賢者の昔話(2)

 賢者の島を出る船の手配が済むと、二人は学院の教授や生徒に見つからないよう気を付けながら船に乗りこみ、オルクの言う『予感』がする方角――賢者の島から南へと向かう。


「この船はカモメとうきらしいから、とりあえずそこまではこの船で行こう」

 オルクがそう言うと、ロシールは頷く。

「カモメとう……か。市場があるそうだけれど、そんなところに神に関するものがあるとは思えないな。で、そこから先はどこへ向かうつもりなんだい?」

「それは現地に着いてから考えるつもりだよ。また『予感』が行き先を教えてくれるかもしれないし。でも、ちょっとだけ心当たりがあって……カモメとうの南東に位置する『メリスとう』に、もしかしたら何かあるのかもしれないと、僕は思ってる」

「なるほど、神メリスが降り立ったと言われる島……神に愛されし島……か」

 ロシールは頷き、口を開く。

「神学を学ぶ私たちにとっては非常に興味深い島ではあるが、一般の人からすると特に何もない島だからな。メリスとう行きの船はおそらく出ていないだろう。ならばカモメとうに一旦立ち寄り、私たち二人だけでも乗れそうな小船を調達して、向かうのが良いだろうな」

 ロシールの言葉に、オルクも頷く。

「いいね、そうしよう」




 そうして長い航海を経た二人は、ようやくカモメとうに上陸する。 


 カモメとうに着いてすぐに、ロシールはオルクを波止場に残し、船の貸し主を探しに行った。


 オルクはロシールを待ちながら、カモメとうの波止場から島の様子を眺める。

(ここはのどかでいいな。賢者の島とは違って、なんていうか、島で暮らす人たちの生活感が伝わってくる……)

 そんなことを思いながらぼんやりと島を眺めていたオルクだったが、ふと例の「予感」を感じ、南東の空を見つめる。


(あっちの方向から……予感がする。今までにないくらいはっきりと……)


 オルクは通りすがりのご婦人を呼び止め、尋ねる。

「あの、すみません。あっちの方角の海には何がありますか?」

 呼び止められたご婦人は驚いたようで目をまん丸にしていたが、質問に答えてくれる。

「東の方かい? えっと、小さい島……確かメリスとう……だとかいう島があったけど、それくらいしか無いよ。……それが何か?」

「あ、いえ。ありがとうございます」


 オルクはその婦人に礼を言う。婦人は少しいぶかし気な様子でオルクを見るも、何も言わずに去っていく。


(突然声をかけて驚かせてしまったかな。なんだろう、この服装が清潔感がなくていけないのか、一つものを聞くだけでも……ロシールみたいにスマートにはいかないな)


 オルクがそんなことを考えていると、向こうからロシールがやってくる。


「話をつけてきたぞ、オルク。船を借りられることになった」


 ロシールはそう言って、後ろにいた船の持ち主と思われる男と二言三言会話をする。船を借りるにあたって礼を弾んだのだろうか、その男は上機嫌な様子を見せている。

 オルクがその仕事の早さに目を丸くしながらロシールを見ていると、ロシールはその場で男と別れ、少し離れた場所に停まっていた船までオルクを案内し、自慢げに小さな帆のついた小船を見せる。


「あった、これだよ。さあ乗りたまえ、オルク。早速出航といこうじゃないか」


 ちょうど二人が乗るのに適した大きさの船を見て、オルクは目を輝かせる。

「助かったよ、ロシール。君のおかげだ!」

「な。君は私が来ることを渋っていたが、結果的には連れてきて正解だったろう?」

 ロシールはそう言って得意げな笑みを見せる。

「ああ。本当にそう思うよ」

 オルクはロシールをしげしげと眺め、ぽつりと言う。

「君は身なりも綺麗に整っていて、しっかり者で誠実で、人から信頼を得るのに優れているから……。きっとこの僕が同じ事をしても、なかなか船を貸してくれる人は見つからなかったと思うよ」

「突然何を言いだすんだい?」

 ロシールはオルクの言葉を聞いて、目を丸くする。

「君は才気に溢れているだけでなく、僕とは違って世渡りも上手い。だから……そんな君の輝かしい将来を、この僕がつぶすわけにはいかない。試験に間に合いそうになくなる前には……やっぱり一人だけでも、賢者の島に戻ってほしいんだ」

「……何をいまさら。そういう訳にはいかないだろう」

 ロシールはそう言うと、サッとオルクに背を向ける。今しがた、無二の友人から自分のことを大層褒められたというのに、ロシールの胸中は――穏やかではなかった。


(この男は何を言っているのだ。オルクだって、他の人には決して持ちえないものを、持っているというのに。あの痕跡石こんせきいしのついた杖で、魔法を自由自在に扱えたりする、おそらく神に与えられた力……この私が、喉から手が出るくらい欲しくてたまらない力を。それに比べれば、私の凡庸な長所など……大した価値の無いものだというに)


「…………今すぐ出航だと言ってはみたものの、やはり身一つで海に出るのはまずいな。オルクは少しの間、ここで船の番をして待っていてくれ。私は必要なものを調達したりだとか……この先の航海の準備をしてくる」

「うん、わかったよ。ありがとう、ロシール」


 一時いっときオルクから離れたい気持ちになったロシールはそう言うと、オルクに背を向けたまま、市場の方に向けて速足で歩いてゆく。



 ロシールが手早く市場で買い物を済ませ、船で待つオルクと合流すると、早速二人はメリスとうに向けて船を出す。


 ロシールが事前にカモメとうの住民に聞いていた通り、このあたりの海は穏やかだったが、それでも二人は船の操縦に慣れていないため、二人きりでの航海は果たして問題ないだろうかと、ロシールは少し心配していた。

 しかし、実際は――――その心配の必要はなかった。


「すごいな。その魔法があれば、船の操縦は心配いらないな」


 オルクは痕跡石こんせきいしのついた杖を用い、船の帆の向きや舵を、自動的にあやつっているようだった。そのおかげで船は常に良く風を受け、どんどん前へ進んでゆく。

 そんな魔法を扱うオルクの鮮やかな手捌てさばきに、ロシールは思わず見惚れてしまう。


「やはり君の力は素晴らしいな、オルク」

「すごいのは僕じゃないよ。この杖の……神の痕跡石こんせきいしの力だよ」

 どこか照れくさい様子のオルクに構わず、ロシールは羨望の眼差しでオルクを見つめる。

「だが、それは君にしか扱えないものだろう」


 実際、ロシールは過去に、オルクから杖を借りて使ってみたことがあった。しかし痕跡石はオルクが杖を持った時のように、光を灯さず――魔法の力をその杖から引き出すことはできなかったのだ。


 ロシールはその時の屈辱をふいに思い出してしまい――――海を眺めるふりをしてオルクから目をそらすと、ぎり、と唇を噛み締める。


(なぜ……神はオルクを選んだのだろう。この力の持ち主として、相応しい何かが……私にはない、何かがあるというのか? 正直、私が魔法を使えるのなら……このような力を持ちながらも滅多に魔法を使おうとしないオルク以上に、あらゆる場面で上手く活用できる自信があるのだが……)


 魔法を扱うオルクを目の前で見ていると、ロシールはそんな気持ちにならざるを得ないのだった。


「ロシール! なんだろう、あれは……」


 オルクに呼びかけられ、物思いにふけっていたロシールはハッとして顔を上げる。オルクは後方の、海の一点を凝視しているようだった。


「後ろから……何か、黒いものが、追いかけてきているような……」


 オルクがそう言ったところで、船が大きく傾く。船の真下から何か波のようなものがせり上げてきて、船を上へ上へと押し上げる。


「なんだろう、この波は……。何か、奇妙な……」


 ロシールがそう言ったところで、次の波が押し寄せ、大量の海水が船の中に入ってくる。その海水は、黒い色をして――いることをロシールが確認したその時、新たな大波が押し寄せ、ロシールの体を船上からさらってゆく。


「うわあああああぁ!」

「ロシール!」


 オルクがこちらに向けて懸命に手を伸ばし、自分のことを助けようとしているのが見えたが――――そこで、ロシールの視界は黒い波に覆われ真っ暗になり、それ以上何も見えなくなってしまった。


(……この波……やはり普通の波ではない。この私を、一体どこへ、連れていくつもりなのだ……)


 黒い波が自分の体を連れ去るばかりでなく、まるで海の底へと沈めようとしているかのように、ロシールは感じられた。


(しかし、それでもオルクだけは……船から落ちなかった。奴はきっと、神のご加護により、助けられたのだろう。だが私は……私は……これだけ神を信仰しそのお力になりたいと願っていても、神から、見離される運命なのだろうか……。このままでは、海の底へ……深い、闇の中……へ……)


 そこでロシールは意識を失い――――ロシールの体はどこまでも広がる暗闇とともに、海の底へと沈んでいった。


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