された。
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