賢者の昔話(3)

 先程とは一転して、太陽の光に満ち溢れた眩しい世界――――。


 よく晴れた屋外の、林檎りんごの木の下に、黄金色こがねいろの長い髪をした一人の少女と、オルクが立っているのが見えた。


(……オルク⁉ ここは……どこだ? そして、私は……一体、どこにいる?)


 その場所はどうやら島のようだったが、ロシール自身の姿はそこにはなく、少し高い場所から――まるで空から、その景色を見下ろしているかのようだった。


(先程まで、暗い海の中にいたはずだが……なぜオルクのいる、このような映像が見えているのだ……。やはり、私は、死んだ……のか……?)


 ロシールは戸惑いながらも、少女がオルクに何かを見せているところを目にすると、少女の前にいるオルクと全く同じタイミングで目を大きく見開く。


(あれは……コンパス……? もしや、三種の神器の一つ……神のコンパス……なのか⁉ そのうえ、コンパスの針が見えて……そうか、オルクは……あれからおそらくメリスとうかどこかの島に辿り着いて、ついに「神の子」を見つけたのだな……。やはりオルクは私の思っていたとおり、「神の子」を天上の世界へと導く、神の使いだということか……。何一つ役目のない私とは、もはや、別次元の人間なのだな…………)


 ロシールの見ている映像の中のオルクも、少女の持つ神のコンパスに気がついたらしい。はっきりと声が聞こえないため、何を話しているのかはわからなかったが――どことなく興奮した様子で、少女に話しかけている。


 そんなオルクの様子を目にしたロシールは、この先オルクの辿る道について――――これまでに学んだ神話の内容から察してしまう。


(オルクは……これからあの子を連れて神の元へと向かう、長い旅に出るのだろう。つまり、賢者の島にオルクはしばらくの間、戻ることはない……のだな……。必ず試験の日までに島に帰すと約束したが、博士号の試験も、もはや受ける必要はなくなった……のか……)


 賢者の島に来て以来、今までずっと一緒に神学を学んできたオルクとは、ここで離れ離れになってしまう。自分とは違う、別の道を行ってしまう――それを感じ取ったロシールは突然、心にすきま風が吹いたような、この上ない寂しさを感じる。


 そして、これまでは感じていなかった――いや、自分の心の奥に無理やりしまい込んでいた――激しく燃えるような憎悪の感情が、心の奥底からじわじわと湧き出してくる。


 自分が誰より強く望んでも手に入らなかったものを、易々と手に入れたオルクが、憎い。そして自分のことを認めないばかりでなく、自分から無二の友人であるオルクを引き離そうとする神の存在が、この上なく憎い――――!



「…………ぷはっ!」


 ロシールは波に揉まれた際に飲み込んでしまっていた海水を吐き出し、そこで意識を取り戻す。


 辺りは真っ暗であったが、水の中ではないようで、今は息ができることにロシールは気が付いた。

 足元には地面と思われるものがあり――――触ると柔らかく、さらさらとした砂のような感触がする。


(ここは……一体どこなのだ? 波に引きずりこまれ、海の中にいたはずだというのに……。それに、つい先程まで見ていた、あのオルクの映像は……?)


 あれは夢だったのか、とロシールは一瞬考えたものの、先程見た光景が、今起きていること――もしくはこれからオルクの身に起こることに違いないという強い確信が、ロシールの中にはあった。それだけはっきりと、現実味を帯びているような強い感覚があったのだ。

 もしこれから再びオルクの元に戻ることができた際には、きっと先程目にしたあの少女が、オルクの隣にいることになるのだろう――――。


「しかし……どうやって助かったのかわからないが、あのまま海で溺れ死なずにすんだようだ……。とりあえず今、私は、生きている……のだな…………」


 自分の身が助かったことにひとまず安堵したロシールは、一時いっとき抱いてしまっていた神に対して憤る気持ちを一旦忘れ、天を仰ぎ、神に向けて感謝を述べる。


「おお神よ、先程の貴方様へ抱いた悪しき気持ちを、お許し下さり……わたくしめのこの命を助けて頂いたことに、感謝を申し上げます」


 ――――そうは言ってみたものの、ロシールは今の自分の状況に、疑問を感じる。


(しかし、ここはどこなのだろう……。オルク……奴が魔法で私をどこかに飛ばしたりしたのだろうか……。いや、それならばあの時、私に杖を向けるかわりに、手を伸ばして助けようとしていたのもおかしな話だ……。となると……もしやこれも、神のご意思……というもの……なのだろうか……)


「天上の神になど、感謝する必要はない」


 突然、低く轟くような声が聞こえる。そのどこか畏敬の念すら感じられるほどの声色を聞いたロシールは、びくっと肩を震わせ、辺りを見渡す。


「なぜならば……貴様の命を助けたのは神ではない、吾輩わがはいであるからだ」


 暗闇に目が慣れてきたようで、よくよく見ると、前方に大きな黒い影のようなものが、うっすらと見える。


「では……あなたは一体、何者なのですか?」

 ロシールは恐る恐る、前方に見える影に尋ねる。


「…………知りたいか?」


 影はそう言うと、赤く光る目を開く。暗闇の中から突然現れた、不気味に光る二つの大きな目を見たロシールは、その恐ろしさに緊張した面持ちでごくりと唾を飲み込むも――――ゆっくりと頷き、静かに返事を待つ。


吾輩わがはいは、この場所――貴様の住む世界の裏側、海の奥底の世界を統べる者――――と言えば、わかるな」


 その言葉に、ロシールは今、自分の身に起きていることを一度に悟り――――さっと顔を青くする。


「まさか、ここは……⁉ いや、そんな……はず……は……」


 あり得ないことだ――――と思いつつも、ロシールは咄嗟とっさにこの世界の海図を頭の中に思い浮かべる。そして、先程まで自分たちが居た場所――カモメとうやメリスとうの海に近い場所にあるものを思い出すと、一つの可能性に行き当たり、ハッとする。


(ひょっとして、私は……波にさらわれ、闇の大穴から……闇の世界へ、落ちた……のか?)


 衝撃の事実に動けないでいるロシールをあざ笑うかのように、目の前の影は赤く光る大きな目を細める。


「天上の世界の『神』などと呼ばれる者から見離され、ここまで辿り着いた貴様にとっての『神』とは、決して天上にいる神を指すものではない……」


 ――――ロシールが着ている眩しいほどに真っ白だったローブは、黒い海の色が染み込んだことによって、次第に黒色に染まりつつあった。


「貴様にとっての『神』とは、この吾輩わがはいのことであったのだ。これからは吾輩わがはいが、貴様の望む『力』を存分に与えてやろう――――――」




 その後、何があったのかは知る由もないが――――ロシールが再びオルクの前に現れるその時、ロシールはオルクらに敵対する者として、オルクや「神の子」の少女と対面することになるのであった――――。



*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  



 時代は移り、再び百年ほど後の世界――――これからブラック・マウンテンへと向かう、闇の賊の船の中。


 歳は百を越え――から授かり得た永遠の命と衰えの少ない体によって、年齢の割には若々しくありつつも、白髪の老人の姿となった現在のロシールが、そこには居た。


 その目の前には、両手両足を縛られた状態で床に転がり、絶望したような表情でロシールを見上げている、黄金色こがねいろのやや癖っ毛の髪の少女――後に天上の世界で神となるべく、新たに「神の子」の役割を担う少女――アイラがいた。

 この少女も、そしてその後ろにいるサルマという男もまた――――――自分とは違い、神に選ばれた者たちであった。


「……絶望に陥っているお前のその顔……それを見たかった。オルクにも同様の絶望を味わせてやる。これからたっぷりとな」


 ロシールが賢者の島で客人扱いをしていた二人――アイラとサルマに今まで騙していた事実や自らの正体を明かした後、ロシールはそう言い残すと、扉を閉め、二人を拘束し閉じ込めてある部屋から出ていく。


 そして後ろに数人の闇の賊を従えつつ、甲板に向かって船内の廊下を歩きながら、ひとり呟く。


「……神に選ばれた者の話をした際、うっかり『お前』と言ってしまったな。……だがそれでも、あのサルマという男は何も気づいてはいないようだ。自分がオルクと同じように、神に選ばれたことすらも……。オルクは何故、あの男に自分と同じ役目をする人間だと説明しなかったのか、そこは疑問に感じるところではあるが、まあいい。無知な相手というのは、こちらにとっても好都合だ」


 ロシールは甲板に出たところで、ぎらりと目を鋭く光らせ、呟く。


「昔、オルクが『神の使い』の役目だった時には叶わなかったが、今度こそは――――私を選ばなかった『神』の世を、私自身の手で終わらせてやる」


 ロシールはそう決意すると、闇の世界へと繋がる黒き岩山――ブラック・マウンテンがある、黒い霧に覆われた海を船上から見据え、不敵な笑みを見せるのだった。



「賢者の昔話」 完


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アイラと神のコンパス ほのなえ @honokanaeko

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