第28話 トリツギ

 我輩は本である。本は取り次がれることで本屋に行ける。取り次がれない本は本屋に行けない。本屋に行けない本は出版されない。取次が無ければ本は本足りえないのである。


 世の中には本に関する本がたくさんある。たとえば作家の日常を描いた本。文章を書くという制作段階の物語ということになるだろう。編集者の物語もある。だいたいはマンガ編集者の話ではあるが、最近ドラマ化されたりいろいろ注目を集めることが多い。雑誌編集の話もドラマ化されることは昔からよくある。ただ、あまり作業内容には触れず、主人公たちの人間関係の小道具としてちょっと扱われる程度ではあるが、それでも光は当てられる世界ではある。印刷に関する情報も多い。本もたくさんあるし、情報も大いに開示されている。もっとも闇は闇で深いのだが、それでも上層の辺りは明るく照らされている。本に関する本で最も多いのは、書店に関する本である。個性的な書店や、伝統の書店を紹介する本なども数多く出ている。読者にとってもっとも身近なものは書店であるので、買われやすいということもあるのだろう。次いで本そのものに関する本も多い。目録なんかもそうだと言えばさらに数は多いが、そこまで入れるとキリが無いので、値段のついている本に絞っても、やはり多い。


 だが、取次に関する本はあまり見ない。Amazonで検索しても100件程度しか出てこない上に、多くは「取次屋栄三」という時代小説のシリーズで、出版取次には全然関係ない。後半はなぜかカメラのレンズであり、実際に出版取次について書かれていそうな本は、白書的な情報誌や論文の類いに限られる。極まれに新書っぽいもので出版危機をあおるようなものがあるぐらいである。まったく陽に晒されていない真っ黒な世界、それが取次界なのである。


 とりあえず読者サービスとして取次について手短に述べておくと、取次とは出版社が納めた本を全国の書店に配る業者のことである。本の卸売り業者といえばだいたいあっているが、流通ばかりでなく金融やトータルコントロールの機能もあるので、単なる卸売りとは次元が違う。本という麻薬を作らせて売人に卸しているマフィアの中枢といえばイメージは近いかもしれない。甘い汁の出方を自由自在に操り、すべてを牛耳り操作し管理する、そういう存在である。かつては300社もあったが、戦時下に1社に統合された。戦後その1社は解体され、OBが1社を作り、それに反する陣営がもう1社作った。これをプロレスになぞらえて言う人もいたな。現在もこの2社が市場の70%を支配している。他に30社ほどあるが、1年に1社のペースで減っているので、30年後にはこの大手2社しかなくなるだろう。中堅以下の小さな取次は東京の神田周辺に多いので神田村などと呼ばれている。あるいは自分たちで呼んでいる。出版社3000社の本、毎日200点を全国13000店の書店に振り分ける取次は33社。うち2社が70%である。このボトルネックの意味するものは何か。ネック。つまり首である。首を押さえてしまえば生かすも殺すも気分次第だ。指先一つでダウンさせられる経絡秘孔に指を挿し込まれ、こっちかな? いやこっちかな? などとグリグリされている、とかそんな光景が脳裏をよぎったと思うが、まあそんな感じである。そしてその実体は誰にも全く知られていない。出版界の完全なブラックボックス。それが取次なのである。


 取次の中の人は無口である。めったに自分の仕事の話をしない。発売前の本などとも取り扱うので、守秘義務な情報も多いから下手なことは言えないのだろう。あと身分を隠すことが多い。出版関係なんですーなんて言うからてっきり編集かその辺かと思って、調子に乗って気軽に取次の悪口までペラペラしゃべっていたら最後の最後で、黙っててごめんなさいあたし江戸川辺りの方なんですもうかえりますさようなら、なんてことになったという事例もあるらしい。男の方は舌禍だと思っているが、実際は単にちょっと口が臭くて嫌になって帰っただけなので、舌苔の方の問題であった。


 取次エージェントの朝は早い。マンションのエントランスに専用車が迎えにきている。運転手は専属ではない。機密情報を多く扱うので特定の人物との定期的な接触は禁止されているからだ。通勤時に出版社サイドから買収を持ちかけられる危険もあるので、上層部はもちろん末端のエージェントすべてに至るまで、全員が専用車での送迎を義務づけられていた。専用車で専用道路を通り地下にある巨大施設へと出勤する。地上にあるのは当然ダミーである。我が国の出版流通の利権の集約点があんなボロビルなわけがない。地下に超近代的なハイテクオフィスが隠されているのだ。ダミーを使っているのはもちろん税金対策だ。スライドするハイテクチェアーで受付窓口まで移動する。コンソールのスイッチに指紋認証をさせると、ディスプレイが表示される。インカムを装着して、パネルの受付開始ボタンにタッチする。地上ビルにやってきた出版営業をあしらうのがこのエージェントの仕事だ。急に暴れだしたり刃物を振り回したり、爆弾のスイッチを入れる出版営業もいるかもしれないので、地上ビルにはダミーのバイオロイドを置き、エージェントは地下の安全なところからインカムで指示を出すようにしている。


 今日も1人あわれな出版営業が重そうな荷物を抱えてやってきた。顔認証で即座にデータが表示される。中堅の出版社の中堅社員で中肉中背の中年だ。そんなに中が好きなら中華料理でも中心に食ってればいいのだ。


「5番の方どうぞ」

「あ、はい」

「ビー社さんですね。今日はどうしました?」

「あ、あのちょっと新刊を出してしまいまして」

「ほう? それはよくないですね。ちょっと胸出してください」

「はい」

 取次は聴診器を取り出して、出版営業の頭に当てた。なんで胸出させたんだ。


「ふん。ふん。先月も出しました?」

「ああ、そうですね。先月も出しています」

「その前は?」

「出していますね」

 取次はカルテに読めない文字でさらさらと何かを書いた。端末の画面を操作して何かデータを見ている。


「それはあまり良くないですね。売れてないのに新刊だけ出すのはあまりよくない傾向です。少し発刊点数を抑えてみては?」

「いや、そういうわけにもいかんのですが」

「返本も多いようですね。倉庫の方は大変ではないですか?」

「そろそろ整理しないとまずいとは思っています」

「ビー社さんね、新刊出してないと自転車を漕いでられないのはわかるんですがね、そんな漕ぎ方じゃいつか倒れちゃいますよ。栄養のあるものを食べて、売れる本を出していかないとさ」

「それはわかっているんですが」

 出版営業は将来が心配になってうつむいてしまった。取次は出版営業の手を取って、ぎゅっと握りしめた。バイオロイドだが、新開発の特殊ウレタンなので人体と感触は変わらない。

「一緒に、がんばりましょうよ」

「あ、はい」

「じゃあ今月分出して」

「あ、はい」

「ふむ。ふむ。……なんだか今月もパッとしませんねえ」

「あ、はい」

「これは?」

「ああ、えと遺書の本ですね」

「遺書?」

「自分で書くんだそうです」

「そりゃ遺書は自分で書くだろうけど」

 取次バイオロイドがペラペラと我輩のページをめくると、高速で高精度OCRがかけられてその内容がデータベースの情報と連結された。


 地下オフィスのエージェントのディスプレイには、我輩の販売予測データの詳細が瞬時に表示された。日本地図の書店を示す点がポツポツと青からに赤に変わる。赤い点は売れると予測された店舗である。意外に地方に動きがある。内容チェックサーチにコーションが表示された。タイトルをよく読むと遺書ではなく遺言書になっていた。なるほど遺言書ということは、資産のある高齢者に需要があるに違いない。高齢化社会を見据えたいい企画であると言えよう。だが、ポテンシャルのわりに販売数が伸びない。原因はなんだ。フライトチェックボタンにタッチしてみると、著者と監修者に強調表示が出た。どちらも初登録である。なるほど、著者・監修者の知名度不足が予測の伸びない理由だったか。強調表示はもう1つあった。企画提出から日が浅さかったのだ。参照先が表示されているいるのでオープンしてみると、ビー社の企画で未発売のもののリストが提示された。数ヶ月前のもので1件取り下げになっているものがあった。それと入れ替わりで提出されたのがこの遺言書の本である。取り下げになったのはAV女優が監修する本だった。さらにリンクがあるので参照をすると、この監修者が逮捕されたという記事が表示された。なるほど、そういう事情か。エージェントはすべてを瞬時に判断した。そして、おそらく著者か監修の大量買取があることも看破していた。取次エージェントにわからないことなど何一つ無いのだ。


「なるほど、これは(それなりに一部で)需要がありそうですね」

「あ、はい」

「ではこちらを見本で。もう1冊は国会図書館へ納めておきます」

「あ、はい」

「数字出たらお知らせしておきますので、期日厳守で納品をお願いします」

「御意」

 出版営業はずりずりと後ずさりして深々と頭を下げ、平伏した。取次バイオロイドの前の御簾がするすると下がって本日の受付業務は終了となった。受け付けた1冊は国会図書館に直結しているエアシューターで転送された。もう1冊のは隣のスリットに入れられ、その下のシュレッダーで細切れになり、再生紙にされてからここの番号札として利用される。


 という夢を見た。


 我輩は本である。取次のことは取次しか知らないし、我輩が取次であったなら取次のことなど書けない。そして我輩は取次ではない。


つづく

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