第11話 ハルナ

「泣くときはねぇ、悲しいことを思い出しても泣けないのぅ。ムカつくことを思い出すんだよぉ」


 そう教えてくれたのは、まだ高校を出たばかり、という感じの少女で、名前をハルナといった。サダコと同じで、本名まで特に知ろうとは思わなかった。


 彼女にたどり着くまでにはそれなりの苦労をした……とりあえず、車で行ける範囲にあるタレント養成スクールをしらみつぶしに探し、その前で車を停めて、 演技クラスのレッスンを終えてゾロゾロと出てくる少年・少女たちを値踏みした。その手の学校の授業料はそれなりに高いようなので、車で送り迎えをしている 愛情あふれる裕福な親が多いことにも気づいた。

 おかげでわたしがいくら張り込んでいても、不審がられる心配はなかった。

 

 しかしまあ、誰もが誰も、親に送り迎えをされているわけではない。

 生徒たち同士数人で、そのまま夜の盛り場に消えていく連中も多かった。

 どこの世界にも、格差というものがあるものだ……それにも気づいた。


 子どもを女優や、歌手や、ダンサーにしようと本気で頑張る親たちもいる。

 そういう親たちはそれなり に必死だ。

 子どもたちにもそれなりの服を着させて、精一杯ソフィケイトさせ、金をどんどん注ぎ込む。


 反面、進学の意思もなければ、まして働く意思もない子どもを抱え、『せめてあんた、何かひとつでもやる気になれることがないの? ……夢とか目標とかはな い の?』と問うた結果、とくにガッツも何もなく『テレビに出たい……』と答えた子どもに対して、さしたる期待もできないままに投資を続けている気の毒な親もいる。


 そういう事情でスクールに通っている子どもたちの一部は、どこかうつろで、スクールの後も子どもたち同士でつるみ、フラフラと遊び歩いていた。


 果たして、そんな連中がわたしの求めている『泣くための方法』をきちんと体得しているものなのか……その点は多少、心配だったが……わたしが手を出せる のは、そういうレベルの子たちである。

 あまり、贅沢は言っていられない。


 とにかく、ハルナにたどり着くまで、かなりのトライ&エラーを繰り返した……あの噛みつき魔の亡霊がまた突然現れ、わたしのふくらはぎを噛み切ってし まうことにびくびくしながら……わたしはタレントの卵たちの跡をつけて、つけて、つけまわした。


 家族がうるさい子たちは、夜遊びには参加しても、終電の時間には仲間たちと別れなければならない。ほとんどの場合、全員が終電前に解散してしまい、無駄 足となることが多かった。


 しかし、それでも終電後も一人でふらふらと夜の街を彷徨おうとする子供がいる。わたしは彼、彼女らを求めて夜の街の尾行を続けた。


 一人、また一人……わたしは彼・彼女たちに近づき、声を掛けた。

 ほとんどの場合、子供たちは、わたしの食事の誘いに気安く応じてくれた。

 とはいってもファミリーレストランや、せいぜいは居酒屋レベルだったので、大した出費になることはない。

 そこで楽しく語らい、演技について話を聞く…… 残念なことに、まったく演技に対してやる気も何も持ってない子のほうが多かった。


「ねえ、テレビの子役みたいに泣いてみせてよ」

 わたしはいつも、彼・彼女たちに頼んだ。


 何人かは、面白がってそれに応じてくれた。

 泣いて見せてくれた子の中には……なかなか才能のある子もいた。

 涙を流すだけではなく、あの子役のように鼻水まで流してみせる子もいた。

 家庭の経済事情に加えて、本人の資質の格差というものは、歴然と存在する。

 

 ひどい奴ときたら、うちの子どもが小さかった頃に見せたウソ泣き以下のレベルだった。

 

 わたしは、泣いて見せてくれた子のうちで……それなりに“資質あり”と見込んだ子たちに、『どうすれば悲しくもないのに泣けるのか』を詳しく聞いてみ た。

しかしまあ……なかなか参考になる意見には辿りつけなかった。


 曰く、『別れた彼氏の事を思う』だの

 曰く、『学校でいじめられたときのことを思う』だの、

 曰く、『五歳のときに死んだインコのことを思う』だの……。

 てんで参考にならない。


 わたしは一通り子供たちから必要な情報を聞き出すと……泣いてくれた子、泣いてくれなかった子にかかわらず、すべてを殺した。


 殺されるとわかって……ようやく本気で泣いて見せてくれる子もいた。

 確かにその泣き顔は真に迫っていた……気の毒に。


 こうしてわたしに殺されることがなかったら、この経験を生かして彼・彼女らは迫真の演技をものにしていたかも知れない。

 だか、気の毒だとは思いつつも死んでもらった。

 

 全員が、ペーパーナイフで脅され、自分でジーンズやチノパンやカーゴパンツ、スカートやショートパンツ、それから下着を脱ぎ、わたしが差し出した紙おむ つを履いて、わたしに絞め殺されて死んでいった。


 その間も……ほかの幽霊たちはしょっちゅうわたしの周りに現れ続けた。


 子供たちとファミレスで話しているとき、幽霊たちのうちの誰かが、はるか向こうのボックステーブルから、じっとわたしたちのことを見ていることがあっ た。紙おむつを履いたまま、真っ青な顔をして。彼女たちを殺すために山奥へ車を走らせている際も、バックミラーにベンチシートからじっとわたしを見つめる 彼らの姿が映り込むこともある。特に死体を放り込む貯水池では、入れ替わり立ち代り別の幽霊が待ち受けていた。


 しかし、貯水池で待っているのは、あの全身真っ黒の噛みつき幽霊ではなかった。それを見るたびに、ホッと胸をなでおろす。 

 ……あいつでさえなければいいのだ。

 また、あいつが現れる前に……とっとと『悲しくもないのに泣く方法』を修得しなければ……わたしは幽霊を無視して、重しをつけた子供たちの死体を貯水池 に投げ込んだ。


 死体が真っ黒な水に沈んでいくのを見守りながら、幽霊と、死体と、人殺しのわたしだけが真っ暗闇の中にいる。

 そして……やがて死体だけがいなくなる。


 そうこうするうちに出会ったのが、ハルナだった。

 チェーンの居酒屋のボックス席で、ハルナはわけのわからない甘そうなチューハイを何杯か飲んで上機嫌だった。確かに、女優を志しているだけあって、年齢 のわりにハルナには妙な色気があったような気がする。


 彼女は殺すのにも絶好の相手だった。

 ハルナの話によると、地方に暮らす彼女のご両親は、何ごとに対してもまったくやる気を見せない彼女のことをほとんど放置していたようだ。


 “どーっしても、って言うんだったららぁ”

 とでハルナが一方 的に出した

 “一人暮らしをさせること”と“タレント養成スクールに通わせること”

 という条件を飲み、彼女に好き勝手をさせていた。

 彼女の兄は地元の国 立大学で、医師を目指して勉強中。

 ご両親の期待は兄に集中していた。


 わたしに殺されるために存在していたような少女だった。

 いやあまったく……親御さんがお気の毒というかなんというか。

 それでも、

「泣いて見せてよ」

 というわたしの求めに、ハルナは快く応じてくれた。

「うん、いいよぅ」


 ハルナがそういった瞬間……ほんとうにその瞬間、ハルナの目から、“どばっ”と 涙が溢れ出した。


 さすがのわたしもたじろぐ。

 鼻水もダラダラ流れた。美しいつくりのハルナの顔はどんどんくしゃくしゃになり、まるで真っ赤な般若の面のようになった。

 喉からは“ぐろろろ……”という嗚咽が。

 その間も涙と鼻水がどろどろと流れ続ける……ふるふると震える全身。

“あっ……かはっ……”

 と鼻と喉に詰まる涙と鼻水の混合物のせいで、言葉にならない声。

 素晴らしい……これは完全に、『泣いているフリ』ではない。

 

 彼女は、本当に『泣いている』のだ。


「す、素晴らしい、すごいよ!」

 わたしは思わず拍手していた。

「ありがとぅ~」

 まだ、充血した目、赤くなった目頭で、ハルナはケロリと笑った。

「……どうやったら……どうやったらそんなに瞬時に、完璧に泣けるの?……」

「カンタンよぅ」ハルナは簡単に教えてくれた。「泣くときはねぇ、悲しいことを思い出しても泣けないのぅ。ムカつくことを思い出すんだよぉ」

「はあ!」思わず、感嘆の声をあげてしまった。「ムカつくのか!」

「そうよぅ……みんなぁ、記憶のなかにぃ、泣けることなんて、そんなにたくさんないでしょぅ……? でも、ムカつくことはたくさんあるしぃ」

「もっと……もっと具体的に教えてくれ!」

 わたしは結構、興奮気味だった。

「なんか、普段の生活じゃぁ、いくらムカつくことがあってもぉ、それは表に出せないでしょうぅ?……世間体とか、人間関係とかあるわけでさぁ……なんで、 なんでこんな自分がこんな理不尽に、なんで自分だけがこんな目に、なんで、自分だけがこんな損ばっかり、って、みんな思うじゃなぃ?」

「思う! 思う!」……実はわたしは“殺し”でガス抜きをしているので、一般的な同年代の男性に比べてストレスは少ないほうかもしれないが。「それを、一 気に思い出すわけ?」

「そう、思い出して、目と目の間あたりに溜めてぇ、一気に目と鼻の穴から吹き出すのぉ」


 素晴らしい……これなら、わたしでもなんとか涙を流すことができそうだ。


「で……君のムカつくこと、って何なの?」

 いちおう聞いてみた。

「……それはぁ」

 

……身の上話がはじまった……長くて、とても退屈な話だった。

 適当に聞き流して、殺した。


 ハルナの本当の命乞いの泣き顔は、数時間前に居酒屋で見せてくれた泣き顔と比べて、ちっとも迫力がなかった。

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