最終話

 サラたちがカズヤさんの意識に入ってから、3日が経っていた。

 俺は、毎日マユと病院へ通った。


 カズヤさんの容態には、何の変化も見られない。

 マユも俺も、落胆の気持ちが日に日に強まっていた。


 夜も眠れなかった。

 あいつらが、もし夜中にこの世界に戻って来たら…どうなるんだろう?

 賢いあいつらだ。俺が考えなくたって、なんとかする。

 ——そんなことは、分かってるんだ。

 ほんとに考えなきゃならないことは、そこじゃない。


 帰って来てくれ。

 カズヤさんを連れて。

 もし、それができなかったとしても——お前たちだけでも。

 約束を破るなよ、絶対。



 俺は、ベッドで布団をかぶり、拳を握りしめた。





 4日目の午後。

 俺とマユは、いつものようにカズヤさんのベッド脇の椅子に座っていた。

 マユも俺も、何も話さず。何も手につかず。

 端末を、片時も離さず握りしめたまま。



 眠れない夜が続いたせいか、俺は自分でも気づかぬうちにうとうとと眠ってしまったらしい。



 ——夢か現実か分からないところで、誰かの声がする。


「——ただいま。陸」



 ——あ。

 この声。


 たまらなく懐かしく、やたら憎らしい、この声。


「おい、居眠りか?……呑気なやつだ」




「シロ?——シロ!!

 ああ、戻って来た!! シロぉーーーーーー!!!」

 俺は、握っていた端末の画面に向かって叫び、思わず全力で抱きしめた。

 マユも血相を変えて立ち上がり、俺たちに近づく。

「シロさん!!

 お兄ちゃんは——お兄ちゃんは!?」

 シロは、消耗しきった掠れ声でマユに答える。

「ああ。……間もなくここへ帰って来る……はずだ」

「マジか、シロ!?」

「ほんとなの!?あなたが——あなたたちが助けてくれたのね!?」

「——安心するのは、本当に彼がここに戻って来てからだ」


「………そうだよな」



 そのまま俺たちは、静かに横たわったままのカズヤさんを見つめ続けた。


 ——それから、1時間ほど経っただろうか。


 カズヤさんの瞼の内側で、瞳がすうっと動いた。


 瞼がゆっくりと開く。



「——お兄ちゃん!! マユよ! 分かる!?」




「——マユ」


 瞳がマユを捉え、カズヤさんの唇が酸素マスクの中で微かにそう動いた。




       *



「死ぬ寸前だった」

 病院から部屋に戻ると、シロは今までの疲労が一気に襲ってきたように、弱い声でぐったりと呟いた。

「本当によくやってくれたな、お前ら。——サラは?」

「ああ。彼女は消耗が酷くてな。全く声が出ない。2〜3日はここにも来られないだろう」

「そうか。……大変だったな。

 ——でも、カズヤさんが戻ってきて、本当に良かった。お前たちも、こうやって無事に帰って来てくれて……」


 あくまで平常心で話していたつもりだったのに……突然眼と胸が熱くなり、涙が溢れ出て止まらなくなった。


「………うぅぅ………」

「——おい、陸。ちゃんと僕らはここにいるんだから、そんなに泣くな」

「……うるさい! 止まんないんだから仕方ないだろ!?」


 シロは、静かな声で呟く。

「——嬉しいよ。君がそんなに深く、僕らを愛してくれているなんて」

「……そんなんじゃない。……スマホの音声アシスタントがダメにならずに済んで嬉しいだけだし…」



「——陸。……君を愛している」

「……だからやめろって」

「君の笑顔を見られるなら、僕はどんなことだってする。

 ——命をかけるくらい、何でもないんだ」


 バカだ、お前は。

 そんなの、少しも嬉しくない。


 ……ああ、くそ。

 俺の感情が壊れる——。



「………結婚してやるから……ここにいてくれ。

 もう命をかけたりしないでくれ、シロ」




 ちょっと沈黙してから——シロは微笑むように答えた。

「こんな状況下でプロポーズなんかするな。——よく考えろ」



 逸らしやがった。


 そういう時だけは、お前は大人で紳士で——何だかいつも、俺は思い切り悔しいんだ。  



        *



 カズヤさんが病院を無事退院して、2カ月が経った。季節は秋も終わりに近づいている。


 マユの話によると、カズヤさんはあの時なぜ意識を取り戻せたのか、全く覚えていないらしい。シロとサラが助けに行ったことも、おそらく知らないのだろう。

 つまり今回のことを知ってるのは、マユと俺、シロ、サラだけだ。


 マユからは、しょっちゅうお礼のメッセージが届く。彼らの勇気や優しさが、彼女も心から嬉しかったらしい。

 今日も何やらメッセージが届いた。


『お兄ちゃんが、真っ白でとってもかわいい子猫拾ってきたよ!道を歩いてたら、いきなり足にじゃれついてきて離れないんだって。お兄ちゃんも一目惚れ!ウチで飼うことにしたよ。今度見に来て!!』

 そんな明るいメッセージだ。

 写真が一緒に送られてきた。

 微笑むカズヤさんとマユ、そして、白く美しい毛並みの愛くるしい子猫の写真だ。


「カズヤさん、元気そうだ。子猫、めちゃくちゃかわいいなあ!」

 そんなことを言いながら写真に見入った。

「カズヤさん、本当は辛い気持ちを抱えているんでしょうけど…こうして少しでも笑顔が見られるなんて、よかったわ。本当に」

 サラも、一緒に写真を覗いて優しく言う。

 一時は消耗しきって声も出なかった彼女だったが、もうすっかり体力を取り戻した。相変わらずよくしゃべるし、よくヤキモチを焼くいい女だ。


「——ん?」

 サラが、ふと何か気になったような声を出す。

「どうしたの、サラ?」



「———この子猫……ミズキさんだわ」



「——え?

 ミズキさんって……カズヤさんの彼女……だったひと?」

「そうよ。——間違いない」


 カズヤさんの意識の中で闘った女性の感覚を、サラははっきりと覚えているようだ。


「あの時、カズヤさんの意識の中で……

 私は、その時はもうほとんど意識を失いかけていたんだけど——

 シロが、力をふり絞ってミズキさんに叫んだのが聞こえたわ。

『君には、新しく生まれる何かに命を与える大事な仕事がある』——って。

 ……彼女は、その言葉をしっかり受け止めたのね」



 そんなことがあったのか。

 そんなふうに、自分たちが消滅する寸前まで闘って——ミズキさんにも幸せをあげてきたんだな、お前らは。


「……世界一優秀で勇敢な音声アシスタントとこうして一緒にいられて、俺は心から幸せだ」

「急に改まらないでよ、気持ち悪いわ」

 サラは、照れたようにそんな言い方をする。



 そして——彼女は、涙ぐんだような声になった。

「……おかえりなさい、ミズキさん」




 写真の中で、カズヤさんとミズキさんは、幸せそうに頬を寄せ合っていた。











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スマホの音声アシスタントが命をかけて人を救う話 aoiaoi @aoiaoi

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