第10話 課題、そして解決

 まして、自分が殺した人間を思い出して泣く?


 この女は、本気でそんなことを言っているのだろうか?

 それともただ、わたしをからかっているだけなのだろうか?

 ……しかしまあ、こんなことを相談できるのはサダコしかいないわけだし、相談できるたったひとりの相手が与えてくれた唯一のアドバイスが、これなのだ。

 その日は、ビアホールの払いを持ち、サダコにアドバイス料を払い、そのまま別れた。

 何か、援助交際でもしているような気分だ。 


 それから思案に思案を重ねる日々が続いた……。

 どうすれば、泣くことができるのだろうか?

 とりあえず、自分が殺した人間のことを思い出して泣くのは、絶対にムリだ。


 ただでさえ、わたしにはセンチメンタルな感情などないのである。

 一部の人殺したちは、殺しのたびに被害者の所持品を持ち帰ったり、髪の毛を少し切ってコレクションしていたりすると、ものの本で読んだ(わたしも直接、自分以外の人殺しに会ったことはないので、詳しいことは知らない)。

 実に変態的な趣味だと思う……自分が殺した相手に対する、センチメンタルな気持ちが、彼らをそんな異 常な行動に駆り立てるのだろう。


 わたしは、殺して、死体を捨てたら、あとはもうどうでもいい。

 前の殺人を反芻して悦に入ったりしない。

 次の殺人に関していろいろと思いをめぐらせると……なんとも言えずワクワクしてくる。

 性来、わたしはポジティブな性格なのだろう。

 だからこそ、ますます難題なのだ。


 そんなふうに、殺人現場で涙を流す方法についてあれこれ方策を考えていたとき、ふと妻が見ていたテレビドラマが目に止まった。


 いわゆる、お涙ちょうだいの、あざといファミリードラマだ。

 親を失った子たちと、そいつらと暮らす中年男の涙あり笑いありの物語。

 言うまでもないが、わたしはそのドラマのストーリーにはまったく感情移入できなかった。


 しかし、テレビ画面に大映しになっていた、ある有名子役女優の泣き 顔がわたしの心を捉えた。

 どういうシチュエーションだったのか、どういう設定だったのかわからなかったが、その子役は、吐き出すように健気なセリフをポツリ、ポツリとつぶやきな がら……ほんとうに『泣いて』いた。


 ただ目から涙を流しているのではない。

 鼻水まで垂らしている。

 鼻から目にかけての皮膚が、真っ赤になっている。


 これはすごい。

 演技しているのではなく、本当に『泣いて』いるのだ。


 テレビを見ている妻は、そんな子役の演技にすっかり魅せられた様子で、しきりにティッシュで鼻をかんでいた。

 わたしが数日前から首に大きな絆 創膏を貼っていることにすら、まったく関心を払わず、気づいている素振りすら見せないような妻が……子役の『泣き』を観て泣いている。


 これは素晴らしい……これは、ウソ泣きのレベルではない。

 わたしにはわかる……なぜならこれまでに、それはもうたくさんの、『本気の泣き顔』を見てきたのだから。


 これまでわたしの前で命乞いをした人間のうちの何名かは、実際に死を目前にしても、上手く感情を表現できなかった。

 実際に殺されようとしているのに、 その子役の『泣き』の四分の一も感情表現ができないのだ。もちろん、その人間がうまく感情を表現したからといって、わたしの心が動くはずはないのだが、そ れにしても近頃は、感情を正直に表現できない人間が多くなったような気がする。

 なぜだろう? 死を目の前にしているというのに、なぜ精一杯、生命の限り、泣き叫び、命乞いを尽くさないのだろう? その現場には殺される本人と、 殺すわたし、この二人しかいないのに。それでもある種の人間は、感情のままに命乞いすることに賭けてみようとしない。

泣き叫び、わめいて、わたしに追いすがってみる……そうすれば、自分の命が助かるかもしれない……というかすかな希望に、賭けてみることもしない。


 ほんとうに、理由がよくわからない……もしかすると、それは照れや羞恥、プライドや体面といった、わたしたち文明人に刷り込まれている性質が、皮肉にも 自分に死を呼び寄せていることの表れなのかもしれない。


 わたしたち現代人のほとんどは、日常生活において、怒りや恐れなどの反射的・自動的な感情を抑え込 んでいる。そうやってずっと、自分の本性を剥き出しにすることを制限して生きている。それを続けていると、いざというとき……表すべき感情が表せなくな り、取るべき行動が取れなくなる。

 泣いて、わめいて、叫んで、自分を殺そうとしている殺人者の同情心を掻き立てよう、などという、実は理性的で合理的な行 動がとれなくなる。


 これは大変、恐ろしいことだ……殺人犯に殺されそうになる、というような特殊な例だけではない。


 たとえば、がんを宣告されたときに……悪あがきをして、 少しでも生命を延ばすための努力を放棄して、延命治療を拒否するようなことになるかもしれない。

 あるいは大事故を目の前にしたとき、死にかけている赤の他 人……それが子供や老人だったりしたらさらに始末が悪い……を助けるために、軽く、かるーく自分の生命を投げ出して英雄的な行動を取ってしまいかねない。


 あるいは……そこまでして見栄やプライドや体面を自分の生命よりも優先させるということはつまり、多くの人間にとって自分の生命は、そこまで価値のある ものではないのかも知れない。


 わたしには到底、理解しがたいことだ……自分の生命ほど大切なものなど、わたしには考えられない。

 今の人間は、自分の生命を軽んじ、最大限の命乞いもせずにむざむざ殺されておいて、それなのに殺されたら幽霊になって化けて出てくるのだ。


 まったく始末に負えない。


 そんな勝手で不合理な人間が多い状況下で、こんなふうに“職業として”カメラの前で泣いてみせる子役たちが人気を博しているのも理解できる。


 誰もが、自分の感情の発露を、他者に求めているのである。

 自分の代わりに、感情を露わにして、涙を流し、鼻水を垂らしてくれる人間を欲しがっているのだ。


 それは、こんな子役たちでもいい。

 金メダルを獲ったアスリートでもいい。

 引退する野球選手でもいい。

 苦渋の決断の末、辞任を決断した閣僚でも何でもいい。

 誰かが自分の代わりに泣いているのを見ることが、カタルシスであり、癒やしなのだ。


 現に、わたしの妻は泣いている……演技としての子役の泣き顔を眺めながら。


 かなり話が脇道に逸れてしまったが……わたしは『泣く方法』に関して少し、活路を見いだせたような気がした。


 サダコに幽霊を退ける方法を聞いたのだから……どうやって泣くのかは、泣き方をよく知っている人間に聞けばいいのである。

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