第5話 サダコ

 例の女はサダコと名乗った。


 仲間由紀恵のヘアスタイルで、紙おむつ履いたあの幽霊のことではない。

 あの霊が見える、という自称霊能者の女のことだ。

 たぶん、偽名だろう……まあそれでもいい。

 わたしたちはお互いのメールアドレスを交換し……今度は違う 店で会った。

 場所は、お腹に溜まる食べ物を出している、ビアホールだった。

 もちろんわたしは用心深いので……この店に来るのは、その 日がはじめてだ。

 店の中は広々としていて、各テーブルはそれなりに盛り上がっている。

 店員たちはみんな忙しそうだ。

 予想どおり、わたしたちが目立つ ことはなさそうだ。


 サダコは、少し遅れて店にやってきた。

「あれ、先客がご一緒だね」とサダコ。「ども! 元気?……あ、あんた……まだ首に絆創膏してる」

「……目立つかな?」

「いや、けっこう似合ってるよ」

 ネズミ色とグリーンが複雑に絡み合った奇怪な色のパーカーを脱ぎながら、サダコが元気よく声を上げる。さっきサダコは、わたしに挨拶したのではなく、後ろにいる亡霊に挨拶したのだ。

「……今日も後ろにいるのは……前とおんなじ女かな? ……ほら、仲間由紀恵スタイルの髪の……」

「いや、違うよ。今度の人は、かなり顔がマシ。前の人よりは……そんなに美人じゃなかったかも知れないけど……って……睨むなよ、あたしのこと。 恨むなら、このおっさんを恨めよ」

 サダコはわたしを指差した。

「どんな女かな?」

「四〇歳くらいで天然パーマ。オバサンっぽいかなあ……あ、また睨んだ。睨むとさらに、すごい顔だねえ」サダコがテーブルにつきながら言う。「……あはは。このま まじゃあたしも呪われちゃうかな」

「何か飲む?」

「大ジョッキでビール」


 テーブルにはソーセージと、サワークラフトが並べられていたが、あくまで一人ぶんの分量だった。

「何か食べていい? お腹空いてんだ」

「ああ、好きなもの食べて」


 わたしはサダコのために生ビールを注文し、楽しそうにメニューを眺める彼女を見ていた。相変わらず髪の色は真っ白で、目の周りは真っ黒だった。

 しかしサダコは、わたしの後ろにいる亡霊のことを認識している。

 よほど神経が図太いか、もしくはわたしと同じタイプの人間なのか。


「でも、なんであんたに取り憑いてる幽霊はみんな、紙おむつ履いてんの? ……これまでいろんな幽霊、見てきたけど……紙おむつ履いてる幽霊なんて初めてだよ」

「それについてだけど……」わたしは煙草を咥えて、サダコにも一本差し出した。「君は、いつからそんなふうに……幽霊が見えるようになったわけ? …… 何か、どこかで修行かなんかしたわけ?」

「“修行”って……」煙草を受け取ったサダコが吹き出す。「別に滝に打たれても幽霊が見えるようになるわけじゃないと思うよ。まあ、見えるようになる人も いるんだろうけど……あたしの場合は……そうだなあ……たぶん、遺伝じゃないかな。ホラ、あるじゃん……ハゲとか近視とか、そーいうの」

「ご両親のどちらかが、そうだったわけ?」

「ううん……おばあちゃんがそうだった」

「へえ」

「あ、すいませーん!」

 サダコがホール係を呼び止めて、ソーセージの盛り合わせと蒸し鶏のサラダを注文した。

そして、またわたしの背後をちらっと見る。

「……どうしてる?……おれの後ろの幽霊さんは」

「わめいてるよ。ものすごい勢いで、まくしたててる」

「何て言ってる?」

「『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!』って、繰り返してる。もう、ケダモノじみた声で」

「なんでおれには聞こえないのかな?」

「……あんたに聞く耳がないからだよ」

「センスの問題ってわけ?」

「それもあるけど……あんたが、そういうことを、まったく気にしない人間だからじゃない? ……たとえば、あんたは今、あたしと話してるけど、本気で話して るわけじゃないでしょ。いや、あたしから何かを聞き出そうとしてるかも知れないけど、あたしがどういうふうに感じて、どんな気持ちで話しているか、ってこ とは、あんた、まったく興味ないでしょ? ……そういう人は多いけど……あんた、その点はずば抜けてるよね」

「ほう」

 サダコは幽霊が見えるだけではなく、人間に対する洞察力も優れている。

「あんた、徹底的に自分のことしか考えてないでしょ」

「だから、呪われてるんだろうなあ」

「だよねえ。呪われる人はみんなそう。でも、そんな性格だから、呪われてたとしても……自分の身の回りが幽霊でいっぱいになったとしても……ほとんど気に しない。自分に何か、具体的な害がない限りは」


 サダコの大ジョッキがやってきた。むしゃぶりつくように、彼女は泡に口をつけ、一気に四分の一ほどを飲み干した。


「……ぷはあ……」泡のついた口元を拭わずに、サダコがわたしをじっと見る。「何かあったわけ? 幽霊に、殺されそうになったとか? そんな感 じ?」

「そんな感じだよ」

「……オバサン、今もあんたの左の耳にぴったり口をつけて、『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!』って繰り返してるよ……でも、オバサンは今のとこ ろ、あんたには何の害も与えてない。あんたに害を与えたのは……別の幽霊ってことか。あの……この前の、紫色の舌の仲間由紀恵さん?」

「……いや、彼女じゃない……別のやつだよ」

「どんな奴?」

「もっと若いな……若い……女の子だ」

「サ・イ・ア・ク」サダコがまた笑う。何もかもが彼女にしてみれば冗談の種だ。「殺る前に、ヤッちゃったとか?」

「心外だなあ……おれがそんな男に見えるかい?」

「だってあんたこの前、あたしをホテルに誘ったじゃん……ヤッてから、殺すつもりだったんでしょ?」

「社交辞令で言っただけだよ。殺すつもりの相手とセックスするなんて、変態のすることだよ」

「傷つくわー」サダコがケラケラと笑う。「殺すだけかよ」


 サダコの料理がやってきた。

 猛烈な勢いで、サダコがそれを貪り始める。


「君は、怖くないの?」

「誰が?」

「人殺しとこうして一緒に飲んでて、怖くないの?」

「べつに」

「君のこと、殺しちゃうかも知れないんだぜ 仮に、おれが人殺しだったとしたら、の話だけど……それなのに、やたらリラックスしてるよな、君。ひょっと して、おれ……君に信頼されてんのかな?」

「それはないな」サダコが笑う。「……別に、生きてたくないから。それって確か、最初に言ったよね」

「自殺すればいいじゃないか」

「そこまで積極的に死にたいわけでもないし」

「投げやりなんだな」

 サダコがフォークを投げ出して、口を紙ナプキンで拭った。

「うん。投げやりで、ありきたりでしょ……まあいいや……で、あたしに何の話?……あんたを殺そうとしてる霊を、あたしに祓ってもらおうとか、そーいう安 易なこと考えてるわけ?」

「ムリかな?」

「え、マジでそうだったんだ……笑っちゃうね。そんな勝手、通んないでしょ? フツウ。……だってあんた、人殺しなんでしょ? ……自分は好き勝手に人 を殺しといて、自分が幽霊に狙われたとなったら助かりたい、なんて、ちょっとムシがよすぎると思わない? そりゃ呪われるわな~……そんな自分勝手が通 ると思ってんだったら」

「いや、助かりたいね。悪人には生きる権利はないのかよ」

「ないでしょ、普通」


 パクパクと料理を口に放り込むサダコ。

 この女を生かしておくどころか、この店の支払いを持つのさえ勿体無いように思えてきた。


「たのむよ……なんとかなんないかなあ……死にたくないんだよ。女房子供もいるしさあ」

「えっ、女房子供いるんだ、あんた」

 サダコが、大きく目を見開いた……本気で驚いたようだ。

「えっ……そんなに驚くことかい?」

 サダコの口に、また笑みが戻ってくる。

「幽霊よりずっとブキミだわ、あんた」

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