エピローグ

 秋晴れの青空の下、黄金に染まる草原を柔らかな風が駆け抜けていく。その中にぽつんとひとつ、赤い屋根の家が立っていた。


 こじんまりとした家の窓から蜂蜜色の髪と目をした女性が顔を覗かせ、手際よく布団を干していく。彼女は数日前にようやく抱えていた大きな仕事を片付け、家族と短い休暇を過ごすためにこの家へやってきたのだった。


「セレス! 家の中はだいたい片付いたわ。もう戻ってきても大丈夫よ」


 空に向かって声を張り上げた女性は程なく嬉しそうに微笑んだ。黒い大きな影が空を横切り、家の近くに舞い降りる。腕の中できゃっきゃと楽しそうに声を上げるのは、彼女によく似た髪と目の少女だった。


「おかえりなさい。楽しかった?」

「聞いて聞いて! 父さまがね、コスモスがたくさん咲いているところへ連れて行ってくれたのよ」

「あら、ルルイの池まで行ってたの? 随分と遠くまで連れて行ってもらったのね」

「フローラがリリスにあげるんだと言って聞かなかったから、急いで飛んでいった」

「こんなにたくさん……! とても素敵だわ。ありがとう、フローラ」


 腕いっぱいに抱えたコスモスの花束をフローラがリリスへと差し出す。花瓶を探さなくちゃ、と言いながら嬉しそうに顔をほころばせて花束を抱えて家に入っていく後ろ姿を見て、セレスはフローラと顔を見合わせた。


「母さま、とっても喜んでたね!」

「大成功だな、フローラ」

「父さまのおかげよ。母さまが喜ぶものを一番よく知っているのは父さまだから」

「そりゃそうだ。父さんが一番、リリスのことをよく知ってるからな」

「おじいさまや、おばあさまよりも?」

「そうだよ」

「じゃあ、ルディおじさまやセレナおばさまよりも?」

「ああ、父さんが一番だ」


 言い切るセレスに幼子は目を丸くして、すごいと手を叩いた。父さまは世界一母さまのことを愛しているのね、とフローラが腕の中で呟く。その言葉にセレスはしっかりと頷いた。


「誰よりも、世界で一番リリスを愛してるよ。もちろん、フローラもだ」

「ほんと? わたしも、父さまと母さまが世界で一番大好きよ!」


 父の優しい視線に、フローラははにかみながらも嬉しそうに言葉を返す。セレスはそっと幼子の手を引いて、リリスのいる家へと入っていった。


「二人ともしっかり手を洗ってきてね。特にフローラは石鹸で手を洗うのよ」

「えーっ、ぬるぬるするのきらーい」

「だめよ。お花をつんできたんだから、ちゃんと手を洗いなさい。セレスもよ」

「フローラ。リリスがしっかり見張ってるから諦めて石鹸で手を洗おうな。父さんも一緒に洗うから」


 にぎやかな声が家の中から響いている。まもなく魔法将軍を引退をするロイドにかわり、その地位とともにサーシャ家当主を継ぐことになるだろうと目されるリリスとセレスの、数少ない家族水入らずの時間だった。


 『天青の魔法使い』として主に妖魔関係の仕事を担当し、セルビア中を飛び回る二人が幼い娘と過ごせる時間は長くない。すでに隠居しているルディオとセレナに普段預かってもらってはいるものの、最愛の娘に寂しい思いをさせているという負い目は十分にある。そのため、リリスとセレスはひと月の間に数日は屋敷を離れ、フローラと水入らずの時間を過ごすことにしているのだった。


「ねえねえ、遠くまで行ったらお腹空いたー!」

「あれだけたくさんのお花を集めたらそうでしょう。すぐご飯にしましょうね」

「良かったな、フローラ」

「うん!」


 ぱたぱたとフローラがテーブルへかけていく姿をリリスとセレスが見つめる。『セレスと一緒に暮らしたいな。どこかのどかな場所に家を造って、二人で静かに暮らすの』──リリスがいつか願った夢は、それ以上の幸せの形で叶えられた。愛と絆を探す泣き虫少女が、初めて愛を知った青年と歩む旅路。この先にどんな困難が待ち受けようとも、彼らは手を取り合って道を切り開いていくだろう。


 やわらかな秋風が窓からふわりと舞い込む。三人のこれからを祝福するかのように、たくさんの桃色のコスモスが窓辺で揺れていた。

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天青の魔法使い さかな @sakana1127

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