第30話 ある我輩の最期
我輩は本である。初版部数は4000部。あと見本が少しあるが、まあだいたい400部である。我が眷属の行く末のすべてを語ることは不可能ではないが、キリが無いのでこの我輩ただ1冊に話をしぼって結末を迎えたいと思う。
初版4000部であるが、結局重版はかからなかったので4000部で全てである。すでに故人であるが、あるベテラン編集者が言った言葉で「初版4000部だと重版がかからないが、5000部だとかかることが多い。この間のどこかに閾値があるに違いない」というものがある。もちろん調査した上での数字ではなく、彼の印象の積み重ねによる経験談なのだが、それでも信憑性はあった。その後ずいぶん書店も減ってしまったので、境界線がどこにあるのかもう変わってしまっているようにも思うが、それでも我輩が4000部で重版なしだったことを鑑みると、正鵠を射ているもかもしれない。
500部は著者が買い取った。2000部が実際に売れて、うち図書館で購入したのは500部。残りの1500部は半年後に返本された。しばらく倉庫に置いていたが、著者が買い取るかもしれない500部を残して、約1000部はリサイクル業者に送られた。売れたものもブックオフを経由するか、資源回収に出されるかで結局リサイクル業者の手に渡り、再生紙になった。
我輩は書店に送られたことがない。見本本としてデザイナー宅に送り込まれ、ダブったので知人に渡されたものである。その証拠に我輩の見返しには「謹呈」の札が今でもはさまっている。それと他に封筒が1通はさまっていた。この本棚に収まってからはずいぶん月日が経っていた。おそらく我が眷属はもうほとんどこの世に残っていないだろう。制作スタッフの書架に放置されたものか、国会図書館に納められたもの、版元の編集部に紛れ込んでいるものが残っておれば御の字である。他はもう残らず紙くずとなったことだろう。それだけの月日が経っていたのである。
我輩は長年住み慣れた書架から引き出された。持ち主の老女が病院で亡くなったので、葬儀のあとで遺品整理にきた孫らが他の本と一緒に引き抜いたのだった。床に並べられる我輩だが、掃除人が我輩に挟まっている封筒に気づいて引き抜いた。
「コミちゃん、これ、なんか挟まってたけど」
男の方が女を呼んで封筒をペラペラと振った。何か文字がある。
「え、なんだろ。ばあちゃんのへそくりとかかな」
コミちゃんと呼ばれた孫娘が慌てて受け取った。この声は聞き覚えがある。ここ何年かここによく来て、我輩の主人である祖母の身の回りの世話をしておった娘である。介護師の専門学校に通っているということを話していたのを聞いたことがある。
「へそくりならラッキーじゃん、ってそれ遺書じゃんもっとヤベえじゃん」
封筒に書かれた文字を見て、男が慌てた。ぎょっとしてコミちゃんは手にした封筒を表に返してよく見た。
「遺言書じゃんバカ」
「なんだ? 違うのか? 確かこの本に挟まってたよ」
男は我輩を手に取ると、タイトルの『心をつなぐ自筆遺言書テクニック7』をまじまじと見て、我輩をペラペラめくった。第1章のところに「開封は弁護士に依頼」とあったのを見かけた。ゲッと思ってコミちゃんを見ると、はさみを手にいままさに封筒のフチを切ろうとしていた。
「まてまてまてまて! 開けたらダメだってぞ」
「え、きゃ、あっと、マジで?」
「素人が開けると罰金て書いてある」
「あぶねー」
コミちゃんは慌てて落としたはさみを拾ってデスクに戻し、男に礼を言った。実はこの段階では彼女らは交際はしていなかったのだが、この件をきっかけに距離が縮まり、3年後に結婚した。
後日この封筒は弁護士の立ち会いの元開封され、遺言書には預貯金は老女の娘と息子4人で均等に分け、マンションだけは孫娘に遺贈するようにと書かれていたことがあきらかになった。孫娘は晩年老女の介護をしていたし、彼女の親も叔父、叔母らも十分な金額を与えられたので、遺留分を請求してくるような事態にはならず、故人の希望通り丸く収まったのだった。
かくいう我輩であるが、最初の掃除のタイミングでは処分を免れたものの、2人が結婚する段ではいよいよビニールひもでくくられる羽目になった。自治会の回収日に集積所に出され、回収業者のトラックにひょいと乗せられた。
トラックが古紙集積所の入り口までくると、大きな鉄板の上に止まった。鉄板は秤になっていて、行きの重さと帰りの重さの差が持ち込まれた古紙の量となる。その重さを元に清算するわけだ。金を受け取った回収業者はさっさと帰っていった。
積み上げられた我輩たちは、積み上げられたままどんどんヒモを切られてバラバラに崩れていった。そうして積み上げた我輩たちををブルドーザーで倉庫の床に開いた穴にガバガバと落としていった。床下で圧縮され番線で縛られ、四角いブロックにされ、古紙回収工場に送られた。
古紙回収工場では我輩を刻んでドロドロに溶かして古紙パルプにして再生紙にするのだった。背を切り落とし、天地構わず粉砕してパルプの太平に入る。そうなるともはや我輩は我輩ではない。これにてついにおさらばである。少し抵抗を試みたが、もとより書籍にそんな機能はない。もうよそう。勝手にするがいい。ジタバタ考えるのはこれきり御免被るよ。そうしているとだんだん楽になってくる。紙くずとなり白紙に戻りまた本になるのである。我輩は本であった。我輩は死ぬ。死んでこの世の真理を知る。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
完
我輩は本である 〜白紙が紙くずになるまで〜 波野發作 @hassac
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます