マンホール・ベティ

ラブテスター

マンホール・ベティ

 都会の街に夜咲くという、奇妙な花の噂である。






 仕事帰り、日もまたいだ夜更け。

 人気のない道をひとり歩く、心身のくたびれた男が出会うという。


 夜闇に沈んだアスファルトの道の真ん中、本来ふさがれているはずのマンホールの蓋がなく、ぽっかりと穴が空いている。


 大半の男は、まず気づきもせぬ。

 消耗しきった精神、しょぼくれた背中。おのれを呑まんと口をあけた底しれぬ暗渠の入りぐち、そんな危険に気もとめず、とぼとぼと横を素通りしようとする。


 しかし、心無い道路の瞳またたくようにマンホールの奥にきらめく、真っ白い額がある。

 路肩に引かれた標線の塗料よりもつよくぬめぬめと光を照り返す、見慣れない位置にある女の肌の気配が男の足をとめさせる。


 足をとめた男を観客とみとめたかのように、白い額がのろのろと昇りだす。街灯のつめたい蛍光にさらされて、たちのぼる女の顔かたちがあらわになる。


 ——まず見えたのは、鈍色にびいろにくさった金属の色に染め上げられた、シラミ巣食う藪のようにみだれた髪。


 ——つづく額と鼻梁には北壁の結露のように皮脂がひしめき、べたくた塗りたくられた白粉はあちこちまだらに浮いている。


 ——両の眼窩にすり込まれ、まつげに大量に盛られた練り墨のせいで、つねに涙に濡れている目玉のまわりは、そのために溶けた墨がなお失禁したかのように汚らしく頬までたれ広がっている。


 ——やはり厚く塗りこまれた口紅をしじゅう舌で舐めまわしているため、屠殺した豚を噛んだような暗い赤褐色のが口腔とくちびるに糸をひく。


 そしてそのすがめた表情に満遍なくたたえられた、野蛮な遠国の国境のさらに果て、すすけた路地に尻をついてあぐらをかくいやしげな娼婦の風情。


 それがベティである。




***




 マンホールのまるい鉄枠の端を噛むようにわずかうつむき、上目づかいをするベティ。


 男と目があうとさらにいやらしく歯をむき出して傷口がひらくように笑い、頭をもたげてざらざらのアスファルトを爪でがりがりと掻きぐいと身を乗り上げ、一糸まとわぬ真っ白な裸身を誇らんばかりに男の目に見せつける。


 双眸を見張りたじろぐ男のようすを気にもとめず、つめたい夜気にさらした胸をぐいと張り、たわみ流れる乳房を天に掲げてさらにのけぞり、あごを後ろへ後ろへと反らし——マンホールの蓋をその身で代替せんとするか、真っ暗な穴の上に仰向けに背を折って四肢を張ると、蜘蛛のように手足を渡らせてはあああと吐息を漏らす。


 男に向けてひろく割りひらかれた膝の奥、よれて引き攣れた皮膚がそこでは淫靡にひだつくり、みだらにはみ出す肉の朱が、まがまがしい瞳のように男の心を絡めとる。

 捧げるようにうねりと差し上げられた尻が妖しくゆらゆら揺らめき、それを目で追う男の頭も木偶人形のようにゆらゆらと揺れ、またその足はじりじりと魅入られたように歩みより距離を詰めてしまう。


 そしてベティは、いずれの民族の言葉かも判じかねる吃音じみた呼びかけを、しかしおぼろげに、ほしいよう、ほしいよう——と響くようにきこえるわななく声を、男にむけて投げかけ発する。

 そのころ既にベティの肌と陰部から蒸しあがる香気をたっぷりと肺懐に吸い満たしてしまった男は、求める女を待たせ呆けていた失態におどろき狼狽し、いそぎ応じてせわしげに衣服の前をほどきながらベティの股ぐらと向かいあわせに駆けより、地面を打つように膝をつく。


 もっけの歓びを期待してずるり深く突き立てられた男の陰茎は、しかし裏切るようなおぞましい感覚に受け容れられて戸惑い止まる。

 発酵にたぎる糞尿に突っ込んでしまったかのような、訝しいに過ぎる膣のまだらな温熱とごわつく感触。庭の隅の大きな石の下へ確かめもせず手を差し入れたような、本能的に感じる毒虫の気配に我にかえった男が、抱えこむ女の尻を離して見下ろすと——感情のシャッターが閉じたかのように無表情に不感症な、植物のようなベティの表情と目が合って胸の奥で戦慄する。


 冷えたベティの視線がおもむろに下へ下へ這い、みずからのたるんだ腹の奥にある男との結合部あたりによどんだ時、頭に違和感のあふれた男が腰引いてベティからおのれを抜き取ろうとするも。二重、三重となったぎざぎざの歯並びが、柔肌を晒しいたいけに張り詰めた男の陰茎に痛く食い込み、ごつごつとこわい上顎と灼けつくように熱くうねる舌が男の陰茎を逃がすものかとばかりに吸いつき咥えこんでいる。



 夜のしじまに男の悲鳴が響きわたる。

 

 

 男は腰を振り、泣き喚きながらベティの腹を殴りに殴って身を剥がそうとするも、ベティの深いところでこの上なく無防備なおのれに噛みつきごりごりと鋸を引くように性急に動くに絶望をおぼえるばかりで、あまつさえ抗う男にベティの陰部はなお抗ってみせるように噛む力吸いつく力を増し増して、陰圧のため屹立よりも大きく膨れた血と肉の芋虫ははち切れる寸前となる。

 表情を失くしていたベティもいつしか大口で高く哄笑を上げ、その残酷な表情で愛おしむように腕を伸ばすと完全に恐慌に陥った男の体に全身でかぶりつくかのように脚まで回し抱えこむ。


 精神がほぼ悶絶に吹き飛び白目をむいた男をなお慈悲から遠ざけるように、ベティの四肢が男の背中を覆い隠してふかく抱きこみ、そのだぶだぶとついた白い肉の奥、細い骨が鉄パイプのように男の服に、肉に食いこむ。

 万力のように軋みながらベティの関節が閉じゆく音、その内側で男の骨肉がねじ割れて潰れてゆく音、激痛に意識を取り戻した男の断末魔の先走りが、暗いアスファルト一面に撒き散らされる。


 歓喜とも咆哮ともつかぬ長い長い嬌声をあげるベティに男は悲鳴で合唱しながら、暗い暗いマンホールの奥のさらに向こう、遠い遠い下水道の底へとまっすぐに引き落とされてゆく。




***





***




 マンホールの奥底、下水の汚泥が溜まりガスが充満する地下水路。汚水のよどみに半ば浸り、いやらしい娼婦の四肢を絡めたまま息絶えてぎらぎらした色に腐りゆく男の、その下半身。


 ぼろりとだらしなく露出された陰茎の、先端の尿腔からあたらしいベティの双葉が顔を出す。

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