社長になった男
青年Aはある時、見知らぬ老人から
「うちの会社の社長にならないか」
と頼まれた。
老人の身形はお金を持っているような風体だったが、突然だし、何より薄気味悪い話だったので無言のまま青年Aは大急ぎでその場を離れたのだった。今は怖い人もいるし、厄介なことに巻き込まれるのはゴメンであった。
だが、翌日。老人は青年Aが働いているアルバイト先にまで訪ねてきたのであった。しかも、仕事中にも関わらず、この間と全く同じことを言い出してきたのである。仕事場の先輩から睨まれているのを気にしつつも、面倒をかけないで欲しいと青年Aは苛立ちが隠せなかった。
「おい、いいかげんにしてくれ。何なんだ。嫌がらせかよ」
「待ってください。ただ、私は社長になって欲しくて」
「嘘つけ。あるわけ無いだろ、そんな話し」
「いえ、本当なんです」
「はぁ?」
「というのも、貴方の容姿が死なれてしまった孫にソックリで」
老人が言うには青年Aの顔は交通事故で死んでしまった自分の息子と孫に似ているらしいのだ。老人が残り少ない人生に落ち込んでいたところ、カラオケ店で働いている青年Aを偶々発見したのは天命だと悟り、自らの財産のすべてを譲り渡したいというのだった。
「でも、俺はアンタと無関係だぞ」
「それこそ関係ないんです」
「は?」
「ただ、貴方の元な姿を見ていると、息子たちが元気だった頃の姿を思い出すのです。私は、ただそれが見たいだけなのですよ」
初めは胡散臭いと話しだと感じていた。こんな話し美味い話しなんか簡単に信用できるわけがない。だが、青年Aも弁護士が用意した譲渡の書類に名前を書き記していく内に、何より手始めに渡された300万にもなる札束を前にすると、もう老人に対しては何も言えなくなっていったのだった。
むしろ、文句の一つでも言い返そうものなら老人の気を外してしまうかもしれない。それを恐れた青年Aは最初の態度とは全く正反対のものへと変わっていったのだった。札束を積まれ、大金が入るかもしれないという事が実感していくと、急に舞い降りてきた幸運を手放せなくなっていたのだった。
老人の言い分では財産は数百億にも登るらししい。そこから贈与税やら相続税などで少しマイナスされたとしても、今の見窄らしい生活から一変するのはもあ間違いない。何としても手放してなるものかと青年Aの眼の色は明らかに変わっていったのだった。
ただ、一つ、老人との間に奇妙な約束事があった。それは完全な譲渡が終わるまで、どの会社を貰うのか周りには話してはいけない、というものであった。なんでも株主に迷惑がかかるからだとからしい。
まあ、たいした問題じゃない。手にする大金を思えば細かいことなど、どうでもよかった。それよりも、この幸運を自慢したくなった青年Aは「俺は会社の社長になった」と周りに吹聴していたのだった。
まさに人生最高の瞬間といえるだろう。
だが、まさかこの有頂天から数日後。泥酔による急性アルコール中毒で死亡する事になるなど青年Aは夢にも考えていなかっただろう。
※
あるバーで怪しい女と老人が話していた。
「よくやってくれたわね」
「ああ、簡単な仕事じゃったよ」
「ふふ。警察には不審に思われないかしら」
「大丈夫、大丈夫。計画通り、友人たちは夫の正気を疑ってくれてるよ。そりゃ突然、社長になる、と言い出したのだから当たり前じゃな」
「本当は彼の浮気相手も殺したい所だけど」
「依頼とあれば可能じゃぞ。ただし、少し時間を空けるが」
「本当?」
「ああ」
「ふぅん。どうだか。ちなみに夫が書いた書類は?」
「疑い深い元妻じゃな。あれはダミー。もう闇に消えておるから何の証拠もないぞ。本当に消したい相手は、もう静かに消す時代ではないんじゃよ。一度、標的の人生を大きく狂わせて信頼度を殺す」
「……」
「それには、まず標的を、こっそりと幸せにする事じゃ。幸せで生活が狂った所を狙えば暗殺とは疑われない。例えそれが浮気相手だろうともな」
「そうかしら」
「ああ、よく言うじゃろ。人生には節目があると。
例えば、受験に受かった次の日に死ぬ、新しい恋人ができた次の日に死ぬ、宝くじにあたった次の日に死ぬ、両親が再婚した次の日に死ぬなどじゃ。このような関係性を示されると、人はそれが原因なのではないかと疑ってしまう。
わざわざ標的を幸せにさせる手法は過去存在しなかった。
これは、それを利用した新しい暗殺方法なんじゃよ」
スペリング(短編集) @aoss
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