第2話 マイ・ダーク・ライフ
なぜ人間は、他の人間をハエや蚊でも殺すように殺せないのだろう?
警察に捕まって、罰せられるから?
重い刑を……最悪の場合は死刑になることを恐れているから?
それとも、誰の心にも『生命を大切にしなければいけ ない』という認識が、生まれながらに備わっているから……?
どれも、わたしには当てはまらない。
また、警察に捕まるとか、重い刑に処されるとか、あるいは死刑になるかもしれないとか……そういうことが、一体どれだけ人間の行動を抑制で きているのか、正直言って疑問だ。
人間は、そこまで理性的な生き物ではない……程度の差があれ、この世の中から殺人をはじめとするありとあらゆる犯罪…… 暴行、傷害、レイプ、詐欺、汚職に談合、裏金造り、不法な政治献金から万引き、自転車泥棒まで……が根絶されないのは、多くの人間が自分の罪に対して課されるはずの罰を、深刻に考えて いないからだ。
重い罰は、人間を大人しくさせておく戒めとして、あまりにも頼り無さ過ぎる。特に、殺人のように割のあわない犯罪の場合は特にそうだ。
これは、世の中で死刑に反対する善良な人々がよく口にする理屈である。
わたしもそれには同感だ。
ではなぜ、人は他人を殺すことを躊躇するのだろうか?
答は実に簡単だ……殺した相手に、呪われたくないから。
人間は、徹底的に利己的で自己中心的であり、本当は他人の生命などハエや蚊くらいにしか感じていない。
でも、人を殺すと、その人間に呪われる、と心のどこか奥で信じている。
そのことに対する恐怖が、まともな人間を殺人から遠ざけているのだ。
なぜこんな極端なことを思いついたのかといえば、それはわたしの趣味が殺人であることからきている。
職業ではない……お金を稼ぐための仕事なら、別にやっている。趣味がそのまま仕事になればいい、と思う人も多いだろうが、趣味を仕事にしてしまうと、人 生から楽しみが失われてしまう。
仕事となると、めんどくさい相手、自分としてはまったく殺したくもない相手を殺さなければならなくなる。
大真面目に、効率 的に、手っ取り早く、事務的に。
そうなると……殺しが楽しくなくなってしまう。それだけは御免被りたい。
普段の職業は……詳しく説明する気はないが、まあフリーランスで広告関連の仕事をしている、とでも説明しておこうか。けっこう、不安定ながらも、それな りに収入はある。忙しいときはそれこそ、気が狂うほど忙しいが、ヒマなときは何日も、何週間も、あるいは最長二ヶ月くらいは、ヒマを体験することになる。
ヒマというのは……人間の心を蝕むものだ。
フリーになって二年目、半年間まるで仕事にありつけないことがあった。
わたしが殺しをはじめたのは、その頃だったと思う……あまり、詳しくは覚えていない。
まあ、何かカネのかからない趣味でも見つければ良かったのかもしれないが……たとえば、自転車に乗るとか、楽器を演奏するとか、近くの池に釣りに出かけ るとか、インターネットでエロ動画を何ギガも集めるとか……しかし、最終的にわたしが見つけ出したものは、人殺しだった。
わたしは相手を選ばなかった……少女ばかりを狙って強姦しては殺す、というようなタイプではなかった。
他人を監禁して、何時間もサディスティックにいた ぶって殺す、というようなタイプでもない。まして、死体をどこかに晒し上げて、警察に脅迫状を郵送するような、ど阿呆でもない。
殺した死体は、ある山奥の貯水池に重しをつけて沈めた。
よほどの干ばつが発生したり、あるいはこの貯水池そのものが取り壊されたりするようなことがなければ、わたしが沈めてきた二~三〇(四~五〇?……正確に数え てないのだ)の死体が発見されるようなことはないだろう。
場所は絶対に明かせない。
人気スポットになって、死体で貯水池が溢れかえってしまうと困る。
わたしの場合、人を殺すのにあたって、『誰を殺すのか』はそれほど重要ではない。『いなくなっても問題がなさそうな奴』がいるから殺してみる、ということがその選択基準だ。
世の中には、いなくなっても誰も気にしない人間が結構、大勢いる。
都会暮らしをしていると、ほんとうにたくさんその手の人間と出会う。
住所不定だったり、住所はあってもフラリと行方をくらます可能性があったり、すでにこれまでにも姿を消したことがあったり……だいたい、今の日本、年間 どれくらいの人間が行方不明になっているかご存知だろうか……?
増減はあれ、実に一年で八万~十万もの人間が、われわれの認識の外への脱出に成功しているのだ。
わたしが手にかけるのは……そのうちの、ほんの数人。
微々たる数字だと言っていい。
人殺しは気晴らしになっ。
誰かを殺す場合、いつもわたしは自分の両手を使って、首を絞めて殺す。
ナイフで切り裂いたり、ノコギリでバラバラにしたり、というのは、大の苦手だった。
わたしは人殺しは好きだが、血は嫌いなのだ。
ただ、首を絞めた人間の 顔が紫色に変色し、目が飛び出し、舌が飛び出す様を見るのが好きだ。
彼らの “なんで?……なんでおれ(もしくは私)が?”という顔を眺めるのは最高だ。
自分のことを、かなりまともな人間だと考えているわたしだが……そんなところは、じゅうぶん変態的と言っても問題ないと思う。
あと、わたしはいつも相手を絞め殺すとき、ナイフ(これは、見かけだけで手紙の封もちゃんと切れないような古いペーパーナイフだった。どこかに外国に旅 行したときの土産に買ったんだと思うが、よく覚えていない)で相手を脅して……相手に紙おむつを履かせる。そして、愛車のハイエース車内に敷いたビニール シートの上で、首を絞めて殺す。
首を絞めて人を殺すと、相手が失禁することが多い、ということはけっこう有名な話だ。
わたしは車を汚したくないので、いつもそうやって殺すことに決めている。
そして、天に召された哀れな被害者のみなさんには、紙おむつを履いたまま、貯水池に沈んでもらう。汚物は見たくもない。その点に関しては、あなたにも共感してもらえると思う。
で、わたしは気が向いたとき……恐ろしくヒマなときや、ちょっと仕事がうまくいかなかったとき、逆にやたら仕事がうまくいってハッピーなときに、適当な 人間を殺し続けた。
警察に捕まるかどうかは、それなりに万全を期していたので、それほど心配したことはない。
人によっていろいろだろうが、刑罰を厳しくして死刑を増やせば、殺人そのものが減るだろう、などという考えは、わたしにしてみればお笑い種だ。
少なくともわたしは……法で裁かれたり、法の名のもとに殺されたりすることに関しては、まったく現実感を抱いていない。だが、それらのリスクと、この殺 しという楽しみを続けることのリスクは、いつも冷静に秤にかけている。
殺しをやろう、と思うたび……そろそろ、また殺しをやろうかなあ……となんとなく考えるとき……あるいは、実際に殺しを終えて、一定の興奮が収まり、さ て、次はどうしようか……と考えるとき……わたしはいつも、じっくり考える。
そして、結局、殺しを続けていくことを選ぶ。
あるいは、こんなことを続けていれば、死んだあとに地獄が待っている、というふうに恐れることはできるかもしれない。しかし……閻魔大王の裁きに血の池に 針の山? ……そんなものを、どうやって真剣に恐れろというのだろう。
わたしが真剣に恐れているのは、ある怨霊なのだ。
わたしに殺されたことに怨みを抱き、わたしを呪い殺そうとやってくる幽霊。
彼らは、存在する。
わたしの知る限り。
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