第3話 またある朝

日が昇って数時間後、そろそろ人々が通勤通学などで動きを見せる時間になった。


カァー!カァー!カァー!


「なんだよ、朝っぱらからうるさいな!カラスっていうのは夕方山に帰る時に鳴くもんじゃないのか。」


カラスの鳴き声にたまりかねてマンションの一室で声をあげたのは、その家の主人だった。玄関扉を開けてポーチに出ると、鳴き声の主らしいカラスと目が合った。突かれると思って、とっさに手で頭を覆ったが、カラスの方は動く様子はない。また、大声で鳴き始めた。そして、泊まっていたゴミ箱のふたを太いくちばしで突く。


『ねえ、まだ気づいてないの?しょうがないわね。わたしが生きていた時のまんまじゃないの。今日は可燃ゴミ出してちょうだい!』


それはカラスとして甦ったサエコの声だった。もちろん、人間にはカァーカァーとしか聞こえないが、可燃ゴミを溜めたゴミ箱をこれだけ突けばわかるだろう。サエコはふわりと飛び立って旋回する。


「まったくしょうがないな!うるさいだけじゃなくて乱暴だな。中身を漁ろうってのか!」


サエコの夫はゴミ箱に近付いた。力任せにふたを開けようとしたものだから、勢い余ってつんのめりそうになった。そんなこんなでさらに怒りがこみ上げる。

カラスのサエコの方はと言うと、夫の様子が見える距離でホバリングしていたのだが、無様な格好を見せられて自分の方が恥ずかしくなった。


『何やってんのかしら、まったく。…あら、でも、気づいたようね。ゴミ袋取り替えてるわ。ふふ…』


サエコが最期に見た人間以外の生き物がカラスだった。ただでさえ存在感のあるカラスだから、印象に残って、つい、甦りのカラダに選んでしまったとも言える。しかし、それだけではなかった。ゴミ収集日に、カァーカァーうるさいカラスが思い浮かんだ。自分がいなくなった後、夫がゴミ出しを忘れたり曜日を間違えたりしないように、うるさくおしえに行こうと考えたのだ。夫のためではない、ご近所に迷惑を掛けないために。


カラスになったサエコが、そんな朝の儀式を何回か繰返したある日のことだ。プラスチック包装ゴミの入った袋を手にしたマンション住民が、ばらばらと外に出てくる様子を、花壇の縁に泊まったカラスがじっと見ていた。サエコだ。もうすぐ収集車の来る時間なのに夫はまだ出てこない。あれほど力強く鳴いて知らせてやったのに、何をしているのだろう。イライラし始めた時、小さな声が聞こえた。


『サエコさん…』


後ろから呼び掛けられたと思って、反射的に振り向こうとしたサエコだったが、途中で動きを止めた。そんなはずないじゃない。カラスになった自分に声を掛ける人などいないだろう。サエコなんてどこにでもある名前だし。


『あなた、サエコさんでしょ?』


サエコと呼んだ声に聞き覚えがある。サエコはざわっと鳥肌が立つような気がした。やだ、わたし今カラスなんだから、元々鳥肌じゃないの。自分につっこんで気持ちを落ち着かせながらゆっくり振り向いた。

誰もいなかった。いや、人間はいなかった。その場にいたのは自分より小柄なカラスだった。


『サエコさん、私のことわからない?』


声はそのカラスから発せられていた。それは数年前に亡くなった義母の声だ。


『お義母さん…です…か?』


『ええ、そうよ。あなたの夫の母親、カワムラシズエよ。』


『てことは、お義母さんも甦りにカラスを選んだんですか、ポイントで。』


しまった、お義母さんの年齢には「徳」の方がよかったかしら。


『ええ、思うところがあってね。』


よかった、ポイントで通じた、と思ったところでオルゴール調の音楽が聞こえてきた。ゴミ収集車が近づいて来たのだ。サエコはハッとしてマンションのエントランスに視線を移した。


『やだ、何してるんだろう。お義母さん、ちょっとごめんなさい…』


そう断りを入れて体を浮かせた時、大きなゴミ袋を手にスーツ姿の男性が駆けて来た。サエコの夫だ。


『間に合った!もう!30分前から準備してたのになんでギリギリになるのよ!』


サエコは地面に足をつけた。それを見て、同じね、と言ったのはカラスになっているサエコの義母シズエだ。


『ええ、ずっとあんな調子で…あ、ごめんなさい。』


義母の前で息子をけなすようなことを言うのはご法度だ。


『そうじゃなくて、あなたのことよ。』


何を言われているのかサエコにはわからない。


『サエコさん、あなた、どうしてカラスを選んだの?』


それは…理由を言いかけてサエコは口ごもった。義母には言いにくい。


『あなたも聞いたでしょ、あの白い部屋の人に。最近、旦那さんより先になくなった奥さんがカラスになりたがるって。その人達の気持ち、わかるわ。だから私もカラスなのよ。』


それじゃあ、お義母さんも?サエコは驚いた顔でシズエを見た。


『最近、ていうのはね、たぶん、ゴミの分別が厳しくなってき始めた頃からのことだと思うの。うちのおとうさんも、こういうこと全くだめなのよ。あの子と同じ。』


シズエはクイッと首を曲げてくちばしを息子に向けた。


『じゃあ、お義母さんもカァーカァー鳴いて庭のゴミ箱突くんですか。』


『ええ、もう3年になるわ。ご近所に迷惑掛けられないもの。カラスの寿命が尽きる前に覚えてくれるかしらね。いっそのこと、その前におとうさんにこっちに来てもらうかだわ。』


何を言ってるんですか、と言いながら、実はサエコは納得していた。自分達の場合は選択肢が少し変わる。カラスである自分より夫が先に死ぬ率は低い。代わりに身の回りに気を配ってくれる女性と再婚することが加わる。間違っても娘が出戻ってくることを期待するわけにはいかない。


そんなサエコの夫は、収集車に直接ゴミ袋を預け、ズボンの汚れを叩いていた。その後、ゴミ置き場の屋根を見上げて毎度同じことを言う。


「今日はカラスが多いな。」


何言ってるのかしら、サエコとシズエは顔を見合わせて溜め息をついた。


カァ~



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カラスなぜ鳴くの カミノアタリ @hirococo

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