シュレディンガーの力士

二石臼杵

午後の大一番

 夕食の支度をしていると、インターホンの鳴る音がした。きっとセールスマンか何かだろう。少なくとも主人じゃないことは確かだ。私はため息をつく。あぁ、断るのが面倒だ。


 いや待てよ? もしかしたら訪問客はセールスマンなんかじゃなくて、強盗かもしれない。

「奥さん、オレですよ。オレオレ」だなんて、覆面で顔が分からないのにオレオレ詐欺をしてくるのだ。


 いや、もっとポジティブに考えてみよう。この前買った宝くじが当たったのかもしれない。

「おめでとうございます! 見事三億円が当選いたしました! ささ、この紙に名前と拇印をお願いします。あぁ、当選なさったご記念に、この壺を買われてみてはいかがですか? 今ならたったの二百万円で――」

 ……ダメだ。結局詐欺になってしまった。どうも私は悲観的に考えすぎてしまうからいけない。


 シンデレラストーリーを思い浮かべよう。私の元にスカウトマンがやって来て、芸能界デビューを勧めてくるのだ。そこまで考えたところで、私は自分の三段腹に目をやった。こんな私がアイドルになんて、とうていなれっこない。


 すると、今まで思い描いていたハンサムなスカウトマンの輪郭がぼやけて、でっぷりとしたお相撲さんへと変わった。彼は頬の肉をぶるぶる震わせながらこう言うのだ。


「そのどっしりとした体! おいと一緒に、世界初の女横綱を狙ってみないでごわすか!?」

「いや、それはちょっと……」

 私は首を横に振るが、力士は引かない。

「どうしても嫌だと言うのなら、おいを倒してから断るでごわす!」

 彼はいきなり猫だましをしてくる。私は一瞬だけひるむも、すぐに台所のフライパンを構え、お鍋をヘルメット代わりにかぶる。

「どすこーい!」

 力士は張り手をかましてきたので、私はそれをフライパンでしのいだ。さすがに重い一撃なので、両手でフライパンを支えなければいけない。

 何か武器はないか? ちらとまな板の上を見ると、そこには包丁が。いや、刃物はダメだ。失格になる。

「受けてみんしゃい!」

 相手は交互に突っ張りを繰り出しながらも、隙あらば足払いでこちらの体勢を崩そうと狙っている。

 足? そうか、その手があったか! 私はフライパンを振りかぶり、バットの要領で力士の手のひらにそれを叩き込む。両手に金属の振動が伝わってくるが、向こうの衝撃はこの何倍もあるだろう。力士が手を押さえて痛みに耐えている間に、彼の脛をフライパンの側面で思いっきり殴ってやる。

「ごっつぁんです!」

 力士はそう言い残して消えていく。勝った。私は勝ったんだ!

 そこで勝利の余韻に浸っている私を、インターホンが現実に呼び戻す。


「すみませーん、書留郵便が届いておりますので、サインをお願いしまーす」


 せっかく人が良い気分だったのに。不機嫌になってドアを開けると、むっちりと太った男がいた。郵便局員の制服が今にもはちきれそうだ。

 私はとっさに身構え、「どすこい!」と返事をした。

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シュレディンガーの力士 二石臼杵 @Zeck

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