星の舟
山本弘
第1話
少年は振り返った。部屋中に散乱した宇宙関係の雑誌やSFコミックス、作りかけの恒星船のプラモデル等に取り巻かれて、カーペットに退屈そうに寝そべり、ケーブルTVのスペースボウル中継をぼんやりと観ていたその表情が、暗い矮星を彩るフレアの閃きのように、ぱっと輝きに満たされた。
「パパだ!」
そう言うなり、テレビを消すのも忘れて部屋を飛び出し、階段を雪崩のように駆け降りて、応接間を四歩で横切り、ドアチェックがはじけ飛びそうな勢いで玄関の扉を開けると──そこに父親が立っていた。
「ねえ、〈グリーン〉は? 〈グリーン〉は? 〈グリーン〉は?」
少年は息を弾ませ、期待に輝く眼で父親を見上げた。通せんぼをされた父親は、困惑の笑みを洩らした。
「おやおや、『お帰りなさい』も言ってもらえないのかね?」
少年は慌てて、お帰りなさいと言った。父親はにんまり笑うと賞状を授与するような芝居がかったしぐさで、背中に隠していた昔のレコードジャケットほどの大きさの包みを差し出した──星の模様の包装紙。
少年は歓声をあげ、包みをひったくると、どたばたと自分の部屋に駆け戻った。取り残された父親は、ダイニングキッチンの入口から一部始終を見ていた妻と、無言で満足気な視線を交わした。
時刻はもう遅かったが、とても明日まで待てなかった。机の上に包みを置くと、少年は興奮のあまり硬くなった指で、包装紙を細かくむしり取っていった。ほどなく少年の目の前に、二枚の真っ白な厚紙にはさみこまれた、霧のようにあえかな半透明の
少年は息を詰めた。ほんの一グラム弱の重さしかないそれは、ちょっと息を吹きかけただけでも、蝶のように舞い上がってしまうだろう。取り扱いには細心の注意が必要だった。
少年は白手袋をはめ、両手に大小のピンセットを持って、外科医さながらの慎重さで作業に取りかかった。中央に分銅を置いて、舞い上がらないようにしてから、一端をそっとつまみ上げ、折り曲げて別の端に重ねる。折り目をつけてから広げ、今度は違う方向に折る──もう何週間も前から、この時のために、折り方を考えてあった。
数ミクロンの厚さしかないにもかかわらず、〈グリーン〉はティッシュペーパー数枚分の強度があった。手先の器用な子供なら、工作はさほど難しくない。ただ、折り方には制限があった。あまり表面積が小さくなっては駄目なのだ。また、ハサミで切るのはいいが、接着剤は使えない。そのため、たいして複雑な折り方はできなかった。その制限の中で、いかにオリジナリティのある形を造り出すかが、子供たちの腕の見せどころなのだ。
折り、ひねり、重ね、ハサミで切れ目を入れ、開き、定規を当て、折り目をつけ、さらに折る……眠気も忘れて、少年は黙々と作業に没頭した。
ドームの外では、今年最初のブリザードが吹き荒れていた。太陽は―二時間前に沈んだ。これからの四ヶ月間、南緯七七度のスノーフレーク・シティは、闇と雪と極寒に閉ざされる。外で遊べなくなった子供たちにとって、〈グリーン〉
今宵、いったい何百人の少年少女が、自分の部屋に閉じこもって〈グリーン〉を折っていることだろう。
〈グリーン〉は本来、緑色はしていない。透明だと紛失する危険があるので、製造段階で銅化合物を混入してあるのだ。〈グリーン〉という商品名は、発明者の名から来ている。
グリネフスキーの
そうした常識的な用途に加えて、十数年前、スノーフレーク・シティのある玩具屋が、まったく非実用的かつ独創的な利用法を思いついたのだ。その遊びはたちまちシティ中の子供たちを魅了し、今では冬の第一日に〈グリーン〉を買うことが、クリスマスのケーキ同様、年中行事になっていた。
〈グリーン〉は子供の小遣いでは手を出しにくいものであったが、目の玉の飛び出るほど高価というわけでもなかった。だが、一人の子供に何枚も買ってくるような愚かな親はいなかった。子供に与える夢は、ひとつで充分だ。
少年は完成した自分の作品をつまみ上げ、満悦した表情で、いろいろな角度から吟味した。それは鳥のような翼を持った小舟だった。稜線に沿って光線が微妙に反射し、ガラス細工のように見える。
たっぷり二〇分ばかり、様々な空想を巡らせた後、少年は最後の仕上げに取りかかった。空白の部分に、油性の極細サインベンで願い事を書きこむのだ。あまり長い文章はいけない。ごちゃごちゃと書きこんだら、せっかくのシンプルな美しさが台無しになってしまう。
願い事を書き終えたら、急に眠くなってきた。少年は作品を丈夫な段ボールの箱にそっとしまいこんだ。その夜は、その箱を抱いて寝た。
南極の夜と言っても、ブリザードが休みなく吹きすさんでいるわけではない。数週間に一度、嘘のように晴れ渡り、宇宙の奥底まで見透せるような日があるのだ。天気予報に注目し、その日を待ち焦がれていた子供たちは、ぞろぞろとドームの外の氷原に出てくる。手に手に、自分の作品を収めた箱を持って。
風カゼロ、気圧正常、太陽の激的活動の微候なし──コンディションは理想的だった。
子供たちは箱の中からそれぞれの作品を注意深く取り出した。大きさはどれもほとんど同じだったが、形は多種多様だった。鳥・飛行機・宇宙船・人形・ヨット・凧・蝶・星形・魚…そして、翼のある舟。
時計が九時を告げた時、子供たちはいっせいに手を放した。彼らの願いをこめた〈グリーン〉は、ゆっくりと手から離れ、澄みきった星空に舞い上がってゆく。あるものはふらふらと、あるものは回転しながら、あるものは一直線に、あるものは宙返りを繰り返しながら、あるものは滑るように……数知れぬ〈グリーン〉の群れは、重力の束縛から解放され、ドームの灯を反射して美しくきらめきながら、虚空に舞い散ってゆく。
超伝導体には、電気抵抗がゼロであることの他に、もうひとつ重要な性質がある。それは比透磁率がゼロ、すなわち完全反滋体であるということだ。したがって、表面積に対して重量が充分に小さければ、地球磁場に反発して浮き上がるのである。
だが、地球上どこからでもというわけにはいかない。地磁気の磁力線が鉛直方向に近い両極地方でなければ〈グリーン〉はうまく上昇しない。南磁極に近いスノーフレーク・シティはその点で理想的だった。
また、飛ばすのは長い夜の間でなければならない。地球の昼側では太賜からの粒子風のために磁場が平たく歪んでいるし、せっかく大気圏外まで出た〈グリーン〉が、光圧で押し戻される可能性もあるからだ。
〈グリーン〉の最後のひとつが夜空に消えた後、子供たちは三々五々、家路についた。互いに自分の作品の飛び方を自慢し、その行く末に思い駈せ、未来の夢を語り合いながら……。
子供たちの作品のほとんどは、うまく磁力線に乗ることができず、低緯度地方に押し流され、浮力のパランスを失って、海面や密林や砂漠に、死んだ妖精のように落下していった。だが、いくつかはどうにか衛星高度にまで上昇し、地球の円錘形の影から脱して、太陽の光圧と粒子風で加速されはじめた。
第一、第二、第三宇宙速度。地球の引力を振り切り、しだいにスビードを上げなから、子供たちの夢を担ったきらめく折り紙は、太陽系外へ漂ってゆく。もはやそれを制約するものは何もない。
その中には、鳥のような翼を持つ小舟の姿もあるかもしれない。その翼には、「大きくなったら、うちゅうひこうしになれますように」と書かれているはずである。
星の舟 山本弘 @hirorin015
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