第29話 それぞれのハーベスト

 我輩は本である。関係者に献本が配られた。


 本が完成すると、関係者に見本が配られる。あまり多いと有料だが、基本的に無料で配られる。これを献本という。もらう側が献本というのはおかしいとかいうへりくつを捏ねる輩がいるが、そういう用語なのだから諦めろ。上流に流そうが下流に流そうが献本は献本だ。配本だと違う言葉でそっちはそっちで使われているし、他にちょうどいい言葉も見当たらん。そもそも使われてない。なのでここは献本である。


 イラストレーター・ニシカエデのところに我輩の献本分が届いた。ユニクロの会社行く用事もなかったので郵送にしてもらったのだ。ちょうどまたイラストレーターの東風も来ていた。彼女が上京するときはいつもニシカエデの家に泊まるのである。


「あ、ニシさんのやってた仕事ってそれだったの?」

「そうそう。単価メチャ安いけどまあ、楽しかったからいいかって」

「それあたしんとこにもオファーあったんだけど、忙しくて断っちゃったんだよね」

「そうだったんだ。作風近いからこっちにきたのかな」

「どうかな。あ、このおばあちゃんカワイイ」

「でしょでしょ」

 などと我輩を肴にガールズトークに花が咲くが彼女らの年齢は伏せておくことにする。というか我輩は本なので、人間の年齢などというものはよくわからない。


「そういえば、チノさん会社やめるって」

「そうなの?」

「うん、たぶん今月いっぱい」

「次どうするって?」

「さあ」

「また編プロだったらつないどかないとね」

「だよね」

 そういってニシカエデはデスク脇の本棚に我輩を納めた。ニシカエデの孫の配偶者が蔵本をまとめて処分するまで、我輩はここに並んだ先輩後輩と運命をともにすることになる。ビッグサイトのクリエイターズエキスポに連れられて営業したこともあるが、どうも遺言書という字面が悪かったのか、2回めからは出番がなかった。ニシカエデはその夫とマンションを購入しており、その他少し資産を残したが若干家系図が複雑だったので相続でもめた。我輩の出番ではあったはずだが、ニシカエデはまったく我輩を思い出さなかったので、活用されることはなかった。彼女が我輩の読者になることは、最後までなかったのである。


 デザイン事務所ストレイシープの須藤夫妻のところには2冊の我輩が届けられた。事務所的には1冊でよかったが、レイコも表紙カバーを担当したので、その分ということだ。ヒロシはペラペラと一通り目を通すと、作品棚の端に納めた。もう1冊どうする? と聞くとレイコが知り合いにあげようと思うと言ったので封筒に収めたまま棚に置いておいた。数日後なくなっていたので、レイコがその知り合いに渡したのだろうと思った。それきり、我輩がこの夫婦の人生でクローズアップされることはなかった。


 ミズシマ某にも1冊届けられた。しばらく同棲状態だった先輩もすでに自宅へ戻っていて、なんとなく自然消滅っぽい空気になっていたのだが、なんとなく連絡するきっかけが思いつかなくてそのままになっていた。次の仕事が動き出していて忙しかったということもあるが、連絡しにくかったのはなんかセックスしたくて呼んでいるように思われやしないかという心配からだった。セックスがしたいだけで呼ぶことの何が悪いのか、とも思うが、同棲状態のときはただやりまくってどこにも出かけたりしなかったので、後ろめたい気分にはなっていたのだった。先輩は特に苦情も何も言わなかったが、何も思わなかったわけはないだろうとミズシマ某は思っていた。我輩の表紙をしばらく見ていて、ミズシマ某はふとスマホを手にとり我輩を撮影した。そしてLINEで先輩に画像を送りつけた。


[例の本届きましたよ]


 送ってからミズシマ某は落ち着かない気分になって、そわそわとテレビをつけたり消したり、スマホゲームを開けては閉じ開けては閉じをしていた。15分ほど経って返信があった。


[ごめん風呂だった]

[あ、すいません]

[かまわんよ。本できたねー。見せてよ]

[あ、はい1冊しかないですけど]

[持ってきて]

[今ですか? 明日ですか?]

[今]

[すぐ行きます]

[早く]


 ミズシマ某が先輩のアパートに着くまでずっと会話は続いた。結局先輩が我輩に目を通したのは翌朝のことである。そして、我輩が彼らの人生に関与したのはこのときだけである。その後彼らがどうなったのか我輩は知らない。


 ピンクネクタイの所へは、ユニクロとアキヤマが二人連れで持参した。ひとまず見本ですと手渡すと、税理士は大いに喜んだ。実態はどうあれ、自分の名前が記された本というものは格別である。それに内容は自分の語ったこと、思っていることがきちんと反映されているので、実際に書いたように錯覚もしていた。ユニクロはそこで退社を伝え、今後はアキヤマが後を引き継ぐということで名刺交換をした。続編の話題も上がったが、最終的にそれが実現することはなかった。我輩はピンクネクタイ税理士の最初で最後の著書となったのである。ではあるが、彼の遺言書セミナーはこのあと10年ほど続いたが、5年後のあたりから団塊世代がリアルに高齢者になったきたこともあり盛況となっていった。我輩を500部、定価の8掛けで買い取ったが、ほぼ全点売り切った。100冊ほどは無料で配ったりもしたので、黒字ということはなかったようだが、彼の仕事には大いに役に立ったようである。ただ、ピンクネクタイ氏は遺言書を残す前に急死したので、彼自身が我輩の内容を活用するということはなかった。遺産はは妻に半分、2人の息子たちに四分の一ずつ分けられた。彼の書斎には我輩が10冊ほど残っていたが、1冊を遺品として妻が残し、残りは他の本と一緒にブックオフに売られた。ブックオフでは同じ本を同時に2冊買い取ってくれないので、長男は休みのたびに違うブックオフを回っていたが、5冊目まで売ったところで面倒になり残りは廃品回収に出した。


 アライチヒロ弁護士には郵送で届けられた。彼女は買取をしなかったが、2冊欲しいとリクエストしたので2冊が届けられた。1冊は先輩弁護士に渡し、もう1冊は手元に残した。我輩がきっかけで本の依頼がいくつかあり、そのうちの1冊がそこそこ売れたので、一時期はワイドショーにも呼ばれたりしたのだったが、そこまでは我輩には関係がない。彼女の才覚によるものであろう。ちなみに色校前のチェック以降、アライチヒロが我輩の全文に目を通すことは一度もなかった。だいたいそんなものである。


 ユニクロの事務所には3冊の見本が残された。1冊は会社の作品棚へ。もう1冊は後任のアキヤマへ。そして1冊はユニクロが持ち帰ることにした。ひょっとしたらこれが最後の本になるのかもしれない、と思ったからだ。本づくりは楽しいし、キツスケジュールは辛いが、通り抜けてしまえば嫌ではない。ただ、ユニクロは「引き出しが空っぽ」になったと感じていた。なのでここで少し現場を離れようと思ったのだった。戻るかどうかは離れてから考えようと思った。とにかく、今は次の本をはじめる気にはならなかったのだ。我輩は他の彼の作品とともにダンボール箱に収められ、ガムテープで封をされた。


 我輩は本である。ベストセラーにはなりえないとしても、それぞれにそれぞれの収穫があったようである。


つづく

 

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